第8話

 ジョンはジョアンナを見て驚き、その衝撃によって心臓の鼓動を止められてしまったのかもしれない。

 その推測は、僕の心を捉えて放さなかった。

 僕は宿に戻ると、ジョアンナに電話をかけた。


「あたしとメアリおばあちゃんをまちがえた?」

 ジョアンナの声は裏返った。

「多分。それで、ジョンはびっくりしたんじゃないかと思うんだ」

「…そんな」

「ジョンがあの公園で倒れたのは、四月二十ニ日。その日の夕方、君があの公園へジョギングに行ったかどうかを知りたいんだ」

「――覚えてないわ。それにあたしが走るのは朝なのよ」

「よく思い出してみて。その日だけ夕方に走らなかったか」

「二十二日ね――、何曜日だったかしら」

「木曜日だ」

「待って、お芝居の稽古の日程表を見てみるわ」

 

 ちょっとの間があって、ジョアンナの声が戻ってきた。

「思い出したわ。あたしったら馬鹿ね。その日、公演があったの。だから朝に走れなくて夕方に行ったんだわ。間違いない。だってそのあとデイビッドがうちに来たんだもの」

「デイビッドって?」

 瞬間、間があったが、ジョアンナの声は変わらなかった。


「あなたが稽古を見に来たとき、杖をついた大柄なおじいちゃんがいたでしょう? 彼よ。劇団の代表者なの」

 その彼は、そんな時間に、何をしに来たの? 

 そう訊こうとしたが、ジョアンナの言葉に遮られてしまった。

「でも、なんだか、それだけじゃないような気がするわ」

 ストンと心が沈んだまま、僕はどうしてと、訊いた。

「数十年前の知人の女性が、突然目の前に現れた。ましてその女性が行方不明のままなんだから、彼の驚きは相当なものだっただろうと、思う。でもそれだけで、いくら高齢とはいえ、心臓発作を起こすほど驚くかしら。――あたし、なんだか、それだけじゃないような気がする」

「じゃあ、どういうこと?」

「わからないけど…」


「メアリの失踪の理由は何なんだろう」

「亡くなったそのジョンって人、もしかして、理由を知ってたのかしら」

「知っていたから、驚いた?」

「そう。いるはずがないからこそ驚いたのかもしれないわ。たとえば――亡くなっているとか」

 そうであれば、ジョンの驚きは大きかったはずだ。弱っていた心臓が動きを止めるほど。


「知っているのは、ジョンだけなのかな」

「夫のロバートも何か知ってるはずよ。あたし、ロバートおじいちゃんに会って訊いてみたい。おじいちゃんが今どこにいるのかわかればいいんだけど」

「ルイーズなら知っているかもしれないな」

 僕の呟きに、

「訊いてみましょうよ」

と、硬い声が返ってきた。



 ルイーズは古い手帳を探し出し、ロバートの連絡先を見つけだしてくれた。だが、電話番号は何年も前のもので、ルイーズは何人もの知り合いを手繰ってようやく一番新しい電話番号を探り当てた。

 僕が伝えた電話番号に、ジョアンナが電話をしたと、僕の携帯電話に連絡が入ったのは、そろそろベッドに入ろうとしたその日の十一時過ぎだった。


「駄目、ぜんぜん取り合ってくれないの」

 ジョアンナは小さな子供のように、拗ねた調子で言った。

「彼はロンドンで一人暮らしをしていたわ。それであたしが孫であることを名乗って、おばあちゃんのことを話したいって言ったの。でもぜんぜん話してくれなかったわ。昔のことは何も覚えてないって」

「かなり高齢だからね、無理もないかもしれない」

「でも電話の声はしっかりしてた。それに尋常じゃないくらいうろたえてたのよ」


「――何か知ってるんだな」

「そうだと、思う。それであたし、直接会いに行けば、真実が突き止められるような気がするの」

「わざわざ?」

「いい考えがあるのよ」

 ジョアンナのアイデアは、奇抜なものだった。


「劇団のみんなに手伝ってもらうのよ。あの写真を見て、カメラ・クラブの人たちにそっくりにみんなに変装してもらうの」

「そこまでするの?」

「その姿で会いに行けば、きっと彼は知っていることを言わないわけにはいかないと思うわ」


 早速劇団の仲間たちに連絡をしてみると、ジョアンナは威勢よく電話をきった。

 僕はベッドに入ったが、いろんなことが頭の中で渦巻いて、なかなか眠りにつくことはできなかった。ジョンのことや、ルイーズのこと。そしてデイビッドのことが僕の心を不安にした。


 朝になって、ジョアンナから連絡があり、僕らは待ち合わせしてロンドンに向かうことになった。

 午後二時、ルイスの駅で落ち合うと決まった。

 協力が頼める役者たちは、五人。


 駅に着くと、ジョアンナのほかに三人がすでに到着し、仲間が来るのを待っていた。

 みんな大きな鞄を持っている。変装用の衣装や化粧道具が入っているらしい。

 ジョアンナが紹介してくれた三人は、今日の計画をおもしろがっているようだった。特にマークという名の学生とレベッカという名のおしゃべりな女の子は、本当のお芝居よりもやりがいがあると張り切っていた。もう一人の控えめな感じの女性はアンといい、いくら事情があるにしても老人を騙すのは楽しいことじゃないと、静かに言った。


 やがて残りの二人がやって来た。髪の薄い小太りの青年と、おそらく三十代ではないかと思われる、落ち着いた感じのする男性だ。青年のほうはスティーブと名乗り、もう一人はデイビッドと名乗った。


 デイビッドは魅力的な男だった。ちょっと浅黒い肌、端正な顔立ち。もし彼の左手の薬指にプラチナの指輪がなかったら、僕は即座に嫉妬を感じていただろう。

 時間になって、僕らはロンドンに向かう電車に乗った。電車の中で、僕は全員に写真を見せた。誰が誰のそっくりさんになるか、相談が始まった。

 

 ジョアンナはもちろん、メアリ。

 マークはメアリの横に写っている、偶然にも同じ名前のマーク。レベッカはジョンの前で笑っているマギーに。アンは、ジョンの後ろに立つジュディスになることになった。そして小太りの青年は、写真の中でいちばん太っているエリックになり、ジョンにはデイビッドが変装することになった。


 僕はアンの孫の婚約者ということになった。今時、外国人が孫の婚約者だって、ちっともめずらしいことじゃない。

 

 役が決まると、彼らは早速仕事にとりかかった。それぞれがバッグの中から化粧道具を取り出し、変装を始めたのである。

 見事なものだった。顔にいくつもの細いそれ専用のゴムを貼り付け、ファンデーションで延ばして皴を作る。髪をまとめてウイッグをかぶる。

 僕らがボックス席に坐っていたこと、車内が空いていたことが、救いだった。もしそうじゃなかったら、乗客たちの見世物になっていたかもしれない。


 着替えは、順番にトイレに行った。ロンドンまで二時間はかかるから、時間はたっぷりある。

 変装が終わると、この芝居の計画を練った。もう一度詳しく、ジョンとメアリとロバートの関係をおさらいする。


 カメラ・クラブの仲間たちー―ジョンと、その友人のロバート。そしてロバートの妻メアリは何らかの理由で行方不明のままだ。ロバートの息子の子供、つまり孫がジョアンナである。孫ではあるが、会ったことはない。

 ジョンが死んだ日のこともおさらいする。

 散歩が日課だったジョンだが、その日に限って、普段は行かないノーマン・パークに行き、倒れた。推測では、メアリにそっくりなジョアンナを見て驚愕し、メアリが行方不明になった原因を思いついたのではないか。


 窓の外の風景が変わった。

 どの国の都会にでもある高層ビルが見え始める。


 電車がテムズ川を渡り始めた頃、僕は六人の老人といっしょにロンドンに入ろうとしていた。



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