第6話 沈黙



 玄関先に現れた彼は、無言で彼女に歩み寄る。

 眠りに就いた機械の前で、彼女は硬直し続けている。

 沈黙が続く中、口火を切ったのは彼女だった。


「……どうしてここに」

「こっちの台詞だ。何やってんだよ」


 彼の語気は強かった。包み隠せない心の揺らぎが、彼女の口から露骨に漏れ出る。一方的で無茶な暴論を自覚した上か、不自然な程に彼女は冗舌だった。


「む、無理矢理押し入ったのは謝るから。警察に突き出すつもりはないから安心して。あんたがここに居たこと、誰にもバラしてないし。それで、あんた──」

「悪かった」


 続く言葉を遮り、彼は謝罪の一言を述べた。


「いや、私まだ何も──」

「ナナセのこと、本当にすまないと思ってる」


 彼は弱々しくこうべを垂れた。力無い詫言が、むしろ確かな意思を強調しているようだった。彼女は答えに窮していたが、やがて謝罪をいとも簡単に受け流した。


「……あのさ。言いたいことも聞きたいことも謝って欲しいことも、全部沢山あるんだけど。私は約束を果たしたいだけ。だから、黙ってナナセを渡してくれたらそれでいい。今更あんたの人生に干渉するつもりはないから」


 棘が纏わり付いた言葉は、釈然とせぬ思いが表れたようだった。不干渉の宣言は、彼女の最大限の譲歩だろう。しかし、彼はその主張を全て斥けた。


「干渉するつもりがない?なら、ナナセは諦めてくれ。当然、脚の装着もな」

「何それ、理由になってない」

「奪った非は認めるが、この件とは話が別だ。そもそも、ナナセはお前のものじゃない」

「あんたのものでもないし、あんたにだけは言われたくない」

「……とにかく、何と言われてもお断りだ。ナナセは俺の全てだから」


 彼から飛び出した発言に、彼女は即座に反応した。噴出した激情が、堰を切って溢れ出す。


「全て?本気で言ってんの!?完成寸前に持ち逃げ、連れ出したくせに放ったらかし、挙句の果てに腕も声も奪い取って……!あんた一体何がしたいの?本当にナナセが大切!?」


 彼女は息を切らし肩を震わせていた。乱れた呼吸が治まった頃、ようやく彼は言い澱みながら答えを返した。


「わからない」


 激しい反論を想定し、身構えていたためか。俯きながら発した呟きは、彼女を大いに困惑させたようだった。


「……バカな冗談やめてよ」

「本気だ。自分でもわからない」

「なら、どうして連れ出したりなんか!」

「絶対に失う訳にはいかない。俺の人生そのものなんだよ、ナナセは」

「人生そのもの?なのに大切かどうかも答えられないわけ!?何なの、あんたの人生って!?」

「さっき干渉しないって言ったよな、黙っててくれ」

「……あんたの考えてること、全っ然理解出来ないんですけど」

「別にいい、理解してもらえるなんて思わない」


 小刻みに揺れる彼女の右足が、畳を波打たせる。波は徐々に強く、激しくなっていく。

 平行線を辿り続けた会話は、彼の一言で打ち切られた。


「なあ、お前にはナナセがどう見える?」

「誤魔化さないで」


 意に関せず、彼は冷たく言い放った。


「未完成品……いや、唯の出来損ない。そうだろう」


 彼女は弾かれたように飛び出し、両手で彼の胸元を掴み、叫んだ。


「そんな訳ない!ナナセは私の、私たちの夢で──」


 彼は彼女を見下ろしながら、細い腕を掴んで払い除けた。


「何故リスクを冒したがる?今のままのナナセで何故悪い?出来損ないを造った自分の後悔とエゴを、俺たちに押し付けないでくれ。第一、ナナセは本当にそれ・・を望んだのか」

「それは……」


 返答に詰まる。その場凌ぎの言葉は簡単に見透かされると、彼女はよく自覚しているのだろう。


「だろうな。同意があれば止める必要なんてない。……どうだ、挨拶・・は言えたか?」


 親指を大袈裟に動かす彼から、彼女は目を背けた。先程までの強い威勢は、完全に失われていた。


「強制停止、初めてだろ。何か感じたか?」


 意図が汲み取れなかったのか、或いは虚を突く問いに戸惑ったのか。熟考の末に発せられたのはそっけない一言だった。


「そんなこと言われても。止まった、としか……」

「最初は俺も同じだった。でも今は違う。あんなの二度とごめんだ」


 次第に彼の声が小さくなっていく。彼女は彼の様子の変化に、憂いが怒りに勝ったことに気付いたようだった。


「どうしても頭から離れないんだ。たった一言で皆倒れていく。無理矢理電源を落として、そのまま目覚めなくなっていく。情が湧いた頃には全員俺の前から居なくなる。もう嫌なんだ」

「いや、ちょっと待って。あれは予防安全アクティブセーフティ用のシステム。クラッシュを招いたのはあんたじゃない。あんたは暴走を止めただけ」

「わかってる。だとしても、俺はナナセまで止めたくなかった。俺にできることは……」

「だから逃げ出したってわけ?皆にも、私にも何の相談もせずに」

「逃げだせれば良かった。でも、結局逃げ切れなかった」


 尚も声量がか細くなる。吹けば飛ぶような言葉の一つ一つを、彼女は黙って受け止めていた。


「ナナセが居る限り思い知らされるんだよ、嫌な記憶全て。声だって聞きたくなかった。でも、手離すなんて無理だ。もしもナナセを失ったら、俺に残るのは敗北と挫折だけだ。夢は夢のままで終わらせた方がいい。……だから頼む、俺の全てを奪わないでくれ」


 膝を付いて訴えを続ける彼は、ただ儚く脆い存在だった。彼を圧し潰してしまわないように注意を払ってか、彼女の声は静かで落ち着いていた。


「……あんたの言う通り。私は後悔の穴埋めをしたかった。それは否定しない。でも、よく落ち着いて考えて。ナナセにもあんたにも同じ穴がある。三年前からずっと。それに、決定権はあんたにも私にもない。権利はあの子のもの」

「拒否されたんじゃないのか」「一緒に行くことは・・・・・・・・ね。本当の望みは知らないし、教えてもくれなかった。……まあ、私は訊きもしなかったんだけど」


 再び沈黙が部屋を包み込む。今度は彼が沈黙を破った。


「話は終わりか」

「文句ならいくらでもあるけど」

「……いい加減帰れ。邪魔だ、狭苦しい」


 突き放す言葉と共に彼は立ち上がり、右の掌を差し出す。


「何、今更」

「鍵。修理代くらい置いてけ」


 彼女は財布を取り出し、乱雑に数枚の紙幣を握り締めて彼の手に押し付けた。そして、きびすを返すと背を向けたまま呟いた。


「……もっと、ちゃんと向き合えばよかった。ナナセとも、あんたとも」


 扉を開け、彼女は部屋から去っていった。

 彼は紙幣の塊を床に放り投げると、窓辺に佇む物言わぬ機械の背中を弄り、表皮の下にある主電源を入れた。

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