警察

 

 相変わらず、不思議な活気のあるロビーを横切り、明路は目的のカフェに向かった。


 私服姿の聡子が既に珈琲を飲みながら、手を振っている。


 霊を避けながらそこに行くと、

「なんであんたの方が遅いのよ」

と明路を見上げて言う。


 はい、と彼女が手で示す先には、ショコラの入ったカップがあった。


「ありがと」

 それは、いつも自分が頼むものだった。


 明路がお金を払おうとすると、

「たまにはいいよ」

と言う。


 そして、こちらを見上げると、


「どうしたの?

 死人でも見たような顔しちゃって」

と言って、聡子は嗤った。


「此処で笑えないこと言わないでよ」


 聡子にとってもそうだし、自分にとってもそうだ。

 ま、自分の場合は、死んだ霊とでも言うか。


「いっぱい見てるわよ。

 そこ此処に居るわよ。


 死んでも点滴さして歩いてる人も居るわよ」

と言うと、


「それは感心ね」

と聡子は言う。


 上に上がるか、家に帰ったらいいのではないかと思いながら見ているのだが。

 まあ、迂闊に余計なことも出来ない。


「あんた、刑事やめて、そういうの供養して回れば?」


「その場合、稼ぎは何処から出るのよ。

 病院?」


「ショボイ話しなさんな。

 相変わらず、いい服着てるわね」

と聡子はコートの下の服を引っ張ってくる。


「ちょうだい」


「いいよ。

 あ、でも、これは駄目か」


 明路は、今、着ている物を確認しながら言う。


 自分で何を着ているのかわかっていなかった。

 そもそも、身を飾るとかそう言ったことに興味がないのだ。


 今更、誰に見せたいわけでもないし。


「ねえ、前から思ってたんだけどさ。

 あんた、霊に犯人訊きなさいよ」


「出来たらやってるわよ。

 死んだあとは、みんな、混乱してるのよ。


 先輩とかだってそうだったでしょ」


「――とか私に言われてもね」


 一口飲んだあと、聡子は上目遣いに訊いてきた。


「元気?」

「誰が?」


 いやあ、とよくわからない答えを返し、聡子は立ち上がる。


「やっぱり、何か頼もうっ。

 スイーツはいるわっ」


 そりゃそうだな、と思いながら、頬杖をつき、ふと横を見ると、誰かがこちらを見ていた。


 受付の前から、真っ直ぐに。


 どうしようかな、と迷い、小さく手を挙げてみた。




 昼近く、音もなく、すうっとドアを潜り、明路は自分の席に着こうとした。


「佐々木っ」


 麻生課長の叱責が飛ぶ。


「あ、課長」

と言い、そのまま黙っていると、課長も同じように黙っていた。


 何かの言葉を待っていたようだ。


 だが、自分が口を開かないのを知ると、麻生は、ようやく語り始めた。


「何か言うことはないのか」

「は?」


「お前、今まで何処に行ってた!?」

「お手洗いです」


 嘘ではない。

 今、本当に行ってきた。


 嘘は苦手なので、とりあえず、その言葉が嘘にならないようにしてきたのだ。


「今日は、朝から此処に居たか?」

「はい」


 今も、一応、朝だしね。

 これもやはり、嘘ではない。


 しゃあしゃあと最初から居た風を装っている自分に、麻生は頭を抱えているようだった。


 このままうやむやに済ませてくれないかな、と明路が思ったとき、背後から男の声がした。


「課長、こいつ、居ませんでしたよ」


 空気読めよ、藤森~、と明路は、最近、此処に配属されてきた自分より少しだけ若い男を振り返る。


 やけにやる気があるのも、厭味な感じに顔が整っているのも好みじゃない。


「なんで、あんた、こんなとこに居るの?」

と勝手に椅子の背に手をかけている男を見上げて言った。


「あんた、捜査本部に行ってたんじゃないの?

 昨日の事件で」


 藤森は何か言いかけてやめた。


 うるさがられて、雑用を言いつけられ、叩き出されたか。


 ドラマのように所轄が弱いわけじゃないからな、と思いながら、めんどくさい男の顔を見る。


 最も同情されたくない人間からの同情に満ちた視線に気がついたのか。

 何も言っていないのに、藤森はわめき出す。


「お前なんか最初から外されてるじゃないかっ」

「だって、私、あそこの所轄のオヤジと前、大バトルやったから」


「聞いた」

と藤森は低い声で言う。


「生きた人間が見たって証言を、霊が見たって証言でひっくり返そうとしたってな」


「常に霊の方が正しいなんて、言ってないわよ。

 彼らだって、嘘をつく。


 でも、そのとき、私が話を訊いたのは、特に嘘をつく必要のない霊で。

 あいつらが訊いたのは、嘘をつく必要のある生きた人間だったからよ」


「待て」

と藤森が止めた。


「問題なのは、そこじゃないだろう」

と。


「霊が見たの見ないのって話を捜査本部で持ち出すこと自体がおかしいって言ってんだ」


「なに言ってんのよ。

 霊が見えてる人間なんて、口に出さないだけで、たくさん居るのよ。


 ねえ、課長?」


 課長は、びくりとし、わしに振るな、という顔をする。


 誰だって、過去、思い返せば、霊の一体や二体、見ているはずだ。


「通りがかりに毎朝挨拶してる人が生きてる保証が何処にあるのよ」


 そう言うと、藤森は何故か黙った。


「ともかく……っ。

 お前の遅刻を課長は怒ってたんじゃねえのか。


 ねえ、課長っ」

と見るが、課長は、もうこの話題に関わりたくないようだった。


「……の腰巾着めっ」

と藤森が吐き捨てるのが聞こえた。


 まあ、この藤森に関して、唯一、感心するのが、上に媚びないところだ。


 だが、上に媚びないのはいいとして。


 上を向いても下を向いても、左右を向いても毒を吐くのはなんとかならないものだろうかな、と思っていた。


「藤森」

と呼びかけると、一応、


「なんだ」

と返事は返してくる。


「組織の中で一番大事なのは、協調性と、なあなあで済ませることよ」


「お前に協調性があるのかっ。

 あるのは、なあなあだけだろうがっ」


「お前って何よ。

 前から気になってたのよ。


 私、先輩。

 先輩よっ。


 刑事としても、此処の部署の人間としてもっ」


「うるせえっ、この童顔女っ」


 揉めながら、課長に些末な用事を押し付けられて、叩き出されるのは時間の問題かな、と思ってはいた。





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