25 精霊の王様



 「………というわけなの」

 「は、はぁ……」


 つい数分前、腕の中でジタバタと動くアデリナを抱える最中さなか、長い銀の髪で横顔が隠れていた男がベルタの方に肩引くと、次第にその輪郭があらわになりだした。主であるアンナに頭を下げさせている不審な男の顔をしかと確認するべく、キッ!と視線を上げたベルタは、先のアンナ同様目にした人物の圧倒的な美しさと畏怖感、そして浮世離れした存在感に絶句し、そんな腕の中にアデリナを抱えかがんだ体勢のベルタの背後では、角度的に入室後すぐに男の全貌を目にしていたと思われるロベルトとメルも、身動みじろぎもせず目を見張っている状態だった。


 一瞬前の自身を見ているような得も言われぬ気分になったアンナは、即座につ端的にこれまでの状況とアデリナ回復の切っ掛けとなった精霊祭後の夢の説明をした。

 しかしアデリナの解熱に関わる夢など、ベルタもロベルトも初耳。更に精霊経典や神話に登場してくる『精霊王』の話まで出てくると、まるで神殿の説教や物語を聞かされている心持ちになって思考も鈍り、先程のような困惑混じりの返しをするのがやっとだった。

 しかし、メルだけは視線を床へと落とし、昨年まだ学生だった時の精霊祭の多く吹き付ける風に悩まされた記憶が、自分の中に薄っすらと浮かび上がり色付いていくのを感じていた。


 (何故あんなに不思議な事を今の今まで、すっかり忘れていたんだろう…)




 ◇ ◇ ◇ ◇




 「夫人、今日この屋敷に来た目的を話したい。そう立たれていては落ち着いて話も出来まい」

 「で、ですが……。…いえ、失礼いたします」


 戸惑いながらも腰掛けたアンナの姿から目線を外すことなく、悟られぬ程度の深呼吸を済ませ目の前のやり取りを眺めている内に、表面上は落ち着きを取り戻した装いが出来るまでになったベルタは、茶の用意のために軽い目礼の後に退室した。

 メルも理解に苦しいこの場の空気に居たたまれなかったのか、同じように頭を下げてから足早にベルタの後を追う。多分どう立ち回るのが正解なのか分からず、ベルタに助言でも仰ぐんだろう…と残されたロベルト自身は特にアンナからの指示もない室内で、普段より一層背筋を伸ばし座るアンナの近くに控えたまま、空気のように振る舞うことに徹した。


 「早速だが、今朝の娘の日記の内容を王子に聞いてな」

 「日記……でございますか?アデリナの?」

 「ひとつ余っておるのだろう?是非見せてもらいたいのだ」

 「ひとつ…でしょうか?」


 話の中心であろう当人のアデリナはアンナの隣に座り直し、今回ウルツが連れてきたらしい妖精と大人しく本を読んでいる。もちろん妖精の姿はアンナやロベルトには見えていないが。


 「今朝方、四つ咲いた水晶の花の内一つを父に一つを母に…そうしてもう一つをうちの王子に贈るとしたためていたそうだ」

 「……そうでしたか。私共では日記に記された中身を読む術もなく、他者に内容を知られる心配もありません故、日記に関しては自由にさせておりまして、記した事柄につきましても娘の発言でのちに知る事が多いのです。管理が不十分で申し訳ございません」


 軽めに頭を下げ礼の姿勢で答える。


 「いや自由にやってくれて良い。あれの影響で王子も楽しく過ごしているからな」


 アンナとしても謝ってはみたものの、管理などのアデリナの楽しみのひとつを制限したくはなかったので、精霊王の言葉に安堵した。そして、次いでとばかりに密かに気に掛かっていた事柄にも言及する事にしてみる。


 「精霊王様」

 「ウルツでよいと申したではないか」

 「で、では…ウル、ツ様、日記帳を娘に下さった【おーじ】とは『王子様』なのでしょうか?」

 「おお、そうだな。人間族の言う所の『妖精王子』となるのか』

 「やはり…そうなのですね。ご回答を頂き有り難くぞん…「夫人、もっと気楽に話してくれ。これでは聞いている私が疲れてしまう」


 ウルツは、さもげんなりしたという表情とポーズをとりながらアンナを見遣る。


 「……左様ですか…わかりました。できる限りご要望に沿えるように致します」

 「そうしてくれ余計な言い回しは好まん」

 「それでは、先程ウ…ルツ様の仰った今朝咲いた花なのですが、何か不都合でも御座いましたか?」

 「いや、王子が珍しく自慢げに見せてきた日記から、何やら気配を感じてな」

 「気配…ですか?」


 この短い時間にもウルツが度々口にする『気配』というワードにアンナが首を傾げると、側からアデリナが声を掛けてきた。


 「ねえ妖精の王さま!おーじは?いないの?ほかのみんなは?一緒じゃないの?」


 アデリナとしては、ごく当然の疑問を【黄色】と同じ呼び方を使い自然な言葉で投げかけたが、目の前のアンナからしたら気が気ではない。


 「あ、アデリナ!」


 娘の平常と変わらぬ物言いに、あたふたするアンナを前にカラカラと笑うウルツ。


 「良い良いそなたたちは、うちの子等が大層気に入っているようだ。そのままで良い……して娘あの子等に会いたいのか?」

 「うん!みんなにも会いたい」

 「今の時期は皆、自由に飛び回っているんだが」

 「おーじもみんなも、お父さまみたいにお留守なの?」

 「いや、王子は私の見える範囲に居たが、寝ていたから置いてきた」

 「おねぼう?」

 「そなたからの日記に喜んで飛び回った後、寝てしまったので置いてきたのだ」

 《どうせすぐに戻るから置いていこうって、ちょうど王さまの近くにいた私だけ付いてきたの》


 黄色い髪の妖精がウルツの言葉を補足するように話しながら、アンナの近くを楽しそうに軽やかに飛び回る。


 「そなた達への土産の荷を持つ役割と、娘の見知った顔があれば話も早かろうとな…その為に黄色を伴ったのだ」

 《置いていった事がバレたら、きっとおーじ怒るわね》

 「そうか?」

 《王さま、ほーんと鈍感》


 飛び回る範囲をアンナの周りから、部屋全体に広げ楽しげに過ごす黄色髪の妖精を見上げ眺めるアデリナ。

 そんな状態の執務室に、三人用の高価なティーセットと平常時のお茶の時間とは明らかに格の違う、最高級の菓子をワゴンに乗せてベルタとメルが戻ってきた。


 「ウルツ様、精霊様が人の口にするものを召し上がるのか分かりませんが、良ければお召し上がり下さいませ」

 「人間族の菓子か!久々だ。暫く見ぬ間に随分と色鮮やかな物になっているのだな、有り難く頂こう」


 ティーカップを傾け、少量のお茶と美しい菓子を口にしたウルツは、自身と対面する形で目の前のソファーにちょこんと座るアデリナに目を向け先程の話の続きをする。


 「娘」

 「アデリナだよ?」

 「アデリナ『です』でしょう?」

 「うん、わかった。アデリナです!王さま」

 「そうか、私はウルツだアデリナ。宜しくな」

 「はい!仲良くしようねウルツ様?」

 「あ、アデリナ!」

 「……アハハハハ!良いな!仲良くか。なら仲良しの記念に今朝方咲いた花、一つ余っているのなら私にくれぬか?」

 「お花?ガーベラのお花?」

 「そう、その花だ。くれるなら王子くらいなら今すぐ呼んでも構わぬぞ娘。他のは散らばっているからの、集めるのが面倒だ」

 「ほんと?!今日は黄色とおーじと遊べるの?ならガーベラあげる!あ、あと『娘』じゃなくてアデリナだってば!」

 「おおそうだったな、とにかく話はこれで整ったなアデリナ。夫人それで良いか?」

 「アデリナの物ですし、人の目に触れないのでしたら夫も私も気が楽になります。差し支えなければ前回の回収時まだ小さく、春後に育ち収穫した植物もお持ち帰り願えれば、こちらとしても幸いです」

 「そうか。有り難く貰い受けよう。聞いたか王子?」

 「っっ王様!アデリナに会いに行くなんて聞いていません。なぜ置いて行ったのですか?」


 ウルツの呼びかけと共に、ウルツとアデリナの間、テーブルの真上にポンっと現れた【おーじ】改め小さな王子が、透明な羽根を音もなくバタつかせ大層立腹した様子でウルツに抗議している。


 「わかった、わかった…お前の説教は後で聞く。ほら水晶を先にな」


 軽くあしらうようなウルツの態度に、毎度の振る舞いなのか慣れた様子の王子が、溜め息をき少しだけチラッとアデリナに視線を向けたのち、一瞬だけ姿を消す。

 そして秒で再び現れると、自身の身体より大きな水晶達を両腕いっぱいに抱えて空中に浮かんでいた。

 壁近くに立ち控えるベルタとメル、アンナのやや後ろに控えるロベルトは忽然と空中に現れた水晶の植物達に内心驚きながらも、前回の精霊祭で似たような経験もあったせいか、そこまでの動揺もなく素早く移動し、茶器や菓子を端へと寄せテーブル中央に広いスペースを確保した。

 それに合わせたように王子が自身の体は浮かせたままで、水晶のみをテーブルへそっと置く。


 「おお、これだこれだ間違いないこの気配。実際目の前にすると期待以上だな。嬉しい誤算だ」


 なにやらウキウキとした様子で、並べられた水晶の中から迷いない動きでウルツがガーベラを手に取ると、その花びらを花で占いをするが如く美しい所作で、その一枚を引き抜きおもむろに口に入れた。



 「「!!!」」


 ((食べた???))



 同じ部屋にいても【固い鉱物を口にする】というひとつの行動を見て生まれた衝撃や感情は、三者三様で全く違っていた。驚きに言葉を発せず目の前の成り行きを見つめるアンナと側近達…そしてーーー。


 「ウルツさま!食べちゃだめ!」


 水晶を口に入れた直後、いち早く動いたのはアデリナだった。気付いた時には、水晶のためにスペースを設けられたテーブルの上で膝立ちの体勢をとり、ウルツの頬を両手で包んで説教をし始めていたのだ。

 余計な雑念のないシンプルで単純明快な幼子ゆえの身軽さか、困った事に迷いが全くない。


 「ペってするの!おもちゃとか食べ物じゃないものは、お口に入れちゃダメなの!危ないでしょ?」


 あまりに予測不能な行動に、その場にいたアデリナ以外は人間も妖精も、思考や動作などは固まり凍りついた。


 が、それも数秒のことで……。妖精二人の方は直ぐに金縛りが解けたように辺りを浮遊し始めると、クスクスと可愛らしく笑い声を散らし始めた。

 あくまで可愛らしいのは笑い声だけで《王さま叱られてるー》等の、明らかにこの状況を面白がって揶揄する声が漏れ聞こえた。両頬を小さな両手で包まれているウルツが、冷ややかな流し目で王子と黄色を一瞥すると、その冷たい視線から逃げるように二人はそれぞれアンナの背後、アデリナの肩先へと素早く身を隠した。


 どうやら無理難題を吹っ掛けられるのと同様に、叱られるのも慣れている様子であり、ウルツの方も妖精のこの程度の失礼さは日常茶飯事らしく、それ以上気に止める事もなく再び目の前のアデリナに意識を戻す。

 その視線が動いた辺りでアンナも冷静さを取り戻し、ハッとテーブルに乗っかる娘の行動を止めようと手を伸ばしかけたが、目線はアデリナに固定したままのウルツが片手で軽くアンナを制した。


 「もしや、アデリナは私の身を案じたのか?」


 柔らかい声と目をアデリナに向けると、自身の頬に触れる小さな手の主を抱き上げ隣に座らせ語りかける。


 「これを食すのを見て驚かせたようだ」


 アデリナは隣に座るウルツを見上げ、『みをあんじる』は分からなかったが、続く優しげに語りかけられた言葉に大きくこくこくっ!と頷く。


 「私は水晶を好んで食すのだよ」

 「固いし、おなか痛くなるかもしれないよ?」

 「精霊の王だからな、大丈夫だ」

 「王さまは水晶食べても平気?」

 「精霊の王だけは食す事が出来るのだ。私が口にすると水飴のようにとろけるし何より私の力になる」

 「……えい、ようと一緒…?お野菜とかのお食事に入っているのと同じ?お母さまとベルタがいつも栄養のお話しをするの。水晶はウルツさまの栄養なの?」

 「そうだな。態々わざわざ物を食す必要もないが…まあ、あれば口にする機会もあるだろう、この茶や菓子のようにな。まあ人間族が加工した物を食する事などは最近では全くないが……しかし水晶はそれとは別だぞ。身体ではなく力の栄養みたいなものだ。稀だが水晶によっては思わぬ副産物もある」


 アデリナを持ち上げ座らせるために、一度テーブルに置いたガーベラを再度手にすると、葉をつまみ二枚三枚と口へと運んでアデリナに微笑みかけた。


 「特にアデリナ、そなたの育てたこの水晶は凄い。以前黄色が運んできた丸々とした水晶もそうそう目にしない上等のものだったが、この花は……そう、別格だ」


 目尻を下げ、気分良さげに二枚三枚と透明に透ける大きく育った葉っぱを口へと運ぶ。


 「べっかく?ってなぁに?」

 「別格とは、か。そうさな……」


 ウルツはアデリナの問いに言葉で答える代わりに、ウルツとアデリナの話の邪魔はせずとも、当然のようにアデリナ側にあるソファーの肘掛けにチョコンと座る王子へと無言で手を伸ばす。

 嫌な予感を感じた王子が逃げるより早く、その襟首を摘まみ上げたウルツは『フフン』と笑み、自身とアデリナの間にあるわずかな隙間に摘まんだ王子をポイっと落とした。


 突然つまみ上げられた直後やめてください!《離してください!》とジタバタ抗議らしき反応を見せた王子当人は、直ぐ様ソファーの上にポトンと落とされ、全く意図が読めず困惑した王子がウルツを見上げ、再び抗議をしようと口を開きかけたその時ーーー。


 《もう!王さ……》



 パシュンッッ!!!!



 何かが弾けるような、爽やかにも感じるが耳馴染みのない短い音に連動して、室内を覆い尽くす閃光が広がり全員が一斉に目を閉じた。




 凄まじい光が室内を覆ったのは時間にして一、二秒のごく短い時間。



 「う、うわっっ!!!」



 予期せぬ強い光に皆が目を固く閉じ、時間すら止まったかの如く静まり返った場の時間を再び動かしたのは、ここに居るはずのない幼い少年のような声。

 そう、アンナ達四人の大人には全く聞き覚えのない声だった。


 その声の出所を確かめようと閃光でぼやけた目を薄っすらと開けた先、徐々に視力を取り戻していくアンナ達の対面に、先程と変わらず座しているウルツとアデリナ……の間…そこには二人に挟まれて窮屈そうな見知らぬ少年の姿があった。


 二人の間にぎゅうぎゅうギチギチに固定されているが、狭さにまで気が回らないといった様子で、その手や目線は落ち着かず自身の身体を確かめるようにペタペタと忙しなく触っている。



 「おーじ!すごい!大きくなった!」



 アデリナの全開の笑顔と声から、大興奮なのがありありと窺い知れるのに加え、その言葉とこの状況で目の前のアンナとそのすぐ背後と側に控えているロベルトとベルタとメルは、この二年弱に身の回りで繰り広げられた事柄の耐性故か四人共に『ああ、この子が…』と理解と納得するのに長い時間は不要だったのは幸か不幸か…まあ不幸ではないのだろう。


 だが慣れとは恐ろしいもので、実感の湧かない夢物語のような出来事も、こう度重なると幼少期より大人である現在の方が、柔軟に受け入れられるようになっているのだから不思議だ。

 精霊の王と妖精の王子の見目も相まって、美しい登場人物達の物語でも観劇しているような、奇妙に非現実な心持ちの四人であった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 「おーじ!大きくなったねぇ!」



 突然、目の前に人間サイズとなって姿を現した王子を前に、まるで手品でも披露された観客さながら拍手と感嘆の言葉を送る暢気のんきとも大らかとも受け取れるアデリナのリアクション。

 それが正しい反応なのかは些か疑問もあるが、大喜びの声が静まり返っている執務室に響くと、それまで混乱気味に自身の身体に視線を向けながら髪や身体にペタペタと触れていた王子は、うつ向き加減だった顔を自身よりほんの少し目線の低いアデリナへと向けてから、じっと見つめる。


 好奇心なのか何なのかは知れないが、一目で見てとれる程に押さえきれないワクワク感を全身から発しているアデリナに、それまでの混乱は訳の分からない可笑しさへと変わっていき、小さくふふふっと笑いが漏れた。

 王子が笑顔を見せた事で、アデリナの方にも『えへへ…』と釣られた朗笑ろうしょうが出て楽しげな空気が広がった。


 互いに一頻り笑った事で、完全に落ち着きを取り戻した王子は澄ました表情を張り付け、上半身をクルッと捻り自身の右手に座るウルツを見上げ問う。



 「……で、王様これは一体どういうつもりなんですか?」


 見た目には笑顔を張り付けているが、アデリナに見せた笑顔とは違い口の端やこめかみがピクピク波打っている。薄桃色の唇から発する声は見た目の年齢より随分としっかり凛とし、穏やかで品良さげに見えるものの隣に座るウルツを冷たく責めているのは明白である。


「どう、とは?」

「なにも言わず急にこんな状態になったら、僕も周りも驚きますよね?!」

「相も変わらず、いたずらが好きなのは他のと大差ないクセに年々口煩くなるのは頂けないな。見ろアデリナは喜んでおるではないか」


 抗議を受けたウルツは、言われ慣れているのか真剣に受け止めてもいない様子なのに、その表面だけはやれやれ…とうんざりしたポーズをとり、テーブルの端に置かれたティーカップへと手を伸ばし、ゆっくり優雅にもう冷めかけているそれを傾ける。


 「姿形だけでも人間族になった気分はどうだ?滅多になれない貴重な事だ、楽しかろう?感謝してもいぞ」


 傾けたカップ越しに不敵な笑みをたたえるウルツ、このモードの時には幾ら言葉を尽くしても無駄である事を承知している王子は、やや呆れた顔と溜め息でそれ以上の抗議の言葉を押し留めた。


 あれこれと反応しても『何や、子が騒いでるな…』と面白がられるだけなのは心得ているし実際、アデリナと並び座している事に感じた事のない、言い知れぬ嬉しさが湧いているのも事実であった。

 その為、今の心情を見透かされているような、この状況は謎のむず痒さがあり戸惑っている。これも大人しく口を閉じた理由のひとつかもしれない。


 そんな王子の心を実際は知ってか知らずか、ウルツの関心は王子から茶を飲みながら目に付いた、アンナの付近を漂う黄色に向けられた。


 「黄色、そうそう力は残っていないがお前も一瞬程度なら王子のように出来るぞ、どうだ?」

 「王さまのおもちゃになるなんてやーだよ。アデリナ達は好きだから話はしたいけど人間族になるなんて御免」

 「そうか。つまらんな」

 「遊ぶならおーじだけにして」


 次のターゲットにされそうな黄色は拒否の言葉と共に、そそくさと再びアンナの背後に姿を隠す。知らぬ間に何度もたてにされているとは露ほども思わないアンナは、精霊王ウルツの独り言(アンナ達から見ればそう)には釣られぬままで、目の前に突如として現れた少年の姿をまじまじと見つめ続けていた。


 (見た目はアデリナよりふたつ…みっつ上かしら。こんなに美しい子は各国の王族にもまれでしょう。それに聖国で尊い精霊の使者とされる銀の髪……ウルツ様の白銀の髪とも少し違う印象ね。この容姿が人目にさらされたらどんな事になるのか)


 ここ十年余り、自国や周辺国で問題になっている貴族や富裕層の幼児誘拐事件がアンナの頭を微かによぎる。


 (精霊王様のお側にいる妖精さん達には要らぬ心配ね)


 表情には出さないまま浮かんだ懸念を心の中で自己完結して、目の前でにぎやかに繰り広げられる事柄に意識を戻す。


 「何ですって!?」

 「だから見誤ったと言ったのだ。聞こえなかったのか?」

 「ちゃんと聞こえています!そうじゃなくて、その見誤ったのがどういう事なのかと聞いているのです」


 一瞬意識を逸らしたアンナの前では、ウルツと王子による何やら不穏なやり取りがされていた。



 「ほんの数刻で解けるよう掛けたつもりが、まあわずかに見誤ったのだな。アデリナの水晶によって引き出された予測できぬ私の実力の為せる業というところか」


 自身の能力か存在か……はたまた両方共を、誇りに思いはすれど王子への罪悪感など欠片もうかがえないウルツの言葉と表情に、アンナ達は普段の二人の関係性を垣間見たようで憐憫れんびんの目を王子へと向けながら、まだまだ終わりそうにないやり取りに口を挟めるわけもなく静かに見守る。


 「数刻じゃないって、では僕が元に戻れるのはいつなんです?明日?それとも明後日でしょうか?」

「うーむ……そうさな……」


 王子からの問い掛けにゆるゆると答えながら、手にしていたカップを置いて、空いたその手で王子の頭をポンポンを軽く叩く。まるで幼子をあやす動作に見みえたが、触れたことで何かを得た様子のウルツが腕を組みしげしげと王子を見つめた。


 「私の力は実に凄まじいな、あの程度の動作でその身体から溢れる程とは。まあ力が多少薄まって元の姿に戻るのは……人間族のいうところ半月か、はたまたひと月というところだな。軽く掛けたつもりが私の力が強大すぎた結果か。実に興味深いな」


 そう答えたウルツはカラカラと満足げに笑うが、聞かされた王子の顔は段々と焦りの色へと変わっていく。それはウルツ以外の皆が難なく読み取れる程の顔色の悪さだ。


 「半月……ひと…月…?」


 「まあどちらにしろ一瞬ではないか。そう差はない、存分に楽しむと良い」

 「王様!」


 隣で暢気にティータイムを再開させようと、ウルツが新たに茶の注がれたカップへと伸ばそうとした腕を、王子が両手で制止するかの如くはばむ。



 「何故邪魔をするのだ?」


 首をかしげたウルツは本当にわからないといった様子で返す。いつもの飄々とした変わらぬ顔に、更に反論しようと王子がソファーから勢い良く立ち上がるが……。



 「!?」



 バランスを崩した小さな身体は大きく傾いた後、隣のウルツに支えられたまま両脇を持ち上げて再度着席する…という格好のつかない状態になった。


 「急に立ち上がるからだ。座していると気付きにくいが、人間族の身体は重かろう。生まれたてのさして強くないそなた等では、慣れるまで少々掛かるやもしれん。人の身体は傷付きやすく治りも容易たやすくないらしい……まあ気を付けよ。では夫人、主も不在であるし当初の目的であった水晶も貰い受ける事が出来、満足だ。私と黄色はこれで失礼するとしよう、茶のもてなしも感謝するぞ」

 「は?王様!僕への対処はど…う……」


 何事もなかったかのように、笑顔でアンナに退席の旨を伝えるウルツへ王子が驚きの声をあげる。


 「麗しい妖精の王に向かって『は?』とは何だ。嘆かわしい」


 困惑の表情の王子に向かい、大層傷ついたとでもいうように芝居掛かった手振り身振りで相手をする。


 「『は?』でも十分なくらいですよ。立ち上がるのも苦労する身で、どうやって帰るのですか?」

 「何を聞いていたのだ?『私と黄色は失礼する』と言ったろう。その前にしばらくその姿だと教えたのに何故なにゆえ、共に戻れる気でいるのだ?人間族で楽しく過ごすと良い」


 無駄に笑顔で、何て事ないように王子の頭を撫でてクスクスと告げるウルツとは対照的な王子の顔。ウルツの言葉が徐々に頭へと浸透していくのに従い、先程より更に顔色が悪化していく王子の様子は気の毒の一言に尽きるものだった。


 「その姿では森に立ち入るなどは叶わぬからな。まあ力が解ける頃に私が直々に迎えに来てやろう。人間族の間で精霊王は慈悲深いと誉れ高いらしいからのう」

 「ま、待って下さい!その間僕はどうすれば…いや、どう過ごすのか……」

 「そんな事、人間族になったことのない私が知るわけなかろう。とはいえ、半月やひと月等ほんの一瞬の事だしな、雨風がしのげる場で寝ていれば目覚める頃には元の姿に戻っている事だろう」


 ウルツの手が王子の頭上でポンポンとリズミカルに跳ねる。


 「雨風……」


 小声でウルツの言葉を反芻する王子…。


 「ああ!ほら、ここから見えるあれには立派な四阿あずまやが幾つも有るではないか。そこでの昼寝も気持ち良かろう、あの四阿の内一つを借り過ごせば良いのではないか?」


 名案とばかりに無邪気な笑顔で返すウルツだが、その場にいる大人達は何かが…いやほぼ全て根本的な考えが違っている気がしていた。

 今までウルツの対面で恐縮するのもあり、静観していたアンナだったが目の前のやり取りを眺めている内に、見た目や威圧感も依然いぜんとして感じるもののじつ、中身はポンコツなのでは…と不敬な考えが芽生え始めてもいた。

 それの考えも手伝い、口を開く事になったのは必然といえば必然と言えるだろう。


 「あの申し訳ありません、お話しされている最中ですが宜しいでしょうか?」

 「ああ勿論だ、何だ夫人?」


 隣り合って座る悲愴感に満ちた顔の王子と、清々しい表情で良い返事を返すウルツの対照的な様にこの場に立ち会ってしまった大人達は『また頭を抱える案件発生かな』と容易に察知するのである。




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