30 交流①


 クラウス達の帰宅の日に、そうやって改めて始まった小さな滞在者との日々は、特段トラブルもなく普段通りの平和なルラント家として進み、早いもので二週間が経とうとしていた。



 「本当かい?今まで散々手を替え品を替え試しても、ヒビすら入れられなかったんだよ?もし怪我でもしたら…」

 「出来る」

 「まあまあ、とりあえず『コレ』に関しては坊っちゃんの方が詳しいでしょうし、一旦お任せしてみましょう」

 「…そうだね、王子お願いできるかい?」


 頼みはしたものの、若干済まなそうな雰囲気をが垣間見えるクラウスに、それを打ち消す勢いで王子が力強く首を縦に振った。

 クラウスとエドガーそして王子の三人は、随分前に夕食も終わり子供は布団に入っていると思われる時間にも関わらず、本邸宅から距離のある灯りも灯っていない温室へと来ていた。



 事の発端は、就寝準備の為ベルタに伴われた王子が、アデリナの私室から廊下へと出てきた、ほんの三十分前に戻る。

 二週間前の話し合いで、クラウスがアデリナから贈られたガーベラの根の先を、王子用の警備魔道具の動力にする事で話はまとまった……と皆が思っていたが。

 話し合いの翌々日夜に届いた警備魔道具を、本邸から温室までの五百メートル近い距離を繋ぐ、細いレンガ道に沿って埋設まいせつ作業を素早く済ませたのち、いざ根の先を切り取ろうと金庫から取り出したガーベラは、見た目の儚さとは相反し想像以上に硬く様々な工具や道具を用いても、欠片どころか粉すら落ちてこなかったのだ。

 これでは魔道具の中に組み込めず、結果として動力不足になってしまうと判明し、再度頭を抱える事になったクラウスは取りえずは当初の予定通り水面下で水晶の購入を続けた。

 しかし、元々の出回っている【魔石】と呼ばれる水晶自体の数が多くない事で、入手出来た水晶のほとんどは良質なものではなかった。


 そうこうしている内に、あと二日もすれば本邸宅から温室まで続いている、一番大掛かりな警備用魔道具を動かしている水晶が切れる直前の夜。

 溜まりに溜まっていた仕事の終わりが連日の激務のお陰か、やっと見えてきた事で『今日は久々に早めに休むか…』と寝室へ向かうため廊下を歩いていたクラウス。

 そして同じく就寝するために、アデリナの部屋からベルタを伴い出てきた寝間着姿の王子にバッタリ出会った。


 「今晩は王子、夜に顔を合わせるなんて珍しい、いや初だね」


 普段から忙しいクラウスだったが、特別視察で不在にしていた間に積まれていた書類仕事に追われ、視察から戻ってから朝食以外は家族や王子と共にする事が出来ないでいた。


 「こんばんは…子爵様」

 「ふふっ、王子に『子爵様』と呼ばれるのは何だか違和感があるね。何か丁度良い呼び方があるといいのだけど…あ、ベルタ私が居るから、もう下がっていいよ。ご苦労様」


 王子の斜め後ろにいたベルタに声を掛け下がらせると、アデリナの部屋の斜め向かいに用意された王子専用の部屋へと、クラウス自ら王子を促すように、その小さな歩幅に合わせゆっくりと歩き始めたが、大人の足で十歩程度しかない目的の扉には直ぐに着く。


 「部屋の使い心地はどうだい?何か足りない物や欲しい物があったら周囲にいる大人に言うといい」


 扉を引き開けながら『どうぞ』とふわり笑むクラウスの側を通り、自室へと入った王子が二、三歩歩くとピタリと足を止めた。


 「?」


 どうしたんだろうと思いながら、静かに扉を閉じるクラウスが小さな後ろ姿を見ていると、やがてゆっくり振り返って無言で此方こちらを見上げる王子の視線とぶつかる。

 現在、王子と共に過ごす機会の多いベルタとメルからの報告では、アデリナが一緒にいる時はことほかよく話すという。そして滞在も日数が増える事により大人の前でも笑顔を見せる回数が多くなったというが、クラウスとは朝食の時間以外は接点がないのが現状である。


 (『周囲の大人』に私が入るのは時期尚早……かな)


 初めて顔を合わせた玄関先や、最初に共にした食事の席での緊張でいささか強張っていた王子の表情を思い出す。

 精霊王が姿を消した後は、アデリナ以外の人間がいると表情の変化や口数が多くない事に気付いたアンナが、滞在初日を丸ごと自由時間にして二人で過ごさせていたという。

 翌日にはアデリナの勉強にも大きな興味を示したらしく、共に学びさせていて、ここ最近では大人の前でも会話が増え気を許したような表情を見せる回数が増えたと、アンナが大層喜んでいた。


 「何か必要なものでも思い付いたのかな?もう一度ベルタを呼び寄せようか?」


 自身と視線の高さを合わせるように腰を落とし尋ねるクラウスに、首を振ってから更に食い入るように無言のまま見つめ返す王子。


 (何の観察だろうか……)


 自身への熱視線に内心苦笑いをしながら、口を開く事なくじっと不思議な時間を味わっていると。


 「……あの水晶の根…」


 二人きりで近い距離だからこそ聞き取れたであろう囁く声。


 「水晶?」


 コクン!


 「ガーベラの根の事かな?」


 コクン!


 「今なら、僕が割れます…。と思う……多分」


 最後の方は消え入りそうな弱い声だったが、思いも依らなかった言葉がクラウスの耳にはしっかりと届いた。


 「え?割れ、る?……根を割るって事かな?」


 コクン!


 「君が、って事?」


 コクン!


 「…あー……、そうかい。えー…っと」


 何やらしばし考え『よし!』と立ち上がったクラウスはおもむろに王子の手を繋いだ。


 「王子、取り敢えずエドガーを伴って温室へと向かおうと思うんだけど良いかな?眠くはないかい?」


 何なら明日でもいいけど…と言い掛けたクラウスの手をギュっと握り返し顔を上げる王子。


 「今で大丈夫。行きたいです」


 その返事を聞き、承知とばかりに動き出したクラウスの行動は早かった。

 王子を軽々と片腕で抱え部屋を出ると、そのまま急ぎ足で夫妻の寝室へと入って行った。王子を連れ現れた夫に驚くアンナへの説明もそこそこに、夫妻の個人的な物を保管している小型金庫を開いて、アデリナからの贈り物である布に包んだガーベラを王子に持ってもらうと、再びガーベラごと王子を抱きかかえ、次は裏庭近くにあるエドガーの家を目指し急いだ。



 コンコン!……………………コココンコンッ!



 最初のノックから、そう間を置かずに忙しなく二度目のノックを鳴らすクラウス。カーテンの隙間から漏れる室内の灯りから、この一軒家の住人が起きていそうなのは一目瞭然だったせいで、遠慮のないノックである。

 三秒と待たず、もう一度扉を叩こうと右手を上げたと同じくして扉が少し開き、その隙間から怪訝そうな顔のエドガーが見えた。


 「?…っ坊っちゃん!?」

 「その『坊っちゃん』はどっちの坊っちゃんかな?」


 クラウスは自身が抱えたままでいる王子をチラリと見てから、エドガーを馴れ合いを含んだ悪戯っぽい表情で見遣る。


 「いや、こんな時間に年寄りを驚かせないで下さいよ。寿命が縮まりますからね」


 クラウスの疑問をするりとかわすように、ガハハと笑いながら背を向け家の中へと二人を通すエドガー。


 「それにしても、時間もる事ながら何とも興味深い組み合わせですな」


 言いながら振り返って、クラウスと床に足をつけた王子を交互に見るエドガーは、何かに気が付き嬉しそうに目を細めた。


 「そうなんだ、急ぎ手を貸して貰いたい事が出来たん……、何だい?その顔は?」


 話しながら、微笑まし気に自分等を見るエドガーの顔に不思議に思いクラウスが言葉を止め首を傾げると『ああ、まあまあ、どうぞ続けて下さい』と先を促す。


 「……?うん、先々週設置してもらった温室までの魔道具の事なんだけどさ」

 「ええ、何か不具合でもありましたか?」

 「流石に帝国製の魔道具に、こんな短期間での不具合は起きっこないよ」


 笑いながら告げるクラウスの言葉に、納得顔のエドガーが続ける。


 「でしたら、不足している魔石に関しての事ですかの?こんな時間にワシの家まで坊っちゃんと来られるなんて」

 「そう!みなまで言わずとも理解してくれるのは有り難い。というわけで、じゃあ温室に行こうか」


 にっこりと笑うクラウスに仕方なしといったふうに、取るものも取りあえず温室へと向かう事になったエドガー。

 そして、冒頭の温室での会話に戻るのである。


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