第15話

 初冬を迎えた集落は、さびしかった。

 木々は葉を落とし、村を囲む山から、冷たい風が吹き付けてくる。薄曇りの空だった。夜までには雪が降り出すかもしれない。

 

 集落の畑地は、川の周辺にある水田の向こうにあった。道は徐々に上り坂になり、山へと吸い込まれる。その途中に、畑地は広がっていた。

 

 下から見上げると、石垣を詰んだ狭い畑地が、織物の柄のように連なっていた。過疎の進む集落には、耕作放置地があちこちにある。放置された畑には、枯れた雑草が残り、石垣を飲み込むように風に揺れていた。

 その合間に、ぽつりぽつりと、瓦屋根の家が見えた。どの家も、両側を風よけの植木で囲い、南に向いた正面に庭を持っている。古川さんは、いちばん高所にある家の、そのずっと西側の畑にいた。古川さんの畑だけが、掃き清められたかのようにさっぱりとしている。


 畑は、整然とした四角形ではなかった。細長いものや、片側だけが膨らんだ形や、先すぼまりのほとんど三角形をした耕作地もある。

 機械が使えない段々畑は、手作業に頼るしかない。古川さんが体を丸めた姿勢で、スコップを使っているのがわかる。

 段々畑を登り始めると、こちらの姿に気づいた古川さんが、腰を上げて、声を上げた。


「めずらしいじゃないかあ」

 首から下げた手拭いで顔を拭き、手にしたスコップを地面に立ててバランスを取っている。

「何してんだ?」

 突然現れた女二人を、古川さんはねめつけた。

 古川さんを畑に訪ねるにあたって、紗季はみちびさんとともに、普段着に厚手のパーカをはおり、スニーカーを履いてきた。みちびさんは、フード付きのロングコートだ。二人とも野山を歩くには適した服装ではあるが、畑の中では違和感がある。

「キクイモを探してるのよぉ」

 明るい調子でみちびさんが言い放った。キクイモというのは、自生している野生の芋らしい。サラダや和え物に使う。紗季はみちびさんの機転に感心した。キクイモ探しは、集落の誰もが日常的にしている行動だ。それなら不審に思われない。


 理由を知らされた古川さんが、明らかに警戒を解いたのがわかった。不思議な気がする。集落でしばしば感じる人々の反応だが、みちびさんや紗季と昼間出会うと、人々はちょっと身構える。蛍火は小さな店だが、そこは非日常の世界で、みちびさんや紗季は、その世界の住人というわけだろうか。


「取れたか?」

 古川さんの表情が緩んだ。

「それがあんまりね。素人には難しいわ」

 そう言いながら、みちびさんは段々畑を上っていった。紗季も続く。

 近づいてみると、古川さんの畑には、黒々とした柔らかそうな土が盛り上がっていた。畦もきれいに整えられ歩きやすい。

「ずいぶん高いのね」

 古川さんの畑からは、集落が見渡せた。みちびさんは、額に手で傘を作る。

「結構大変だよ」

「そうでしょうね。でも、気持ちがいい場所だわ」

 そのとき、みちびさんから、ほんわりと人工的な香りが流れてきた。普段、店にいるときには感じない化粧かシャンプーの匂いだろう。自然の中に来ると、かすかな匂いも意識される。

「先祖代々の畑だからな。大事にせんとな」

 そう言ってから、古川さんはスコップを持ち上げて、作業を再開した。

 しばらく二人で作業を見守った。


「最近、あんまり来てくれないのね」

 みちびさんが畦にしゃがみこんで、小さな雑草の花をむしった。

「悪いな。おふくろの体の具合が悪くてね。夜は出かけられなかったんだ」

「大変ね。祭りの日以来、会ってなかったわよね」

 すると、古川さんは、瞬間作業の手を止めて、それから早口で言った。

「あの日も具合が悪いって言われてな。祭りに行くのもやめるところだった」

「だから――来るのが遅かったのね」

 古川さんが、スコップを土に刺したまま、顔を向けた。

「なんだ?」

 目が光る。当たりかもしれない。古川さんの表情が瞬時に硬くなっている。


「あんた、何が言いたい?」

「何って?」

 みちびさんがとぼけてみせた。

「おふくろを山向こうの病院へ連れていったんだよ。それで遅くなったんだ」

「あんなところまで」

「麓の町に、いい整形外科はないからな。おふくろは腰の痛みが取れないんだ」

「山向こうの町まで行ったなら、帰りはうちの店の前を通ったでしょ」

 明らかに、古川さんの表情が変わった。

 ザクッと、古川さんがスコップを土から抜いた。黙ったまま、ふたたび土を掘り返す。


「ねえ、古川さん」

「何の話をしたいのか知らないが、俺はこれ以上しゃべることなんかないよ」

 みちびさんを遮って、土を掘り始めた。スコップの先から土の粒がこちらにも散る。それを避けながら、紗季はみちびさんの手を引いて後ろに下がった。

 段々畑を下りきって、見上げてみると、古川さんはこちらに背を向けて作業を続けていた。


「何か、知っているんだわ」

「わたしが落とした骨を拾ったってこと……」

「きっとそうよ。何か隠してる」

 それなら、なぜ、古川さんは、警察に拾った骨を届けないのだろう。

「これで諦めるわけにはいかないわ。古川さんから骨を取り戻すのよ」

「でも、どうやって」

「それをこれから考えなきゃ」

 骨を拾ったのは古川さんだとして、なぜ、彼はそれを黙っているのだろう。こちらを脅迫するつもりがあるとは思えない。祭りの日以来、古川さんは蛍火に来ていない。紗季と会うのを避けていたとしか思えないのだ。

「警察にも届けない、しかも何も知らないフリをするなんて、何を考えてるんだか。こうなったら、真正面から当たるしかないわ」

 近いうちに古川さんをふたたび訪ね、もっとはっきりと問い質そうと、みちびさんは言う。

 それをはっきりさせたら、古川さんは、骨が誰の物かと訊くだろう。そうしたら何と答えればいいのか。


 紗季の不安に、みちびさんはきっぱり答えた。

「こっちもあんなものを見つけて驚いたって言うのよ」

「骨が誰の物だか、知らないフリをするってこと?」

「そうよ。あたしたちは何も知らない。そう言い通すのよ」

 そんなことが可能だろうか。古川さんが骨を警察に届け、いつ頃埋められた骨であるか調べたら、言い逃れできるとは思えない。

 その紗季の不安が、蛍火に戻ったとき現実となった。

 店の前に、見慣れない車が止まっている。グレーのセダンだった。ナンバーは町のもの。

 車の横に、男が立っていた。

 藍也の行方を探している大塚だった。



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