第5話

 背中を押したり、どちらが上手にげるか競ってみたり。

 そうやって三人でブランコ遊びに勤しんでいると。


「あぁっ! 悠くん!」


 突然、高い女性の叫び声が公園にこだました。


 鼓膜へ刺さった声に、絃一郎の肩が跳ねる。

 何事かと声のした方を見ると、商店街の人の波を押し退け、トレンチコート姿の女性が一心不乱に公園へとけてくるところだった。


「あっ! ママだ!」


 その女性が公園に足を踏み入れた途端とたん、悠也がブランコから降りて走っていく。そのまま女性めがけて真っ直ぐに突っ込んでいった悠也を、女性は両腕を広げて受け止めた。


 ぎゅっと抱き合う二人。

 女性の胸元にひたいを押しつけた悠也は、くっついてしまったかのように離れない。その後頭部を、女性の手のひらが何度も何度も撫でている。


 あぁ、彼女が悠也のお母さんだ。良かった、ここまで迎えに来てくれたのか。


 ホッと安堵の溜め息が出たところで、絃一郎はようやく気が付いた。


 母親の後ろから、沢山の買い物バッグを抱えた礼子がヨロヨロと歩いてきている。商店街を歩く人達とぶつかって揉みくちゃにされながらも、女性を追いかけてここまでやってきたようだった。


 目を点にする穗乃花に一言断ってから、絃一郎も礼子の元へと向かう。大丈夫ですか、と肩に食い込む買い物バッグを預かると、礼子は息も絶え絶えに事情を話してくれた。


 なんでも、礼子と悠也の母親はご近所付き合いがある友人で、ここへ向かう途中で真っ青になった母親を見かけて一緒に悠也を探していた、ということらしい。


 見つかって良かったわねぇ、と疲れを吹き飛ばす勢いで笑う礼子に、顔をくしゃくしゃにした母親が何度も頭を下げている。


 丁度そこへ、ベンチにあった二人分の買い物バッグを持った永海が遅れてやってきた。


 二人揃ったところで、こちらはうちに住んでる学生さんでね、と話す礼子。その言葉に合わせて、絃一郎達もペコリと挨拶をする。


 それから絃一郎は、悠也と一緒に遊んでいた経緯を話し始めた。


「公園に来たら悠也くんが一人でいて……話を聞いたら、お母さんとはぐれちゃったから公園に来て、穗乃花ちゃんって子と遊んでたみたいです」

「えっ?」


 目を丸くし、顔を上げる母親。その視線がキョロキョロと左右に動いて、辺りを気にし始める。

 が、絃一郎が話し終えるとすぐに我に返り、深々と頭を下げた。


「すみません。悠くんの面倒を見ていただいて、ありがとうございました」

「い、いえ」


 何度もお礼を言う女性に、絃一郎はかしこまるように手のひらを体の前で振る。

 すると、女性は恐る恐るといった様子でたずねた。


「それで、あの、ちょっとお聞きしたいんですけど。その一緒に遊んでいたっていう子は……?」

「あぁ、穗乃花ちゃんならそこに……あれ?」


 振り返って、背後のブランコを指差す。


 だが、そこには誰もいなかった。


 穗乃花は、二つあるブランコの左側に乗っていたはずだ。なのに、風に吹かれた座板が小さく揺れているだけで、そこには誰も乗っていなかった。

 それどころか、公園のどこにも穗乃花の姿がない。


 おかしいな。いつの間にいなくなったんだろう。


 さっきまでは確かにいたんですけど、と絃一郎が弁明するよりも早く、母親がえっと声を上げた。


「ほ、穗乃花ちゃんを見たんですか?!」

「えっ? えぇと、はい、さっきまで一緒にブランコで遊んでたんですけど……」


 腑に落ちない表情で公園を見渡し、頭の後ろを手ででながら答える。そんな絃一郎を見た母親は、大きく息を吐き出した胸を手で押さえ、みるみるうちに安堵あんどの表情になった。


 穗乃花に何かあるのだろうか、と不思議に思って尋ねると、母親は足元で手持ち無沙汰ぶさたにトレンチコートのすそを引っ張る悠也の頭を撫でながら話し始めた。


「実は、少し前から悠くんが『穗乃花ちゃんと遊んだ』と言うようになりまして」


 そう言うと、もう片方の手で口元を隠し、声をひそめる。


「でも、『穗乃花』なんて名前の子、保育園にはいないんです。ママ友に聞いても、悠くんの友達に聞いても、誰も見たことがないんです。そのせいで、最近は友達とも上手くいってないみたいで……」

「あらまぁ……何だかお化けみたいね」

「こっ、怖いこと言わないでくださいよぉ!」


 暢気のんきな礼子の言葉に、母親は怯えるように肩を縮こませた。


「うーん、でも確かに、一緒に遊んでましたよ。永海先輩も見てましたよね?」

「歌に夢中だったから見てない」

「え、えぇ……」


 そんな馬鹿な。と思ったが、半日ほどの短い付き合いでも分かる。この人なら有り得る。


 となると、穗乃花の姿を見たのは、悠也の他には絃一郎一人だけということか。


 そう考えていると、しきりにうなずきながら母親が言う。


「まさか幽霊なんじゃないとか、想像上の友達なのかなとか、あれこれ考えちゃって不安だったんですよ。けど、実際に遊んだ人がいるなら安心です。きっと近所に住んでるお子さんなんでしょうね」


 それを聞いた絃一郎も、なるほどな、と思った。近所に家があって公園と行き来している、と考えれば、突然現われたりいなくなったりするのにも納得がいく。

 この街に住んでいる子供みんなが同じ保育園に通っている訳ではないので、知らない子がいてもおかしくはないだろう。


 それから少しだけ待ってみたが、結局、穗乃花が姿を見せることはなかった。


 手を繋いで去って行く親子を見送り、絃一郎達も帰路につく。

 帰りの車では、公園での「伴奏者になって」「そんなこと言われても」という問答の続きをしたが、礼子さんが「仲良くなったねぇ!」と嬉しそうに笑うばかりで決着は着かなかった。




 その日の夜。


 晩ご飯を食べに食堂へ行くと、丁度礼子さんが皿を洗っているところだった。永海の姿はない。先に食べ終え、部屋に帰った後らしい。

 また「伴奏者になって」の嵐にったらどうしようか、と考えていたので、少しホッとしてしまう。


 キッチンから聞こえていた水の流れる音が止まり、カウンターの向こうから「今から蕎麦そばでるから、ちょっとだけ待っててね!」と礼子の元気な声がする。それにお礼を返し、絃一郎はテーブルの隅の席に座った。


 食堂のテレビは、音楽番組がつけっぱなしになっていた。白いビームライトが飛び交うステージの上で、派手な衣装を着たアイドル達がめまぐるしく動いている。


 頭の中で永海の頼みをどう断ろうか考えながら、視線だけはまぶしい画面にぼんやり合わせていると、どこからともなく鰹出汁かつおだしのいい匂いがした。と同時に、礼子に名前を呼ばれる。

 ハッと意識を引き戻された絃一郎がキッチンへ向かうと、カウンターの上にお盆が一つ置かれていた。


 綺麗な黄金色のつゆにネギや蒲鉾かまぼこを浮かべた温かな蕎麦。カリカリに揚げられた天ぷらとかき揚げが盛られた皿。


「もしかして、年越し蕎麦ですか?」

「そうよ! ちょっと早いけど」

「へへ、いいですね。いただきます!」

「どうぞ~」


 出来たての年越し蕎麦を受け取り、席に戻って食べ始める。


 しばらくすると、中断していた皿荒いを終えたらしい礼子が、キッチンからひょっこりと顔を出した。


「寺方くん、ちょっといいかしら?」

「? はい」


 絃一郎がはしを置くと、礼子が向かいの席に腰掛ける。


「永海くんのことなんだけどね。あの子、好きなことに熱中すると寝食を忘れちゃうタイプみたいなのよ」

「……想像出来ます」

「でしょ?」


 昼間のことを思い返して、絃一郎が深く首を縦に振る。その実感のこもった返事に、礼子は苦笑した。


「だからね、寺方くんの負担にならない範囲で構わないから、永海くんのこと気に掛けていてもらえないかしら? 本当なら、後輩のあなたに頼むべきではないんだけど……。永海くんの年越しが一人ぼっちじゃないってだけで、おばちゃん、とっても安心なのよ」


 寂しそうに話す礼子を見て、絃一郎は察してしまう。


 永海は去年も帰省せず、ただ一人、このおほり荘で年末年始を過ごしたのだ。


 想像しただけで、胸一杯に寂しさが広がるのを感じた。

 温かなご馳走ちそうが並んだ食卓を囲んだり、いつもに増して賑やかなテレビを見て笑い合ったり。年が明けて実家に帰れば、そんな家族が、そんな楽しい正月が絃一郎を待ってくれているだろう。

 だがもし一人で過ごすとなれば、そのどれもが無くなってしまう。


 永海は、一人でどんな年末年始を過ごしていたのだろうか。


 と、考えを巡らせてみるが、永海の寂しがっている姿は全く頭に浮かんでこなかった。

 そもそも、寂しさを感じることがあるのだろうか、あの人は。歌があればそれでいい、とか言って、所構わず鼻歌を歌っている姿の方がしっくりくる。


 やはり、永海のことを何も知らないんだな、と絃一郎はどこか自嘲じちょう気味に思った。


「……分かりました。俺なりに声かけてみます」

「本当? ありがとねぇ」


 うなずく絃一郎を見て、礼子の顔がほころぶ。


「まぁ……俺としても、永海先輩の頼みをちゃんと断らないとと思っているので……」

「あぁ! 帰りの車で言ってたやつね! 二人が仲良くなってくれて、おばちゃん嬉しいわぁ」

「い、いや、別に仲良くなってはないんですけど……」


 語尾をおどらせながら言う礼子に、あまり否定するのも悪いかと曖昧あいまいに首を傾げて誤魔化す。


 仲良くなったとはお世辞にも言えないだろう。永海の人となりも、伴奏者を頼んできた理由も、絃一郎には分からない。


 だからこそ、もう一度永海と話してみたい、と思ったのだ。

 ならばきっと、早い方がいい。あの先走りっぷりを放っておいたら大変なことになりそうだ。


 すると、礼子が陸上選手さらがらに両腕を振ってみせる。


「何かあった時は電話して頂戴ちょうだいね! 永海くんが駄々こねてる時とか。すぐ飛んでくるから!」

「あはは、ありがとうございます」


 そう言って笑いながら走る真似をする礼子は、呼んだら本当に走って駆けつけてくれそうな勢いだった。実際は、今日の買い出しで乗せてもらった軽自動車で来てくれるはずなのだが。そのギャップがおかしくて、絃一郎の頬も緩んでしまう。


 そうして年越し蕎麦を食べ終えた絃一郎は、手を振る礼子に「お粗末さま! それじゃあよいお年を!」と見送られて、食堂を後にした。

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