29 目に映る内談という名の右往左往②


 長い間使われていなくとも、やはり貴族の屋敷とあって清掃や手入れは行き届きいており、音もなくなめらかに開いたガラスの扉を難なくくぐり抜ける。

 するとそこは重厚感ある調度品で揃えられ、紙とインクの匂いで充満した、邸宅全体の白を基調とした明るい印象のものとは真逆の部屋だった。


 一日の短い時間を大木の側や温室で過ごすこともあるが、それ以外は邸宅内にいる王子。

 そのほとんどの時間を二階にあるアデリナの部屋で共に過ごし、夜の就寝時はアデリナの部屋の向かいにある自身へ与えられた部屋で寝ている王子は、一階の個室に足を踏み入れた事がなかったため、その他とは全く異なる趣の室内を興味深く思い、まじまじと見入っていた。

 壁に掛かる絵画、飴色に輝く木製のキャビネットとそこに填められたガラスに見事な細工の取っ手……と食い入るように見つめる間にも、目の前の大きな人間達は扉の開閉を繰り返し忙しなく動いており、その人数はいつの間にか増えていた事に王子は顔を向けて初めて気付く。


 (人間とはひとつの事に気を取られるだけで、こんなにも他者の気配に鈍くなるものなのか…?それとも、この肉体にまだ慣れていないせいか?)


 キャビネットのガラスに映る自身を見て溜め息をいた。




 ◇ ◇ ◇ ◇



 クラウス達四人が、バルコニーから自身の執務室へ戻ってからの室内の状況はとても目粉めまぐるしく変化していた。


 「当主様?お嬢様と王子様をお迎えに向かい、何故この扉から現れたんでしょう?流石に驚きます…それに……何故庭師長が此処に?」

 「すまん急ぎだレナード。もどかしかったんだよ、行儀良く遠回りしているのが」


 言いながらもクラウスは、抱えていたアデリナを床へそっと着地させてから廊下に続く扉に向かい歩き振り向き様。


 「いいかい?皆はここで座って待っているんだよ」


 そう言い残して扉を閉じたかと思えば直ぐ様、同じフロアにある夫人執務室から連行される様に連れてこられた二人。

 何故連れられて来たのか分からない、といった顔のアンナとロベルトを伴ってクラウスが戻った数秒後には、魔道具で呼ばれたのか大慌てで駆けつけた様子のベルタとメルが入室してきた。

 庭から戻った四人以外と全員が、どうしてここに呼ばれたのか分からずに、不思議顔で頭の上に大きなハテナを浮かべているが、初めから部屋にいたレナードは、ドタバタ劇でも眺めている観客の面持ちで変わらず控えている。

 そんな中、アンナが庭師長のエドガーに気付き話しながら対面へと腰を下ろす。


 「エドガー?どうしたの?クラウスの執務室に貴方が居るなんて」

 「いえね、クラウス坊っちゃ…当主様に話す事があるから付いてくるようにと言われまして…」

 「そう…」


 対面に腰かけたまま被っていた帽子を手に取りながら、自分に向けて笑みを溢すエドガーの膝には大きな平ザルが乗っており、更にその上には熟した大量の赤い実が盛られている。


 (((((今度は何……?)))))


 果実を目にした五人全員の脳裏に同じ疑問がよぎり、落ち込んだ顔で母アンナを時折チラチラ見ているアデリナと果実の組み合わせとは心穏やかでは居られないな……と目を伏せた。





 「さて、皆が揃ったところで…」


 ローテーブルを中心に、対で置かれた三人掛けソファーのひとつには大きなザルを膝に乗せたままのエドガーが座り、その対面には王子とアンナがアデリナを中心に挟む形で座って、背凭せもたれのすぐ後ろにロベルト、ベルタ、メルが並び控えているの見渡し確認したクラウスは、スツールを置き腰掛け話し出した。


 「朝に受けた私が不在だった間の報告なんだけど」


 アンナを始めとする在宅組を、ゆっくりと一人ずつ見ながら話すが、やはり思い当たる事がないような顔で全員が首を傾げているさまに、クラウスは特大の溜め息をいて頭を抱える。


 「このゆるやかな家風…勿論、私は気に入っているよ」

 「そうね、私も大好きだわ」

 「…何に対しても動じない君の適応力も私は愛してやまないよ」

 「ありがとうクラウス、私も少し頼りないけど優しい貴方を愛しているわ」

 「でもね、アデリナのあの祈りというのは一体何なんだい?」

 「?………………」


 クラウスの問いにアンナは人差し指を顎に当て『はて?』と考え、控える側近達も視線を斜め上にして思い浮かべ、無音の時が数秒続く。


 「…あっ!!!!奥様!ガーベラの開花ですよ!」


 最初に思い至ったベルタがアンナへと告げ、在宅組が『あーー!』

と声を揃えた。まるで大昔の事かのように『あったね~そんな事』のノリで頷くのを見たクラウスは腑に落ちない顔をし、その側に立っているレナードはというと『やはりお嬢様案件か』と達観したような澄まし顔でチラリと、朝晩は肌寒くなってきた秋を迎える時期には不似合いの夏を旬としてる果実と、それを抱えるエドガーへと視線を移す。


 「この果実は何かお嬢様に関係しているのですか?温室に関しては庭師長が管理していると記憶しておりますが」

 「まあ、わしが温室で育てた木になっていた実ではあるの…」


 先程まで四人が居た裏庭の巨大温室は、ルラント家の中でも特別な場所であり、足を踏み入れられるのも子爵家の家族と側近達、珍しい食材を求めるために訪れる料理長に限られ、その広い温室内の管理と手入れも庭師長であるエドガーだけで行われている。

 しかし、一部を覗き殆どの果実が未熟だったのを完熟まで成長させたのは自分ではない。更に摩訶不思議な光景を見た直後とあって『どう話すべきかの?』主導権を渡すようにクラウスを見た。


 「この果実はさっき赤く熟して地面に落ちてきたものだよ」

 「…それは、普通の事では?」

 「いや、普通ではない。なあレナード私の目の前で緑色だったものが瞬く間に赤くなって落ちてきたんだ!それも果実のなる木の幹に張り付いたアデリナの掛け声でね、ボトボトボトッ!って一斉にだよ?それは普通かい?」


 その光景を思い浮かべた在宅組は『あ~~…』と、クラウスとレナードに伝え忘れていた事が、こんな形で伝わったかと項垂うなだれた。

 クラウドは優しく平穏を好みハプニングとは無縁でいたい繊細気質なところがある。

 家族や周囲の者への愛情も人一倍深いため、今までのアデリナによる不測の事態は、妻アンナの何て事なさげな笑顔と激励と誘導でどうにか乗りきって来れた。

 それに幸か不幸か、今まで起きた事柄は実際色濃く目に見えるものは少なく、アデリナの高熱によって連日不安にさらされた後の回復のもたらした極端な安堵状態では平時の心理状態とは違っていただろう。

 思い返せば、水晶が自宅にある事で外出に不安を抱えていた位だ、やっと安心して視察を済ませ帰宅した途端、そんな規模のものに前情報なく出会でくわした夫の胸中が手に取るように理解でき不憫な目で見るアンナだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 一通り温室での出来事をクラウスとエドガーから聞いたアンナは、隣に並んで座り俯いているアデリナを見るが、顔は見えなくとも、その姿はビクビクと戦々恐々なのが容易くうかがえる。

 

 「アデリナ、私とのお約束は何だったか覚えているかしら?」


 母の言葉に、一瞬気まずそうにしてから口を開く。


 「りょうしゅ、の祈りはやらない事…」

 「それから?」

 「お約束を破ったら?」

 「一ヶ月間お部屋から出ちゃだめです」

 「そうね」


 あの日、開花させてしまった直後にアンナとアデリナは側近達が全員集まるまでに、そんな約束事を交わしていた。

 そして、当のアデリナは自信満々に『私ねお約束しなくても大きくなって、とくべつしさつに行くまで、りょうしゅの祈りはやらないと思うな!』等と謎の自信を口にしていた。


 「お約束を破った事に関しては、後でお父様と話してから決めるわ、いいわね?」


 母の有無を言わせない眼力に、再びシュン…と縮こまり『はぁい…』と返事をするアデリナを見てアンナは軽い苦笑いと溜め息をいた。


 「それにしても美味しそう。本当に食べ頃なのね」

 「アンナ、そうじゃなくて…」

 「急いで熟させたのであれば、流石に生で口にするのは躊躇ためらいますね」

 「確かにそうねレナード、食べて中が酸っぱかったら困るわよね」

 「いや、そうじゃない…」

 「あーそれでしたら、ジャムにしたりと何か手を加えられるか料理長にでも聞いてみますかの?」


 目の前で次々に展開する日常的な会話に、クラウスが再度言葉を発し掛ける。


 「だから!そうで…はな、く?……アンナ?」


 話しているクラウスの膝にアンナが手を乗せ発言を止めると、そのままアンナは何かを考えるように黙り込む。室内にいる皆が固唾を飲んで…というほど重くもないが静かに見守っていると、やがて考えが整ったのかクラウスに向かって提案した。


 「料理長、呼びましょう直ぐに!」

 「えっ?ジャム?本当にジャムにするのかい?」

 「もう、なに言っているの。食べ物の前では大抵の人間は口が軽くなるものなのよ」


 その一言から執務室に新たに呼び寄せられた料理長は、先程の在宅組と同じような何故呼ばれたのか分からない怪訝そうな顔で、夫人専属執事のロベルトに伴われて入室してきた。


 「あら、エドガーじゃないか。あんたも呼ばれたのかい?」

 「呼ばれたというか、当主様のお話を聞くために付いてきたと言う方が正しいかの」


 年代の変わらぬ気安く話せる同僚がいる事に気付き、クラウスに促されるままエドガーの隣に座った調理長のセルマは、入室直後から気になっていたエドガーの抱えるザルの上で山と盛られた果実をしげしげと見ている。


 「料理長……いやセルマ、そしてエドガー二人に聞いてもらいたい事がいくつかあるんだ……」


 改まったクラウスの姿に姿勢を整えて向かい合う、使用人であり生まれる前からのクラウスを知っている年配の二人は、取り乱す様子もなくアデリナの妖精との出会いから、謎の病の期間と回復後の説明に併せ、数日前から子爵家に滞在するまでに至った王子の経緯、それから先程のアデリナによる【領主の祈り】の結果の赤い果実の話を、殆どの事柄を側で見てきたアンナが時に補足をしながら伝えた。


 「いや~、長く生きていると面白い事に出会でくわすもんですね!」

 「そうじゃろ!木から実が一斉に落ちてくる所は凄かったぞ」


 意を決した心持ちで切り出したクラウスとは違い、目の前の二人は騒ぐでもなく難なく受け入れた。


 「正式な雇用契約の際にメルへと話した時は、大人達がおかしな事を言い出したとでもいう風な目で見られたんだ」

 「まあ、うちの孫がそんな事を?」


 セルマはケラケラと気持ち良い豪快さで笑い飛ばしながらメルを見る。一頻ひとしきり笑い気が済んだのか、改めてクラウスを見つめた料理長のセルマは真面目に向き合う。


 「それで?こちらの王子様と顔を合わす機会も多く、ましてや今日の現場にいたエドガーと違って、接点もない厨房から私を呼び寄せたのは、どういうお考えが?」

 「それに関してはアンナに何やら思うところがあるみたいなんだ」


 クラウスの言葉を受けて、目の前のアンナがセルマへ当主夫人としての指示、というよりは協力に近い事を話し出した。


 「王子様をお預かりしてから、この三日間はアデリナの部屋と裏庭の奥、温室だけで過ごして使用人達の目に触れることもなく来れたわ。でも一ヶ月間もの短くない時間を誰一人不思議に思わないまま過ごせるとは思っていないの」

 「まあ、単純にお食事も一食増えるのですし……ああ!ここ数日、多めのお食事を指示されていたいたのは王子様の召し上がる分だったのですね。好みも様々でしたので、当主様もご不在の中どうしたのかと思っていたのですよ」

 「そうでしょう?王子様の食の好みも召し上がる量もまだ分からなくて模索中なのよ」

 「人間になりたて?でしたっけ?」


 言いながらアデリナの隣で、セルマをじっと観察するように見ている王子と視線がぶつかり、驚異の美しさを持つ妖精の王子とはいえ、幼いその様子に思わず笑みがこぼれた。


 「そうなの。まだ動くのもゆっくりなのだけど、どういうわけか裏庭の大木周辺や温室付近だと楽に動けるようよ。あちらを散歩した後は快適に邸宅内を歩いて回れるようだし」

 「あの大木は永くこの敷地にあるようですから、精霊様や妖精様には心地の良い何かがあるのでしょうね。で、奥様はこのセルマに何をお望みですか?」

 「うん、それなんだけどね。アデリナが温室でやらかす前に皆でも話し合って、その内徐々に使用人に向け此方で新たに作った王子様の設定を小出しにしようって決まった所だったのよ。妖精云々は伏せてね」

 「あー、はい理解できます」

 「あら、話が早くて助かるわ」


 そこからは女同士の疎通の早さか、気質が似通っているのかアンナとセルマの間でトントンと話は進んだ。

 ひと仕事済んで次の仕込みまでの時間をお喋りをして過ごす厨房の者や、休憩の時間に茶や菓子を求めやって来るメイド達の噂話を時にそれとなく都合の良い方向に誘導したり、主にどのような話がされているのかを聞き、その内容を怪しまれないように孫のメルを介してクラウスやアンナに伝える事になった。

 厨房によく顔を出すロベルトでは側近という立場上、気安い立ち話は出来ても女性特有の噂話までは踏み込めないので、料理長という位置にありつつもメイド達の母的な役割のセルマの協力は力強い。

 そして、その隣に座っているエドガーに視線を移すアンナ。


 「エドガー今まで何も聞かないでくれてありがとう」

 「いや珍しい光景も見れましたし、何よりお子様達と一緒に過ごせるのは楽しいですよ」


 王子の身の上をエドガーには伝えようかと迷いながらも、当主であるクラウスの帰宅を待つ事に決めていたアンナは、済まなそうな顔でエドガーに礼を言った。言われた方のエドガー本人は、まさかアンナが気後れしているとは思わず明るく笑う。

 そんな二人を見ていたクラウスが、もう一方の話を進めるべく閉じていた口を開く。


 「さて!今度こそ皆が正しく情報共有をしたところで、子供達と邸宅内の平和を守るために、新たな警備用魔道具を動かし続ける動力の確保の話をしようか」


 自身の周囲が平穏でいる事への労力を惜しまないどころか、守りを固める事に関しては、誰よりも先陣を切って颯爽と行動するクラウスは前のめりである。

 当初のアデリナがプレゼントしてくれたガーベラ《水晶》を丸ごと動力にすべく話を進めていたところ、今まで眺めているだけだった王子が、独り言のような小さな声で言葉を発した。


 「その根の先の欠片だけで、通常の水晶を山積みにする程の神聖力があるよ」


 その場にいる者達は、初めての【神聖力】という言葉と、山積みの水晶という比較例を耳した事で、この王子の身に起こった出来事もアデリナの育てた水晶ガーベラのせいかと、頭では分かっていた事とはいえ改めて心に落ち頭を抱えると同時に、しっかり王子を守り無事元の場所に帰そうと思うのだった。



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