第21話

 道の先から見えてきたのは、見覚えのある車だった。グレーのセダン。大塚だ。

 

 ドクンと、紗季の心臓が跳ねた。


「こんにちは」

 大塚は笑顔を寄越したが、紗季は笑えなかった。

「なんだか歓迎されてませんねえ」

 大塚はこちらに向かってくる。

「今日は営業してません」

 紗季はそう言ってから、店の中へ逃げ込もうとした。その行く手を、大塚が遮る。

「みちびさんは出かけたようですね」

「ええ。だから、今日はお休みだと」

「好都合だ。あの人がいないときに、あなたに話をしたかった」


「な、何をですか」

 自分だけで、大塚に対峙できる自信などない。こちらを見据える大塚の目には、何もかも見通しているんだぞという自信がみなぎっている。

「ほんとのことを話してもらえませんか」

「ほんとのことって――」

「安東藍也についてですよ。あなたは安東が失踪する前に接触した、最後の人だとわかっているんです」

「し、知りません」

「とぼけたって、だめだ。安東が無断欠勤した前日、給油した町のガソリンスタンドを突き止めたんですよ」

「えっ」

「そのガソリンスタンドで安東を見かけた男がいると、以前お伝えしましたよね? あのときは、まだ曖昧な話だった。でも、今日は違いますよ。それは三月二七日、木曜日。見かけた男のレシートを見せてもらって確認しました。その日の翌日から、安東の行方はようとして知れません。そして」

 大塚は挑むように、紗季を見た。


「見かけた男は、安東の同僚でしたが、彼がね、憶えていてくれたんですよ、あなたの顔を。あなたの写真を見せたら、間違いないと言ってくれました」

「わたしの、し、写真をどうして」

「あなたの仕事仲間の静香さん。彼女といっしょに写真を写した憶えはありませんか。彼女のスマホには、まだあなたの画像が残ってますよ」

 天敵に出くわして射すくめられた小動物のごとく、紗季は何も言い返せない。


「ねえ、紗季さん。あなたが安東と最後にいっしょにいた人物だったのは、もう隠し切れないんですよ。教えてもらえませんか。あなたと安東はあのガソリンスタンドを出たあと、どこへ向かったんです? あのガソリンスタンドの前の道は、この集落へ続く道だ。ねえ、紗季さん、この集落へ来たんでしょう?」

 畳み掛けるような大塚の物言いに、容赦はない。

「――それは」

「事実、あなたはこの店で働き始めてるじゃありませんか。安東が消えて、そのあと、あなたも消えた。そしてあなたは、この蛍火に現れている」

「知りません、わたしは何も知らないんです」

「安東はこの集落へ続く道へ向かってから、ぷっつりと消息が途絶えてる。この道を進めば出られる鹿野町で、安東らしき人物の目撃情報はない。この道は、途中から一車線の山道に変わる。山を抜けて鹿野町に入るまで、民家も店もありません。だが、鹿野町に入る交差点には、消防署と交番がある。当然、そこには、防犯カメラが設置されてます。警察に聞きましたが、安東が失踪した夜、そのカメラに、安東の車は映っていなかったそうです」


 唇のわななきを、紗季は噛み締めてこらえた。

 あの不穏な夜。

 蛍火に着いてからの火に炙られたかのような悪魔的な出来事。それが蘇ってくる。

「安東はどこで姿を消したのか」

 大塚の目が、迫ってくる。

 大塚の瞳に映る自分の姿を、紗季は見た。それは小さく歪んでいる。

「ここで、消えたんだ。僕はそう思っている。その証拠として」

 大塚はポケットから新聞紙の小さな包を出した。そしてゆっくりと紙をめくる。

 中から出てきたのは、黄ばんだ細く小さな骨片だった。


「これが何かわかりますか」

 紗季はみじろぎもできない。

 古川さんが言ったとおりだ。大塚は藍也の指の骨を持っている!

「これは人間の骨なんですよ」

 もう、おしまいだ。すべてが明らかにされてしまう。

 すうっと目の前が暗くなるような錯覚に陥った。堕ちるのを恐れていた場所へ、自分が引き込まれていく……。


「この骨には指輪がはめてあったというから、指の骨なんでしょうね」

 骨が紗季の鼻先に掲げられる。

「整体師だったから、骨には詳しいんじゃないですか」

 紗季の動揺に比べて、大塚は冷静だった。こちらを覗き込む目は、紗季の動揺を弄んでいるようにも見える。

――負けちゃだめよ。

 みちびさんの声が蘇った。

 そうだ。うろたえている場合じゃない。

 この骨さえ取り戻せば、すべてがなかったことになる。化け物に追われる恐怖に怯えなくてもすむ。

 衝動的に腕が伸びて、紗季は骨片を奪い取ろうとした。


「おっと」

 大塚が体を捻った。

「これは渡すわけにはいかない」

 骨片はさっと新聞紙にくるまれて、大塚の胸のポケットに入れられてしまった。

「これは安東藍也を探す大事な手がかりだからね」

 紗季の目に涙が滲んできた。焦りや憎しみやあきらめや、いろんな感情が押し寄せてくる。なんとかしなくちゃ。なんとかしないと、このままでは……。

 ふと、大塚の視線が和らいだ。


「紗季さん、僕はあなたの敵じゃない」

「え」

 紗季は大塚の目を見上げた。

「あなたは、自分がとてもまずい場所にいるとわかってない。いや、場所じゃない。まずい人物といるとわかってないんだ」

「――何をおっしゃっているのか、わたしには」

「わからないんですか。みちびさんのことですよ」

「みちびさん?」

 紗季は虚をつかれた。

「この骨が証拠ですよ。僕の推理はこうです。安東は蛍火に来た。そして何らかの災難に出くわした。それにみちびさんが関係しているんじゃないか」

 

 ああ。


 紗季は絶望的な思いで、大塚を見た。

 この人は勘違いしている。

 藍也をあんな目に遭わせたのは、紗季だ。みちびさんはそんな紗季を助けようとしてくれただけ。

「あなたは彼女のことがわかってない。僕は彼女からあなたを救ってあげようとしているんです。彼女は恐ろしい人なんですよ。僕は彼女のことをいろいろ調べました。僕が知った事実を耳にすれば、あなただって彼女の恐ろしさがわかるはずだ」

「そんな。彼女はとてもいい人よ」

上辺うわべに騙されちゃいけない」

 そして大塚は話し始めた。

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