27 当主と実り

 執務室を後にしたクラウスは足早に、アデリナと王子のいる裏庭東奥に位置する温室へと向かった。内心では一番使いたくない選択肢ではあるが、この短期間では十分に賄えない魔石の動力を、アデリナの育てた水晶で補充する可能性がある事を伝えなければならない。


 方々に手を回しても一、二週間程度で国に悟られずに集められる魔石は、必要量の半分か良くて六割だろう。


 現在、子爵家倉庫で厳重に保管されている魔石は、本邸宅や庭に幾つかある建物や使用人寮の棟、距離はあるものの一応子爵家敷地内という括りの私設騎士団も含む膨大な広さと人員で、日常的に消費するための帳簿にも記載された備蓄品である。

 

 自国の王城を越える強固な警備体制であるのを一切気取られずに丸一日二十四時間の大掛かりな警備、それが一ヶ月という長い期間稼働し続ける。

 最上位魔道具とそれを稼働させるための膨大な量になる魔石の準備……魔道具の方は手配から入手までを水面下で済ませる事に何ら不安はない。

 問題は他に類を見ない魔石の量と使い方の方……。もし必要数を集められたとしても、その量では自国からも隣の帝国からも警戒されてしまうだろう。辺境という立地の悩ましいところだ。

 しかし動力である魔石は余裕を持って確保しておきたい。足りなくなってから動くのでは手遅れになりかねない……。


 クラウスが、そんな事を考えながらも足を止めること無く五分ほど歩き続け、目的の場所に着き目の前の建造物をゆっくりと見上げた。

 その円柱形のガラスの建物は高さが七、八メートルといったところで、真上から見るとドーナツ状になっており中央はくり抜かれたように円くなっている。

 真ん中のそこには芝生が敷き詰められ、太陽に直接照らされると緑色の丸い絨毯がガラスの輪に囲まれているような作りになっているらしいが、今までもこれからも真上から見る事など無いので検証のしようもないし、何故こんな造りなのか理由すら知らない。

 大方、三代前の子爵夫人が思い付きで当時の隣国王である父親に無理を言ったのだろう。何はともあれ、目の前にそびえる温室と呼ぶには巨大過ぎる太陽光の反射で輝く建造物の扉を見上げた。




 ーーーキィィ…




 透明なガラス扉に手を掛けるとゆっくりと外側に引く。すると姿こそ確認出来ないが、遠くから楽し気なアデリナの声が耳に飛び込んできて、クラウスの頬が僅かに緩む。


 声のする方へ歩みを向けると直ぐに、樹木の間から庭師長であるエドガーの頭が見えてきた。子供達に何やら解説でもしている途中らしいが、クラウスの姿に気付くとお辞儀の体勢に移ろうとするためか、自然と被っていた帽子に手を掛ける仕草になったのを、クラウスは手を上げ首を振りそれを制止した。

 エドガーの方もクラウスが生まれる前から子爵邸に従事している身で長年の付き合いだ、いくつかのシワが刻まれた目元を更に深くし目元だけの笑みを浮かべると、何事もなかったようにアデリナと王子に向かい植物の説明を続ける。


 (エドガーの話が一段落つくまで座って待つとするか…)


 三人の姿を横目に、クラウスは一番近くにあるテーブルへと移動し、大人が複数は腰掛けられるであろうアイアン製のガーデンベンチに陣取り、子供達の様子を眺める事にした。


 (以前はカフェテーブルと一人掛け用の椅子だけがチラホラ点在していたはずだが、こんなにも快適に設えるほどアデリナの滞在時間が長いのだろうな)


 そう推測しながら、クラウス自身が最後にこの温室に足を踏み入れたのはアデリナが生まれる前だった事に気付き、誰に向けるわけでもない苦笑いを浮かべる。


 外気の秋の気持ち良い冷たさとは打って変わった適度な暖かさと、肘掛けに幾つも立て掛けるように並べられたクッションの柔らかさが子供のはしゃぐ声と共に実に心地良く感じられた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 「お父さま起きないね」

 「特別視察は体力も気力も大層要りますからの」


 いつの間にか温室内にいて、尚且つ気持ち良さそうに寝ていた父クラウスに気付いたアデリナが、ソファーの背もたれに掛かっていたブランケットでクラウスの身体を覆ってから、もうすぐ一時間近くになるだろうか。


 「エドガーはとくべつしさつ知ってるの?」


 先程いた場所から少し奥へと移動して、別の植物の説明を聞きながら『これは食べ頃ですぞ』と言われた熟れた小さな赤い実をもぎ、口に入れかけてたアデリナは、庭師長であるエドガーの思いがけない一言に手を止め目を爛々と輝かせた。


 「そうですな、若い頃には先代子爵様の特別視察に同行してた事もありましたよ」

 「おじいさまも、とくべつしさつしてたの?」

 「その代の当主様のお仕事ですからね」

 「!!!」


 祖父や目の前のエドガーが若かった事や、子爵邸の主が父以外であった事が想像だに出来ないであろう小さなアデリナの反応に、エドガーが愉快そうな笑い声を上げ、それを聞いていた王子は不思議そうな顔で訊ねた。


 「とくべつしさつ?」


 子爵邸に世話になり始めて数日。クラウスが帰ってくるまでの間、何度か耳にはしたが聞き慣れないその言葉よりも、やりなれない人間の生活に静かな混乱や学び、その受け入れを反芻していた王子。

 改めてこの静かな場所で聞いた言葉とアデリナの態度に少し興味が湧いてきた。



 「とくべつしさつはお父さまのおしごとなの。りょうしゅさまのいのりをするんだよ!」



 自分より大きな王子に何かを教えらえる子供らしい優越感からか、姉のような口調で王子へと説明をする。




 「大昔のルラント一族は土地の…そうですな‥‥土に住む精霊とでも言いましょうか、その精霊と共に仲良く暮らしてきたと伝えられています。同じように奥様の生家である隣の領地のご先祖様と一族は、石に住まう精霊の友として生きてきたのですよ」


 「へぇぇぇ!すごい!お父さまとお母さまのごせんぞさまは土と石の精霊さんとお友だちなんだね!それからそれから?」




 初めて聞いた新たな知識に嬉しそうにその先を促す。




 「このルラントでは種や苗木を植える前のまっさらな農地や、これから実りを迎え栄養を蓄える木々に、精霊の友である一族の長が精霊に今までの感謝とこれからの豊作を祈るんです。それこそ何代も何代も続く大切な当主のお仕事というわけですよ。不思議なことに祈りがあるのと無いのとでは確実に実りの差が出ます。長年この目で見てきたから間違いありません」



 「…すごぉーーい!それでそれで?お母さまのごせんぞさまは?石に祈るの?石が実る…の?かな?」



 感嘆の声を上げながら次に芽生えた好奇心の種を発芽させるベく掘り下げる。アデリナのそんな様子にエドガーはにこやかに『隣の領の事は奥様にお聞きになるのが良い』と答え、隣では王子が何やら思案中のようだ。



 「わかった、お母さまに聞いてみる」



 そう言って、先程食べ損なった赤い果実を一個二個…と口に入れては、もぐもぐと頬を動かしと飲み込む。



 「領主の祈り‥‥見てみたいな」


 手の中にある最後の実をポイッと口に入れながらも、王子の独り言に慌てて喉を鳴らし目を輝かせた。


 「ッ…ゴクンッ!!……私できるよ!」


 今日まで、これといって王子自身からやりたい事の要望がないまま、アデリナの提案に乗るだけだった。しかしここにきて初めて積極的な発言を聞いたアデリナは、その要望が自分で叶えられると喜び即座に大きな声で言い放つ。


 「「………」」


 突拍子もない事を言い出したアデリナに、王子とエドガーが似たような驚きの顔でアデリナを見ていた。


 「あのガーベラの花もお祈りしたら、ぱぁーーーってなったんだよ!」


 【あのガーベラ】を知らないエドガーと、知ってはいるがどういう状況だったのかを知らされていない王子が、互いの顔をチラリと見遣る。

 その表情にむぅぅ!っと、ひと膨れしたアデリナが『見てて!』と言わんばかりに、先程食べた木の実がなる低木果樹の前まで駆け出し、大きな幹を両手で包み叫んだ……といえば聞こえは良いが、その姿は『樹液を求めるカブトムシのようだ』と少し離れた場所で眺めていた王子とエドガーの二人が思い掛けたその時、アデリナの声が耳に届いた。


 「元気になーれ!」


 すると、熟れるにはまだ数日掛かりそうだった未熟の果実が赤々と変化し地面へひとつ、またひとつポトポトと落ち始め……。



 「アデリナ!!!」



 その思いも寄らなかった光景を、放心して立ち尽くしていたエドガーと王子は、ベンチで寝ていたであろうクラウスの慌てふためいた声でハッと我に返った。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 ーーーーパサッッ!




 僅かな身じろぎでタイルの床へと滑り落ちる布の感触と、そのかすれた音に自然と目が覚め、片腕を額にのせるとボーっと太陽光の透けるガラスの高い天井を見上げた。



 『……いつの間にか寝ていたのか。ブランケットを掛けられていた事にも気付かないとは、思っていたより疲れていたのかな不甲斐ない』



 自嘲気味に思いながら身を起こし、地面にある布をベンチの背もたれに掛けると、少し離れた位置のせいで細かな内容までは分からないが、アデリナのものと分かる声が聞こえる。

 耳をそばだてると、次に聞こえてきたのは更に一段階大きく興奮したような『すごぉーーい!それでそれで?お母さまのごせんぞさまは?石に祈るの?』という言葉だった。



 『エドガーが祈りの話でもしているのか』



 そう思いながら、当初の目的であったアデリナと魔石…ここでは水晶というべき物ついて話すべく、元気いっぱいで興奮気味である様子の娘達のいる場所へ徐々に近づいて行くと、話す内容がハッキリと耳に入ってくる。


 「私できるよ!」


 何やら自慢げにアピールしているらしい。


 「あのガーベラのお花もお祈りしたら、ぱぁーーーってなったんだよ!」


 ガーベラといってクラウスが思い浮かぶのは、視察に出る前にアデリナが毎日早朝からせっせと水をやっていた姿だった。今朝の朝食の時間にアデリナが直接手渡しでプレゼントしてくれた物だ。


 (…今回王子様が我が家に留まるきっかけや、そもそも精霊王がお見えになるといった事の発端はアデリナの育てた花が切っ掛けだったと言っていたな。アデリナのガーベラを精霊の王がいたくお気に召したとか……)



 早朝に自分の部屋で受けた報告を思い浮かべながら歩みを進め、アデリナ達まであと十数歩…という距離に見えた娘の顔は何やら納得いかないというような表情で、そのまま流れるようなアデリナの動きによってそれは起こったーーー。



 緑色の葉に混じり、そこかしこに点在する若く黄緑に近い色の果実が一斉に赤く染まって、地面へと引き寄せられるようポトポトと音を立て落下していく……それと同時に考えるより先にクラウスは娘の名を叫んでいた。


 「アデリナ!!!」

 「あ、お父さまー!起きたの?おはようございます」


 果樹に抱きつく形で両腕を伸ばしていたアデリナが、父の声に顔だけをこちらに向け、満面の笑みで目覚めの挨拶をして素早くクルッと身体を反転させた。

 すると笑顔だったアデリナの表情がみるみる困惑の色に変わり首を傾げ短い腕を組む。


 振り返ったアデリナの目の前に広がる光景は先程までとは明らかに違ったのだ。果樹の幹とアデリナを取り巻くように、落下した果実が絨毯のように敷き詰められた状態になり、一歩を踏み出すのも躊躇ためらわれたのだった。



 「お父さまぁ…どうしよう……?」



 元気な笑顔から困り顔へ…コロコロと変化すし、何とも情けない声でショボくれるアデリナと溜め息をくクラウスの顔を交互に見返したエドガーが、ゆっくりとしゃがんでアデリナへと続く通り道を作るように、ひとつ…またひとつ…と地面に落ちた果実を手早く拾い上げた。

 ある程度いっぱいになると、温室内で実った果実や落ち葉を一時的に確保する用途で使っている、そう大きくはない平ザルに置いていく。


 エドガーの前に居た王子も少し離れていたクラウスも、慌ててそれを真似るように続き、慣れない動作で実を摘まんではザルへ運ぶと、あっという間にアデリナの元にたどり着いた。


 「お父さま!」


 嬉しそうに勢い良く父に飛び付くアデリナの頭をクラウスが撫でる。


 「アデリナ今のは?私は初めて見たんだけど?」


 尋ねるクラウスに、アデリナは何かを思い出したようにハッとし明らかに気まずそうに目を逸らした。


 「その顔……もしかして何か約束事を破ったのかな?」


 図星を突かれたアデリナは、逸らしていた目をおずおずとクラウスに向け、消え入りそうな小さな声で『ごめんなさい』と謝った。

 先の報告の内容にこの事は無かった為、再度皆で詳細を確認しなくてはならない…と、居合わせてしまったエドガーにも一緒に来てもらうよう話し四人で急ぎ温室を後にした。



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