消えそびれた霊



 悪い夢ばかり見ている――。



 深夜、明路は目を覚ました。

 悪夢を振り払うように。


 だからといって、現実ももう救いではない。


 きっと、前世の前世で何か悪いことをしたんだな、と思っていた。


 だから、あのとき、あんな目にあったし、そのときの行いのせいで、今度はこんな目に――。


 水を呑みに階下に降りる。

 台所に行く途中、玄関の土間に人影が見えた。


 少し背中の丸まった影。

 生前の方が、もっとしゃっきりしていた気がする。


 自分のせいかな、と明路は思った。


 もうとっくの昔に上がっていい頃なのに、まだ此処に居るし。


 明路は傍に寄り、彼の前に立った。

 ゆっくりとその老人は顔を上げた。


「おじいちゃん」


 祖父は自分にはいつものように明るい笑顔を見せてくれる。

 その気遣いを申し訳なく思いながら、明路は言った。


「服部怜に会ったよ」

 祖父は頷く。


「あの日、あそこに行けば、逢うとわかってた。


 でも、行ってしまったの。

 少し期待しながら。


 予見ってさ。

 結局、見えてても、そう動くから予見なのよね。


 第一、

 予見を覆しても、ロクなことにはならないし」


 いや、そうではないか。

 服部由佳の見ていた予見の方は正しかった。


 彼が、その予見が覆らないよう、己れの記憶を塞いでいたから。


 明路は冷たい床にしゃがみ込む。


「何も見えなければいいのにって思うけど。


 もしかしたら、いつかこの力で誰かを助けられるんじゃないかって思うと、手放せない。


 結局、そういうことなのかもね」


 せめて、怜たちは守りたい。


 そう思うから。


「人にはきっと、不要な力。

 そして、新しい力。


 だから、まだ使い方がわからなくて、制御できないのかも。


 まあ、私に至っては、何百年も前から、そうなんだけど」

と明路は苦笑する。


 そのとき、ピンポーンとチャイムが鳴った。


 静かな家の中に、その音は響き渡ったが、誰も起きては来ない。

 ということは、現実に鳴っているものではないのだろう。


 霊現象か。

 明路は迷わず玄関を開けた。


 身体が半分潰れた男が立っていた。


「……いらっしゃい」


 殺してくれ


 殺してくれ


 あいつを殺してくれ


 戸に手で寄りかかるようにして、明路は溜息をもらし、言った。


「もう死んだも同然ですよ。

 お気になさらずに」


 いいや。

 この恨み、晴らさでおくものかっ!


 血に濡れた手が自分に向かって伸びる。


 明路は避けるでもなく、それを見ていた。


 だが、ふっとそれはかき消える。


 動いたのは、祖父ではなかった。

 足許から声が聞こえて来る。


『気をつけろ。

 霊障を甘く見るな』


 そのときには何もなくとも。

 じわりじわりとそれは心をおかしていくから。


「わかってる。

 ありがとう。


 でも、そろそろ成仏したら?

 私は大丈夫だから」


 いや、大丈夫じゃないから、此処に居るんだろうが、という顔をする。


 相変わらず、顔半分だけ出している。

 明路は、その場にしゃがみ込み、その顔を見る。


「もしかしたら、貴方も救えるかもと思ったのに。

 私も、和彦さんも」


 あの男の名前は聞きたくない、と霊は言う。


「結局、私たちには何も出来なかった。


 成仏して。

 もう一度、産まれてきて」


『もう一度、か。

 あいつらのようにか』


「なんでも見てるのね」


『お前の周りにあるものはな。

 もう少し……お前に付きまとってから成仏する』


 あまり嬉しくない宣言だ。


『あの『先輩』とかいう奴も未だにお前に付きまとっているようだが』


「先輩はもう付きまとってはいないわよ」

と言うが、霊は聞いていない。


『きっと、お前を見ていると、いろいろ起こって飽きないからだな』


 そんな理由か、と思う。


『……お前と生きられたら、刺激的な人生になっていただろう。

 だから、なんとなく寄り添い、見てしまうんだな』


 私に逢いに来たら、死ぬとわかっていたくせに、そんなことを言う――。


『消える前に、俺には許せない人間が二人居る。

 和彦と服部由佳だ。


 あのときばかりは、己れが霊であることの無力さを嘆いたよ』


 明路は少し笑い、

「じゃあ、生まれ変わってきてよ」

と言ってみたが。


 だから、もう少し後にするよ、と言う。


『今から生まれ変わったんじゃ、俺が大人になったとき、お前はババアだ』


 付きまとってるわりに、薄情だな……。


『だから――

 ばあさんになって死ぬまで、お前を見守ってやる。


 生まれ変わるのはそれからだ』


 人生っておかしなものだな、と思った。


 あのときには、最悪の結末をもたらす相手だと思っていた。

 だが、今、その魂が自分を見守り、助けようとしてくれている。


「長年連れ添ったら、意外と、いい夫婦になれてたかもね」

と明路が言うと、霊は呆れたように、


『お前は本当に人の心がないな』

と言う。


 ついに人でなしに、人の心がないと言われるまでになってしまったか……。


 そう思ったが、自分たちを離れて見守っている祖父は、優しく微笑み、聞いていた。


『明路。

 未来は変わらないよ。


 変えてはならない、この未来は。


 だから、記憶を消しておくよ。


 俺の――


 記憶も消しておく』


 

 ねえ。

 今のこの未来は、本当に貴方が望んだ未来なの?


 服部くん――。



 





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る