学園の霊と現場の霊
『あ~、授業って疲れるね~』
人の机の上に座るな、と
そもそも、お前は授業聞かなくていいだろうが、と思う。
この男子学生の霊、この教室の地縛霊かと思ったら、どうもそうではないようだった。
別の場所から来たと言う。
『ねえ、服部怜』
と呼びかけられ、黒板が見えないんだが、と目で訴える。
一応、身体は透けてはいるが、見えにくい。
『もう学校、慣れたかい?』
そんな先輩めかしたことを霊は訊いてきた。
いや、まあ、実際、年齢的には、先輩なのだとは思うが。
少し迷って、ノートの端に書く。
『そうだな』
机に腰掛けている霊は身体をこちらに向けて微笑んだ。
『君は、この学園に旧校舎があるのを知っているかい?』
シャーペンを持つ手を止めると、
『今でもあるんだよねえ』
とひどく楽しげに言い、閉められた窓から北側を見る。
その方角には今は――
「君が行きたいというのなら、連れて行ってあげるよ、服部怜」
何故、この霊は俺をフルネームで呼ぶのか。
何故、そんなに偉そうなのか。
いろいろ突っ込みたいところだが、突っ込んだら、めんどくさいことになるのは目に見えていたので、黙っていた。
『君はいろいろと面白くないねえ』
霊はそう愚痴る。
まあ、あまり無視しても悪いかと思い、
『じゃあ、どういうのが面白いんだ?』
と書いた。
そうだねえ、と霊は何かを思い出すように楽しげに笑ったが、彼が口を開く前に、教室の片隅で悲鳴が上がった。
「きゃっ」
誰もが手を止め、窓際のその席を見る。
斜め前に居る神崎葵が、声の主だった。
「どうかしたのか、神崎」
真面目な葵のことだから、授業を妨害したと咎められることもなく、教師に心配される。
「あ、すみません。
なんでもありません。
上から小さな蜘蛛が落ちてきて」
なんだ、と微笑ましげな笑いが広がる。
和やかな雰囲気だった。
葵がみんなに頭を下げながら、こちらを向く。
だが、その視線は、自分ではなく、霊の方を向いているように見えた。
頬杖ついて、その様を見ながら、何があったんだろうな、と怜は思っていた。
あの女、蜘蛛ごときに驚くとも思えないのだが。
ちらと自分の前の男を見たあとで、
この霊を見たからと言って、驚くなんてことも、ますますなさそうだ、と思った。
『なに見つめてんの?
行きたくなった?』
そう笑う霊は、葵の視線を無視しているように見える。
なんなんだかな、と思いながら、真横の窓を見た。
明日は雨と聞いた気がするが、今はまだ平穏な青空が広がっていた。
ひどく不躾な視線を感じる、と葵は思った。
好意的な笑いの起こる教室で、一点、それとは正反対の眼差しでこちらを見ているものがいた。
振り返らなくてもわかる。
服部怜だ。
めんどくさい男。
顔も嫌いだが、莫迦でないところが、より嫌いだ。
この教室によく現れる、というか、怜の前によく現れる霊が居た。
怜に向かい、話しながら、随分と楽しそうにしている。
こっちは無視するのにな。
いや、自分がそうするからか?
なんとなく、窓の外を見た。
今、怜がそうしたからかもしれないが。
平和だな、と絵に描いたような空と雲のコントラストを見ながら葵は思う。
私の心は、未だ、あそこにあると言うのに――。
炎上する校舎。
炎の中で、こちらを見ている男。
『明路――』
こちらに向かい、やさしく微笑む。
その顔が嫌いだ――。
「こんにちはー」
捜査本部の入り口に立った明路は、どうしようかなと迷ったあとで、そう呼びかけてみた。
何人かが振り返るが、どうせ今の時間はそう人は居ない。
だが、足で稼ぐはずの大倉は何故か居た。
「遅いぞ、何処まで出前に行っていた」
蕎麦屋か私は、と思いながら、
「出前じゃなくて、出張ですよ」
と答える。
「出張?」
「現場に行って来ました」
その一言で、ピリッとした空気が人々の間に流れる。
何処が出張だ、という突っ込みも入ることなく。
おもしろいもんだな、と明路は思った。
昔は、予知能力こそが警戒されて、霊能力に関しては、当然のこととして、興味を示されなかったのに。
今は予見ではなく、霊が見えたというだけで、場に緊張が走る。
それは大倉でも同じことのようだった。
平静を装おうとして、歪んでしまった口許に嗤いを浮かべ、
「へえー。
どうだった?」
と少し掠れた低い声で大倉は訊いてくる。
「はあ。
殺したのは、知り合いだそうです」
その一言でざわつく。
自分は聞いたとき、随分、大雑把な答えだなあ、と思ったのだが。
まあ、通り魔でない、とすると、大きく捜査の方向が変わるので当然か。
「知り合い?」
と大倉が訊き返す。
「知り合いが通り魔だったんですかね?」
はは、と明路は笑ってみせた。
「……本当なのか?」
そう呟き、鋭い眼光でこちらを見たあとで、
「どうでもいいが、入って来い」
と大倉は言う。
振り返れば、自分が戸口を塞いでいるので、藤森も入れないでいた。
ああ、ごめんごめん、と一歩入る。
すると、斜め前で、何かの書類をステープラーで止めていた若い刑事が、
「ああ、よかった」
と心底ほっとしたように笑った。
「どうしたの?」
「だっていつか、入って来ないと思ったら、正面に霊が居るから入れない、とか言ってたじゃないですか」
「そんなこと言った?」
はい、と彼は真摯に頷く。
「そう」
普段、見えていても言わないので、余程の霊だったんだろうな、と明路は思う。
自分が避けたくなるほどの。
「あ~、思い出した。
そうそう……」
「語らないでくださいよっ。
語らないでくださいよっ」
男はそう繰り返し、出来た書類の束を握り締めると、こちらを見たまま、後退していった。
「……了解」
と明路は呟く。
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