第3話 追懐
週一でマッサージサロンに通っている。モニターや様々な機器と相対しているせいで起こる肩凝りの解消と、仕事に対するモチベーションの維持が目的だ。研究室に篭っていた学生時代から十年以上続く、どんなに忙しくても欠かすことのできない、私のルーティーン。
絶妙な力加減で凝りを突かれる快感はたまらない。全身が
この習慣からインスピレーションを受けて、私はキーワードを一言だけ付け加えた。まあ、彼は不服そうだったけれど。
「なあ、昨日勝手にキーワード増やしたろ」
「いいじゃん、私も
「あのな、冷たいとか、そういう問題じゃない」
「そういう問題だって」
「咄嗟に出せる言葉じゃないと、意味がないんだよ」
「緊急時以外に使うことだって、あるかもしれないし」
「またやってるよ」そんな声が薄っすらと聞こえた。否定はしない。お互い三十路を迎えてもなお、彼とは子ども染みた言い合いばかりしていたから。
スカウトされてきたプロジェクトリーダーである、AI技術者の彼。生え抜きのマニピュレーター技師である、サブリーダーの私。全く気質が合わなかった。愛情も友情も感じない。それでも、仲間意識はあった。譲れない一つの目的──完全自律型二足歩行人型機械を完成させるため、馬が合わないなりに手を組んでいたから。
開発の記憶が特に濃く残っている時期は、ナナセが居た頃と重なる。 様々な実証実験。何気ない会話。彼の小言と困り顔のナナセ……。
「またお前だな、これ」
彼は呆れた顔をしながら、私に紙コップを突き出してきた。中には僅かに埃が浮いた、グロテスクな見た目の液体。間違いなく私の前日の飲み残し。
「あれ……ちゃんと捨てたと思うんだけど」
素直に非を認めるのが悔しくて、わざと私はとぼけた返事を返した。
「捨てないなら責任持って飲め」
「はいはいはいはい、今流してくるから」
彼の反応は冷ややかだった。何度も前科があったから、ばつが悪い。紙コップを携えて小走りでラボから出ようとする私に、彼が更なる追い打ちを掛けた。
「ナナセからも、何か言ってやってくれよ」
「その日のうちにすぐ飲み切ります、わたしなら」
冗談混じりに、私はナナセの元に詰め寄る。
「冷めちゃったインスタントコーヒーの不味さ、あなたも飲めたらわかるのに」
「味の問題ではありません。不潔ですし、皆が迷惑します」
「確かにそうだけどさぁ。ねえ、たまには私の味方もしてよ」
「いえ、決して
冗談への対応が苦手。素直で可愛いナナセの個性だ。 そんなナナセは私に向かって両腕を──私からのプレゼントを差し出した。
「勿論、あなたにも感謝しています」
腰を屈めて瞳を見つめながら、私はナナセの手を取る。ウレタン樹脂性の柔肌の奥から、仄かな温もりを感じた。内部骨格が発している無機質な伝導熱だなんて、どうしても私は思いたくなかった。
「もう少し待っててね」
誓いの言葉が心の底から湧き出た。その一言に、彼も小さく頷いていた。ナナセが自らの脚で大地に立ち、何事もなく動作し続けること。それが私の約束であり、私たちが目指していたゴールだった。
なのに。約束を果たす前に、ナナセは突然姿を消した。
脚部の換装・装着を予定していた日の朝、ラボにナナセの姿はなかった。残された無人の椅子の周囲には、装着させたはずの腕、そして仮設の脚が散らばっていた。 私は呆然としながらも、すぐに事態の察しが付いた。彼がナナセを
想像通り犯人は彼だった。ナナセの四肢を外した後、身体を大型のトランクに押し込む様子が、確かに監視カメラのログに記録されていた。そして、彼はそのまま行方を眩ませた。
実況見分が終わった後の、無人のラボの中。主人を失った椅子の前で、胸の中に閉じ込めていた涙を、私はようやく解放することができた。
プロジェクトリーダーの不祥事と失踪により、チームはあっさりと解散した。その後私は元鞘に納まり、様々なマニピュレーターの製作に精を出している。開発依頼は次々に舞い込むから、カフェインの力に頼る夜も少なくない。コーヒーメーカーから滴り落ちた苦味を口に含むたびに、様々な感情が呼び起こされる。ナナセと過ごし、別れるまでの日々の中で味わった沢山の思いを。
「いい夢、見れました?」と、ふわりとした声でセラピストが語りかけてきた。記憶を辿るうちに眠ってしまったらしい。夢の内容は全く覚えていなかった。見たのかどうかもはっきりしない。
ガウンから私服に着替えている最中、鞄の中で着信音が響いた。さっきの夢心地は消え、一気に現実へと引き戻された気分がする。
「早くどうにかしてくれ!」嘆きの内容は、急を要するメンテナンス依頼。破砕用エンドエフェクタの動作不良で、現場作業に大幅な遅れを招いているらしい。
電話口から聞こえる切実な声に応えるのが、今の私の務め。この生き方に不満はない。だけど、夢の中だろうと構わない。笑顔を振り撒きながら私の横を歩くナナセの姿を、一目でも見たかった。
もしも、ナナセとまた会えたなら、私は──。
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