31 交流②


 エドガーの住居からは目と鼻の先にある巨大温室へは、二分と掛からずに着いた。厳重に施錠された鍵を開けるエドガーの後ろでは、その解錠音だけが響く暗闇で手持ちランタンをかかげ補助する以外に特にやれる事もないクラウスと王子は、そびええ立つガラスの建造物を見上げていた。


 「夜の温室なんて、いつ振りだろう…」

 「ふふ…幼い頃はよくお部屋を抜け出しては、この辺りでうずくまっておりましたな」


 クラウスの独り言のような呟きにエドガーが優しく言葉を付け足す。


 「あーあったね、そんな事も」

 「ワシからすれば、つい最近の事のようですよ」

 「あの頃の私は上手く抜け出し大人しく隠れたつもりでいたのに、何でエドガーが毎回すぐに駆け付けて見つけられるのか分からなかったんだ。ほんと済まなかったね」


 温室には、その巨体をすっぽり覆うような大陸一ともいえる魔道具での警備が展開されているが、当時子供だったクラウスはまだ知らなかったため、まさか自分が温室に近寄った事で寝ていたエドガーが、枕元でけたたましく鳴る警戒音によって毎回起こされていたとは知る由もなかった。

 後日、前当主である父に聞かされた時は、大変心苦しく思ったものである。


 「いえいえ、今となっては良い思い出ですよ。それに久し振りにあの頃を思い出して何やら良い心地です」


 そう言ったエドガーは幾重にも掛けられた鍵を開け終えたらしく、振り返ると解錠する間クラウスに預けていた灯りを受け取りながら王子を見つめる。


 「しかし、あの夜に初めて坊っちゃんをここで見つけた時と同じ寝間着とは奇遇ですな」


 感慨深げに小さく溢した言葉に促されるように、クラウスが王子に視線を移し、その姿をまじまじと見て『ああ…』と表情を変化させ思う。確かに今王子の着ている寝間着は、クラウスが六歳や七歳辺りに着ていた中のひとつだ。

 夜着や部屋着などは流石に成長による枚数もあるので、最初に部屋を抜け出した夜に着ていたものかは自分では分からないが、大人だったエドガーが言うのならそうなんだろう。

 不思議そうに大人二人を見上げる王子の頭を、自然とひと撫でしてクラウスが微笑む。


 「何でもない、懐かしい事を思い出しただけだよ。じゃあ中に入ろうか」

 

 建てられてから八十年以上経過しているとは思えない程に、手入れも行き届き劣化も見られない温室は、三代前の子爵夫人である当時の帝国王家の末姫がルラント家に輿入れする際に建てられた、数ある輿入れ道具のひとつで、目に見えるものとしては二番目に大きな物だ。

 ちなみに、一番大きな物は本邸宅である。婚約を交わす前の調査で『馬小屋のような屋敷』との報告を受けていた当時の帝国の皇帝は、婚約が決まるや否や王家が派遣した職人達に現在の本邸宅と庭、巨大温室(これは末姫に強請ねだられたらしい)を急ピッチで建て、婿の知らぬ間に帝国トップクラスの警備用魔道具を幾つか埋め込んだ。

 しかし建材や魔道具は最高峰ではあるものの、一年程で建て終わらせる計画だった事で、本邸宅の大きさ自体は平均的な貴族のカントリーハウスと比べると三分の一程度のもので、敷地の広大さからすれば建物自体の大きさは些細だろう。



 そんな過去の輿入れ道具である温室に立ち入った三人は、エドガーを先頭に中央にあるドーナツの穴の如く、くり貫かれた場所まで歩き、温室内と外を隔てているガラスの前で立ち止まって話していた。

 近くにあったアイアン製のガーデンテーブルへと、コツン!コツン!と軽くガーベラの根の部分をぶつけてから『ほらね?』と王子を見るクラウス。


 「本当かい?今まで散々手を替え品を替え試しても、ヒビすら入れられなかったんだよ?もし怪我でもしたら…」

 「出来る」

 「まあまあ、とりあえず『コレ』に関しては坊っちゃんの方が詳しいでしょうし、一旦お任せしてみましょう」

 「…そうだね、王子お願いできるかい?」


 言った後にガーベラを手渡す。実際はクラウスより長く生きているのかも知れないが、今目の前に居るのは子供である王子だ。怪我をしないかの心配や、子供に頼るしかない現状にモヤモヤした感情が表情にも現れてしまった。

 どうしても初めて対面した時の立ち上がるのにやっと慣れた頃で、歩くのも慎重そうな王子の姿が刷り込まれているのだろう。


 (これに関しては元気すぎるのと、嬉しいのとで王子の手を引きズンズン歩いてしまう我が子アデリナと引きずられてしまう王子の対比もあるな…)


 そんな事が頭を過っていたクラウスの目の前では、ガーベラを逆さにして好き放題に細長く延びている根っこの中から、一本を選ぶと五センチ程の場所からフワッと、音すらなく取り分けてみせた。


 柔らかい菓子でも割るような所作で力を入れた様子すら感じさせない瞬く間の出来事に、しっかり見つめていたはずの大人二人は何が起こったのかと一瞬呆けてしまった。


 「………あの?これ、今使いますか?」


 王子の方も自分が思ったよりも、すんなりと事が進んだらしく手の中の小さな水晶を一瞬見た後に、おもむろにクラウスとエドガーへ差し出した。

 その声でハッと現実に戻った大人二人は、魔道具の動力に組み込むべく若干いそいそとした様子で作業に取り掛かる。

 幾つになっても、普段とは違う不思議な空気の中の不思議な行いは少年心をくすぐるのか、ランタンの光の当たる範囲以外は真っ暗な夜の温室内での一連の作業は、年代は違えども三人共に表情や醸し出す雰囲気はワクワクとした高揚感を漂わせるものだった。



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