朝の遭遇

  


 あの先に女が立っている。


 窺うように、こちらを見ている――。

  



 湊にあんな話をしたせいだろうか。


 悪い夢を見た。


 差し出された赤い杯をじっと見つめている自分の夢。


 でも、この現実と、あの過去と、どちらが悪い夢かと問われると、よくわからない。

 

  

 

 よくない夢を見た。


 こんな日は、強い朝の光を浴びるに限る。


 目にも鮮やかな現実の景色が、薄暗い夢を押し流してくれる気がするから。


 夢よりも、もちろん、現実の方が強いから。



 

 服部怜は軽く欠伸をしながら、いつもの道を学校へと歩いていた。


 あれからなんとなく、登校時間が早い。

 あの事件現場で足を止めるからだ。


 別にそれを期待していたわけではないのだが、佐々木明路が道の真ん中に立っていた。


 ……轢かれるぞ。


 いい大人相手に、そんな注意をしたくなる。


 彼女が道の真ん中でアスファルトを見ながら、ぼんやりしていたからだ。


 住宅街の狭い道だが、その分、車が来たとき、あまり避けるところがない。


「服部くん」

 薄いコートを着ている彼女はポケットに手を入れ、顔も上げないまま、そう呼んだ。


 返事の代わりに、一歩だけ近づく。


「君はさあ、霊とか見えるんだったっけ?」

 明路は唐突にそんな話題を振って来る。


「見えますよ。

 言いませんでしたっけ?」


「ああ、そうだったっけ」


 傍で聞いていたら、かなり間抜けな会話だろう。

 だが、なんだか判断がつかないというか。


 佐々木明路に自分のことを何処までしゃべったんだったろうか。


 何故だか、彼女は自分のことをすべて知っている気がしたし。

 彼女もまた、そう認識しているからこそ、わからなくなっているような気がした。


 彼女は、

「じゃあ――」

と言いかけたが、その続きを口にするのはやめた。


 なんなんだか、ひどく気になる。


「服部ー」

 その声に二人で顔を上げた。


 友人たちがやってくるところだった。


「おはよう。

 うわっ……」


 うわっ、という声は明路を見ての言葉だったようだ。


 友人たちが耳許で言う。

「これが噂の刑事さん?」


 矢来たちだな、広めてるの、と思った。


もてあそばれたい……」


 おいおい。


「君たち、服部くんと同じ学校の生徒?」


「あ、は、はいっ」


 緊張した面持ちで奴らは答える。


「そう。

 遅れないようにね」


 そう言った明路の後ろから、青い四駆の車がやってきた。

 振り返ろうとする明路の元に真っ直ぐ突っ込んでくる。


「危ないっ」

と怜は明路の細い手を引っ張った。


 明路がよろけて、自分にぶつかる。

 その茶がかった髪が鼻先に触れたとき、違和感を覚えた。


 車は明路の居た位置を通り過ぎると、すぐに止まる。


「やあやあ。

 ごめんごめん」

 そう軽く言いながら、ドアが開き、男が降りて来た。


「遅刻して焦っちゃって」

 頭を掻いて、そう言ったのは眉村だった。 


「大丈夫かい? 佐々木明路」

 眉村は彼女に手を差し出す。


 自分から離れながら明路は、眉村を睨んでみせた。


「先生、スピード違反で捕まえますよ?」


 どうやら、彼女は眉村を知っているらしい。


「送ろうか?」


「着くまでに命がなくなりそうなのでいいです。

 それより、先生が生徒さんと同じ時間に呑気に来てていいんですか?


 さっさと行ってください」


 眉村は、はいはい、と笑って、車に乗り込んでいた。


 窓を開け、

「じゃ、お前ら、遅れんなよ~」

と言って、走り去って行った。


 お前がな、と全員で突っ込みたいところだった。


「……あれ、また、教頭に怒られるぞ」

と友人が去り行く担任を見送り呟く。


 明路は、やれやれ、という顔で壁にぶつかったときについた白い粉をコートから払っていた。


「じゃ、君たち、ちゃんと学校行くのよ。

 ありがとう、服部くん」


 軽く手を上げ、彼女も行ってしまう。


 はーい、と友人たちは、普段見たこともないような笑顔で、明路に向かい、手を振っていた。







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