屋敷
古びた洋館。
服部由佳の家は、今もそのままそこにあった。
明路は鍵を出し、玄関を開けると、中に入る。
玄関以外の場所は開いているのだが、そこから入る自信はない。
最近、太った気がするしな……。
暗いリビングに灯りをつけた。
誰も出て来ない。
ガサガサと音を立てる硬い素材の買い物袋を手に、明路は二階へ上がった。
南側の、晴れた日にはいい風の吹く部屋へと向かう。
窓近くのソファに専用のクッションが置かれ、電話の子機が転がっていた。
そこに横になっているものに、明路は呼びかける。
「寝てる?」
「寝てると思うのなら、声をかけるな」
すぐ返ってきた声に、ほっとした。
「……あいつは元気か」
「元気。
たいした傷じゃないもの。
お腹空いた?
ちょっと柔らかめの具材が入ったスープ買ってきたんだけど」
そこに膝をつき、近くのテーブルにそれらを並べたが、彼は興味を示さなかった。
「お口に入れてあげようか」
「いらん」
「水くらい」
「いらんと言ったら、いらん」
明路は溜息をつき、手にしていた缶を置いた。
射し込む月光の下、横たわる彼の姿に、
「……何がいいことなのかわからないわね」
と呟いた。
「何がだ」
「目的を遂げて、すっきりするのがいいことだとは限らないってことね」
「なんでだ。
私はすっきりしている。
いい気持ちで死んでいける」
「……淋しいこと言わないでよ」
すぐ傍に顔を寄せてみた。
目を閉じると、もう、行きているのか死んでいるのかわからない感じだ。
「死んじゃわないで」
「勝手なことを言うな。
ようやく解放されるんだ」
「永遠に生きててくれると思ってた」
そう言うと、彼は嗤う。
「永遠に生きているのはお前たちの方だ」
と。
喋らず目を閉じた姿は本当に死んでいるようで、
「死んだの!?」
と思わず叫んで揺すってしまう。
「生きてるおるわっ」
と彼は身体を起こした。
うるさい、と怒鳴られる。
だがもう、そのときが近づいていることを感じていた。
明路は立ち上がる。
「服部くんを呼んでくるっ」
「どっちのだ」
「服部怜よっ」
……いらん、と少しの間を置き、猫は言った。
「同じ顔の人間を連れてきても、どうということもない。
というか、別に私は服部由佳に逢いたいわけじゃない。
あいつは私の主人じゃないからな」
「主人じゃないのはわかってるわよ。
友だちでしょう?
私もよ」
「らしくもない臭いことを言うな」
「置いてかないでよ」
「人間の男じゃないから、泣いて縋っても効かないぞ」
明路は鞄を手に、携帯を探る。
「何処にかける気だ」
出来るならかけたくなかったその番号にかける。
すぐに相手は出た。
『どうしたんだい?
何かの祟りかな』
……どうして、私の周りの連中はどいつもこいつも。
「服部怜の住所を教えてください」
『君にもわからないものとかあるんだね』
「私には……何もわからないです」
今日、藤森に言ったのと同じ台詞を繰り返す。
『僕が教えると思うかい?』
「思います」
と言うと、彼は溜息をついた。
『なにがあったんだい?』
ざっと事情を話すと、ふうん、と言い、
『一部、興味深い話だね。
わかった。
怜は僕が連れて行くよ。
彼の家はちょっと遠いからね』
と言ってくれた。
「あ、ありがとうございます。
でも、悪いから、私が行っても――」
『君が居ない間に、そのにゃんこが死んだらどうするんだい。
一人で死ぬのは淋しいものだよ』
妙に実感こもっててやだなあ、と思った。
必ず、怜を連れて来る、と約束して、彼は電話を切った。
「誰だ?」
猫の問いかけに、
「あんまり借りを作りたくなかった人よ」
と言い、傍に腰を下ろした。
「和彦か?」
「それもやなんだけど、違うわ」
そう言い、ソファに背を預け、目を閉じる。
「此処にこうしてると、なんだか高校生の頃に戻ったみたいね」
「高校生のときは、あんまり来てないだろうが」
「それはそうなんだけど」
「ああ、いつか由佳に連れ込まれてたな」
「……どうして、今、そういうことを思い出すのよ」
「あの子は元気か」
今まで口にしなかったことを猫は訊いてきた。
「……そうね」
と言い、明路は目を開けた。
そこに女の霊を求めて、アンティークな柄の壁を見つめるが、現れない。
本当に肝心なときには誰も来ないんだから、と思った。
「今が一番辛いかも」
「ん?」
「みんな新しい人生を生きてるの。
私だけ置いてかれてる気分よ」
「結婚して、子どもでも産んだらどうだ?
あれか?
障害は、『湊部長』か」
「ま~、障害っていえば、障害かな」
結婚して、子どもを産むとか、百パーセント反対するに違いない。
「あいつ、殺したらどうだ」
おい……。
「私が殺してやろうか。
最後にひとつは恩返しをしてやろう」
「恩返し?」
「お前がずっと私の世話をしてくれた。
あいつが居なくなったあと。
一人は淋しい。
本当はな」
初めてもれた本音に、こちらが胸を締めつけられた。
彼はひとり、此処で服部由佳の帰りを待っていたのだ。
「流行りの通り魔に見せかけてやろうか?」
「ありがとう。
でも、私、人真似は嫌いなの」
今、語る話かな、これと思いながら、今回の事件について話す。
「今回の通り魔風事件。
次の決行日は恐らく――」
そのとき、キンコーンと古い呼び鈴が鳴らされた。
「ちょっと下りてくる」
明路は行きかけて立ち止まり、ストップ、というように猫に向かい、手を突き出した。
「……死なないでね」
と念を押す。
「何百年も死ねなかったのに、そんな急に死ねるか」
と威嚇された。
まだまだ、元気そうだ。
少し安堵しながら、玄関に下りると、眉村が立っていた。
「早かったですね」
「結構飛ばしたよ。
まあ、捕まったら捕まったで、警察には知り合いも居るしね」
私のことじゃないだろうな。
「教職、なくなりますよ」
っていうか、私の職もなくなるじゃないか? と思う。
「……服部くん」
眉村の後ろ、闇を背に、服部怜が私服のまま、立っていた。
さすがに胸が痛くなる。
此処にその顔で立っていられると、まるで、服部由佳が帰って来たようで。
だからなのか。
眉村は厭な顔をしていた。
「服部くん、お願い。
何も聞かずに上の階に行って」
事情はほとんどわかっていないのだろうに、怜は、リビングから続く螺旋階段を見上げ、頷いてくれた。
そのまま上がっていく彼を見送り、眉村を振り向く。
その瞬間、額の中央が痛んだ。
息が出来なくなる。
「明路っ」
前のめりになり、眉村の胸に額をぶつけていた。
そのままじっとしていたのは、ビジョンが見えていたからだ。
物凄い早さで駆け巡る映像。
こちらが、ひとつ、息をついたのを見て、眉村が口を開いた。
「此処に来るのは厭だったんだ」
「なんでですか?」
此処が服部由佳の家だからか、と思ったが、
「此処はあいつが君を連れ込んだ場所だから」
と言う。
「……知ってたんですか」
「君のことなら、なんでも」
いつの間にか、背中に手が……、
と思ったが、そのまま払わずに言った。
「お願いがあります。
気をつけていて欲しいことがあるんです」
「おや、予知かな」
それには答えず、少しだけ、その内容を耳打ちする。
すると、眉村は眉をひそめた。
「もっと細かいことはわからないのかい?」
「わからないでもないですが、伝え過ぎるとよくないことは――」
「まあ、前回、わかったしね」
と彼は言葉を先取りする。
「あの……」
「言わなくていいよ」
今、告げようとしたことを眉村は遮った。
「わかってたから」
「え」
「見ればわかるよ。
それより、行ってやりなよ。
あのムカつく顔の生徒のところに」
服部くん、学校でいじめられてないかしら、と思ったのだが、
「服部由佳は嫌いだけど、服部怜は嫌いじゃないよ。
可愛い僕の生徒だ。
時折、いろいろ思い出して殴りたくはなるけどねえ」
そう眉村は、しみじみと語って見せる。
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