砂漠の獅子と天才の脳

ぜろ

第1話 誘拐はお茶の時間に

「うわあっ」


 ラクダを走らせて砂漠の丘陵から十人ほどで駆け下りると、コンテナを運んでいたロバたちはパニックになって乗っている人間たちを振り落とした。慌ててそれから逃げられないように乗り直す姿はベテランの配達人を思わせたが、動物の方はそう簡単に落ち着かない。結局荷物のコンテナを置いて行った男達に、俺達はゲラゲラ笑う。

 腕にはサブマシンガン。弾は貴重だから一発も撃ってやらない。勿体ない。さて、と俺は改めて懐から手紙を取り出す。砂漠のこの地点を通るコンテナを回収せよ、前金は金貨三十枚。成功したらさらに六十枚の礼金を出す。


 砂漠の強盗団なんかやってるとそんな手紙が届くこともある。どうやって調べるんだろうかと思っていたが、世界には砂漠でない所もあるらしい。砂漠で生まれ育ち養父に戦いと強盗を教え込まれた俺には信じられない話だが、オアシスが広がっているのを見ると信じないわけにはいかないだろう。この世にはオアシスが続く地帯もある。

 どうせならそんな場所で、もしくはオアシスで生計を立てて行ければいいんだろうが、こちとら奪う事しか教え込まれなかった身だ。どうしようもないから稼業は続けている。偶に女を買ったり珍しいものを食ったりして、生活は充実していると言えるだろう。誰を恐れることもなく、かと言って誰を愛するわけでもない。こんな暮らしを十七年も続けていれば、愛なんてないと思わされても十分だろう。


 自分の妻や妾を置いて逃げる男。或いはそれらを差し出して命乞いをする男。愛なんて信じられない環境だ。実際俺だってその愛の結果生まれたらしいのに捨てられているのだ。愛なんてあったとしても、始まりと終わりがあるものだと俺は思っている。相手の姿が醜くなったり心が醜くなったりすればそれは終わりの合図だ。だから女は商売としか付き合わないと決めている。自分が傷つきたくないからだ。

 そもそもこんな泥臭い仕事してる奴に惚れる者もいないだろう。金払いが良いからオアシスでは経済の歯車を回してくれる存在として重宝されているが、それだってあと何年続くやら、だ。俺ももう十八歳になる。次のリーダーとして子供を作っておきたいが、女郎屋の女たちの『貴方の子よ』ぐらい信頼のおけない言葉もないと思っているので、やれやれと言ったところだ。


 信頼できる俺の子を産んでくれる女なんて居るのかねぇ、なんて思いながら、俺達はコンテナをラクダで囲む。鍵がついていたが、短銃の銃底で何度か殴ればすぐに壊れた。金貨九十枚にしちゃ随分ちゃちな鍵だが、楽なのは良い。さて中にはどんなお宝が、っと。


「運び屋たちを追い払う手段として使いもしない銃を持って来るのは良い案だ。実用も持って来ている。姿を現してから十分での任務完了、実に鮮やかな手口だ」


 中に入っていたのは――

 女だった。

 コンテナの中にチェックの壁紙を四方に貼り、おそらく床に貼り付けているのだろうテーブルと椅子、そして手にはポットとカップ。ふぅっとそれの表面を吹いて、飲み込み、こくんっと喉を鳴らす。

 まだ熱かったのか、顔をしかめた。しかし顰にもかかわらず女は綺麗な顔をしている。彫像のような美しさ。歳の頃は俺と同じぐらいだろうに、ラクダより落ち着いて俺の方を見る。

 無表情だったがうむ、と頷く様子は満足そうだった。俺達は何かに合格したのだろうか、意味が分からない。だが女は俺達を試していたのは解る。

 傲慢だな。ちょっと鼻につく。それを堪えながら、俺は鍵を壊した短銃をそいつに向けた。


「使えない武器など構えるものではないな」


 くうっと飲み干したのは紅茶だろう。匂いで分かる。もっとも俺は飲んだことがない。小さな頃はチャイで育ち、いい歳になってからは酒を好んだからだ。酒は良い。何でも忘れさせてくれる。ただし飲みすぎるのはオアシスではなく、こういった砂漠の真ん中だ。誰にも寝首を掻かれない場所。

 この女は何故この状況でリラックスしていられるのだろう。と言うか、自分の立場が分かっているのか? 今まさに撃たれてもおかしくないんだぞ?


 女がポットをテーブルに置く。と同時にカチッと音がしてコンテナがヴォンヴォンヴォンと鳴り、銃が中に引っ張られていった。天井に貼り付いたそれ、何だ、何をされた? 面食らった俺の様子に女はちょっとだけ口の端を上げる笑い方をした。

 侮っている訳でもない。強いて言うなら悪戯の成功した子供のような無邪気さがあった。

 天然パーマらしいプラチナブロンドの髪をお団子一つにまとめて、黒縁のプラスチックの眼鏡に格好は白衣。もう一度女がポットを持ち上げると、ぼたっと銃は下りて来た。ついでに何やら得体のしれない袋も。


 顎で促されて中を見ると、金貨がどっさり入っていた。

 意味が分からない。

 戸惑う俺に仲間たちも気付き始めたようだ。

 そうだ、仲間がいる。だから俺は何も畏れなくて良い。


「前々世紀の医療品でな。MRIと言うものを改造してコンテナに施してある。水鉄砲の方が今の私には脅威だぞ、成年」

「お前は――なんだ? 何者だ?」

「アルベルト・アリサ・アウグスタ・アイソポソス・艾璃アイリイ・アクラム・亜衣・アジモフ」


 呪文のような声に、それが名前だと気付くのに数秒かかった。そして覚えるのには倍の時間が掛かった。


「あるべると……あじもふ?」

「覚えられなければドクトルA8で構わない」

「ドクトルA8?」

「そう。お前の名前は? 色男」


 商売女じゃない奴にそんな呼ばれ方をしたことがないので、ちょっと耳が熱くなる。顔色は根性で堪えたが。


「……ルスラン」

「獅子の王か。良い名前だな」

「自分で付けたわけじゃない」

「奇遇だな、私もだ」

「お前は、何だ?」

「決まっているだろうそんな事」


 くっと笑って、ドクトルA8を名乗った女は今度はテーブルにカップを置いた。

 途端に床下が開き、金貨がみっしり入っている。


「私はお前たちの雇い主だ。砂漠には良い強盗団がいると聞いてな、常々頼みたかったので誘拐してもらった。私をある場所に連れていけ。道中の資金はそこにある分で充分だろう」

「金貨!? ルスラン、こんだけ金貨がありゃ遊び放題だぜ!」

「断る」

「そう断る必要が――ってなんでだよ!? 前金にすら手を付けてないって、お前そりゃちょっと面倒かも知れないけど千載一遇のチャンスだぜ!? 一年は俺達を賄える額だぞ、これ!」


 ラクダを繋いでわらわら集まって来た連中に、こら、と一喝する。


「怪しい金で雇われて結局どこに行くかも知らせられていない、そんな交渉があるか! 大体そこの、アルベルト? だって、何者か知れないんだぞ」

「今世紀最大の科学者であり天文学者であり物理学者である私を前にようも言う。お前たちは見聞が足りないな。本も暇つぶしに持って来てあるから読むと良い。私の論文が乗っている」

「字なんざ読めねーよ、悪かったな」

「ああ、だから新聞が読めないのか」

「それ以前に新聞なんて文化この辺りには根付いてねえ」

「それはそれは」


 くっくっくと楽しそうに、女は笑う。


「大体お前の名前、アルベルトって男名前じゃねーか。胡散臭いものに近付かないのも、砂漠の強盗団の掟だぜ。たとえお前がここで野垂れ死んでも俺達は構わないわけだからな」

「その割に腹は決まっていると見えるが」

「金貨の前には絶対服従。それも砂漠の強盗団の不文律だ」

「ちゃんと言葉を知っているじゃないか。良い教師がいたのか?」

「場末の女郎屋のばーちゃんに習った」

「ついでに文字も教えてもらえば良かったのに」

「数字で充分だよ、金しか扱わねーんだから」

「それもそうだな」


 くすっと笑う女に、仲間たちは俺を期待の眼差しで見る。


「解った、で、俺達は何処へ向かえば良い?」

「特殊脳医学研究所、略して特脳研廃墟。場所はコンテナの壁に記してある」


 見ればぴこんぴこんと小さな赤い点滅が広い砂漠の絵の中で光っていた。絵は地図だろう。馴染みのあるオアシスの連携図で分かる。しかしそのどこよりも西に、それはあった。


「俺行ったことあるぜここ。廃墟廃墟、なんにもねーの」

「俺は知らねーな。こんなのあることも知らなかった」

「ここからはちょっと遠いな、オアシス転々として行った方が良い」


 いつの間にかコンテナに入り込んでいた仲間たちがやいのやいのと言っている。

 多分俺に決定権はすでにないんだろうな。

 早速金貨の分け前を計算してる連中もいるし。

 はあっと息を吐いて、俺は諦めることにした。


「ドクトル――まあ良い、アリサって呼ばせてもらうぜ」

「ほ」


 きょとんっとした顔に、俺もきょとんっとする。


「その名前は飾りだから呼ばれたのは初めてだ。こそばゆいものだな」

「名前が飾りって」

「で、何だ?」

「このコンテナ。自走は出来るのか?」

「出来るぞ。こっそりエンジン付けておいたからな」

「あんたどっから出て来たんだ……」

「象牙の塔」


 くっくっくと笑って、アリサはまた茶を飲んだ。

 花の香りだな、と思うと、陰にすみれの砂糖漬けが置いてある。

 もっと他に持って来るべきものはなかったのだろうか、こいつは。


 ――これが俺とアリサ、ドクトルA8の出会いである。

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