遭遇
「何故、叩き出すんだ」
横を歩く藤森は、文句を言いながら、ぽかぽかと陽気のいい住宅街を歩いていた。
以前の事件で預かった証拠品を煙草屋のおばあちゃんのところに返して来い、と言いつけられた。
本来、このくそ忙しい時期に、二人で行くようなことではない。
これ以上関わりたくない課長に追い出されたのだ。
「あんたが騒ぐからでしょー」
眩しい日差しに瞬きしながら言うと、
「そうじゃない。
捜査本部からだ」
と言う。
「お前に霊が見えるのなら、お前に被害者の霊から犯人の名前を訊いてもらえばいい」
そんな意外なことを藤森は言い出す。
「……信じてんの?」
思わず、明路がそう問うと、
「嘘なのかっ」
と怒鳴ってきた。
「いや~、嘘じゃないけど。
意外。
普段は霊を否定するようなことばかり言ってるじゃん」
「それは、今の方針がそうだからだ。
心霊現象を事件の参考にはしないという方針なのに逆らうな、と言ってるんだ。
それも取り入れよ、と上が決定して、組織がそのように動くのなら、俺別にそれでもいい」
「そうなの。
へー、意外に柔軟な発想ね」
同僚の珍しい意見を明路は感心して聞く。
「お前は、何故、霊の意見が現場で通らないと思う」
「霊は証言台に立てないからじゃない?
あと、私にしか見えてなかったりするから、私が本当のこと言ってるかどうかわからないからでは?」
そう言うと、藤森は、お前こそ、わかってるじゃないか、という顔をする。
「でもね。
或る程度の方向性を決定づけることはできると思うのよ。
長年、現場でやってきたおじさんたちは特にそういうの嫌うけどさ。
逆に見てると思うんだけどね、いろいろと。
自分で惑わされないようにしたいのかな。
霊なのか、情なのか、わかんないとき、あるもんね」
「情?」
「ああ、可哀想だな、と思って見てると、その被害者にとって、都合のいい幻とか見ちゃいそうでしょ」
と言うと、藤森は、霊の話よりわからん、と言う。
まあ、こいつ、あまりそういう感情には流されそうにないな、と整っているが、薄情そうな藤森の横顔を見る。
「ま、おじさんたちは怒らせないに限るわ。
所轄に協力してもらわなきゃ、地元のこととかわかりにくいしね。
あ、此処よね」
煙草屋を前にして、明路は一旦、足を止める。
「覚悟してよね」
「何を?」
「おばあちゃん、話長いの」
「それでか」
めんどくさい役を押し付けられる上に、長時間、厄介払いが出来ると思ったから、此処に送られたのだ。
「話打ち切りゃいいじゃないか」
「それがさー。
切れないのよね」
霊の話と一緒よ、と明路は言った。
何が切れないのよね、だ。
お前がずっと聞いてるからじゃないか、と藤森は思った。
にこにこと愛想良く、自分を叱り飛ばすときとは別人のような顔で明路はばあさんの話を聞いている。
『美人だが、気をつけろ』
此処に来る前に、散々言われたセリフだ。
『どう気をつけろって言うんです?』
『……いろんな意味でだ』
とかなりの含みを持たせて言われたが。
なるほど。
いろんな意味でだ。
ただ、見た目が美しいというだけで崇め奉るには、彼女には余計な要素がたくさんある。
霊が見えるな。
仕事サボるな。
サボって単独する行動するわりに、証拠を見つけてくるな。
いろいろと言いたいことはあるが、まあ、彼女の一番困ったところは恐らく――。
「じゃあね、おばあちゃん」
暇つぶしにやってるような煙草屋のばあさんがにこやかに頷き、明路と、何故か自分にも、煎餅を持たせてくれた。
それぞれ、昔駄菓子屋で見たような茶色い袋に入っている。
明路はいつまでも振り返りながら、手を振っていた。
こうしていると、その辺に居る感じのいいお嬢さんなのだが、事件に関わっているときの目の据わりようは半端ない。
「なんか暑いな~」
茶色い袋を小脇に抱え、パタパタと明路は顔の前を扇ぐ。
「日中はな」
袋の中を覗いてみると、昔から祖母もよく買っている醤油煎餅が入っていた。
残念ながら、自分も大好きだ。
明路のお陰だろうが、礼は言いたくない。
「コート、脱いだらどうだ」
と言うと、
「そうねえ」
と明路は返しては来るが、脱ぐ様子はない。
彼女に関する数多くの噂のひとつに、服を自分で買っていないというのがあった。
同じ部署に居ると、確かに奇異に感じる。
ペーペーの刑事のわりに、毎日、服が違うし、全部、ブランド物だ。
「あ~、厭な季節が来る」
と明路は言った。
「何がだ?」
「いやあ」
と言う明路は、そこから先を答えない。
答えないなら言うなよっ、と藤森は煎餅の袋を握り締めた。
紙袋と中のビニールの袋が合わさって凄い音を立てる。
ようやく、こちらを振り向いた明路は、
「割れるよ」
とだけ言った。
「例の現場行ってみないのか」
「ああ。
行かないって約束しちゃったからね」
誰にだ。
所轄のオヤジどもにか、噂の湊部長にか? と思う。
「場所が悪過ぎるのよ」
と彼女はそれだけを答えた。
こいつと話してると余計なストレスがかかる。
死んでも厭だが、絶対に厭だが、頭を下げて、捜査本部に戻してもらおうか。
明路とこのまま居るのと、人に頭を下げるのと。
選びがたいぐらい、どちらも苦痛だ、と思ったとき、明路が足を止めた。
前から、菖蒲の花を手にした男がやってきた。
長い髪を肩に垂らしている。
昔、眠たい大学の講義で、神に仕えるものは髪を伸ばすと聞いた気がするんだが。
……あいつ、坊主じゃねえか。
男前なんで、見惚れてるんじゃあるまい、と思ったとき、明路がその男に微笑みかけた。
「劉生さん」
と。
職場に居るときとは違う、少女のような顔つきで。
彼女は近寄って来た男と花を見ながら談笑したあと、じゃあ、と手を上げて別れる。
そのあとは、またいつもの顔に戻っていた。
並んで歩きながら他に言うこともなく、
「お前、気が多いな」
と言うと、
「何が」
と言う。
本当になんのことだかわからないようだった。
のんびりとした昼下がり。
そういえば、昼飯も食ってねえ、と思いながら、その通りを曲がりかける。
自分が足を止める番だった。
「佐々木明路」
なに? と明路がこちらを見上げる。
「……うまい中華の店があるんだ。
行くか」
珍し、と明路は肩をすくめてみせた。
こっちだ、と道を変えさせる。
歩みが速くならないよう、注意しながら。
明路は振り返り、先程の道を見ているようだった。
ドウシテ……
ど ウ シテ
『どうして―?』
笑って明路と別れた劉生だったが、その足の進みは遅くなっていた。
ひとつ、溜息をつき、花を持つ手を下ろすと、花の香りと包み紙の匂いの混ざった、あの独特の香りが遠くなる。
自分に気づく前の明路の顔を思い出していた。
颯爽とした働く女の顔だった。
その出で立ちも表情も――
あの黒い格子の向こうの閉じられた世界に居たときの彼女とはまったく違う。
だが、彼女の心は、あのとき以上に鬱屈した世界にあるように感じられていた。
足が重いな、と思う。
まるで誰かに捕まれているかのように。
ずっと重い。
あの日からずっと――。
まるで、何かを引きずっているかのように。
そうっと足許を見下ろすが、そこに想像していたものはなかった。
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