第5話

 夜のオークションに仕事で向かい、僕は御伽の国から現実に引き戻された。

 オークション会場は、町はずれの、日本でいえば町内会館のような小さな建物だった。

 場所が場所だけに、競りに出す人も買う人も素人で、集まる品はほとんどがガラクタばかりだ。だが、そんな中に、思わぬ掘り出し物が隠れている場合がある。


 子供連れの若い夫婦や、ティカップを片手に仲間同士で談笑する老人たちで、会場はなごやかな雰囲気だった。

 僕は後ろから二番目の列の端に坐り、静かに競りが始まるのを待っていた。

 やがて時間になって、競りが始まった。番号を付けられた品が、壇上に立った競売人によってひとつひとつ競りにかけられていった。最後に付けられた品の番号は、365。


 ようやく半分まで来たとき、今夜の弛緩した会場の雰囲気に、競売人が冗談を言った。まして次の品が、明らかにガラクタが入っているとわかる段ボール箱だったから、会場の人々の笑いを誘った。

「ああ、誰か、持っててってくださいよ。私の今夜のビール代のために、お願いしますよ」

 競売人は段ボール箱の中身を、一つ一つ取り出して見せた。

「洒落たティ・カップが入っていたぞ。次は花瓶だ。私は好きだな、この花瓶。だって真っ黒、汚れが目立たない」

 会場がふたたび笑いの渦に巻き込まれた。競売人も本気で売る気はなさそうだ。

  

「本も入ってますよ。ルイスの町の歴史。ハイ・スクール時代に戻って勉強しようって人はいませんか」

 僕は手を挙げた。

「これは有難い。ミスター、名前をどうぞ」

 妙な外国人と思われたにちがいない。だが僕としては、競売人によって掲げられた歴史の本が、たった三ポンドで手に入るなら安いと思ったのだ。帰りの飛行機の中でひもとくのにちょうどいい。

 

 競りが終わってダンボール箱を開けてみたとき、意外なものを見つけることができた。それは第二次対戦後間もない頃のロンドン郊外の町、ブロムリーの写真集だった。

 そして、その中の写真の一枚に、知った顔を見つけたのだ。

一九四八年に撮られたカメラ・クラブのメンバーたちが、森の中でポーズを撮っていた。その中央に彼がいた。若き日のジョンがいたのだ!

 

 僕は嬉しい驚きに目を瞠って、写真の下の名前を確かめた。ジョンが若き日、写真を撮る趣味を持っていたとは知らなかったが、多趣味の人だったからそんなこともしていたのだろう。

 そしてそれ以上に僕を驚かしたのは、ジョンと同じ写真に、ジョアンナが写っていたことだった。いや、もちろんジョアンナ本人ではない。写真は五十年以上も前に写されたものなのだから。その人は他人の空似とはいえ、びっくりするほどよく似ていた。

 

 僕は宿に戻ると、すぐにルイーズに電話して、写真のことを話した。

 ルイーズによると、たしかにジョンはその頃ブロムリーというロンドン郊外の町に住み、カメラ・クラブに入っていたという。


 僕は翌日の午後、写真を見せにルイーズを訪ねることを約束した。午前中に行くと言わなかったのは、ルイーズに見せる前に見せたい相手がいたからだ。この写真は、もう一度会う口実になる。


 ジョアンナの電話番号を聞いておかなかったことが、悔やまれた。あまり褒められたやり方ではないが、朝いちばんにジョアンナの家を訪ねてみるしかない。

 僕は浮き立った気持ちで、ベッドに入った。

 


 翌朝、古本をデイ・パックに入れて、ローズマリーのおしゃべりに付き合うことなく、僕は宿を出た。

 いい天気だった。

 

 今、イギリスは一年のうちでいちばん美しい季節だ。通りの街路樹には花籠が吊り下げられ、たわわに植えられた色とりどりのパンジーが、朝露に輝いている。


 ジョアンナのいるタウンハウスに着き、呼び鈴を鳴らした。

 午前八時ちょっと過ぎ。迷惑至極だとは思ったが、彼女が出かけてしまっては連絡の方法がない。

 

 三度目の呼び鈴の音で、返事が返ってきた。眠そうな声だ。

 相手が僕だとわかると、ジョアンナは玄関のドアを細く開け、笑顔で迎えてくれた。用件を話すと、昼休みにアルバイト先のカード・ショップに行けば、いっしょにお昼が食べられるという。

 

 カード・ショップの場所を教えてもらい、僕はお昼まで時間を潰すことになった。

 ウキウキした気分で、僕はカフェが開く時間まで、町を歩いた。静かな町に朝の光が降り注いでいる。風が心地良かった。


 いったいこの気持ちはなんだろう。スキップとまではいかないが、僕の足運びは軽やかだった。

 

 まだ知り合ったばかりの相手じゃないか。しかもちょっと風変わりな女の子だ。


 ニューススタンドで新聞を買い、僕はカフェに入った。濃い紅茶にたっぷりとミルクを入れて飲みながら、時が過ぎるのを待った。字面を追いながら、ずっとジョアンナのことを考えていた。

 くるくるとよく動く目だった。小柄な体には、エネルギーが満ちているように見えた。

 新聞から顔をあげて、通りを行く人々を眺めた。学校へ行く子供たちや、ぼんやりと散歩する老人たちを見るともなしに眺めた。


 いっしょにお昼を食べる約束をしてくれた、ジョアンナ。嫌われてるわけじゃなさそうだ。

 そう思うと、楽しさがこみ上げてくる。

 

 教会の鐘が鳴り、時間がきたので、僕はジョアンナのアルバイト先へ向かった。観光ガイドにも載っている店だし、何度も店の前は通ったことがある。

 

 ウインドー越しに中を覗くと、レジの前で笑いながら客と話しているジョアンナの姿が見えた。今日は鮮やかなオレンジ色のTシャツにバミューダパンツを穿いている。髪は結ばず無造作な感じにたらし、昨日よりも、ずっと魅力的に見える。

 

 僕の姿に気づいたジョアンナが、あっと小さく口を開け、すぐに笑顔を向けてきた。そして店の奥のドアを開け、何か言うと、元気よく店の外へ出てきた。

 並んで歩きながら、お昼を食べる場所の相談になった。僕としては、すてきなレストランにでも行きたかったが、ジョアンナはあそこがいいわと言う。

 ジョアンナが指差す方を見ると、通りの信号機の横に小さな標識があり、矢印とともにジョン・エブリンの家と書いてある。

 その場所なら、僕も行ったことがあった。一六世紀の日記作家が子供の頃を過ごしたという家で、庭が一般に公開されている。観光客や散歩をする市民が、ちょっと立ち寄って休憩するにはいい場所だ。

 

 途中でハムと卵のサンドイッチを買い、僕らは公園へ向かった。日差しは柔らかで、丘から吹いてくる気持ちのいい風が、僕とジョアンナを包んでいる。

 先を歩くジョアンナが、振り返って、明るい声で言った。


「私に見せたいものって、なあに?」

 僕は言葉につまってしまった。明るい日差しの中でこちらを見つめるジョアンナを、本当にきれいだと思ったからだ。

 古びた写真集にあったそっくりさんも美人だったが、写真の人物の取り澄ました感じが、ジョアンナにはない。時代がちがうだけでなく、ジョアンナにはもっと素朴な生命力が感じられる。

「――どうしたの?」

 黙ってしまった僕に、ジョアンナが心配そうに言った。まさか君がすごくきれいだから見とれちゃったとは、言えない。

 そのとき、目的の庭の入口が見えてきた。

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