13 不思議な筆記帳①

 

 アデリナがゆっくりと目覚めた直後の寝室。


 「「アデリナ!」」


 十日振りに目を開けた娘へ両親は『痛いところはないか』『喉は渇いていないか?』と甲斐甲斐しく語りかけたり、水の入ったグラスを手に寄り添ったが、そんな両親に当のアデリナは本人は。


 「お父さまお母さま、おは…よー?」


 今までの高熱や意識のない状態など無かったかの様に、寝ぼけ眼のままで普段と変わらぬ挨拶をし自ら上半身を起こした。

 身を起こしたものの瞼は閉じかかり、うつらうつらとしている。


 「アデリナ、どこか痛くはない?」

 「気分はどうだい?」

 「…?……うん?元気だよ?…くるしかったのも朝にはなおるよって、おーじがさっき言っ…て……?…あれ?」


 父と母の心配げな問いかけに、覚めたばかりの目をごしごしと指で擦りながら寝言と同じような抑揚で答えかけてめ、浮かんだ疑問の答えを探すように首をかしげ眉間にシワを寄せる。


 「「…おー……じ」」


 思わず出た両親の重なる小さな声は、半分夢現のアデリナの耳には届かなかった。


「ん、あ…れぇ?ゆ、め…?夢かな……」


 小さな片手で自身に掛けられた上掛けを握り、眠気の余韻を引きずる眼を半開きにさせたまま、ぼんやり呟く。窓の外も今しがた朝焼けが広がり始めたばかりの時刻とあってまだ薄暗く、閉じられたカーテンの隙間から漏れる程の陽射しの明るさもないため、ベッドサイドの照明に頼るしかないが、照らされたアデリナの顔色は大変良く見える。

 ほんの数時間前までの辛そうな様子など無かったかのような状態を再確認し、何日振りかに平常心を取り戻せた夫妻は互いに笑みをうかべた。

 夫からアデリナへと視線を戻したアンナはふと、上掛けから半分だけ覗く、紺青と銀色の装丁の本がアデリナに寄り掛かるようにある事に気付き視線を向ける。


 「それ…?見たことない装丁の本ね」


 アデリナの身の回りの物は、購入時に吟味や選別するのも主に母であるアンナの役目であり、娘への頂き物の礼状を認め送るのもアンナのため、アデリナの所持する全てを把握しているといっても過言ではない。

 その母の怪訝そうな視線の先を追うように、アデリナが大きく俯向き自分の右側に目をやると、その動きで腹辺りからベッドに傾き倒れかける本に気付いた。

 紺青の色が目に入ると同時に、アデリナの寝ぼけ眼だったはずの目がカッと開き、病み上がりとは思えない素早さで本を両手でしっかり掴み掲げると、脇に座る両親の顔を満面の笑みで見上げた。


 「うっ…わぁ!!!さっきもらった本だ!夢じゃなかったぁーーっ!」


 喜びに勢い良く立ち上がったアデリナの傍らから、万年筆らしき棒がコロコロと軽く転がり落ちるのをクラウスが片手で掴んだ。パッと見でも分かる繊細な細工の筆記具は、今まで目にした工芸品のどれにも当てはまらない物に映り、ついまじまじと見入てしまった。


 「あ!それももらったの」


 先程まで寝込んでいたというのに、そんな余韻すらうかがえない爛々と光る双眸と、嬉しそうな表情で二つの筆記具をギュッと抱える幼いアデリナの姿に夫妻は肩の力が抜け、安堵した反面呆れを含む溜め息が出てしまった。

 目覚める直前に夫婦揃って見たであろう、お告げ(?)のような夢の通りに回復したように見える娘の姿と昨夜までアデリナの周りには確かに無かった買い与えた覚えのない筆記具。

 それに付随し精霊祭の期間に見た庭で遊ぶ娘の姿も脳裏に浮かんできて、これは否定しようがないことを二人は悟った。

 いや受け入れたという方が感情的に近いだろうか。


 そして良くも悪くも目の前で暴れる四歳の子供に、隠し事は困難だという事が大いに伝わる、全身でこれでもかと喜びを表現するアデリナに二人は『しょうがない』と『これは厄介な事になった』と数時間前とは違う種類の苦悩が芽吹く。


 (アデリナは精霊の加護のようなものを受けているのかもしれない。外部に知られて良い事は…いや要らぬ障害の方が多い)


 軽く思考をを巡らせただけでも、簡単に困難にぶち当たる未来に思い至るクラウスとアンナであった。



 ◇ ◇ ◇ ◇



 「それも貰ったの!」


 ほんの数時間前まで原因不明の高熱にうなされ、屋敷中を心配の渦に巻き込んでいたとは思えない、溌剌はつらつすぎる表情や身振り手振りを両親に向ける娘のアデリナ。

 その手には閉じた状態で、成人男性が掌を広げたほどのサイズ感の紺青と銀が見事な装丁の本と、蔦の模様が細やかに細工されている木製らしき万年筆がしっかりと握られている。

 木製だと断言できないのは見たことのない素材だったから。目にしたことがなければ勿論それらをアデリナのために購入した記憶もなく、両親であるクラウスとアンナも初めて目にする品だった。


 「これにみんなの事とかいろいろ、いっーぱいかくって約束して、それでねそれでね」


 同年代の子供に比べると言葉はかなり達者なアデリナだが、今現在は感情が先行しているのか、ベッドの上で仁王立ちのポーズのまま興奮気味に矢継ぎ早に話す速度に反し、その言葉は子供らしく拙くなっていく娘の話を、うんうんと首を縦に何度も振りながら終えるまで聞き続けた。

 興奮気味に語られた長~~く長い話を要約すると。


 『手にしている筆記帳に日記のような備忘録のような物を書き記し続ける約束を交わした。それを続けると再び会えるかもしれない』


 ということらしい。そしてアデリナの見た夢にはおーじと呼ばれる子供のみが現れたようで、クラウスがそれとなく『他に大人の人物はいなかったかい?』と聞いてもアデリナは不思議そうに首を傾げるだけだったので、それに関しては深掘りはしなかったが訊ねる夫の隣でアンナは『やはり同じ夢を見たのね』としっかり心得た。

 そして、まだまだ目の前でベッドの上を飛び跳ねるアデリナに少しは落ち着いてもらわねば、と基本油断すると甘くなりがちな夫に代わりアンナが口を開く番だった。 


 「アデリナ、あなたはついさっきまでお熱が出ていたの。私達も屋敷の皆もずっとアデリナの事を心配していたわ。朝食の前に先生に診てもらって当分はベッドの中で静かにするのよ?いい?」


 今にもベッドから飛び出しかねない元気さを漂わせる娘を前に、アンナが先制攻撃とばかりに注意する。

 内心こんな注意が出来る程いつも通りのアデリナに安心しているし、謎の筆記具にも戸惑いが無いわけでもなかったが時計の針は進むのだ、皆が起きてしまう前にアデリナ本人のためにも夫妻は気持ちを切り替え頭の中を整理するしかない。


 (昨夜までの出口の見えない心労に比べたら、見知らぬ筆記用具も私達親子が共に見たであろう幻のような夢も、なんてこと無い些末な事だ…)

 (医師や使用人達をこの部屋に呼ぶ前にしなくてはいけない事がいくつかあるわね)


 湧き上がる様々な思考の中、互いに視線を交わしアデリナに向き合うクラウスとアンナ。


 「アンナの言う通りアデリナがどれくらい体調が良くなったのか、そしてどれくらい部屋の中で静かに過ごさなければいけないのか診てもらうのがいい」

 「お医者さまくるの?」

 「そうだよ。アデリナは精霊祭の帰りから十日間も熱を出して寝込んでいたんだ。ちゃんと診断してもらおう」

 「でも朝になったら治るって言ってたよ?」


 不思議そうにクラウスを見上げるアデリナに、どう理解してもらおうか思案する。クラウス本人も実際に先程似たような夢を見て目覚めていてアデリナの言い分も十分わかるが、それを外に向け発言するのはまた違うという事の伝え方を逡巡する。

 そんな夫の思考をバトンタッチするようにアンナが話し始めた。


 「そうね言いたいことは分かるわ。でも今熱の下がったアデリナの身体が、元気なら元気ってお医者様に教えてあげてほしいの。屋敷にいる皆がアデリナの事を毎日それはそれは心配していたのよ。お医者様からアデリナが元気になったって聞いたら皆も安心するわ。もちろん痛むところがあったら、それもちゃんとお医者様に教えてあげるのよ?」

 「もう元気!」

 「ええ、アデリナが元気になってくれてお父様もお母様もとても嬉しいから次はベルタやメル達も安心させてあげましょうね?」

 「ベルタとメルたち…?」

 「アデリナの熱がずっと下がらなくてメルが泣いていたわ。アデリナが治ったって聞いたら喜ぶと思うの。どうかしら?」


 まだ年若いメルが泣いている姿が、幼いアデリナの頭にも容易に浮かんできた。


 「メル泣いてたの?…そっか…、メルは笑っているのがいいな…」

 「屋敷の皆も同じ気持ちだったと思わない?アデリナには元気に笑っていてほしいのよ」

 「おなじ?」

 「そう同じ、誰だって元気で笑っているのが良いでしょう?」

 「……お母さま、私、ちゃんとお医者さまにみてもらう。そうしたみんな笑って、安心?とかしてくれるかな?」

 「ええ、きっとホッとしてくれる。偉いわ」


 アンナがアデリナの髪をそっと撫でながら微笑む。


 「あ、あと!夢の話は内緒にできるかしら?」

 「内緒?どうして?」

 「精霊祭の時の事も夢の事も貰った本に書いちゃいましょう。日記や備忘録を書くって約束したのでしょう?たしか、お庭遊びでも最初おーじ君に皆の話は内緒って言われていたのよね?それに妖精のお友達の事を誰かにお話したら頭から消えちゃうかもしれないわ」

 「えーー…ほんと?消えちゃうのはイヤ!困る……うんっ!私誰にも言わない!」


 アンナの眉間にシワを寄せ演技じみた言葉にまんまと引っ掛かってしまったアデリナは、ハッとした顔の後で暫し考えた後、手に持つ本をギュッと抱き真剣な顔でアンナに返事をした。


 (あらあら、少し力技過ぎたかしら?実際は話した方が記憶に残りそうなものだけど秘密を漏らさない他の対処法が見つかるか、アデリナの理解が追い付く年齢への成長を待つまでの時間稼ぎには、これくらいの強引さも仕方ないわよね…)


 なんとか娘の納得顔を引き出し、今は筆記具を枕の下にしまうよう言いくるめてから夫妻の最側近の三人を呼び出した。

 クラウスの執事レナードとアンナの執事ロベルト、その妻でアンナの専属侍女兼アデリナの乳母ベルタは早朝にも関わらず呼び出しから五分後には勢揃いした。

 アデリナの発熱直後からいつ呼ばれても対応できるよう同じフロアにある各々の執務室兼待機部屋で寝起きをしていた側近達。

 三人への早朝一番の言葉はアデリナの熱が下がり目覚めた事、そして当分の間アデリナの部屋には夫妻と診察の医師達以外は現在呼ばれた三人のみの入室だけを許可する旨を伝えた。

 その後、他フロアの別室で仮眠をとっていた医師達が起き使用人達が活動し始めた頃合いをみて、本格的な行動に移ることにした邸宅内にアデリナの回復の知らせが巡り、久方振りの平和な空気が拡がり一気に明るさを取り戻したルラント邸であった。



  ◇ ◇ ◇ ◇



 医師による診断後のアデリナの部屋。


 クラウスはここ数日で溜まりに溜まった執務に向き合う為に執務室へこもっている。

 娘を看病する傍らで、ある程度の書類は捌いていたとはいえ普段が多忙すぎるがゆえに比喩ではなく、仕事机に高く積み上がった書類の量は直視するのも恐ろしいものであった。

 昼頃に一度アデリナの様子見も兼ねて戻って来る予定ではあるが、滞在時間などほとんどないだろう。三人の医師達の見立てでは、現在アデリナの健康に何ら不安はみられないという事だが、意識もなく過ごした十日間で確実に衰えた体力の回復経過を見守るという名目により、側近以外の使用人は当分の間呼ばれた時のみ部屋に来るよう伝えられた。

 それに加え、通常は市街地の実家からの通いであるメルはアデリナが寝込んでからの日々を子爵家の敷地内にある、料理長である祖母の住まいで寝泊まりをしていた。

 学院に行く前の朝早い時間に、一瞬ではあったが回復したアデリナとの対面を済ませる事が出来たので、安心して学院に向かったメルにも数日中は業務を休み、学業に専念するようアンナから申し伝えられた。

 最初は渋っていたメルに『貴方この数日十分に寝ていないでしょう?このままでもし倒れでもしたらメルの学院卒業も遅れて結果的に正式な侍女への就任も遅れるのはアデリナ自身も私も困るわ』と言うと腑に落ちた様子で受け入れてくれた。

 昨夜最後に見た時と打って変わって、今朝は目も覚め非常に顔色と機嫌の良いアデリナを自身の目で確認できたのも夫人の言葉を受け入れられた要因のひとつだろう。

 メルへのいとまもそうだが、今回アデリナ周辺で働く使用人達へ出された休暇は、対外的にはアデリナがせった事により自発的に不眠不休で仕えていた使用人達への、負担減の労いにも見えただろう。

 確かにその側面もあったが、一番の理由はこの先の見通しを立てるのに、これ以上は本当に何も問題がないのかという事への見極めと対処をするため実質的な人払いも大いに兼ねていた。


 「明日まではベッドの上で過ごす事!」

 「はーい」

 「今週中はお母様がアデリナの側にいるけど、その後からはいつものようにメルやメイドの皆が一緒にいてくれるわ。それから来週いっぱいまで散歩は控えましょう」

 「えーお散歩ダメなの?」

 「さっきそう言われていたでしょう?」

 「う…お医者さま達が言ってた」

 「そうね、その代わり私が簡単な日記やお手紙の書き方を教えるわ。どうかしら?」

 「にっき…?おてがみ?」

 「ええ、その筆記帳にいっぱい書くのでしょう?伝えたい事や絵を」


 アンナの提案でキョトンとしていたアデリナの顔が、続き言われた言葉で一瞬でパァっと華やかな笑顔になり、アンナがチラッと視線を移した先にあるアデリナの脇に置かれた本に目を向け、喜びを溢れさせた。


 「おーじにありがとうってかいてもいーい?」


 さっきまで見せていた散歩禁止への不服そうな様子は消えて、ベッドの背もたれに幾つも並べられた枕に身体を預けたままで、胸まで引き上げられた掛け布団のアデリナの腹の上辺りに自ら筆記帳と万年筆をのせると、その顔は嬉しそうに緩む。

 ベッド脇の椅子に腰掛けていたアンナはアデリナのベッドに移動し、娘の側に寄り添うように上体を寄せると小さな手で開かれた真っ白な筆記帳の中に視線を落とした。

 その紙は見たことのない程に滑らかで白く、捲られた紙は薄っすら透けているように見受けられた。その枚数は然程多くなく二十枚もあるかどうかというところだ。

 このやる気加減からして瞬く間に全てのページをインクで埋めてしまいそうだ…そんな母の考えをよそにアデリナの溌剌とした声は響く。


 「最初はねぇ、お名前を書くの!アデリナ・ルラントって!」



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