第4話

 ジョアンナの仲間たちの稽古場は、町のはずれにあった。

 

 今は使われていないという農業器具の倉庫の二階だ。夕方になって降り出した雨の音が、トタン屋根に当たってピタン、ピタンと聞こえた。がらんとした、板張りのスペースだった。

 

 僕とジョアンナは仲間たちより早く着き、みんながやって来るのをスチール製の椅子に腰掛けて待つことになった。

 ジョアンナはあまりしゃべらなかった。背を丸め、ぼんやりとしている。僕も寛ぐことはできなかった。すでにジョアンナが老婆に化けているせいで、隣に坐っていると妙な感じがする。

 

 やがて仲間たちがぽつりぽつりとやって来た。みんな老人である。達者な役者たちだ。もしこれが芝居の稽古だと聞いていなければ、僕は老人たちの集会に迷いこんだと思っただろう。

 

 驚きは、稽古が始まって更に増した。

 

 集まった役者は全部で八人。車座に椅子を並べて坐り、芝居が流れていく。

 白髪を頭の後ろでおだんごにし、ふわふわとしたベージュ色のワンピースにエプロンをつけたかわいらしい老婆が言った。

「――一九三九年の七月にはじまったドイツ軍の空襲で、わたくしの家も焼けてしまったんです。あれはひどい攻撃でしたわ。生きている心地はしませんでしたよ。はじめに納屋が燃え出しましてね。あっという間に母屋に飛び火して。それでもわたくしのところはまだよかったんです。小さい子供がいませんでしたからね。お隣のウェアリングさんのところなんか、まだよちよち歩きのぼうやがいたでしょう。――結局一家は亡くなってしまいました」


「あんたはべクスレイにいたんだったな」

 大柄な老人が彼女に顔を向けた。

「ええ、ロンドンから近かったから、ひどい目にあったんです。」

「ちょっと待ってちょうだい。あなたの記憶ちがいじゃないの? あたしも戦争中はべクスレイにいたんですよ。でもあそこはそんなにひどい空襲にはあわなかったはずよ」

 そのセリフが回ってきたのは、魔女を連想させるような、痩せて険しい表情をした老婆だった。

「いいえ、記憶ちがいなんかじゃないわ。あなたこそ、看護婦として北の病院にいたんでしょ。べクスレイのことは知らないはず」


 二人のちょっとした諍いは真剣そのものだが、これも芝居のうちらしい。


「ああ、もうどっちでもいいさ」

 大柄な老人が、杖をトンと床に打ち付けて、みんなの顔を見渡した。

「戦争中の辛かった思い出を話しても楽しくなんかならない。どうせなら、何か楽しい話をしようじゃないか」


 話題が変わって、僕はほっとした。第二次世界大戦の話は、敵国だった日本人の僕としては、この場にいるのは居心地が悪い。


 老人たちが黙ると、途端に雨の音が響き出した。

 誰かが咳払いをした。忙しく鼻をかむ者もいる。ふああと、あくびをしたのは、どの老人か。すべて、芝居の一環なのだろうか。老人たちといる錯覚が、ますますひどくなる。


「この前、わたしの刺繍したスカーフが、図書館のギャラリーで展示されたんですよ」

 そう言ったのは、僕からいちばん離れた席にいた、優しい感じの老婆だった。

「二ヶ月もかかって 仕上げたの。お庭の水仙をモチーフにしてね」

 みんながそれはすばらしいと賞賛をあびせ、それぞれが自分の趣味についての自慢話をはじめた。

 チェスの老人大会で勝った者、ダンスをしている者、絵を描く者。

 どの老人の話も興味深かった。誰もがそれぞれの人生でドラマを持っている。そのドラマが趣味の説明と重なり合うものだから、話に厚みがあるのだ。しかも彼らのドラマは、彼らが若かった頃の時代の空気も感じることができる。

 

 僕はオークションで物色するアンティークの数々を思い浮かべた。アンティークがなぜおもしろいか。

 古い造りや現代では手に入らない素材を有難がるだけではない。長い年月をかけ、様々な人々の手を渡ってきた歴史があるからこそ、楽しめるのだ。

 だから、アンティークは古ければ古いほど、値打ちが上がる。本当は、人間もそうなのかもしれない。

 

 いつのまにか時が過ぎ、夜のオークションに出かける時間になった。稽古を最後まで見届けて、若者に戻った彼らと話をしてみたいと思ったが、時間が足りなかった。

 ジョアンナにありがとうと耳打ちして、僕はそっと席を立ち、雨の中へ出た。


 振り返ると、古びた建物から彼らの声が聞こえてきた。まるで御伽の国から戻ってきたような、そんな気分になった。


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