真実の愛の形

 バレンタインコンテストは、そのためだけに作られた会場で行われる。

 世界中から一流のショコラティエとショコラティエールが集まり、技を競い合う。キッチンは半個室になっていて、他のキッチンを覗くことは出来ない。まあ、たとえオープンになっていたとしても皆自分の作業に手一杯で覗き見なんてしている余裕はないでしょうけれど。

 コンテストでは、味と見た目、そしてオリジナリティの三つの項目で審査される。当然、出題されたお題に沿っていることは前提として。

 今年のお題は『純愛』『ベリー』『オペラ』の三つ。つまり、純愛をテーマにしてベリーを使ったオペラを作る。それ以外の装飾や添えるチョコレートに関しては全て自由で、いつぞやには1.2mにも及ぶチョコレートアートをケーキに聳え立たせた人もいたらしい。確かに、インパクトは凄そう。

 開始の合図が会場中に鳴り響き、参加者が一斉にキッチンへと散っていく。

 私も助手であり執事でもあるジルベールと共にキッチンに着いた。ファイエットのキッチンには、練習の手伝いをさせていたメイドのアンリエットを送っている。


「此処からは、寸分の狂いも許されないわ」


 アルベール様への復讐心に意識を支配されてはいけない。

 ショコラティエールとして、雑念をチョコレートに練り込むのは御法度だもの。

 それはそれで、これはこれ。

 仕込みはしっかり済ませてあるのだから、あとは作り上げるのみ。

 開始前はアルベール様が私の材料や道具になにか嫌がらせをしてくるのではという不安はあったけれど、いくら彼でも其処まで愚かではなかったらしい。

 それとも、正々堂々勝負した上でも当然に勝てるつもりでいたのかも知れない。


 * * *


 制作は順調に進み、いよいよ発表のときがきた。

 上からプレゼントボックスを模した箱をかぶせたチョコレートが、審査台に並ぶ。アルベール様は自信満々な表情で、他の参加者もそれぞれ自信や期待を移した表情をしている。

 隣を見ればファイエットが不安そうな顔をして俯いていたので、小声で「しゃんとなさい」と囁いた。すぐ背筋が伸びたのを見るに、彼女もショコラティエールとして立派に成長してきているようだ。


『それでは審査を開始します!』


 マイク越しの声が高らかに宣言すると、会場中から歓声が上がった。

 会場の熱気は最高潮で、箱が開けられるのをいまかいまかと待ちわびている。

 発表はアルファベット順なので、アルベール様から始まりファイエットで終わる。ファイエットの一つ前が私だ。

 衆人環視の中、アルベール様の作品が発表された。

 彼はシナリオで何度も見た通り、ハートの片割れをオペラに乗せたチョコレートを作ったようだ。観客と審査員から「純愛なのに割れてるじゃないか」といった疑問の声が上がる。


『アルベール選手、これはいったいどういうことでしょうか?』

「純愛とは一人では生まれ得ないもの……つまり、愛の片割れが存在して初めて愛は純愛となるのです。その意味は間もなくわかるでしょう」


 そう言って、アルベール様はファイエットのほうへ視線をやった。けれど審査員と観客は、婚約者である私を見たと思ったようで。真っ直ぐ前を向いたまま一瞥すらも寄越さない私を見て、「本当に彼女に愛があるのか?」「さすが薔薇のソルベ姫だ。眉一つ動かさないじゃないか」と囁き合っている。

 まあ、ファイエットもアルベール様に見向きもしていないのだけれど。

 因みに元々のファイエットが作るはずだった片割れのハートは、ちゃんとオペラにふたつ添えて発表することになっていた。シナリオでは「心から愛する人と大好きなものを分け合うこと」を純愛と呼んでいて、攻略対象がそれを受け取ることでルート決定となる。つまりシナリオでもわりとアルベール様の一人芝居だったりする。

 更にバージル、シャルル、ダヴィドと発表が続き、観客席から感嘆の息が漏れたり黄色い声援が飛んできたりした。ダヴィドには親衛隊とやらがついてきていて、遠く二階席には横断幕まで垂れ下がっている。


 そうして遂に、私の番が回ってきた。

 箱が取り払われ、艶めくオペラにチョコレート細工が寄り添う作品が公開された。オペラの周囲には純白のコットンキャンディが配置され、まるで雲の中の城のよう。フランボワーズの花畑を隣に配置して、全体的に可愛らしさを押し出したデザインにしてあるからか、会場が若干どよめいている。


『エヴリーヌ選手、まず此方の作品の意図をお聞かせください。チョコレート以外のスイーツを作品にするとは、いったい……』

「まあ、おかしなことを仰るのですね。このコンテストは提示された三つのテーマを守っていれば、それ以外は自由であるはずですわ。金箔やアラザンが許されていて、何故コットンキャンディが許されないのかしら」

『そ、それは……失礼しました。では改めてテーマを……』


 にっこり笑って言ったら、何故か怯えられてしまった。

 普段ファイエットが懐いてくれているから失念していたけれど、いまの私って顔面-5℃の女なんだったわ。


「私にとっての純愛とは、雲を掴むようなものでしたの。皆様もご存知の通り、家が決めた婚約者がおり、家が決めた通りの人生を歩んで参りましたから。其処には私の意思はなく、心もありませんわ。ですので、私の愛は遠い雲の中にあるのです」


 観客席の反応はまちまちといったところ。上流階級が多く集まるコンテストだから「そんな決まり切ったことを」だとか「親が決めた婚約だって幸せになる人はいる。そうでないのは本人に問題があるんじゃないか」といった感じ。それは同意だわ。

 次いで、ファイエットの番になった。攻略対象の眼差しが、ファイエットの作品に注がれる。さすがはヒロイン。悪役令嬢が小賢しいイジメなんかしなくても、順調に多くの人から愛されるんじゃない。

 そういえば、仕込んだ部分以外の装飾はお互いに当日までのお楽しみにしようって話にしていたから、私も初めて見るのだったわ。

 いったいファイエットはなにを作ったのかしら。


 そう思って、彼女の作品を見――――そして、目を瞠った。


 美しい青薔薇の飴細工がオペラを華やかに彩る、洗練されたデザイン。高貴で凜とした青薔薇は作品のメインであるオペラに劣らぬ艶を放っていて、フランボワーズは青薔薇のドレスを飾る大粒の宝石のよう。飴細工からは冷たく冴え冴えとした印象を受けるけれど、何処かたおやかな優しさも感じられる。


『これは……薔薇の飴細工ですか?』

「はい。特別な青薔薇から採れる自然の着色料で色づけしました」


 ファイエットの作品が公開されると、会場が波打つようにざわめいた。

 特にアルベール様の顔は、驚愕に張り付いて青ざめてすらいる。私も、地獄めいたお父様の淑女教育がなければ似たような顔を晒していたかも知れない。


「飴細工を添えてはいけないルールはないはずですし、確か過去の作品にプレゼントボックスのリボンを模した赤い飴が添えられていたと記憶しています」

『確かに。1018年の、チャンピオン作品ですね。あれも素晴らしい作品でした。では、テーマのほうをどうぞ』

「はい。わたしの愛は、美しい花と共にあるのです。たった一輪でも真っ直ぐに咲く高貴で美しい青薔薇……田舎の道端に咲く野草でしかないわたしに、咲き方を教えてくださった無二の奇跡……その方に抱いた想いを形にしました」

『おお! これは熱烈ですね!』


 テーマを話し終えると、ファイエットは私に向き直った。


「エヴリーヌさま」

「……ええ、そうね」


 右手をさっと挙げると、会場の照明が落とされた。そして西側から差し込む橙色の光が、丁度作品群を照らし出す。

 最初こそ突然の暗闇に驚いていた参加者と観客たちだけれど、一人が「あっ!」と声を上げた。


「エヴリーヌ嬢とファイエット嬢の作品を見ろよ!」

「あれは……もしかして二人の女性? 影絵になっているわ!」

「まさかだけど、全部計算して作ったのか? あれを?」


 会場がざわめく中、照明が戻される。

 そして私は、審査員と観客に向かって口を開いた。


「純愛とは、一人では生まれ得ないもの。アルベール様がそう仰っていましたわね。一方的な愛の押しつけは、純愛などではなく単なる自己満足ですわ。互いに想い合う心があって、初めて愛は純愛たり得るのです。……そうでしょう?」


 微笑を浮かべて言うと、会場が静まりかえった。

 そして、


「ふざけるな! こんなもの……!!」


 アルベール様が作品台に大股で近付き、私の作品に添えられていた影絵の元であるチョコレート細工を叩き壊した。

 会場から悲鳴が上がる。誰かの「なんてことを!」という非難の叫びも聞こえる。ゲームでは悪役令嬢たる私に向けられた言葉と視線が、アルベール様に突き刺さる。方々から「あり得ない」「信じられない」「前から横暴な方だと思っていたけれど、此処までひどいなんて」と言った声が投げつけられる。

 罵倒されるだろうとは思っていたけれど、此処までのことをするなんて。

 仕掛けは見せたから構わないと言えば構わないのだけれど、少し勿体ない。あれはコンテストが終わったら試食として会場に配られるものでもあったから。

 なんて惜しんでいたら、今度はファイエットが駆けていって、自分の作品に添えたチョコレート細工を裏拳ビンタで叩き壊した。


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