第2話
私とあの方との出会いは、父が家庭教師としてあの方を教えるようになった日。
あの方はこれまで何人もの家庭教師を追い出してきたと伝え聞くのでどんな気難しい子どもかと戦々恐々としていたものです。
ですが、それは杞憂でした。
あの方はとても優秀で、教えられたことはすぐに覚え、実践される。
教えられなくてもご自身で本から学ぶことも多く、ただ実践するだけでなく組み合わせた応用も得意とされています。
とくに得意であったのは剣術と兵学でしょうか。授業の後に父はよく言っていました。
「彼のような子を教えられたことが私の自慢となるだろう」と。
父はとても地位の高い方の庶子だと聞いていました。だから父自身も高度な教育を受けていたそうですが、それを活かす方法を見つけられず、家庭教師というものに行きついたそうです。
あの方には幼い頃からの
深窓の令嬢という言葉が似合う美しい少女です。
いつも側にいるあの方にさえ男子だと思われている私とは大違い…
彼女の側にいるときのあの方は常に優しく微笑まれ、どれほど彼女を
父の授業を受ける最初の日に、あの方は私に同席を求められました。
「人に教えるということは自分の中で整理もできる。だから俺たちは先生の話を教え合おう。」
そう言って始まった同席ですが、私が教えることはほぼなく、いつも教えられてばかりでした。
少しでも追いつき、お役に立ちたいという思いを原動力に必死に勉強し、鍛錬し、なんとか認められていたと思います。
あの方は子爵家の長男であるので貴族の学校へ行かれるとばかり思っていたのですが、軍の学校へ行かれると聞かされ、驚きと共に歓喜したことは忘れられません。
貴族の学校ではご一緒することはできませんが軍学校ならば。
話し方は少々ぶっきらぼうなところはありますが面倒みも良く、思いやりもあり、なにより文武両面に優れた成績を出されていたのであの方の周りには絶えず人が集まりました。
私も必死で追いすがり、卒業まで首席と次席を維持することができました。
学生時代もあの方と
そんな態度であるにも関わらず関係は
私があの方に恋心を抱いたのはいつだったのでしょうか、おそらく父の授業の最初の日。
それまでの私は父から手習い程度には教育を受けていましたがそれ以上のことは教えてもらえませんでした。
女の私が知識を付けると貰い手が無くなると父は心配したからなのでしょう。
ですが私は学びたかった。
父はあの方の前に幾人か生徒を教えましたがどこでも成果は出ず、長く雇用されることはありませんでした。
父の生徒のうちの一人が将来あの方の婚約者を奪うことになるとは私も父も想像すらしていませんでしたが…
私は何度も解雇され、そのたびに教え方や自身の知識をより深めるために学ぶことを止めない父を心から尊敬しており、その父から学びたいとずっと思っていました。
その願望を叶えてくださったことがあの方への気持ちの最初であったと思います。
ひたむきに勉学に励み、ひたすらに剣を振るい、父と真っ向から兵学について論じ合う。
そんなあの方を見ていると、いつまでもお側で支えていきたいという思いが日に日に強くなっていきました。
さて、軍学校を卒業する少し前に父から驚愕の事実を教えられました。
なんと父は国王陛下の弟だったのです。
たしかに庶子なのはそうなのでしょうがなんということでしょう…
また、先王陛下の弟君が父を養子に迎えると同時に地位を譲り、父は王位継承権を持った大公となりました。
これにより、2人の王子殿下に次いで3位の継承順位を持つこととなりました。
陛下には他に3人の王女殿下もおられましたが、既に嫁がれており継承権は放棄されています。
おわかりになりますか?
王子殿下にお子がいらっしゃらない今、私が4位の継承者となってしまいました。
理解が追いつかず、その後数日間の行動はおかしかったそうです。
前大公殿下がなぜ父を養子にされたのかというと、かつて殿下が父に教育を施されていたからだそうです。
父を呼び、いくつかの問答をされ、ご自身の地位を継がせるに値すると考えられたそうです。また、殿下は王国宰相への推挙があり、大公位を離れる必要があったそうです。
軍学校を次席で卒業した私は殿下から配属に関してお声掛けをいただきました。
私はあの方以外にお仕えするつもりはなく、あの方の副官となれたらそれ以上は望まないこと、あの方が最前線へ送られるならば当然に同行すると本心をお伝えしました。
宰相となられた殿下は軍の編成にある程度の口を出せるとのことで、私の希望はすんなりと通りました。
ですが、あの方の部下となった小隊長たちは一癖も二癖もある者たちで言うことを聞かないどころか鍛錬もサボるばかりです。
このままではいけません。
私は小隊長たちを締め上げ、あの方の一日を見させることにしました。
早朝の走り込みや素振りから始まり、執務、戦術や戦略の考案と考察、合間にトレーニングをしつつ、過去の戦術について考察。夕刻まで部下の兵たちの訓練指導と戦術指導。
夜は夜で、同期たちへ励ましの手紙を書かれています。
一言で言ってしまえば勤勉がすぎます。
兵たちへの指導は読み書きも怪しい貧民出身の者たちにもわかるように口頭説明だけでなく、身振りや実演も交えることで
この日を境に叩き上げの小隊長たちがあの方を【隊長】、私を【
性別を明かしていなかったのになぜ女性だと気づいたのか問うと、「隊長を見る目がメスでしたよ?」とのことです。ええ、その小隊長にはしっかりと指導をしておきました。
あの方には女性であることは隠しているので【副官殿】とでも呼ぶように指導しておきました。
今まで何年も男子だと思われていたんです、今さら気恥ずかしいじゃないですか。
私たちが最初に出た戦場では最後まであの方の指導や指揮を受け付けなかった小隊が半壊した程度の被害でしたが、他の部隊は多くの犠牲を出したようです。
あの方の指揮により、敵主力の指揮官を最優先で叩くことに成功し戦果を上げました。
宰相閣下はあの方を高く評価され、二階級の特進を与えられました。
その頃宮廷では宰相を中心とした宰相派と高位貴族を中心とし第一王子を盟主とした王子派が争っていたそうです。
病弱な第一王子がなぜ盟主なのかと言えば、血の気の多い第二王子殿下は敵国首都へ攻め込み、何人もの貴族とともに戦死されたからです。
その煽りを受けてあの方は特別任務を与えられました。
宰相閣下のお気に入りと思われたのでしょう、直属の部下を連れて敵国首都を攻略することとなりました。
師団規模での攻撃を跳ね返した首都を中隊ではどうにもならないので宰相閣下からは補充が送られました。
それは同期たちとその部下。
学生時代にあの方から兵学を教えられ、鍛錬の指導を受けた
何よりの補充でした。
ただ、あの方は彼らを連れて行くことに消極的でした。
私にも出征を控えないかとの話は何度もされました。
ですが、私たちはどこまでもついていきます。貴方が行く道が私たちの行く道です。貴方のために死ねるならこれに勝る自慢はない。
士官全員の気持ちは同じでした。
そして作戦は成功しました。
士官は全員生き残りましたが戦傷により退役か後方勤務に転属するしかない者が半数います。兵たちは半数近くが命を落としました。
それでも誰一人としてあの方への不満を口にはしません。
この兵力でできる最善の作戦であったことを理解しているからです。
こうして私たちの戦争は一旦の終息を迎えました。
戦後処理という休息を過ごしていると聞きたくもない醜聞が聞こえてきました。
「とある子爵令嬢が二人目を産んだそうです、一人目はなんと在学中に出産したとか。」
耳を疑いました。
子爵といえばあの方の婚約者の実家も子爵です。
まさかと思い、父を頼り情報を集めると…
私はあの方の元へ走りました。
なんとしても伝えなければなりません。
あの方にあの女はふさわしくありません。
今回の戦果により
「どうか結婚はおやめください、お相手には別の方との間に子供までおります。」
開口一番に出たのは前置きも説明もなく本題でした。
あの女への嫉妬により、誰よりも側に居るために性別を誤認させたまま副官となり、その地位を死守していました。
あの方が国と民、そしてあの女の安寧を願い努力を続け戦い続けた結果がこれですか。
私が女であること、自分の気持ちを隠し、押し殺してあの方の隣という場所を守ろうとしてきた結果がこれですか。
あの方からの命令は斥候班と情報処理班による身辺調査。
そこに部下の士官のうち貴族出身の者たちによる噂を総合して出された結論は父から聞かされたものよりも詳細で胸が悪くなるものでした。
あの女は学校へ通うようになってすぐに、パーティーで知り合った侯爵家の三男と関係を持つようになっていました。
そうしてあっという間に妊娠し、出産。
相手が侯爵家ということもあり強く抗議はできなかったかもしれませんが、関係が途切れることはありませんでした。
あの方への手紙の返信が遅れたことや冷淡な返答であったのはこういうことだったのでしょう。
私たちが血と汗と涙に塗れて戦っていた間に彼らは別の意味で汗に塗れていたのですね。
この度産まれた二人目の子どもについても、上の子どもと合わせて実家からどこかに養子に出すか、父親である子爵の庶子とするか、侯爵家へのカードとして利用するかと子爵一族で思案しているそうです。
あの女は侯爵子息とのことも子どものことも隠し、あの方と結婚するつもりのようです。
侯爵子息とはいえ跡を継げるかわからない三男よりも現伯爵家当主となったあの方の方が優良ですからね。
この結果を見た者たちの理性の糸が切れる音を私は確かに聞きました。
一番大きな音は私からしたような気がしないでもありませんがそれは関係ないことです。
斥候班は子爵家と侯爵家の血縁者の全員の殺害を。
同期の士官たちは子爵家と侯爵家の直系を殺害して晒すことを。
それぞれ提案して来ましたが、なかでも驚いたのは両家とその血を引くすべての貴族及び仕える使用人も含めた全員を
彼は叩き上げの士官で、部下たちの中で貴族への恨みが誰よりも強いのは聞いていましたがここまでとは…
後で聞きましたが、彼の姉が奉公先の貴族に陵辱され、飽きたという理由で放逐の後、街娼として路上で亡くなったそうです。
汚れた自分は幼馴染であった恋人の元には戻れないと他の街娼に話していたとのことです。
意見を出す者たちはそれぞれ貴族に対する悪感情もありますが、あの方への思いが強いのです。
士官であれ、兵であれ、手の届くところで倒されそうになれば自身の剣で守ってくれた方なのです。
貴族であるにも関わらず自ら前線に立ち、味方を鼓舞し、剣を振るう様をいつも見ている彼らは貴族への恨みはあれどあの方にそれを向けることは一切ありません。
皆の意見を聞き終え、ゆっくりとそれぞれの顔を見渡し、ご自身の方針を教えてくださいました。
それは平民出身の者たちにはあまりにも軽すぎる罰。
ですが貴族出身の者たちにはぞっとするほどの苛烈な罰となります。
「宰相閣下に願い出て、彼らを結婚させてやろう。そして今ある子どもたちを侯爵家の子どもとして養育させる。また、その三男を侯爵家の当主とさせる。」
ええ、誰も殺さないし傷つけない。
平民出身の者たちはその甘さに声を荒げますが、貴族出身の者たちは青い顔をしています。
私から説明しました。
あの方は既に結婚式の招待状を出していること。その結婚の破断を宰相閣下が認めた上であの女は侯爵家三男と結婚すると
あの方は先王陛下の弟である宰相閣下との間に深い縁があることを表明することになる
つまり両家はあの方、宰相閣下を通し、王家から睨まれることになる
そんなことをした夫婦を当主とした両家には今後結婚できる相手がいなくなる
そんな家の血を引く者たちも同じことになる
そんな貴族と取り引きをする商人は激減する
商人がいなくなれば金が回らなくなる
金が回らなければ領地は荒れる
領地が荒れれば民は逃げ出す
つまり、宰相閣下を動かすだけで手を汚さずに貴族として殺すことができる
ここまで説明するとほとんどの者たちが理解はしましたが納得はできないようですね。
「ついでに暗殺も含め、貴族からの殺害を禁じてもらおうか。」
そうですか… 自死も身内による処分も許さないということですね…
それだけ傷ついてしまったのですか…
であれば私が癒やして差し上げるしかありませんね。
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作者です。
リハビリがてら書いています。
→書きました。
次回は
2024.04.20 23:59
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