21 5歳精霊祭初日①

 精霊祭初日の朝ーー


 「お母さま全部お水あげたよー」

 「アデリナのお世話でみんな嬉しそうね」

 「えへへ」


 ルラント子爵夫妻の自室バルコニーでは、朝食前という朝早い時間に、簡単な身支度を済ませたらしいアンナが娘のアデリナに呼ばれ顔を出す。

 限られた七人以外の立入制限にあわせ、外部からの認識阻害なども施された、ファミリーフロアで一番広い面積を持つバルコニーのすみには、邸宅内では異質と言っても程に多種多様な種類と数の鉢植えが、一目見で鉢の数が分かり管理しやすいよう、コンパクトに所狭しと並べられている。


 約二ヶ月前から家族揃っての朝食前に、こちらで朝の水やりをするというのが、アデリナの新たな予定として組み込まれていた。

 この水やりも初めは現在よりもずっと早い時間に行われ、両親共に付き添い集中して見守っているような多少気疲れするようなものだった。

 しかし、手配した魔導具が隣国から次々に届き保護具合が強化されたり安全性が増したり、世話の回数を重ねていくなかで徐々にその役割は自然と母アンナが担うようになり、その時間も朝食の始まる時間を後にずらして無理のない七時からとなった。

 その間、少しずつ増えていった鉢の数も大小合わせると、今ではアデリナの両手足の指では数えきれない位にまで増えて、朝食が始まるまでの三十分という限られた時間で水やりを終えるのもひと苦労だ。


 「あら、お野菜は見た目にはもう食べ頃のようね」


 そういってアンナは、土から頭半分を覗かせる丸々とした小さなの根菜の長い葉部分をヒョイとつまみ上げた。


 「まあ、食すには不向きでしょうけど……」


 手乗りサイズの丸々とした根や、十センチ以上にすくすく大きく伸び育った葉も、姿形は根菜のラディッシュのようだが、その素材は余す所なくクリスタル製である。

 どう考えても食べることなど出来ないであろう、採れたて野菜を指で摘まんだまま目の高さまで上げると、誰に言うわけでもない言葉が思わず口から零れ……「っっ!!!」その瞬間アンナの手にしていた植物を中心とするように、つむじ風が吹き始め、その風は徐々に強く大きくなった。


 「っ!?」


 この植木鉢のある一角には、万が一にも植物が飛ばされたりしないよう、強風を軽減する魔導具が設置されている事を把握しているアンナは急いでアデリナを抱き締め身をかがめながら、植物を持つ手にも無意識に力が入る。

 そうして……数秒の短い時間を息を殺すようにうずくまり留まっていると、アンナは自身の手の中にあった丸い植物がフッと消えなくなるのを感じ、アデリナを抱え固く閉じていた目を反射的に開いた。


 「お母さま、みんなが来てくれた!」


 アンナの腕の中で、守られるよう抱かれていたアデリナが顔を上げて、喜色満面溢れんばかりの様子で母へと告げる。その言葉で見上げるバルコニーには目を閉じる前とは何かが違っており、説明の難しい涼しげな澄んだ空気とでもいうのか、 軽い空気のような何かで満ちているように感じられた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 母の腕に抱き締められた視界の端に、今日までの一年再会を待ちわびていた者達の気配を察したアデリナの行動は素早かった。

 アデリナの言葉を聞き僅かに力の緩んだアンナの腕の中からスルリと抜け出し、細い髪を揺らしピョンピョン跳ねながらブンブン!と音が聞こえてきそうな程にめいいっぱい両腕を振った。


 「みんな!いらっしゃい!」


 さっきまでアンナが手にしていた野菜の丸っこい根の部分を両手で胸に抱え、アデリナの目の前を浮遊する黄色い髪の妖精。その一体の妖精を皮切りに、何もない空間から次々に小さな妖精達が姿を現しだす。

 去年と変わらない五体の妖精達が、それこそ昨年と変わらずアデリナとアンナの周りをひらひらと踊るように楽しげに浮遊する。


 《アデリナ!これ、もらってもいい?》


 再会の言葉もなく、まるで去年の庭遊びが昨日のことのような物言いで、野菜を抱え浮いている黄色い髪の妖精の振る舞いに、アデリナは何故か可笑しくなり笑顔になる。


 「それは、お母さまに聞かないとわからないよ」


 返答を返しながら宙に浮く物体と凝視している母を見た。


 「アデリナ?」

 《じゃあ聞いてちょうだい》


 アンナと黄髪の妖精の声が、ほぼ同時に重なって聞こえる。水晶の植物をバルコニーから持ち出すことは、両親に厳重に禁止されているので、少しためらい隣にいる母アンナをチラリと見上げて言い淀む。


 「どうしたの?アデリナのお…友達……?が遊びに来てくれたのよ、ね?」


 突然手元から物が消えた不可思議な現象に驚きはしたものの、娘が見せる不安げな表情を気に掛ける意識の方が上回り、幾分か落ち着きを取り戻し尋ねた。


 「あのね、黄色がこのお野菜が欲しいんだって」

 「…へ?お野…さ…い?」


 アデリナの指差す何もない空間を見つめ、うっかり間の抜けた声が出てしまう。妖精の持つ野菜はアンナの目には映っていないのだ。


 《この人がアデリナの日記によく出てくる【アデリナの大好きなお母さま】だね?たくさん出てくるから覚えたよ》


 他の妖精達とアデリナの周りを観察するように浮遊し、眺めていた【おーじ】がアデリナの目の前に移動しながらアンナを見つめる。その周りでは、他の妖精達が《おかーさまー》《おかさまー!》などと口々におーじの言葉尻を拾い飛び交っている。


 《ねえ、それじゃあさ、手を出してって伝えてみてよ》

 「て…?手?……お母さま手を出してみてだって」

 「っえ?て、手?…こう、かしら?」


 言葉を受け考えるより思わず、というようにアンナが両手のひらを上に向け出した途端、先程消えてしまったはずの野菜の僅かな重量とひんやりとした水晶の硬さが手の中に再び戻ってきた。


 「ふ、ふぁっ?!」


 アンナは自分の手の上に突如として現れた物から目が離せず、何度も目をパチパチと瞬きさせながら、確認作業でもするかのように食い入るように見続けている。


 《あはは!アデリナの【お母さま】はアデリナにそっくりだね》

 《ほんとだ!びっくりした顔が同じだよね。あははは!》

 《私達を初めて見た時のアデリナと同じだわ》

 《うんうん、同じー》

 「お母さまと同じはうれしいけど、なんか違うのー!」

 《もうっ!おーじったら!これは貰っていくの!勝手に返さないでよ》


 4人の妖精が笑い転げ揶揄からかうような物言いに、アデリナが腑に落ちない表情で腕を組み仁王立ちしている中、黄髪の妖精が透き通る羽を忙しなくバタつかせ、アンナの手の上の植物を《よいしょ》と持ち上げながら抗議する。


 「ア、アデリナ!」


 観察中の物体が徐々に宙に浮き上がっていくさまに、身じろぎも出来ず声だけでアデリナを呼ぶアンナ。


 「お母さま黄色いのがね、そのお野菜が欲しいって言ってるの。もう黄色ー!まだ聞いていないのに持って行っちゃダメでしょう?」


 『やれやれ全く困った子だわ』とばかりに、大人の真似をするような腰に手を当てるポーズでアンナの方に向かい告げるアデリナ。


 「っふ…ふふ。そう、そうなのね」


 普段はあまり見ないお姉さんぶる娘の様子に、こんな状況にもかかわらず思わず吹き出す。気を取り直し自身の手のひらを再度見つめると、先程の植物は上がりかけの中途半端な位置で浮くのをやめていた。

 アンナは一瞬何かを考える様子を見せてから再びアデリナに目線を戻すが、その顔は執務中にする子爵婦人の顔に近いものだった。


 「アデリナ、お友達に伝えて。お昼前には帰宅するお父様と話す必要があるけど、この植物が人の目に触れないのなら持って行って構わないと。あとお父様が戻ったらお願いがあるって…これも伝えてくれるかしら?」

 《分かったって返事をしてアデリナ》


 初めに水晶の野菜を欲していた黄色ではなく、おーじがアデリナとアンナの間に浮かびながら言う。


 「お母さま、おーじが『分かった』だって」

 「あら、おーじさんには私の声が聞こえているのかしら?もしそうなら嬉しいわ」


 アンナが返事をくれたアデリナの頭を撫でながら、母の顔に戻り楽しげに話すと妖精達がアンナの周りを飛び交い始める。


 《アデリナの【おかあさま】アデリナに似てる》

 《似てる。きらいじゃないわ》

 《少しいい匂いがする。大きい人間族いい匂いしない》

 《ほんとだ。いい匂い》


 母アンナの何かを確かめるように縦横無尽に浮遊し、口々に好き勝手言う妖精達を見上げ、初めて目にするよく分からない行動に、呆気に取られているアデリナの肩にアンナがそっと手を乗せる。


 「アデリナ、一旦お部屋に戻って身支度をしていらっしゃいな。もうすぐ朝食の時間になるわ」

 「うん、着替えてくる。……みんなまだ居てくれるかな?」


 アンナに返事をしたものの、妖精達を見上げ不安げに問う。

 早朝起きてすぐにひとりで両親の部屋に向かい、植物の水やりをする事が日常になっているアデリナではあるが、いつもは寝室を出る前にメルが整えてくれている服や髪の毛も、精霊祭の休みに入った今日は、一目で寝起きをわかる夜着のまま髪すら母が軽く梳かしてくれた程度のものだった。


 《精霊の祭りの間はここにいるよ。また後で会おう》

 「ホント?私、お着替えしてくるっ!」


 少し茶目っ気を含んだ笑みを浮かべ答えた【おーじ】にアデリナは不安な顔から一転、パァっと晴れた笑みで元気いっぱいの返事をし自室に向かった。


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