涙に秘められた真実


「ファイエット……!?」


 此処は二階なのにどうやって。

 そう思ってファイエットを見たら、マントが木の葉まみれであることに気付いた。まさかと思い、ベランダの外を確かめる。窓の傍にある木の葉とファイエットの服についている木の葉は同じものだ。それに、丁度良く枝も伸びている。正面から来ても追い返されると思ったのか、それとも必死だったのか。

 小さなファイエットでも辿り着けてしまうなら、泥棒なんて入り放題じゃないの。あとで庭師に言って剪定してもらわないと。


「! え、エヴリーヌさま……っ」


 庭木のことはともかく、いまはファイエットだ。

 どういうわけかファイエットも目にあふれんばかりの涙を溜めていて、私は一先ず誰かに見られる前にとベランダで丸くなっているファイエットを部屋に招いた。

 すっかり日が落ちているとは言え、いつ何処で人の目があるかもわからないのだ。カーテンを閉めて、ファイエットをソファに座らせた。


「いったいどうして……あなたは、私の……」


 婚約者を奪った女じゃない。

 そう冷たく言えなかったのは、まだ何処かで彼女を信じていたから。だって原作でやっていたようなイジメは一つもしていなかった。それにアルベール様の心が離れた理由も、陰湿な女は自分に相応しくないってことだったはず。

 それなのに、なにも悪いことはしていないのに、アルベール様はファイエットへと乗り換えてしまった。理由があるならいい。段階を踏んで婚約解消して付き合うならいくらでも応援するのに、こんな前触れなく覚えの無い汚名を着せられるなんて。


「エヴリーヌさまに、ご相談したいことがあるんです……どうか、どうか……お話を聞いてください……」


 ファイエットは涙をぽろぽろ零しながら、一冊の日記帳を差し出した。何処にでもあるノートの表紙に、手書きで日記と書いただけの簡素なものだ。中のページが所々よれてしわになっているように見える。


「これは、あなたの日記? プライバシーの塊じゃない。私が読んでも良いの?」

「はい……っ、お願いします……」


 人の日記を読むなんてはしたないとは思うけれど、本人の希望なら仕方ない。

 表紙を開いて、古い日付から目を通していく。

 最初は、初めて店を持った不安と期待が綴られていて、私と出会ってからは何故か私とのことがメインなのかと思うほど書かれている。合間に勉強した内容のメモや、新商品が褒められてうれしいといった内容がちらほらある。攻略対象たちに誘われたときは僅かな動揺が見られて、私に対する深い謝罪と共に「それでも一緒にいられてうれしい」と、何故か私に向かって書かれている。

 そんな他愛ないことが綴られていく中、アルベール様に関する明らかな異変が見え始めたのは、三ヶ月ほど前からだ。


 ――――

 ○月○日

 今日は、エヴリーヌさまがご来店くださった。

 初めて一人で作ったオランジェットのチョコレートケーキを召し上がって、それは美しい笑顔を見せてくださったの。

 良い日になりそうだと思ったのに、時間をずらしてアルベールさまがいらした。

 わたしの手を取って、愛の言葉を囁いて、同じ口でエヴリーヌさまを罵る。

 やめて。聞きたくない。

 わたしの尊敬する方を汚さないで。


 ○月×日

 どうして?

 どうして婚約者がいる身で、他人に愛を囁けるの?

 わたしはセクシーで豪華なドレスなんかほしくない。

 ドレスならエヴリーヌさまがとっても可愛らしいものを贈ってくださったもの。

 わたしは大きな宝石がたくさんついたネックレスなんかほしくない。

 エヴリーヌさまがわたしの誕生日に誕生石がついたペンダントをくださったもの。

 永遠の愛を誓う指輪なんか贈らないで。

 それを贈るべきはわたしじゃないでしょう?

 やめて。やめて。

 大好きなエヴリーヌさまの婚約者を、気持ち悪いなんて思いたくないのに。


 △月□日

 もう贈り物をやめてほしいと言ったら、エヴリーヌさまがわたしをいじめたことにされてしまった。

 エヴリーヌさまが、わたしに断るよう脅したなんて。

 あり得ない。

 あのお優しい方を裏切っているのは、アルベールさまのほうじゃない。

 わたしのせいで、アルベールさまのエヴリーヌさまへの罵倒が悪化してしまった。

 わたしのせいで。


 ×月△日

 アルベールさまが、婚約破棄をするから、共に来いと仰った。

 なにを言っているの?

 わたしをからかっているの?

 それとも、わたしがエヴリーヌさまになれなれしくしすぎたから、引き離そうと、わざと嫌われるようなことを言っているの?

 教えてください、アルベールさま。

 わたしは一度でも、あなたに愛を返したことがありましたか?

 助けて。エヴリーヌさま。

 こんなこと、誰に相談すればいいの。

 わたしは、どうすれば。


 ×月●日

 もう耐えられない。

 ――――


 日記には、ファイエットの血を吐くような苦悩が書き記されていた。

 あるときから、アルベール様からの贈り物がなくなった。お茶に誘われることも、パーティで一緒になることも、顔を合わせる機会すらもなくなった。元から対外的な社交辞令ではあったけれど。

 その裏で、無理矢理ファイエットに言い寄っていたなんて。

 一瞬でもファイエットを疑った自分が恥ずかしい。彼女はずっとひとりで悩んで、苦しんでいたのに。


「……ごめんなさい、気付いてあげられなくて」


 ファイエットはふるふると首を振り、嗚咽を漏らした。

 ただでさえ小さい体が、更に小さくなっている。


「ごめんなさい……ごめんなさい、エヴリーヌさま……わたし、どうすればいいのかわからなくて……誓って、アルベールさまに言い寄ったりはしていません。ドレスや宝石をねだったりもしていません。わたしにはエヴリーヌさまに頂いた大切な宝物があるんですから……そんなこと……」

「わかっているわ。あなたがどれほど私との絆を大切にしてくれているかなんて……それなのに、どうしてこんなことになってしまったの……」


 声を殺して泣き続けるファイエットを抱きしめながら、私も少しだけ泣いた。

 泣いてなにかが解決するわけではない。わかっている。考えないと。

 一方的に婚約破棄をされたのは私で、原因は彼の浮気。これは私に非はないはず。訴えたら120%勝てる戦いだ。

 けれど、相手は私の家と並ぶ世界的ブランド。存在しない証拠を虚空から無理矢理ひり出してきて私を責めることくらい、平気でやってくれるだろう。何なら引き際を見誤って自棄になった挙げ句、ファイエットが自分に色目を使ってきたせいだなんて寝言を言い出しかねない。

 どうやら向こうはファイエットと愛し合っていると思っている。其処を何とか突くことは出来ないだろうか。


「ファイエット。私に考えがあるのだけれど……」


 私が涙声で呼びかけると、ファイエットは真珠のような涙を纏ったまん丸な瞳で、私をじっと見つめてきた。


「思い出すのも忌々しいでしょうけれど、今度のバレンタインコンテストについて、彼はなにか言っていなかったかしら」

「ええと……」


 ファイエットは暫く考えて、小さく「あっ」と声を上げた。


「アルベールさまが優勝したら、会見で婚約発表をすると……」


 ああ、やっぱり。

 これは、原作ゲームにもあったイベントだ。

 このゲームの区切りであり、最大のイベントでもあるバレンタインコンテストで、ヒロインは攻略対象と正式に結ばれる。其処から各キャラの専用ルートエピソードが始まるのだ。

 コンテスト作品はキャラクターによって様々で、アルベール様の場合は真実の愛というタイトルの、ヒロインとデザインが対になったチョコレートを発表する。其処でエヴリーヌは、ショコラティエールとして最もやってはいけないこと……ヒロインの作品を破壊する行為に出て、大衆の前で業界を追放されてしまう。

 前後のストーリーを見るに、ヒロインは意図して彼とおそろいにしたのではなく、アルベールがファイエットのキッチンを偵察して得た情報を元に作品を寄せていた。相談したならまだしも、盗み見て勝手に似せたものを真実の愛とは随分と図々しい。


「あの……最近、アルベールさまがわたしのお店を訪ねてくるんです。閉店後なのに裏口からきて、少しお話して帰られるんですけど……それがコンテストの練習をしているときなので、気になって……」


 まさかのバレバレとは恐れ入った。

 しかもファイエットは、話しているあいだもずっと震えて怯えている。

 それはそうだろう。好きでもない男が一方的に通い詰めてきて、挙げ句の果てには愛し合ってる前提で話をどんどん進めていくのだから。しかも、大事なコンテストで一方的に、大々的に、婚約発表をするとまで言っている。ファイエットのように強い後ろ盾のない庶民の娘にとって、それがどれほど恐ろしいことか、想像したことなどないのでしょうね。

 彼は、愚かにも心から愛し合っているつもりなのだから。


「偵察のつもりかしら。それならファイエット、練習はそのまま続けなさいな」

「えっ……」


 まん丸なファイエットの瞳が、更に丸くなった。

 私はやわらかく微笑んで見せ、それからわざと意地悪な微笑を作る。


「そして本物の練習は、私の個人キッチンをお使いなさい。彼はすっかり私の家には近付かなくなったもの。丁度いいわ」

「そんな、大事なコンテストなのに、ご迷惑をおかけするわけには……」

「大事なコンテストだからよ」


 ファイエットの丸い頬を撫でて、額にキスを送る。

 可哀想に、涙の痕が残ってしまっているじゃない。


「彼がそのつもりなら、私たちも相応の応えを用意して差し上げましょう?」


 そう言うと、暫くぽかんとしていたファイエットの目が、力強い光を帯びた。

 大好きなチョコレートの世界を、下らない浮気心なんかで穢されているのだもの。ファイエットだって黙っていられないはず。


「屈辱には屈辱を。侮辱には侮辱を。綺麗にお返しするのが筋ですわ」

「はい、エヴリーヌさま。わたし、がんばります」


 か弱く肩を震わせていた儚い小動物はもういない。

 ファイエットは私を抱き返し、私の胸に埋もれながら小声で何事かを呟いた。

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