第20話

「やっぱり古川さんだったわね」


 車に乗り込み、ハンドルの上に顎をのせて、みちびさんが言った。


「昨日の古川さんの様子から怪しいとは思ってたけど、もう言い逃れはできないわね」

「古川さんは、認めてくれるでしょうか」

「さあ、わかんないわね。だけど、あの男の手がどこにあるのか、どうしても聞き出さなきゃ」


 集落へ戻る道は、朝日に輝いていた。人気ひとけのない田舎道は、天候に恵まれれば、のどかで美しい。山は白く雪を被り、集落のあちこちから、枯葉を焼く煙が立ち上っている。

 段々畑の下から見上げると、昨日訪ねた畑に、古川さんはいなかった。

「家にいるのかもしれないわ。行ってみましょ」

 

 朝日を浴びた古川さんの家を目指した。細い道だが、家の前までは車で行かれるようになっている。

 築数十年と思われる古い農家の前庭に、みちびさんは車を止めた。庭の大きなクスノキに小鳥が集まり、かまびすしい声を上げている。


「ごめんください」

 玄関の前で、みちびさんが叫んだ。呼び鈴はなく、やけに立派な表札があるだけだ。

 中から返事はなかった。

「お留守なんでしょうか」

 紗季は玄関の引き戸の、その硝子の部分に顔を当てた。

 そのとき、家の横の庭のほうから、よっこいしょと、掛け声が聞こえてきた。

「いるわ」

 みちびさんは踵を返し、庭へ回った。

 みちびさんの後ろから家をの裏へ向かう。と、建物の横の小さな窓から、話し声が聞こえてきた。


「いいか? 足を持つぞ」

 古川さんの声だ。

「ううぅ」

 これは、老人らしきしわがれた呻き声だ。

 高齢の母親と同居していると聞いた憶えがあった。窓はわずかに開けてある。その隙間から、生あたたかい湯気が出ている。どうやら母親を風呂に入れているようだ。

 ザーッと、お湯の流れる音が響く。


「古川さん、おはようございます」

 みちびさんが叫んだ。

 返事はない。

 ふたたび声を上げると、返事の代わりに、窓がジャッと開いて、古川さんの顔が覗いた。

「なんだ、また、あんたらか」

 上気した顔の古川さんは、不機嫌な声で言い、紗季たちを見下ろした。

「すみません。どうしてもお尋ねしたいことがあって」

 紗季は言った。

「忙しいんだよ、今」

 古川さんの言葉に嘘はないだろう。紗季はいたたまれなかったが、ここで引き下がるわけにはいかない。

「お手すきになるまでお待ちします」

「困るんだよ。ばあさんの粗相の後始末が終わったら、病院へ連れて行かなきゃならないんだ」

「ほんのちょっとのお時間でいいんです」

「ダメ、ダメ。あんたらに話すことなんかない」

 すると、黙ってやり取りを聞いていたみちびさんが、ぐいっと顔を上げた。


「有賀さんに聞いてやってきたのよ。あんたが、有賀さんにあげた指輪について」

 瞬間、古川さんの表情が固まった。

「あの指輪、どこから持ってきたの?」

 古川さんを見据えるみちびさんの気迫に、紗季は圧倒されてしまった。古川さんの表情も怯む。

 そのまま睨み合いになった。

「病院へ行く前に、ばあさん、ちょっと眠るんだ」

「庭にいるわ」

「縁側で待ってろ」

 言い捨てて、窓が閉められた。閉じた窓からは、古川さんが母親にかける声がふたたび聞こえてきた。



「俺は泥棒じゃないんだよ」

 開き直ったといった表情で、古川さんは家の奥からやって来た。


 古川さんは手拭いを肩から下げて、顔には疲労がただよっていた。高齢の母親の世話は、農業で鍛えた古川さんといえど、重労働なのかもしれない。


 紗季とみちびさんが座っている縁側には、様々な所帯道具が置かれていた。せっかく日当たりの良い場所であるのに、物置としか使っていないようだ。傾いだビールのケースや釣り道具の網がぞんざいに散らばった場所に紗季は座る場所を作った。みちびさんも、紗季の横に、浅く座る。

 たまたま見つけたんだと、投げやりに言うと、古川さんはどかっと紗季とみちびさんのそばに腰を下ろした。


「びっくりしたよ、見つけたときは。でも、人間の指だと思ったわけじゃない」

 そう言ってから、盗む見るような目つきで、古川さんは紗季とみちびさんを見た。

「野良犬が妙なものを加えてるなと、そう思っただけなんだ」

「それで? どこで拾ったの?」

「あんたの店の近くの道の脇だよ」

 なぜ、そんな場所に藍也の手の骨があったのだろう。自分が骨を運んでいたとき、店の表側の道は通らなかった。

 だが、紗季の疑問はすぐに解消された。

「俺はしょんべんが我慢できなくなって、あんたんところの近くで車を止めたんだ」

 みちびさんが、露骨に顔を歪める。

「しょうがねえだろ? おふくろの世話をしてるときは、自分の生理的な欲求は全部我慢しなきゃならないんだ」


「それで?」

「ここんところ、野良犬がうろうろしてるのは知ってるだろ? あんとき、しょべんをし終わって車に戻ろうとしたら、野良犬がなんか咥えて藪から出てきたんだ。俺は声を出して野良犬を追い払った。あいつらは、人間を怖がってるからな。すぐ逃げていったけど」

「何か落としていったのね?」

「そう。はじめは、どこかの畑の作物を食い荒らして咥えてきたんだろうと思った。でも、車のライトの明かりに、それは妙に白く光ってたから。近づいてみてびっくりしたよ。人間の指の骨だったんだから」

 古川さんはそう言ってから、目を見開いて、口をへの字に曲げた。


「気味が悪かったよ。なんでこんなものがあるんだって。だけどさ、骨に、指輪が付いていたから」

「それで骨を拾ったってわけ?」

 古川さんは頷いた。

「いいデザインだなと思ったんだよ。だから、つい」

「指輪を抜き取ったってわけね」

「ああ」

「警察に届けなきゃだめじゃない」

 みちびさんが、責めた。そんなことをされたら困るのに。話を誘導しようとして言ったのだろうが。

「そう思ったよ、俺も。でも、関わりたくなかったからさ」

 そうじゃないだろう。指輪が欲しかったから、警察に届けなかったのだ。


「骨のほうはどうしたの?」

「埋めようかとも思ったんだけど、なんか、それじゃあ、俺が悪さをしているみたいだから。それで、とりあえずは車に置いといたんだ。それで、翌日になって、やっぱり捨てるか埋めるかしなきゃまずいと思ってたところで、貰ってくれる人を見つけてさ」

「貰ってくれる人?」

 紗季は思わず声を上げてしまった。

「ああ。翌日、うちのばあさんをまた病院へ連れて行ったんだが、そんとき、道であいつが歩いているのを見かけて」

「誰?」

「大塚って言ってたな。井澤の友達だと。で、道を訊かれたんだ。そんとき、手に持っていた骨に気づかれて」


「――大塚」

 みちびさんが目を剥いた。


「あんた、なんて話したの?」

「道で拾ったって言ったんだ。そしたら、どこで拾ったんだってしつこく訊かれて」

「それで?」

 紗季の声は震えた。大塚は、きっと不審に思ったはずだ。

「蛍火の近くで拾ったって言ったよ、正直にね。だけど、指輪のことは言わなかった」

 

 車に戻ると、みちびさんは厳しい表情で言った。

「大塚が持っていたなんて。驚きだけど、これで所在がわかったんだから、取り戻せるわ」

「どうしたら」

 みちびさんが勢いよく、車を発射させた。

 畑の道は細く、注意深い運転が要求される。慣れているとはいえ、今日のみちびさんの運転はちょっと乱暴だ。


 畑が途切れたところまで下りて、ようやくみちびさんが口を開いた。

「だいじょうぶよ、紗季ちゃん。あたしがなんとかしてあげる」

なんとか?

 紗季はみちびさんの横顔を見つめた。

 みちびさんの提案は頼もしかったが、簡単に大塚をごまかせるとは思えない。どんな理由をつけるというのだろう。

 怖くなった。もう、無理なんじゃないかと思う。これ以上、藍也の件を隠すのは無理なんじゃないか。すべてを明らかにしてしまえば、骨も元通りになる。そうすれば、化け物に怯えなくてもすむ。


「いいんです、みちびさん」

 みちびさんが、紗季を振り返った。

「何が、いいの?」

「もし、大塚さんが何か気づいてしまったのなら、わたし、ほんとのことを」

「何を言ってるの?」

「だって」

 だが、みちびさんに見据えられて、紗季は言葉を呑んでしまった。

「――紗季ちゃん」

 ふたたびみちびさんは前を向いた。

「もう後戻りはできないのよ」

「でも、これ以上、みちびさんに迷惑をかけるわけには」

「だったら、紗季ちゃん。自分でなんとかできるの?」

 紗季は膝の上の両手を強く握り締めた。自分にできることといえば、すべてを白日の下に晒し、許しを請い、罪を償うことだけだ。だが、そうすれば、手伝ってくれたみちびさんもなんらかの罪に問われるだろう。


「なんだか、疲れたわね」

 蛍火に近づいたとき、みちびさんがため息まじりに呟いた。

「今日はゆっくり休むといいわ。店は休みにしましょ」

 ゆっくり休めるとは思えないが、店を休業にしてくれるのは有難かった。こんなとき、明るく酔客の相手などできない。

 店の前の駐車場で車が止まり、紗季は降りた。

と、みちびさんが運転席から動かない。

「ちょっと買い物に行ってくるわ。そろそろ本格的なドカ雪になりそうだから、砂やスコップを買っておかないと」

「わたしも行きます」

「一人でだいじょうぶよ。紗季ちゃん、昨日、ほとんど眠れてないんでしょう? 店の戸締りをしっかりして、日のあるうちに眠っといたほうがいい」

 日のあるうちに。そう言われて、恐怖に身動きができなくなった。

「――だいじょうぶ? 紗季ちゃん」

「お願い、みちびさん。どこにも行かないで」

「すぐ戻るわよ」

 みちびさんの車が走り去って行くのを、紗季は呆然と見守った。

 車が道の先に見えなくなると、辺りは急に静けさを増した。まだ日は高いといえ、なぜか、鳥の声さえしない。頬を冷たい風がなぶっていった。見上げると、店の前の木々が風に揺れている。

 

 嫌な予感がした。

 ただ、風が梢を揺らしているだけだ。そう思っても、何か言いようのない不穏な気配が迫っている気がしてならない。

 後ろを振り返った。道沿いにぽつんと建つ蛍火。コンセントを巻かれたまま店の前に置かれた小さな看板を、紗季はじっと見つめた。

 

 ここに来たときから、何かが狂い始めている。

 運命の糸が、予想外のほうへ流れ始めている。

 助けて。

 胸の中で祈ったとき、道のほうから車の音が聞こえてきた。



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