最終章 一緒に生きよう、「」。

 「ええー!先生、辞めちゃうの?」

 「...うん、ごめんね。皆の卒業式を見られなくて。」

 「ほんとだよー!あと1年も卒業まであるのに!!」

 「本当にごめんね。あっ、でも、終業式はいるから、安心して。」

 「それ、安心することじゃない!!」

 すごく悩んだものの、今年度末で教員を退職することにした。実を言うと、この選択が正しい、という自信はまったくない。おまけに、これからどうやって働くのか、生きていくのかも、全然考えられていない。けれど、このまま生きていたいとは思えなかった。くろと一緒に、幸せになりたい、と思った。

 「...先生、結婚するから辞めるんじゃないの。」

 「ああ...寿退社、だっけ。俺、聞いたことあるわ。」

 「おまえ、先生のこと『かわいい』って言ってたのにな。」

 「ばっ、ちげーし!!」

 なんか言ってるなぁと思いつつ、何も言わないでおいた。どうせ、何を言ったって、他人は変わらない。…多分、今の言葉は、教員失格だろう。まあ、これが素なんだけど。 

 「紺野先生」

 「......菊池くん。」

 菊池くんとは、あの事件が終焉した後、かなりぎこちない雰囲気になってしまっていた。正直、今も緊張している。

 「.........猫、かわいいですか」

 「え?えぇ、とても。」

 「......なら、よかったです。」

 突然の質問に戸惑っていると、あっさりと菊池くんは、自分の席に戻ってしまった。実を言うと、彼は、医者を目指すのか、それとも、今でも猫カフェの経営を夢見ているのか、担任である私は知らない。そして、おそらく、知る由もない。


 職場でも退職を伝えてみたが、意外と反応は薄かった。一応、3ヶ月も前に伝えているから、少し早いような気もするのだが。まあ、そんなもんか、とも思う。そんなに、仲が良かった訳でもないし。


 「ただいま!」

 「にゃう!」

 相も変わらず、テチテチという音を立てて歩いてくる。見上げてくる瞳は、やっぱり可愛らしい。そんな愛らしさに癒やされながらも、改めて、猫と暮らす日々は、もうすっかり習慣と化したのだと実感する。というのも、もう少しで、くろを飼い始めてから半年が経つのだ。そして、これは最近気付いたのだが、くろはどうやら、この小ささで成猫らしい。というのも、病院で健康診断を受けさせる中で、大体の生まれ年が判明したからだ。くろは、7・8年前に生まれているらしい。つまり、人間の歳でいうと、壮年期頃ということだ。かなりの大人である。なんなら、年上ですらある。

 「にゃー」

 「...愛くるしい見た目なのに、おじさんなんだね、くろ。」

 「にゃ?」

 「...いいや、なんでもない。」

 ダイニングルームに入ると、くろがソファで飛び降り運動を始めた。動く度に揺れる、キラキラと輝く瞳。一生懸命に、ジャンプと着着地を繰り返す短い脚。小ねこみたいに高い声。そして、切り込みのような少し痛々しい傷のある耳。それら全てが、とても愛おしい。

 「............できる限りでいいから、一緒に生きよう、『くろ』。」

 「にゃ!!」

 太陽の温かな光が、部屋一面を照らし出す。眩しさを抑えるために、カーテンを閉めようとベランダへ向かう。

 「......あっ、くろ!おいで!」

 「にゃ?」

 「ほら!!早く早く!!!」

 「にゃ?......にゃ!!」

 届きそうで届かない。誰の手にもつかまらない。今にも青空に飲みこまれそうなモンキチョウが、ひらひらと舞っている。








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