第17話

 やれることをやるの。

 

 そう言ったみちびさんが何をしようとしているのか。


 藍也から助けてくれた日のみちびさんを思い返すと、紗季は恐ろしくなる。藍也の骨を拾ったのが古川さんだとすれば、みちびさんは、古川さんにどんなアクションを仕掛けるつもりなのか。

 

 みちびさんのことよりも、古川さんを心配している自分に、紗季は驚いた。みちびさんは、自分を救おうとしてくれているというのに。たった一人の味方であるみちびさんを恐ろしいと思うなんて、自分は間違っている。


 古川さんから何も聞き出せないまま、数日が過ぎた。雪が降り続いた。大塚がやって来た夜からやむことなく降り続け、集落は白一色に包まれた。

蛍火の前も、大人の膝の丈ほどの雪に覆われた。

 雪は、蛍火と世界を隔てていくように思えた。昼間、除雪車が通った道は、いまでは白い布をひいたようになっている。薄暗い一日だった。夕暮れになって薄日が差したが。山の暗さは変わらない。

 この雪の中に、あの化け物が潜んでいるのだ。みちびさんによって、表へ追いやられた化け物は、ただ追いやられただけで、絶えてしまったわけではないだろう。必ず近いうちに、ふたたび紗季を襲ってくるに違いない。

 

 瞼を指先で抑え、紗季は肩で息をした。眠っている間に、化け物が来そうな気がして、このところほとんど眠れていない。

 みちびさんは、変わらなかった。いや、かえって、みなぎるエネルギーを感じるほどだ。日に日に生気を吸い取られているかのような紗季に比べ、みちびさんはうちにある熱を放っている。


「この雪じゃあ、誰も来ないわね」

 料理の仕込みも早々に終わってしまい、みちびさんが所在無げに窓を見つめた。

 七澤も顔を見せなかった。紗季とは毎日メールのやり取りをしているが、そのメールもここ数日途絶えている。

 化け物に襲われた翌日、『また現れました』とだけ知らせた。それ以上は何も書かなかった。心配させてはいけないと思ったし、自分が犯した罪について七澤に知られるのが、怖い。

 七澤からの返信には、こちらを気遣う文面と、しばらく会いに行けない旨が記されていた。理由は書かれていなかった。


「あら、車の音がするわ」

 みちびさんの声に、紗季も窓に顔を向けた。

 たしかに、チャラチャラとタイヤに付けられたチェーンの音がする。

 車は店の前の駐車場で止まった。

 運転席から降りてきたのは、男女の二人だった。男のほうは、マッくんだ。女のほうは、初めて見る顔だった。小柄で、派手な顔立ちをしている。腰まである長い髪は、金色に近い茶色。


「いらっしゃい」

 ドアを開けた二人に、みちびさんが声を上げた。

「過疎ってるなー」

 陽気な調子で、マッくんは勝手知ったふうに入って来た。そして後ろの女の手を引く。

「この子ね、ジャスミンっていうんだ」

 紹介された女は、マッくんよりはいくつか年上に見えた。浅黒い肌と大きな瞳。ぽったりとした唇には、ラメのきつい口紅がひかれている。

「俺たちの貸切だな」

 甲斐甲斐しく女のコートを脱がせてやりながら、マッくんは嬉しそうだ。

 コートを脱いだ女のワンピース姿は肉感的で、扇情的だった。小さいながらも、麓の町には繁華街がある。そこの店の名を言い、女はよろしくねと、ちょっと舌っ足らずな日本語で言った。


 もらったオーダーの飲み物を作っていると、マッくんがみちびさんに話しているのが聞こえてきた。マッくんは頻繁に彼女の店に通い、親しくなったのだという。客としてではなく、真剣に付き合おうと思っているのだと声高に話す。

「ここは俺の行きつけの店だからね。一度連れて来ようと思ってたんだよ」

 ありがとうと、みちびさんが応えている。

 テーブル席についた二人に、紗季はグラスを置いた。

 マッくんに続いて、女もグラスに手を伸ばす。

 

 そのとき、紗季は息を呑んだ。


「どうしたの、紗季ちゃん」

 怪訝な表情で、みちびさんが紗季を見上げた。

 紗季は棒立ちのまま、女の指にある指輪を見つめた。

 紗季の視線に気づいたマッくんが、声を上げた。

「かっこいいでしょ? この指輪」

 そしてマッくんは、女の手を取る。

「俺からのプレゼント」

 女はあまり嬉しそうに見えなかった。口元だけで笑顔を作る。

 女が喜んでいないのも無理はない。女の左の薬指にはめられているのは、髑髏を形作った銀色の指輪だったからだ。


「そのうちね、もっといいのをプレゼントするつもりだよ。でも、俺、これ、気に入ったから」

 次に貰えるプレゼントのために、お義理ではめているのだろう。髑髏の形の指輪を好む女はあまりいないだろう。

「でも、ちょっと変わってステキよ」

 みちびさんのお愛想に、紗季は相槌が打てなかった。

 カウンターの中に戻り、マッくんがカラオケをやりだしたのを機に、紗季はみちびさんに訴えた。


「あの指輪」

「どうしたっていうの」

「だって、あれ、藍也がしていたのと同じ」

 みちびさんが、目を剥いた。

「まさか」

「めずらしい物だもの。間違いないわ。髑髏の額の部分が、少し、ほんの少しだけど欠けてたでしょ? あれは、藍也のものよ」


「ということは」

 みちびさんが声を潜めた。

「マッくんなんだわ、藍也の手の骨を拾ったのは。そうとしか考えられない」

「手を拾って、指輪を抜き取ったってこと?」

「そうとしか思えない。だって」

 するとみちびさんは、冷蔵庫から小鉢を取り出し、マッくんたちのいるテーブル席へ向かっていった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る