第10話

 合掌する島崎に見送られて女子生徒の元へ行くと、彼女は絃一郎を廊下へと連れ出した。


 そこでは、行き交う同級生達に混ざり、彼女と同じ青いリボンをつけた女子生徒がもう一人待ち構えていた。


 その隣までやってくると、連れ出した女子生徒は明るい声でハキハキと名乗る。


「急に呼び出しちゃってごめんなさいね。私は二年F組の水谷みずたに清花さやか。声楽部の部長をやってるわ」

「て、寺方です……」


 部長。この人が。いや、声を聞いた瞬間に声楽部の人だろうとは思ったが、まさか部長だとは。


 水谷は、身をちぢこまらせて頭を下げる絃一郎を見て、「そんなに緊張しないでよ」と困ったように笑う。


 それから、待ち構えていたもう一人の肩をポンと叩くと


「こっちは高宮たかみや美優みゆう。この子も声楽部よ」


 と、簡単に紹介した。


 高宮と呼ばれた女子生徒は、にこやかな水谷とは対照的に、眉を寄せて腕を組んでいた。その目が絃一郎の肩ほどの高さにあるせいか、下からジッとにらみ上げる視線は突き刺さるように鋭い。


 外側に跳ねる癖のついた髪は肩ほどの長さで、後頭部には耳から上の髪で結ばれた小さなお団子が一つ。制服の袖口そでぐちからはピンク色のカーディガンがはみ出していて、親指の付け根までを隠していた。


 一歩下がったところにいた高宮は、水谷の方を一度チラリとうかがってから、絃一郎へ小さくうなずくような礼をする。そんな高宮に、絃一郎もおずおずと礼を返す。


 それを見届けた水谷は、柔らかな口調で話し始めた。


「永海から、君に伴奏を頼んだって話を聞いたの。だから、挨拶あいさつしておこうと思ってね」

「は、はぁ……」

「っていうのは建前で」

「えっ」


 水谷の顔が急に強張こわばったので、絃一郎は身構える。が、水谷はすぐに頬をゆるめて悩ましげに頭を抱えた。


「実は私達、永海に伴奏を断られたことがあるんだ」

「はっ、え?」

「この子なんか、三回組んで三回断られてる」

「い、言わないでよぉ! たにやん部長!」


 目を白黒させるの絃一郎の前で、カラカラと笑い飛ばす水谷。その背中を、顔を赤くした高宮が何度も叩く。


 そこで、はたと思い出す。


 伴奏を頼まれたあの日、永海は「そういう人には片っ端から頼んだけど、駄目だったんだよ」と言っていた。水谷も高宮も、そのうちの一人ということか。


 絃一郎は伴奏一曲でさえこんなに苦労しているのに、それを取っかえ引っかえだなんて。聞いた時には実感がかなかったが、これはもしかして、とんでもない話なのでは。


「そういう訳で、まぁ……永海が無茶苦茶な奴だってことは身に染みてるからさ。だから、君も永海に無茶言われてるんじゃないかって心配になってね。それが確認したくて声をかけたんだよ」


 そう言った水谷の背後から、高宮がひょっこりと顔を出す。


「アタシは、ながみんの新しい伴奏ちゃんがどんな子か、顔を見ておこうと思って!」

「は、はぁ……」


 品定めするかのように顔を覗き込まれて、絃一郎は咄嗟に一歩後ずさりした。


 そんな高宮に苦笑いしつつ、水谷が質問をする。


「寺方くん、何部?」

「箏曲部です」

「なら練習時間は問題無さそうね。ピアノの経験は?」

「小さい頃に習ってたくらいで。ほとんど初心者ですね」

「そうなの? 渡された譜面は弾けそう?」

「ってか、何の曲渡されたの~?」

「えっと、譜面の方は、練習すれば何とか。曲は『Caroカロ mioミオ benベン』です」

「あーね! じゃ、お試しって感じだ」


 曲名を聞いた途端、納得した様子でうなずく高宮。


 聞けば、『Caro mio ben』は声楽を習う人が最初に歌う入門曲だという。当然、永海もすでにマスターしている。


 永海は今、夏のコンクールや受験を見据みすえて別の曲の練習をしているため、それとは別の歌い慣れた曲で伴奏が出来るかどうか試しているのではないか、というのが高宮の考えだった。


 それを聞いた絃一郎は、少し気が楽になったような気がした。とはいえ、試されていると思うと肩の力は抜けないのだが。


「他に無茶言われたりはしてない?」

「大丈夫です。ありがとうございます」

「いいのいいの。こっちがお礼を言いたいくらいよ。永海の伴奏問題が解決するのは、声楽部にとっても嬉しいことだから」


 微笑む水谷の声には、苦労がにじみ出ている。


 その声色に、永海の扱いを垣間見かいまたような気がした。目に浮かんだのは、暴走列車のようにせまってくる永海の姿。声楽部でもきっとあんな調子なのだろう。


 質問は一通り済んだのか、どこかホッとした様子で水谷が「何か質問はある?」と首を傾げた。


 この一週間のことを思い返した絃一郎は、そういえば確認したいことがあったんだった、と口を開く。


「そもそも、声楽部の伴奏班って何なんですか? 正式に入部しなくていいとは言われるんですけど……」

「……永海から説明は?」

「と、特に何も」

「ったくもう、あいつは……」


 水谷が腰に手を当て、大きな溜め息を吐く。


「伴奏班は、そうねぇ……『声楽部のために伴奏をしてくれる人達の集まり』って思ってくれればいいかな」


 声楽部の伴奏は、声楽部員が担当することもあれば、F組のピアノを専門とする人に頼むこともある。そんな部内外の伴奏者をまとめた呼び名が「伴奏班」なのだそうだ。


 部内の一組織のような呼ばれ方だが、練習している曲や時期によって顔触かおぶれは変わるし、部外の人は合唱練習にしか顔を出さないことも多いのだという。


「割と自由にやってるのよ、伴奏班は。君みたいに専属ともなれば尚更なおさらね。あんまり声楽部のことは考えずに、永海の予定にだけ合わせてくれれば大丈夫」

「まっ、F組じゃない人は見たことないけどね!」


 そう言った高宮の額を、水谷の手刀がポンと小突く。


「こら美優みゆう、プレッシャーかけないの」

「だってぇ! ながみんの伴奏がこの子だなんて、やっぱり信じらんないんだもん!」


 額を仰々ぎょうぎょうしく両手で押さえた高宮は、疑いをこれでもかと込めた眼差しで絃一郎を見た。


「ねぇ、どうして伴奏頼まれたの?」

「ど、どうしてって言われても……」


 真っ正面からそうたずねられ、思わず視線を床へとらす。


 高宮が言うことはもっともだ。声楽のことも分からければピアノの経験も浅い素人に伴奏を頼むなんて、到底信じられないだろう。それも、あの永海が。絃一郎自身、永海の伴奏者に相応ふさわしくない自覚はある。


 にも関わらず頼まれた理由は、絃一郎にも分からなかった。どうしてと言われても説明のしようがない。


 いや、一応永海本人にも聞いてはいるのだが、得られた答えは「寺方くんの伴奏で歌いたいから」のみである。それで納得してくれるとは思えない。


 なので仕方なく、伴奏を頼まれるに至った経緯けいいをかいつまんで話すことにした。


 冬休みに一緒に年越しを過ごすことになって、寮母りょうぼに連れられて商店街に行って。


 そうして「一緒に子守唄を歌ってくれて」と言った途端とたん、二人は目を見開いた。


「えっ?! 何それ、激レアじゃん!」

「へぇ! ってことは、そこで君とならって思ったんだ」

「だね! ちょー不思議~」


 まだ最後まで話し終えていないのに、二人ともすっかりに落ちた様子だ。


 どういうことだろう。ただ一緒に歌ったというだけの話で、ここまで納得されるなんて。


 戸惑った絃一郎が口籠くちごもっていると、水谷が「これは声学部での暗黙の了解なんだけど」と前置きして言う。


「永海はね、誰かと一緒に歌うことを嫌ってるのよ」

「絶対に独唱しか歌わないの。意味分かんない! その伴奏だって渋々って感じだし」


 そう畳みかけた高宮は、顔をしかめて口を尖らせた。


「えっ? ……じゃあ、まさか、永海先輩が伴奏を断ってるのって」

「そうなの! 折角伴奏したのに『一緒に歌いたくない』って言われるんだよぉ!」

「まぁでも、そういう時の永海、声にハリが無いし顔色も最悪なんだよね。本当に辛いんだなって見てて分かるから、私達も無理強むりじいはしないんだけどさ」


 絃一郎は、ポカンと開けた口がふさがらなくなってしまった。


 永海が、誰かと一緒に歌うことを嫌っている?


 とても信じられなかった。


 この一週間見てきたのは、とにかく歌うことが好きでたまらない永海の姿だ。所構わず鼻歌を歌ったり、口ずさんだり、伴奏を弾くようせまってきたり。歌うことを嫌うような素振そぶりは一度も無かった。


 ……少なくとも、絃一郎の前では。


「だからね、永海の方から一緒に歌ってくれたってことは、君が伴奏として認められた証拠なんじゃないかな」

「そ、それだけで?」

「それだけで」


 呆然としたまま聞けば、水谷が力強く首を縦に振る。


 たかが、一緒に歌っただけだ。そうは思うが、水谷と高宮の話を聞く限り、それこそが信じられないことなのだろう。


 確かに、永海から伴奏を頼まれたのは一緒に子守唄を歌った直後だった。水谷の言う通り、一緒に歌うことが「伴奏として認められた証拠」ならば、そういう流れになったのも理解出来る。


 だが、もしそうだとしたら、伴奏者に選ばれた理由がますます分からなくなる。永海はどうして、一緒に歌いたいと思ってくれたのだろう。他の誰でもなく、絃一郎と。


 深まる疑問に絃一郎が首をひねっていると、その右腕を高宮がグイッと引っ張った。


「ねっ、ねっ、伴奏ちゃん! ちょっと歌ってみてよ!」

「えっ? う、歌っ……?」

「だって、ながみんが認めた歌だよ? 聞きたいじゃ~ん!」

「いっ、嫌ですよ! そんなこと言われたら余計歌えませんって!」


 一体何を言い出すんだ。声楽部の先輩を前にして歌うなんて、恥ずかしくて出来っこない。まして、こんなにハードルが上がっている状況でなんて。


 そう思って、キラキラと期待に輝く眼差しからどうにか逃げようと後退あとずさりするが、ねだるように腕を引き戻されて徒労に終わってしまう。


 助けを求めて頼もしそうな部長へ視線を送るが、水谷は和やかに口元をゆるめているだけだった。そんな微笑ましそうな目で見ないでほしい。


 あぁもう、永海といい高宮といい、声楽部はどうしてこうも押しの強い人達ばかりなんだ!


 そう内心で悲鳴を上げた時。


 ――キーンコーンカーンコーン……


 賑やかな声で溢れていた廊下に、それよりもさらに大きなチャイムが鳴り響いた。ホームルーム五分前の予鈴だ。


「おっと、そろそろ戻らなきゃ」

「ちぇっ」


 天井を見上げた水谷がそう言うと、高宮は不服そうに絃一郎の右腕を解放する。


 よ、良かった、助かった。


 気取けどられないよう静かに息を吐いて、戻ってきた右腕をさすりながら一歩後ろへ下がる。


 すると、追いかけるように高宮が身を乗り出してきて、絃一郎の目の前で仁王立ちした。どこか挑発的な笑みを浮かべた高宮は、鋭い目線で見上げながら絃一郎の顔を指差す。


「いーい、伴奏ちゃん! いくら認められたからって、アンタみたいなピアノ初心者、長続きするとは思えないんだから! 覚悟しときなさいよ!」

「美優~?」

「ふん、せいぜい頑張りなさい!」


 水谷がとがめるように名前を呼んだが、捨て台詞を残した高宮は見向きもせずに走っていってしまう。


 その背中を目で追った水谷は、やがて小さな溜め息を一つこぼすと、絃一郎に向かって手を振った。


「じゃあね、寺方くん。部員のみんなには私から話しておくから。困ったことがあったらいつでもおいで」

「はい、よろしくお願いします」


 水谷の言葉に、絃一郎は一礼を返す。


 そうして水谷は、高宮の後を追うように小走りで去っていった。

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