第2話 あなたの付けた足跡

 砂漠の移動は基本的に夜から昼までだ。太陽の出ている時間には動かない。それを盲点にしていたのが運び屋の連中だったのだが、それでも人類の大脳新皮質を失った(アリサの言だ)ペナルティは課せられるだろう。くっくっくと喉で笑うアリサのコンテナで、俺達は取り敢えず昼の時間を潰す。

 すかすか寝てる奴もいるが、俺はとてもそんな気分になれなかった。胡散臭い娘一人に茶を飲ませておくわけにも行かないだろう。と、アリサが茶器を持って立ち上がった。砂で洗いに行くのだろう、その後ろ頭をじぃっと眺めていると、痛いぞ、と言われた。何が。


「視線が痛い。そんなにも私を警戒するのなら、脚の一つも撃っておくか? いざとなったら金貨を持って逃げられるぞ」

「……このコンテナの走行速度は?」

「七十キロ毎時」

「じゃあ俺達が追い付かれるわ」

「意外とゆったりした動物なのだな、ラクダと言うのは」

「乗せて走ってやろうか。意外と早くて驚くかもしれないぜ」

「良いの?」


 途端に声を弾ませる奴である。象牙の塔。自分から籠る場合の言い方だが、こいつはそこから誘拐されたがっていた。何故だ? 特脳研。なにがそこにあるって言うんだ。それに名前。あんなに長い名前、いわくつきに決まってる。


 砂で茶器を洗い机の上に置く。また何かが作動しないかと一瞬冷や汗が出たが、今度は何も起こらなかった。ほっと息を吐くと。くつくつ笑われる。そして白衣姿のまま俺の前にやって来て、ねえ、と声を掛けて来た。

 白衣の前は開けっ放し、無骨なグレイのスラックスに白いシルクのブラウス。ドクトル、博士なんて呼び方はまるで似合わない、俺と同い年ぐらいのその姿。物怖じせず銃を持っている相手に声を掛けてくる無防備さ。いっそぐしゃりと花のように手折ってしまいたいほどだ。だがそれは砂漠の人間の俺には出来ない。


 花は愛でるものだ。次の世代に向けて、残すものだ。だから俺はアリサの好奇心満々の目に、目で返すしかない。調子が狂って仕方ないってのに、その目から目を逸らすことが出来ない。白い肌に赤い頬。乾いた世界で生きるには、幼いぐらいに知識がない。それがドクトル? 笑わせるなよ。

 はあっと息を吐いて、俺はせめて半眼でアリサを見る。半分世界を閉じておく。踏み込まれるのは嫌だ、この目には。何でも知りたがるような、科学者の片鱗を僅かに感じらせる目には。


「何だよ、アリサ」

「だからラクダだよ。乗ってみたい」

「一人で乗って遊んでれば良い。誰も止めやしねーよ」

「だから、一人で乗れないからルスランに頼んでるの。一緒にラクダ、乗って?」


 小さい頃、養父に連れられてラクダの扱い方を習っていたのを思い出すと、目の前の女が小さな自分に見えて来るんだからまったくだ。まったく、敵わない。父さん俺にも盗賊のやり方を教えて。まずはラクダの捌き方からだな。早いよ怖いよ。掴まっていろ。絶対に落としはしない。

 あの頃の俺は幼かったから何とかラクダに乗れたが、今はどうだろう。チェックの壁紙から背中を離し、立ち上がってみると、アリサの身体は十分小柄だ。俺より頭一つ分以上は小さい。こんなのつれて行けんのかなあと思うが、アリサは白衣を脱いで準備万端だ。仕方なくコンテナを出て、自分のラクダの手綱を掴む。アリサの腰を掴むと細さにぎょっとした。女郎屋の女はみんな豊満だから、こんなに小さな女は初めてで落ち着かない。


 首をまたがらせて、腰を下ろさせる。俺はその後ろに乗った。すると口をもしゃもしゃさせていたラクダがすっくと立ち上がる。それにぎょっとしたアリサは、言われる前に俺にしがみついて来た。細い。軽い。華奢な白い手がシャツの胸元を掴んでくる。

 ちょっとどきりとしながら、俺は手綱を捌く。ラクダはゆっくり、しかし確かに速度を上げて行き、コンテナの周りを走り回った。目をぎゅっと閉じて縮こまっているアリサに、おれはハッと笑ってしまう。さっきまで雇い主として傲然としていた女が怯えているのが楽しい。俺も大概性格が悪いな、思いながら止めずに俺は砂煙を立てる。ひゃあっとアリサが悲鳴を上げた。


「ちゃんと周りを見てみろ、特に何もないが、速度に慣れるにはそれが一番だ」

「いいっいい、私はコンテナで行くから良いっ! 化石燃料もこっそり持って来たから持つと思うし! いざとなったら太陽光パネルで電源確保できる!」

「何言ってんのか、わかんねーよっ!」

「だからラクダはもう良いって言ってるのー!」


 涙声になったアリサに満足して、俺はゆっくり速度を緩める。と、コンテナの中で寝ていた奴らがラクダを座らせている俺達をにやにやしながら見ていた。何か勘違いをさせているようだが、別に構わない。こいつを特脳研廃墟とやらに連れて行けば、おさらばの関係なのだ、俺達は。

 その中でちょっと遊んでいるぐらいは許されるだろう。素人娘の扱いを覚える良い機会になるかもしれない。取り敢えず早くてぐるぐるなのがダメなのは分かった。それだけでも収穫だ。


 俺がラクダを下りると、その足跡を辿るようにアリサはそろそろと首を跨ぐ。可愛い嬢ちゃんみたいなその様子に、ぷっと俺は笑ってしまった。するとじろりと睨み上げられて、両手を突き出される。


「だっこ」

「は?」

「腰抜けた」


 ぶーっと笑う連中の声に俺の声も交じり、さらし者にされたアリサは半泣きになりながら俺の首に腕を回して来た。

 柔らかいな、と思って抱き上げると、本当に腰が抜けているらしい。コンテナの椅子に座らせてやると、菫の砂糖漬けの入った瓶を開けて一つ食べた。精神安定剤みたいなものか、甘いものって。俺も養父が仕事から戻って来た時には甘いものを強請った気がする。

 砂漠の強盗団なんて危うい事をしていればいつどうなるかも分からない。だから俺は養父が無事帰って来た時にはその首にしがみついたものだ。こんな風に。俺はこいつの中の何になってしまったのだろうかとちょっと不安になったが、まあどうなったとしても大してことはないだろう。終わりの決まっている関係はサバサバ出来て良い。感情移入だってしなくて良い。


 なのになんだか父親を思い出しすぎているのは、俺達が今まで扱って来た商品の中に奴隷もいた所為だろう。小さい子供をみちみちに詰めてラクダで運んでいた隊商を一気に潰したことがある。助かったとはしゃいでいた子供たちを別の商人に売った時の絶望した顔。おじちゃんぼくたちを助けてくれたんじゃないの? そんなことは一言も言っていない。泣き叫ぶ声を遠くに聞きながら、父はさっさとオアシスへ戻った。あまり気持ちの良いものじゃなかったあの仕事。

 商売に感情を持ちすぎるな。所詮俺達は砂漠の強盗団、奪い取ることで日々を生きているんだ。それを思い知らされた出来事であるだけに、脳にこびり付いている。脳。特脳研。


「お前その特殊なんとかに行って何する気なんだ?」


 すっかり菫の香りが充満したコンテナの中で、また眠りに入っている仲間たちを起こさないように、俺は声を潜めてアリサに問う。うん、と真剣な顔になったアリサは、顔を上げてテーブルに腰掛けている俺を見上げた。

 その目はもう涙目ではない。人格が変わったかのように静かな迫力を思わせるものがあって、俺は思わず喉をぐびりと言わせてしまう。


「保管されていたある人間の脳を回収しに行きたいんだ」

「人間の脳?」

「聞いた事ないかな。アルベルト・アインシュタイン。前々世紀の天才と呼ばれた人なんだけど」


 アルベルト。アルベルト・アインシュタイン。

 アルベルト・アリサ・アウグスタ・アイソポソス・艾璃アイリイ・アクラム・亜衣・アジモフ。


「お前の親戚か何かか? アルベルトって」

「厳密に言えば親戚じゃないけれど、まあそう思ってもらっても構わないかな。人間は七までの数字しか認識できない、って論は知っている?」

「いや。知らん」

「八以上になると『いっぱい』にカテゴライズされるんだ。だから私はそれを超えたドクトル・A8。アルヴィの模倣の天才」

「待て待て待て。よく解らなくなって来た、もっとメートル下げて話せ。模倣の天才って何だ。そんな脳が簡単に作れるのか」

「作れないから本物が欲しいんじゃないか」


 くっくっく、アリサは笑う。アルベルト・アリサ・アウグスタ・アイソポソス・艾璃アイリイ・アクラム・亜衣・アジモフは笑う。


「私はアルベルト・アインシュタインのクローンのうちの一人。今の所それに一番近い脳力を持っているとされているのさ」

「クローン……」

「女のクローンにした方が、別の可能性を引き出せるかもしれないって事で作られた一人だよ。実際それは成功した。私は数多いるアルヴィの継承者としては序列が一位に近い。『今世紀最大』に一番近い」

「それでも――本物には、敵わないって言うのかよ」

「そう言われているのさ。もっとも二十二世紀の中で私より優れたクローンが生まれるとは思えないけれどね」


 クローン。産まれた時から象牙の塔にいる存在。頭を振ると前髪が揺れる。訳が分からない。解らないけれど、目の前のこいつは。


「アルベルト――アルヴィは、女じゃない」

「そうだね、男だ」

「お前はアルヴィじゃない。アルヴィにならない。アルヴィになれない」

「……そうだね」

「なんだってその脳を欲しがる?」

「欲望に理由なんてないよ。私は『親』に会いたいんだ。さながらね」


 『親』に。

 それは一体、どういうことなのか。俺は知りたい。

 この時俺は、金貨の枚数でなく、仕事をしたいと思った。

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