第4話 オアシスにて、二人

 夜明けに着いたオアシスでは皆すっかり眠たくなっていて、まずは宿を取ることにした。アリサのコンテナはオートロックと言う技術で本人以外外側からは開けられなくなっているらしい。じゃあなんであんなちゃちな鍵を付けていたんだと問うと、その方が宝物らしいだろう、との事だった。自分の事を自分で宝物とか言ってしまう、この娘は一体何なんだろうと一瞬真顔になるが、まあ鍵の心配がないならオアシスの端っこに停めといても良いだろう。

 宿は一つしかない小さなオアシスだった。行商人もちょっと足安めに寄っただけで積極的に商売はしていない。女郎屋がないことにブーブー言うおっちゃん達もいたが、とにかく足を広げてラクダに乗るので股ずれには気を付けた方が良いと真剣にアリサが説得すると、肝心な時に使い物にならなくなったら困ると言う言葉に頷いたおっちゃん達は、宿に向かって行った。のだ、が。


「生憎隊商が来ておりまして、部屋が埋まってしまいまして。九人までなら都合は付けられるのですが……」

「……。アーサー、お前アリサと」

「嫌だよだったらアリサがコンテナ帰れよ」

「私は初めてのオアシスだからな、堪能してみたい。ルスランがコンテナ使うか?」

「嫌だよ女の匂いのする寝床なんて素面で眠れねーよ」

「ルスランとアリサで良いんじゃね? 間違いも起こんないだろ、商売女しか相手にしないんだから。おっちゃん達もそうだけど、一番安全なのはルスランのトコだと思うな」


 アーサーの言葉にうんうんと頷くおっちゃん達である。俺に意気地がないとでも思っているのか。やろうと思えば何とかなるぞ。言ってやりたかったが言ったところでどうしようもないので、はあっと溜息を吐き、白衣を脱いでうきうきしているアリサを見る。きょとんとした顔をされた。

 象牙の塔には性教育はないのか。俺だって童貞を捨てる時は病気に気を付けろとか色々言われたもんだぞ。あれは十五の誕生日プレゼントだった。養父の精いっぱいのもてなしだったんだろうと今は思うが、チョイスは悪かったと思う。


 俺とアリサの相部屋が決まったところで、おっちゃん達は酒飲みに出かけて行った。大金は入ったものの使う機会がなかったのだ、その分しこたま飲むつもりだろう。アリサはふらふらと外に出て行って、夜明けの星を眺めている様子だった。何がそんなに珍しいのかと思って顔を見ると、紅潮してふわぁ、と口をだらしなく開けていた。飴玉を貰った子供のような姿に、一瞬驚く。

 俺も腹は減っていたが、なんとなくこいつを放っておけなくて、別行動だ。アリサのおもり。面倒だがこの様子を見るとふらふら砂漠に足を突っ込みかねないし、悪いスリに掴まるかもしれない。懐に入れてある護身用の銃を確認しながら、俺はアリサの後ろをついて行く。カルガモの様相だった。親子は逆転していても。


「施設にあったのは天体望遠鏡ばかりだったから、じかに星を見るのは初めてだ。案外儚い色をしているのだな」

「夜明けだからだよ。あれが北斗七星」

「本当だ! あれが有名な……」

「あっちはしし座」

「ルスランだな」

「前にも言ってたが、なんだそれ。何でおれが獅子なんだ」

「なんだ自分の名前の事なのに知らないのか? ルスランとは獅子の王の事だ。良い名前を付けられている。私の記号みたいな世界一周した名前じゃなく、な。呼ばれる時は大概ドクトルA8かアルベルト博士だった。何の感動もないものだったよ。だがお前にアリサと呼ばれるのは、こそばゆくも心地良いものだと解った。ありがとう、ルスラン」

「……意味知っちまうと、確かに擽ってえな」


 この名前は養父が付けたものだ。本当の名前は別にあった気がするが、覚えていない。今日からお前は俺の子。名前はそうだ、ルスランにしよう。強い名前だぞ。言ってかんらかんらと笑ったのが十五年前だろうか。俺の記憶は大体そこから始まっている。本当の父も母も、名前も、何も覚えていない。ただ逞しい両腕に抱え上げられ、笑ったのが最初だ。最初の、記憶。


「クローンって言ってたが、お前はどうやって生まれたんだ?」

「うん? なに、細胞増殖の際にY染色体を別の胚から取っておいたX染色体と交換して混ぜ込み女にした。それからは試験管で細胞増殖が認められるか確かめ、無事それが確認されたら人工胎に移され半年程度だな。そこで奇形が認められなければ、さらに三か月ほど様子を見て、出胎。二歳までに語学や理科を教えられ、素質があれば養育継続。そんなところだ」

「……継続されなければ?」

「経済動物の如く、だな」

「人間は、お前は、動物じゃないだろう。そんな万に一つのクローンとして生まれておきながら、お前はそこを飛び出した。何故だ? 衣食住も名誉も栄誉も約束されていた場所だろう? 少なくとも俺達の所に身を寄せる必要は、無いはずだ。あのコンテナ一つで砂漠を駆けて行けばよかっただけだ」

「学会があるからな。それで砂漠を横断すると聞いて、急ぎで作ったものだ。こまめに調整しているが、あれだって簡単便利なものじゃない。一日一度のメンテナンスが無ければあっという間に砂礫の中だ。それを避けるためにも、ボディガードの意味でも、お前たちは必要だった」


 必要とされていた。言われる言葉にらしくなく心臓が跳ねた。こいつが必要だったのは砂漠の強盗団と言う組織であって、俺達単品でないことは分かっている。分かっているのに跳ねた心臓が癪で、ぎゅっと服を握り締めた。銃が指に当たる。

 脱いだ白衣を羽のように広げて、薄くなっていく星々を眺め、それよりもっと強い太陽を待つ。アリサはきらきらと目を輝かせて。象牙の塔。どんな組織だったんだろう。俺達砂漠の民は聞いた事もない場所だ。そもそも自分の縄張りにしている場所以外知らない。アーサーはなんだって廃墟を見に行ったんだろうな、なんてことが今更謎になった。子だくさんの孤児院から口減らしで捨てられた、とは、本人の言だ。孤児院なんてのをやってる余裕のあるオアシスに行った事がないので、俺はへーと頷くだけだった。アリサの言葉だって同じだ。おれは結局、へーと頷くことしか出来ない。


 どんな風に生まれたとか、どんな風に生きていたとか、結局は現在の前で意味がない。アーサーだって物心つかない頃の事だったろうし、俺だって養父のにっかり笑った顔が鮮明なだけだ。アリサはどうなんだろう。物心つく前から叩き込まれる授業。英才教育の粋を集めた環境。出来なければ死ぬ。殺される。経済動物のように。使えないなら要らない。そう言う事だ。

 そんな何百億の可能性の中から生まれたのが、七より一つ多いこの女なのだろう。朝焼けに目を焼かれ、うおーっと叫んでいる。まぶしっとこっちを振り向いて、笑って見せる。どきりとした。らしくない。この女の為なら、俺は女郎屋があっても我慢したかもしれない。放っておけない可能性の爆弾。

 紫紺の夜は消え、慣れた炎天下になって行く。四魂の夢が消えた時、こいつは象牙の塔に戻るのだろうか。それとも在野の学者になって俺達に付き纏うのだろうか。紙の雑誌は珍しいし、字も読めないけれど、もしもそんな時がやって来たら字を習っても良い。らしくなく俺はそう思う。ただのルスランとして、そう思う。砂漠の強盗団の首魁としてではなく。十七歳の自分として。


 自分にそんな気持ちがあるなんて知らなかった。自分がそんなことを考えるなんて思わなかった。アーサーの言うように、こいつの願いが終わったら、どこかに売りに出してしまった方が良いのかもしれない。いつものスタンスを崩したらアウトだ。特に俺みたいな生業をしている人間にとっては。ちょっと顔に出たのか、うん? とアリサは俺の顔を覗き込んでくる。ふいっとそれから逃げるようにし、だが手は手を掴んでいた。


「俺達はさっさと眠るぞ、アリサ。お前も砂漠の暮らしに慣れておいた方が良い。あのコンテナがそんな危ういものなら尚更だ。いつ壊れても良いように、昼に眠る習性を持った方が楽だ」

「それはそうだね。ところで、もしあのコンテナが故障した場合、私は誰のラクダに乗れば良いのかな」


 おっちゃん達は体重もあるしある程度武器も持っている。体重の問題で言うなら俺かアーサーだろうが、アーサーはどこかアリサを目の敵にしているような節があった。楽に暮らせる場所からあっさり飛び出して来たことが気に入らなかったのだろうか。俺たちはこれで、毎日命のやり取りをしているから。そこに好奇心八割で入って来るような女は、嫌なのかもしれない。消去法、と言う言葉を思い出した。女郎屋で良い女が残っていなかった時に教えてもらった言葉だ。

 誰でも無かったら、せめてマシなものを。


「俺のラクダにでも乗っておけ」

「了解したよ、キャプテン」

「なんだそれ」

「人々を束ねる人間を指す言葉さ。さてと、じゃあ私も宿に戻って眠ることにしてみるよ。これ以上日を浴びたら眠気がすっ飛んで行ってしまいそうだ」


 また白衣を羽織り、ふんふん鼻歌を鳴らしながら背を向けるアリサの背中に、銃身を向けてみた。

 何故だかうまく撃てる気がしなくて、すぐにやめた。

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