第6話

 僕らは黄色い花が咲き乱れる花壇の前のベンチを見つけて腰掛けた。サンドイッチを食べるには格好の場所だ。

 

 だが、ジョアンナは膝の上にサンドイッチを置いたまま、放心したようにじっと写真を見つめている。

 僕も食べるのをやめて、写真を見つめた。


 周りでさえずる鳥の声や、公園を行き交う人々の笑い声も、ジョアンナには耳に入らないかのようだ。

 何か気に障ることをしてしまったのかもしれない。さっきまではあんなに愉しげだったのに。

 

 ジョアンナがようやく口を開いた。

「――信じられない。こんな写真を見ることができるなんて」

 そしてジョアンナは、写真の下にある名前のひとつを指差した。

「ほら、メアリ・ピックフォードって書いてあるでしょ。間違いないわ」

「間違いないって?」

 僕はその名前を読んだ。メアリ・ピックフォードとあるのは、前列の右から四人目、ジョアンナのそっくりさんの名前だ。

「私のおばあちゃんなの、この人。 父が持ってた数枚の写真のおばあちゃんと同じだもの。だから私とこんなに似ているのよ」

 写真はただジョアンナにもう一度会うための、口実でしかなかった。それがジョアンナの本当の祖母の写真だったとは。


「嬉しいわ。とっても貴重な写真よ。父が生きてたら、すごく喜んだと思うわ」

 ジョアンナの父は、六十になったばかりの五年前、病気で亡くなったのだという。

「この祖母のことは、父から何度も聞かされたわ。父が子供の頃行方不明になったままで、結局生きているのか死んでいるのかわからないままらしくて」

 ジョアンナのそっくりさんが、そんないわくのある人物だとは思わなかった。

「くわしいことはわかってないの。父は小さかったから大人たちが言わなかったんでしょうね。ただ、事故や事件ではなかったみたい。仲のいい夫婦だったようだし、祖母が巻き込まれたと思われるような事故もなかったらしいの。その後、残された夫、つまり祖父は息子、あたしのパパを親戚の養子にして――別の町へ行ってしまったらしいわ。だから私の苗字がおばあちゃんと違うわけ」


「すると、そのメアリさんは、どこかで生きているかもしれなし、亡くなっているかもしれない…」

「そう、わからないままよ。でも、きっと死んでると思うわ。だって、生きていたら、きっとパパやあたしに会いたくなったはずでしょう?」

 食べ残したサンドイッチに、ジョアンナは結局手をつけずに、僕たちは食事を終えることになった。

 ジョアンナはさびしい身の上だった父のことを思い続けているのか、口数が少なくなってしまい、僕らはただぼんやりと咲き乱れる花壇の花々を眺めていた。

 

 まだ昼休みが終わるには時間がある。僕は少しでもジョアンナの気持ちを明るく戻したくて、散歩に誘った。案外広い庭だから、歩きがいがあるはずだ。

 するとジョアンナは、庭を出て別の場所へ行こうと言い出した。ちょっと店に戻るには遠くなるが、この先にジョギングコースにしている公園があり、そこの眺めもいいという。

 

 公園までは、フット・パスと呼ばれる散歩道を通って行くことになった。人が二人ようやく通れるほどの狭さで、両側はまわりに建つ家の垣根や、空き地の囲いとなっているイチイの木で鬱蒼としている。

 

 歩くうちに、ジョアンナはもとの快活さを取り戻した。

 拾った枝をオーケストラのタクトのようにして振ったり、小さな赤い実を見つけて、僕に投げつけたりした。

 

 僕らのほかに、散歩する人はいないようだった。きらきらと舞う木漏れ日、澄んだ鳥の声。ジョアンナの長い髪が揺れる。ときおり白いうなじが覗く。

 僕は勇気を出して、ジョアンナの手を取った。もう二度と会えないかもしれない。そう思うと、たまらなかった。

 一瞬の戸惑いが、掌越しに伝わってきた。だがジョアンナは、そのまま歩き続けた。そしてふいに振り返ると、まっすぐに僕を見て、言った。


「いつ、日本に戻るの?」

 帰りの便は、八日後に取ってある。延ばすわけにはいかなかった。日本に戻ったら、翌日から東京で行われる骨董フェアに店を出す予定だ。

 だけど戻りたくない。もう少し君と一緒にいたい。

 そう言おうとしたとき、僕の頬にジョアンナの唇が押し当てられた。それは瞬間の出来事だった。強くジョアンナの香水の甘い香りが押し寄せ、僕の全身に熱いものが走り抜けた。


「ジョアンナ――、僕は」


 もうジョアンナは走り出していた。

「待って、ねえ、ジョアンナ」

 ジョアンナは走るのが速かった。毎日ジョギングをしている、勝手知った道のせいかもしれない。

 

 待って、ジョアンナと、僕は何度も名前を呼びながら走った。走りながら、もっともっとジョアンナを知りたいと思う気持ちがあふれてきて、僕は胸が押しつぶされそうだった。

 そしてようやくジョアンナを捕まえることができたとき、フット・パスは途切れ、明るい日差しの下に出た。公園の入口だった。


「ノーマン・パークっていうのよ。私のお気に入りの場所」

 僕が瞬間驚いた表情をしたのを、ジョアンナは気づいただろうか。

 この公園の名前に、僕は聞き覚えがあった。ここはジョンが遺体で見つかった公園じゃないか。

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