第6話  第二章

 マッくんが大塚を連れてきた日から二週間が経った。


 大塚はあの夜以来やって来ないし、マッくんが来ても、大塚の話は出なかった。

 マッくんは、以前と変わりなく、屈託がなかった。きっと、あの夜、大塚がこの店にやって来た理由も忘れてしまったのだろう。

 

 集落に本格的な秋がやって来た。

 

 集落では、十月の終わりになると、秋の祭りが開かれる。

 昔から続いた秋の豊作を祝う祭りらしいが、今でも神輿こそ担ぐものの、集落の人々のお楽しみといった趣きとなっていた。集落の中心にある集会所に、人々が集まって宴会を開くのだ。そのために、一年を通して必要経費の積立が行われ、集落の誰であれ、飲んだり食べたりが自由にできる。

 昼間のうちは、子どもたちが集まって、さながら学校の運動会のような騒ぎになり、夜になると、大人たちが夜更けまで酒を飲んで騒ぐ。


 祭りの日、蛍火は店を閉めた。宴会にみちびさんが招かれているためでもあるし、この日ばかりは、店を開けていても誰も客が来ないからだ。集落は、集会所のある周辺を除いて、人気がなくなってしまう。まるで集会所の周りだけ、花火が打ち上げられたかのように賑やかになって、ほかはしんと静まり返ってしまう。

 みちびさんは紗季を誘ってくれたし、蛍火の常連たちも紗季が来るのを楽しみにしてくれているようだが、風邪気味と言って行かなかった。


 ほんとうは、風邪などひいていない。みちびさんに疑われないよう、前日から、頭痛がするなどとこぼしておいた。


 紗季はやらなければならないことがあったのだ。それを実行するのに、今夜ほど最適な日はないと思っていた。大塚が現れて、藍也の行方を訊かれたときから、頭の隅に浮かんでいたが、いつ実行するかは決めかねていた。

 決めたのは四日前だ。今年も祭りの日がくるわねえと、みちびさんの呟きを聞き、祭りの様子を教えてもらったとき、実行するならこの日しかないと思った。


 みちびさんを巻き込むつもりはなかった。もう、みちびさんには散々世話になっている。これ以上迷惑はかけられない。自分だけで実行すれば、もし、大塚が警察を連れて来るようなことがあっても、みちびさんは知らないと言い切れる。


 紗季は藍也の骨を掘り返し、別の場所へ埋め直すつもりだった。埋める場所の見当はつけてある。蛍火の裏山は、集落の人が行き来する山ではなかった。誰の持ち物なのかはわからないが、伐採をするために林業関係者が入ることもないし、よい山菜が採れる場所でもないらしく、村人がふらりとやって来ることもない。大きな杉や檜が縦横無尽に枝を広げた鬱蒼とした場所で、獣だけが我が物顔で闊歩しているようだった。


 四日前、竹林のその先まで、紗季は歩いてみた。おそらくずっと昔は、人の出入りがあったのだろう。うっすら道も残されていたし、昼間であれば、迷うことなく戻って来れそうだった。

 

 笹竹に覆われた場所があり、その向こうを下っていくと、沢に通じる湿地があった。道と言える道はなかったが、わずかに草が割れている箇所があり、先に進めた。

 何の木かわからないが、大きな木が二本向かい合って立っていた。その木に地面から伸びた蔓が幾重にも重なって、二本の木を渡っていた。そのせいで、その場所は、暗さが増している。


 来た道を振り返ってみると、集落はどこにも見えなかった。ここは集落の死角になっているのだろうと思えた。

 

 集落の者たちが集う祭りの宴会は、夕方の五時過ぎから始まる。みちびさんは、蛍火からも差し入れをするといって、手作りのピザを何枚か焼いて、四時すぎには蛍火を出て行った。

 昨日一日降り続いていた雨が上がっていた。これは二重の意味で有難かった。渇いた地面よりも、雨上がりの土のほうが作業がし易いはずだ。

 まだところどころに水の痕がある道路を、みちびさんの車が去っていくのを確かめてから、紗季は布団から起き上がり、裏庭へ向かった。用意した一斗缶を二つ抱え、スコップを持ち出すと、畑の端へ向かった。

 

 人間というのは、大地にとって特別な栄養となるのだろうか。


 藍也を埋めた場所には、ヤブカラシがとぐろを巻いているように伸びていた。地面を葉が覆い、枯れたセイタカアワダチソウにからまって、こんもりとした小山を作っている。その小山に、建物の電気がどうにか届いて、奇妙な陰を作っている。

 まずは雑草をむしり取って、それから地面にスコップを突き刺した。

 

 思った以上に、土は柔らかかった。七ヶ月前とはいえ、一度掘り返してふたたび盛った土だからだろう。ただ、水を含んだ土は重かった。

 みちびさんによると、祭りの宴会は深夜まで続くはずだ。しかもみちびさんは、片付けまで手伝ってくると言っていたから、帰ってくるのは午前零時を過ぎるだろう。

 

 みちびさんが帰ってくるまでに、約七時間。

 その間に穴を掘り返して骨を拾い、新しい場所に埋め直さなければ。

 

 小さな懐中電灯を脇に置き、紗季は黙々と作業を続けていった。途中何度もスコップを握る掌が悲鳴を上げそうになったが、やめるわけにはいかなった。

 あの夜、女二人で無我夢中で掘った穴は、案外深かった。掘っても掘ってもそれらしい硬さに行き当らなかった。

 首筋に汗が流れ、涙まで出そうになったとき、スコップの先がコツと鈍い音をさせた。紗季はしゃがみこんで、軍手をはめた両手で土を分けていった。

 

 いた。

 藍也だ。

 柵を設けた場所に埋めたおかげで、動物に荒らされることもなく、穴に落としたときそのままに、土をかぶせたときそのままに、藍也は横向きに丸くなった姿勢のまま、いた。

 

 整体院で働いていた紗季は、仕事のために骨格標本を見る機会は多かったし、いずれ資格を取りたいと思っていたから、骨格の勉強はしていた。藍也が生きていたときのまま、骨が残っているのは確認できた。本で得た知識によれば、人間の骨は約二百個あるという。だが、丁寧に確かめている余裕はなかった。時間がない。土を丁寧に払うこともなく、紗季は骨を集めていった。

 

 無理をすれば、一個の一斗缶で藍也の骨は収まりきっただろう。だが、紗季はどの骨も損ねることなく運び出したかった。せめてもの藍也への供養に、骨を破損させたくなかった。

 一斗缶に入れようと思ったのは、埋め直す場所は、今までの柵のある畑と違い、骨をそのまま埋めると、動物に食い荒らされてしまうと思ったからだ。一斗缶の蓋をきっちり閉めれば、動物から骨を守ってやれるだろう。

 

 大腿骨、頭蓋骨と、目に付く骨から入れていき、すべてを入れ終えて、紗季は力を込めて二つの缶の蓋をした。

 全身にびっしょりと汗をかいていた。だが、ほんとうの仕事はこれからだ。

 立ち上がったとき、重さの増した一斗缶二個をどうやって運ぶのか、それを考えていなかったと思い至った。

 

 迂闊だった。スコップと一斗缶二個を、自分だけで山奥に運ぶにはどうしたらいいだろう。

 一斗缶二個が入るバッグなど持っていない。


 だけど、運ばなきゃ。

 どうしたら、どうしたら、いい?


 紗季ははっと顔を上げて、それから踵を返した。

 店のキッチンに向かい、床下収納のスペースに入れてあるビニール袋を取り出した。ゴミ出しに使う九〇リットルの半透明の袋だ。この袋に分けて入れれば、両手で持ち運ぶことができそうだ。

 

 店の前の道路を車が走ってくる音がした。

 紗季は体を硬直させたまま耳を澄ませた。

 車は山の上のほうから、集落へ向かっているようだ。

 だが、まだ、遠い。

 咄嗟に電気を消し、紗季は息を殺した。

 

 お願い、どうか、行ってしまって。

 

 やがて、車の音が近づき、ライトの帯が窓越しに店の中を流れて行った。車は店の前を過ぎていった。

 

 ふたたび電気を点け、時計を見た。

 九時七分。

 あと、三時間ほどで、仕事をやり終えなくては。

 紗季は急いで裏庭へ戻った。


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