ル・シュクル♡ショコラティエール~悪役令嬢は真実の愛を手に入れます♡

宵宮祀花

婚約破棄RTA

 ファイエットは、とても可愛らしい。

 ぱっちりとした大きな瞳はフランボワーズのような艶めくピンク色。ふわふわした長いくせ毛はコットンキャンディのよう。透き通った肌に、ほんのり淡紅に染まった丸い頬。小さな手指も華奢な体も、なにもかもが守りたくなる造型をしている。

 対して私ことエヴリーヌは、薔薇のソルベ姫と呼ばれるだけあって顔立ちが強い。ただ澄まして立っているだけで気温が五度下がるなんて言われたりもするくらいだ。銀のロングヘアも水色の瞳も、氷で出来ているかのよう。


 此処が前世で死ぬほど遊び倒しまくった育成系乙女ゲームアプリ『ル・シュクル♡ショコラティエール~とろける恋の魔法』の世界だと気付いたのは、七歳の誕生日に婚約者と顔合わせをしたときだった。

 このゲームは、新人ショコラティエールとしてイケメンたちと恋をしながら自分のお店を大きく立派にして行くというもので、ファイエットはゲームのヒロインだ。

 中世の貴族社会と現代社会が融合した世界観で、貴族は領地に自分のお店を持っているのが当然という設定。そして最も位が高いのはショコラティエで、バレンタインコンテストで優勝したショコラティエやショコラティエールは、一年間王家に作品を献上する権利を得る。

 世界の中心にチョコレートがあり、質のいいチョコレートを作る職人は王から叙勲されたり爵位を頂いたりもするほど。

 ヒロインは師匠である祖父から「一年間一人で店を持ち実践で修行をしてこい」と故郷を叩き出され、都会のど真ん中にある中古物件で店を開くことになる。ゲームの出だしにグダグダしないのはいいことだけど、あまりにスパルタ。


 攻略対象は、全部で四人。

 世界中で有名な高級チョコレートブランド『ル・ショコラロメオ』の跡取り息子で悪役令嬢の婚約者でもある、アルベール。底なしの自信家で、自分が世界の中心且つ頂点であると信じて疑わない俺様キャラ。

 ヒロインがショコラティエールを目指すきっかけとなったチョコレートの制作者で伝説のショコラティエの孫でもある、バージル。彼は、ショコラ・ショのように甘い顔立ちと柔らかな声で老若男女問わず多くのファンを抱えている。

 近年様々な大規模コンテストで賞を獲得している新進気鋭の若きショコラティエ、シャルル。クールな出で立ちと寡黙で生真面目な性格は主に年上からの評価が高く、高名なショコラティエにも目をかけられている。

 ヒロインと同じ製菓学校に通っていた先輩で、一足先にお手本のような成功を掴みメディアの注目も集めている、ダヴィド。軟派な性格で毎日違う女性とデートをしているけれど、不思議とまだ誰からも刺されていないプロのナンパ男。


 そして私は、ヒロインの前に立ちはだかるクソデカライバル店舗の令嬢……即ち、悪役令嬢というわけ。

 私は幼少期に転生を自覚してからというもの、経営のいろはを父に叩き込まれて、女社長として跡を継ぐためだけに生きて来た。家のための道具でしかない日々は心底キツくて、心がすり減っていくのを感じた。癒しなんかない。そんな暇はない。暇があるなら一つでも多くのことを学ばなければならなかったから。

 前世が全くの一般市民だった私にとって貴族の血を引く社長令嬢という立場は凄く重くて、逃げられるものなら逃げたいと思ったことすらあったけれど。当然、そんな甘えが許される世界じゃなく。

 こうしていると、エヴリーヌが歪んでしまったのもわからなくはない。ぽっと出の田舎娘が小さいながらも店を持って、イケメンたちにチヤホヤされているのを見れば自分の血反吐を吐くような努力と比べてしまうのも仕方ない。仕方ないんだけど……原作を思い返すとイジメの治安が終わってて、追放もまたやむなしではあると思う。本当に、イジメがテーマの少女漫画並みにひどかったから。


(やっぱり、此処でヒロインが現れるのね)


 十八歳になって店を任されるようになったと思ったら、隣の空家にファイエットが引っ越してきた。原作のシナリオ通り、師匠である祖父にスパルタ教育の一環として一人で店を経営して見せろと叩き出されて。


(それにしても画面越しじゃないファイエット、本当に可愛い……! 本当に生きて動いてる……目の前に生身の推しがいる……!!)


 初めて見たときは、妖精かなにかかと思った。あまりの愛らしさに、内心では推しアイドルを前にしたオタクみたいな挙動になっていた。表面上はお父様の教育の甲斐あって平静を保っていたけれど。お父様ありがとう。でもいつか殴る。

 次に見たときは、ハムスターの擬人化かと思った。くるくると良く動く姿は男じゃなくても可愛いと思うし、ずっと見ていられた。叶うならうちで飼いたいくらいだ。どうしてファイエットはハムスターじゃないのかしら。

 そして、いくら同年代のライバル店舗の令嬢だからってあんなイジメをするなんて信じられないと心底思った。少なくとも私には無理。

 だから私は、普通のライバルとして、同年代の経営者仲間として彼女と接した。

 建物自体が美術品みたいなフランス博物館風のうちの店と、シルバニアファミリーみたいな彼女の店が隣同士に建っているのは何だか不思議な感覚だったけれど、私は彼女の可愛らしさが反映された店が好きだったし、彼女もうちの店を憧れで目標だと言ってくれた。

 店を訪ねてくる攻略対象たちとも順調に親交を深めているみたいで、何度かデートイベントも発生した。何故かファイエットに誘われて、私もデートに同席することがあったけれど。あの子は明るく見えて異性関係となると控えめな性格みたいだから、男性と最初から二人きりになるのは緊張するのかも知れない。そう思うと、より応援したくなった。政略結婚しか許されていない私と違って、彼女には恋する自由があるもの。攻略対象の誰と結ばれても将来は輝かしいわ。

 友人として過ごしていたから、イジメなんてしたことも考えたこともなかったし、きっとこのまま上手くいく。


 そう思っていたのに。


「エヴリーヌ。君との婚約を白紙にしたい」


 ある日突然、婚約者のアルベール様に婚約破棄を突きつけられた。

 頭が真っ白になるってこういうことなんだ、ってぼんやり思っていたら彼の背後に見覚えのある人影があることに気付いた。


「ファイエット……まさか、アルベール様……」

「ああ……そうだ。俺はファイエットを愛してしまった。彼女の愛らしさに惹かれ、もう君のことは婚約者として考えられなくなったんだ。元より幼少期に両親が勝手に決めた婚約だし、俺の両親は優秀なショコラティエールであれば良いと言っている。ならば君でなくともいいだろう?」


 ファイエットのまん丸な瞳が、私をじっと見つめている。

 それってどういう感情? 勝者の余裕? それとも同情?


「俺の寵愛が得られないからと、見苦しい真似を散々してくれたな。ファイエットが泣いて震えながらお前にいじめられていると訴えてくれた」


 どういうこと……?

 私は誓っていじめなんてしていない。冷たい顔立ちや抑揚に欠ける物言いのせいで誤解されることはあったけれど、ファイエットとは身分に囚われず、平等な友達だと思っていたのに。……いや、心底そう思っていたのは私だけかも知れない。私は上の立場だからそう思えたけれど、ファイエットからすれば無理矢理無礼講を押しつけてくる上司のようなものだったのかも。


「前々から、演劇の悪役令嬢のような君が婚約者だというせいで息苦しかったんだ。それをファイエットの優しさが救ってくれた。薔薇のソルベ姫などと言われている、かわいげのない冷血女とはこれっきりだ」

「…………そう」


 私は気付いたら彼の前を立ち去っていて、部屋で一人泣いていた。

 彼女のことを友達だと思っていたのは私だけなんだろうか。金持ちで便利だから、それともアルベール様に近付きたいから傍にいただけなんだろうか。

 ベッドに潜り込んでずっとそんなことを考えていたら、窓のほうでコツンと小さな音がした。

 窓を見れば、いつの間にやらすっかり日が沈んでいた。私の心を表すかのような、昏い橙と紫がどろりと溶け合った空だ。


「なにかしら……?」


 小鳥でも迷い込んできたのかと思いながら、窓に近付く。すると其処には、臙脂のマントを羽織ったファイエットが蹲っていた。

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