15 不思議な筆記帳③


 その後、寝室の扉を隔てた隣にある睡眠・着替え・入浴以外の日中の多くの時間をアデリナが過ごしている居室で昼食を取ることにした親子三人。

 十日も続いていた深夜までの高熱も下がり、スッキリとした体で目覚めたお陰で病み上がりだという自覚に乏しいアデリナ本人は、寝室を整えたり寝具の交換をする間、当然普段の通りに家族揃って小食堂に向かい普段と同じように昼食をとるのだろうと思っていたのだが、隣室への扉を開けたそこにはクラウスの専属執事で次期家令のレナードが主軸となり、アンナの執事ロベルトとその妻でアンナの侍女兼アデリナの乳母ベルタが丁度テーブルのセッティングを終えたところだった。

 当主夫妻と同じく、いやそれ以上に忙しさを極めている最側近の三人が揃って給仕をする事は異例中の異例だが、他の使用人によって廊下の扉付近まで食事が運ばれてくる少し前、扉の前へと集められた側近達は主であるクラウスからの言い方を選ばずに言うと【アデリナの厄介な持ち物】についての短い説明を受けた。

 部下への端的な説明では、食後の時間アデリナに不審がられないよう配慮しつつ、各自分等の目で実際に持ち物の性質を見るよう言い渡してきびすを返したと思えば、言い忘れに気付いた様子で慌てて付け足すように振り返り、アデリナの就寝後に【それ】についての、対処にまつわる話し合いを行う事と言い残し早足で妻子のいる扉の向こうへと消えていった。

 口を挟む間も無く置き去り状態の兄と弟とその妻という事実として家族、親族である側近三人には只々疑問だけが残り、互いに言葉もなく深いため息を吐いた。


 朝食はベッドの上で母アンナの手ずから口へと運ばれたスープと水だけだった。

 味も薄く野菜が限界までトロトロに煮込まれたそれは、見た目には具なしスープといってもいいくらいの味気無いものだった為 、病み上がりの胃腸を考慮した、すべてが柔らかく軽いメニューであっても、熱が下がり目覚めて実質最初の食事らしい食事は嬉しいもののようで、アデリナは嬉々としてテーブルにつく。

 数枚の食器にささやかに盛られた様を喜ぶアデリナを囲み、両親も脇に控え立つ側近三人も日常が戻ったのだな…と再認識するゆったりと流れた一時間、療養食といえどアデリナも完食には至らなかったが満足した様子で昼食無事に終えることが出来た。


 そう…平和だなと、側近達が感じられたのは食事が終わるまでだったと、良く分からない端折はしょった説明…?ともいえない言葉しか聞かされていなかった三人は、困惑の色を滲ませたまま昼下がりからの時間を過ごす事になるのであった。



 ◇ ◇ ◇ ◇



 側近三人から見えた昼食直前ーー。



 時計の針が一般的な昼食時にあたる、正午の時刻をわずかに過ぎたルラント子爵邸のあちらこちらでは、使用人達が慌ただしく且つ軽快に勤しむ姿が目に留まる。

 昨夜までは、子爵家の一人娘であるアデリナが原因の判らぬまま臥せっている日々が十日目に差し掛かり、当主夫妻も使用人達も心痛な面持ちで粛々と言葉少なに時間が過ぎるのを待つような、そんな重い空気だったが、今朝方アデリナが目覚め回復したとの知らせが駆け巡ると同時に、まるで淀んだ雨雲が瞬時に消え陽光ようこうが差したかのように、一瞬で邸宅内外の空気が澄んでいった。

 そんな朗報から数時間後の昼食時ちゅしょくどき、子爵家当主クラウスの魔導具による緊急召集合図で、アデリナ自室の廊下との境の扉の内側に集められた三人は、駆け付けた早々に顔を見合わせた。

 ほんの数時間前の朝日さえ昇り掛けの早朝、同じようにアデリナの部屋(朝は寝室の目の前だが)への緊急召集があり『一日に二度も緊急とは……?』と集められたばかりの側近達は、顔には出さないが思い当たる事も浮かばず内心で首を傾げている。


 まずはベルタであるが、先程まで自身の主であるアンナの隣で自身の夫で夫人専属執事のロベルトによって運び込まれる書類から、即座に緊急性の高さを考慮や吟味してはアンナに手渡し、アンナの決裁等が終わると受けとり、処理済みの木箱へと重ねていく作業をしていたが、動作の合間には度々ベッドの上で物書きに耽るアデリナの元気そうな様子も勿論しっかりと確認していた。


 次にロベルトだが、アデリナが目覚めた事により各所で停滞していた屋敷中の様々な流れを通常に戻すため、夫人管轄である邸内各部署への業務連絡等に奔走するのと平行して、承認のサインを要する書類をアンナへと渡すため夫人執務室とアデリナの部屋を行き来していたロベルトだったが、未決裁書類を抱えて入ったアデリナの寝室中央にあるベッドの上で、鼻唄混じりに絵でも描いているようなアデリナのご機嫌な姿を目にし、改めて嬉しく感じてから数刻も経っていない。


 そしてクラウスの専属執事レナードの方も、早朝に呼ばれたアデリナの部屋で、長い原因不明の発熱から目覚めたばかりとは思えない程に溌剌はつらつとしたアデリナ本人と軽く言葉を交わした。

 心底安堵すると共に十日間の高熱やうなされていた表情が夢だったかのように、いつも通りのアデリナの振る舞いを目の当たりにし呆気にもとられ、思わず職を忘れホッとし苦笑いをしてしまうところであった。

 その後、長い診察を終えた三人の医師達からの詳しい診断内容を、執務室のソファーに医師達と対面で座るクラウスの背中越しに聞いた。医師達もレナード同様に喜びと共に大層困惑しているようで、原因も究明する事なく回復したアデリナは『病み上がりとは到底思えぬ健康体そのもの』という診断結果を確かに耳にしたのだ。



 ……という経緯によって、先程までの状況を各々おのおの思い浮かべる三人はアデリナに再び良くない変化が見受けられたのなら、このメンツではなく今週いっぱい邸内に滞在する予定の医師達を呼び出すのが最優先で道理だろうと当たり前に思い至る。


 ついさっき執務真っ只中にも関わらず、レナードの目の前で無言のまま急に立ち上がったかと思えば、執務室から走って居なくなったクラウス。

 ほんの十数分程度の時間、果実水の準備のため厨房に行って戻ったベルタと、入れ違いに部屋を後にしたかと思えば直ぐに困惑顔のクラウスを伴い寝室に戻ってきたアンナ。

 妻に連れられた形で来たクラウスの方はというと、壁際のキャビネットで飲み物の用意をしながら、チラリと見た様子も問題なく見えた。しかし、ほんの少しアデリナの相手をしたり夫婦揃って見守るようにいたかと思えば、無言で携帯している懐中時計型の魔導具で側近三人を隣室の入り口を指し示す形で呼び集めた。

 病み上がりの娘が気に掛かり、心配で夫妻で見守っているのだと思っていたが何が違ったのだろうか?


 先程までの各々が仕える主人と女主人の不可思議な行動を見ていたレナードとベルタは、自分達の預かり知らぬ所で何か起きたのだろうと考える反面、実際に自身の目には何の変化も見られなかった事が腑に落ちなかった。

 それこそ長年仕えてきた側近として、どんな些細な変化にも敏感だという自負があるので、謎の敗北感を感じるのだろう。

 その二人とは相対して、焦る夫妻が廊下で合流した頃の夫人専属執事ロベルトはというと、厨房の勝手口で子爵家と深く長い付き合いの続く、食料品を専門に扱う商人と発注書片手にアデリナの回復の知らせを共有し、互いに喜びながらこれから発注する事になるだろう滋養と胃腸に良い、子供にも問題の無い食材の話題で盛り上がっていた。

 そのためロベルトだけは『呼び出し?なんだろな~?』と頭の上に単純なクエスチョンマークを、妻ベルタや兄レナードは複雑な感情を伴うクエスチョンマークをその頭上に浮かばせていた。


 「執務が溜まって多忙な所に呼び立てて済まないな。アデリナに関して取り急ぎ情報共有をしておきたい事が発生した」

 「………(コクリ)」

 「ほぇ~、お嬢様に関する情報共有!?それはまた今朝みたいな朗報なんですか?」


 主の言葉に無言で軽く肯定の目礼をし、キチンと聞く体制をとって背筋を伸ばすレナードとは真逆に、気軽であっけらかんとした表情と発言をするロベルトの妻ベルタは『この兄弟は何故こうも反応が正反対なのだろうか…』と連れ添って十年以上の夫の挙動に心の中で、家族ならではの慣れた溜め息をく。


 「共有とはいえ、一から話すと長くなるのと実際見てもらうのが早いんだ。あー、あと私とアンナも具体的な詳細は全く解らないといった状況なので、今話せる事柄だけを共有したいんだけど…、んー…そうだなー…」


 付き合いも長く信頼している側近三人の前では普段、何でもすんなり言葉にするクラウスにしては言い渋るような、言葉を選ぶともとれる言いように三人の心の内は一様に戸惑う。その三人を一瞬サッと見つめたかと思えば『よし』と自身を勢い付けるように小さく頷き口を開いた。


 「どう話すべきか…まあ、そのままかな。うん…実は、うちのアデリナは…いやアデリナが?」

 「…はいアデリナお嬢様が」

 「なんだか精霊の加護?のようなものがあるらしく…」

 「………ええ…ええ、はい……」


 クラウスの正面、他の二人に挟まれた形で二人より心持ち前に立つレナードが一拍、二拍おいてクラウスに対し棒読みのような相槌をしたが。


 「……………は?」


 言われた事に返事はしたものの、その意味が遅れてやっと脳に届いたのか、再び開いた口から漏れたのは、到底主に放たれた物とは思えない他人の前で見えてはいけないスンとした真顔と、低く声を張った一言…いや一文字だった。

 大抵が軽口だが流石に敬語で一定の配慮はしているロベルトも『今のは無いな』と隣の兄をチラッと盗み見て『けど当主様の発言も無いな』と成り行きを|ルビを入力…《うかが》いながら大人しくしていた。

 自由な発言をするように見えて実は空気を察知して動く所は、家庭内での危機回避に長けた弟ならではの資質であり、目の前の長男二人はその辺りは正面からぶつかりがちで器用なのに不器用、という相反する面が以前から共通すると思っていたが、やはり似ていると感じる。


 「うん、だから言葉の通りだってレナード」


 言われたクラウス本人は、自身の持つおおらかさ故か言い終えて満足したのか気にする事なく話を続けた。


 「かご?……かご↑?か…ご↓…?」


 語尾を上げたり下げたり言い方を変えながら自分を納得させるかのように何度か呟くレナードと、その両脇で同じように戸惑いながらも事態を受け入れるためか心の中で反芻するロベルトとベルタ。


 「そう加護!精霊様からの加護だよ。精霊経典にもあるだろう?」


 一度口から出したことで何かが吹っ切れたようにスッキリとした笑顔で返すクラウス。しかし精霊の加護など、故事や教会によって出された聖典等に事実として記されていはるものの、その年代は百年千年単位も以前の出来事で、熱心な信者でなければ所謂いわゆるおとぎ話に近い捉え方をしている者も多くいる。


 「精霊様……ですか…?」


 二週間程前に催された精霊祭を思い起こしながらベルタが訊ねる。精霊祭の期間に子爵家の庭でアデリナ周辺に起こった出来事は夫妻以外知る者はいない。

 初日にアデリナの散歩に付き添ったメルや護衛の騎士は、あの日に出くわした強い風もアンナに報告した出来事すら、不思議と風の強い日だったな程度の認識止まりで、以来その口から話題が出ることもなく今日に至っている。

 そしてメル達程ではないものの、夫妻の記憶からも最近の事とは思えない程に早く薄れていくと共に、あのような不思議な事態は二度と起こらないとの考えで、広める必要性も感じなかったので精霊祭の後に側近への共有もなされていない。

 共有や話題に上がる以前に、広場で催された精霊祭からの帰りの馬車内で意識が朦朧とし、それから今日の深夜まで高熱が下がる事のなかったアデリナへの対応で、庭での一件など記憶の端の端に追いやられていたという方が正しい。


 「熱が下がったアデリナの近くに私達も見たことの無い筆記張と万年筆があったんだが…」

 「筆記帳に万年筆…あ…」


 アデリナが目覚めた後に医師達よりも、いち早く呼び出された側近三人が入室した時、アデリナの側には既に置かれていた筆記具を思いだしながらベルタが小声で呟く。

 今まで目にした事のない美しい装丁は、一見しただけでも高価な品だと理解出来た為、診察を終えたその後の時間をその筆記帳に向かうアデリナの楽しげな姿も相まって、病から目覚めた娘へと事前に用意された品を、夫妻から回復を祝す意味で手渡されたのかと思い微笑ましく見ていたのだが。


 「その品が少し厄介で…」


 続けて説明をしようとしたクラウスの声に被さり、扉の向こうで廊下を歩く使用人達の声が聞こえてくる。

 話の内容までは聞こえなかったが、声を耳にしたレナードが即座に一歩下がり、後ろ手に薄く開けた背後の扉の隙間から窺えた様子では、どうやら二階廊下の清掃を始める為に来たメイドと、ワゴンを押し当主家族の昼食を運ぶメイド達がすれ違いざまに挨拶を交わしながら、アデリナの回復を喜んでいるようだった。

 隙間から漏れ聞こえる同じ内容を把握したクラウスが声の音量を落とし早口で告げる。


 「とりあえず、三人には昼食後のアデリナの様子を実際に見てもらいたいんだ。承知していると思うけどその際アデリナに不審がられないように気を付けながら自然に振る舞ってくれ。あ、あと他の人間の立ち入りも制限したいから給仕も頼む!」


 一気に捲し立てるように要点だけをかい摘まむよう話すと軽く身を翻したが、何かを思い出したように振り返り。


 「あー、あと私達合わせた五人での詳しい話し合いはアデリナの就寝後の夜に行うから!」


 と付け足し再度『宜しく!』と再び踵を返しアデリナの寝室へと急ぎ戻って行った。

 寝室の扉の向こうにクラウスの姿が消えるのと同じタイミングで、言い逃げのようにされ残された三人の背後の扉が開くが、開いた扉の先に立ち塞ぐ壁のような形で側近三人が立っているとは思わなかったメイドは驚きの声を小さく上げた後、出来立ての食事が乗ったワゴンとレナード達を交互に見て、どうするのが正解だろうと困惑の表情を浮かべるのであった。



 ◇ ◇ ◇ ◇



  朝と味付けは変わるものの口当たりは変わらない薄味のトロトロになった野菜スープに加え、メインも柔らかい蒸し鶏と赤ん坊でも食せる位に柔らかくホクホクに蒸された彩り豊かないくつかの野菜が添えてあった。

 食後に出されたデザートも弱った胃腸に配慮し、複数の小さなガラス容器に各々色や味違いの優しい甘さのゼリーが並ぶ。

 振る舞いや顔色は良いものの、以前より明らかに体重の減りが著しい体は発熱前より胃も小さくなっているのか、 食べるスピードもゆっくりで量も多くはなかった。

 これに関しては急激に詰め込んでどうにかなるものでもないので、時間を掛けていこう…とその場の大人達は無言でも認識をした。

 一家が食事を始めたのを見計らい、ひとり寝室へ戻ったベルタによって、先程まで使っていた寝具は新しくシーツを変え同時に空気の入れ換えもした事で心なしか明るい雰囲気なった寝室ではあったものの『ベッドの上よりもここが良い』と言うアデリナの言葉を受け『決して走ったり歩き回らない事、少しでも疲れたら絶対にベッドに戻る事』を言い聞かせて許可をした。

 場所は寝室から隣の部屋になったものの、アンナは当初の予定と変わらず執務をアデリナの様子を窺える同じ室内範囲で行う事とし、側近達にアデリナの筆記帳の観察を指示したクラウスもしばらくの時間は、妻と娘の近くで執務を進めることにした。

 それに伴いレナードも弟ロベルトと同じように、一階の当主執務室から大量の書類の束を抱え二階に運ぶ事になったが、原因不明の高熱に魘される幼い娘の側を長時間離れる不安から、重要書類を除く多くの執務が滞っていた仕事が今日を境に大幅に進むとなれば、鈍器のように重量のある書物や資料と書類の山を運搬するための階段の往復など、運動不足解消と前向きに捉えられる程に些細な事…と足取りも軽くなるレナードだった。


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