9 4歳精霊祭初日から最終日 (夫妻とアデリナ)

 「うん!お母さま私、おともだちがたくさんできたの!」


 精霊祭初日、昼下がりの談話室にはアデリナの弾んだ声が響いていた。初めは母の笑顔に乗せら出たひと言、その後も知らず知らず誘導される形であれよあれよと、両親の連携技ともいえる絶妙な相づち、見事な表情管理と感嘆の声色によって気分の良くなったアデリナの口からは、次々と午前中の庭での様子が事細かく溢れた。

 夫妻も楽しげな様子で、身振り手振り忙しなく伝えようと動く娘を見ていると幸せな気分になり、話し半分と現実かもしれない期待半分で耳を傾け続けた。

 そう、今日からは家族の時間を制限する過密スケジュールもないのだ。そんなゆったりとした空気や、心の余裕もアデリナの夢物語みたいな言葉がすんなりとクラウスとアンナへ浸透した要因のひとつかもしれない。


 「それでね、銀色の髪の【おーじ】って子がいるんだけど少し偉そうだから王子さまなのかなって思って聞いたの」

 「うんうんそれで?どうだったの?」

 「そしたら、赤い髪の子が『王子さま?なんだそれ?おーじはおーじだよ』っていうの」

 「そういう名前なの?」

 「わからないけど、みんなにお名前はないって言っていたわ」

 「それはどう呼べば良いか分からなくて困ってしまうね」

 「お父さまそれは大丈夫!」


 クラウスの疑問に得意気な顔を向ける。


 「みんな髪の色が全然ちがうから髪の色で呼ぶのよ」

 「へぇそうなんだね、五人?だったかな?それぞれみんな違うのかい?」

 「そうなの!採れたてのレモンみたいな黄色の子とお母さまの持っているルビーの耳飾りみたいに真っ赤な髪の子と…」

 「素敵だわ!それから?」

 「艶々キラキラ輝く濃い紫髪の子と新緑みたいな薄緑の子!あとは……」

 「見たことない程に美しい銀色の髪のおーじ君だね」

 「もう!私が言いたかったのに!」


 アデリナの言葉を先回りで口にしたクラウスに手柄を取られたように顔を赤くし、クラウスの胸を拳を作って軽くポカポカと叩き抗議するが、叩かれている方のクラウスは大して痛くもないそれを楽しげに受けている。


 「アデリナ許してあげなさい、さっきから銀髪のおーじさんのお話が多くてヤキモチ焼いてるのよ」

 「やきもち?」


 アデリナの左側に座り楽しげに微笑むアンナを見上げて首を傾げてから、右側に座るクラウスを同じように見上げると、取り繕った笑顔を向け『いやそんなことはないよ』と弁解めいた言葉を発しながら話題を変えようと咳払いをした。


 「ゴホン…!と、とにかく今日の庭での時間は楽しく過ごせようで何よりだよ」

 「本当に不思議な事もあるものよね」


 妻の感想にクラウスがフッと思い出す。


 「私が幼少の頃に祖父から聞いた隣国のおとぎ話のような言い伝えやルラント家の古い文書には、人間以外の者の気紛れや遊びに誘われて、ひとときを過ごす者がいたとあったな」


 このエクターム王国の最南端の辺境に位置するルラント領地は国境を挟み隣国である帝国と隣り合っている。その隣国帝都に十年近く前から療養の為に移り住んでいる祖父母を思い浮かべる。


 「?」


 物思いに耽った遠い目をした父親を不思議そうに見上げたアデリナをクラウスはヒョイと抱き上げ膝に乗せると、妻との距離も縮め座り直す。


 「隣の国に住んでいる大祖父様だよ。私が子供の頃はこの屋敷で一緒に住んでいたからね、沢山のお話を聞かせてくれたんだ」

 「大じいさまはお父さまのお祖父さまだよね?知ってる!お祖父さまのお父さま!」

 「そう隣国の現王陛下の従兄弟にあたる方なんだよ」

 「うん大じいさまのお母さまがお姫さまだったからだよね。ベルタとロベルトも教えてくれたよ」


 周りに聞き知っている家系図を話すものの、アデリナ本人からすれば絵本の登場人物を覚えているようなもので現実味などはなかった。


 「そう隣の帝国は大陸の中でも国が出来てからの歴史が一番長いから、言い伝えや守らなきゃいけない約束事も多いんだ。そういえば他の国に比べて自然が多いのも約束事の一つだってお祖父様は言っていたな…」


 前半の説明は娘に向けて話していたが、後半にかけては幼少期に戻ったかのような気分になり、遠い記憶を引っ張り出しながら話していた。

 三代前の当主へ隣国王家から末の姫が輿入れした事で、異例中の異例となる隣り合い接する帝国側の領地ひとつを貰い受けた結果、ルラントの領地が倍以上に拡大したり、他にも当時の王や兄姉に溺愛された末姫の嫁入り道具は膨大で、様々な目に見えるもの見えないものと多岐にわたった。

 因みに目に見えないものの中には外部に知られる事のない、秘匿性の塊みたいな末姫を守る隠密集団も含んでおり、現在も形は変われども存在はしている。その輿入れをきっかけとし【辺境の何もない片田舎】が国一番の広大さと、それに付随するように様々な面で豊かになった。

 また同じくしてルラント家領地でも守らねばならない約束事が増えたり、生活様式も距離的にも意識的にも遠い自国の王都よりは、以前から交流が多い手の届く範囲ともいえる距離の帝国の色が濃くなったのも自然といえば自然な流れであった。

 まあ、それ以前から南部地方は地形的に北側に巨大な断崖絶壁の岩山が連なっており、北部側の領地や王都とはやや遮断された形になっていたので物流や文化、人の行き来も隣の国との方が活発であったがゆえの末姫の輿入れだ。

 因みに当時のルラント家当主と末姫の婚姻は恋愛による末姫の押し掛け輿入れと聞いている。確かにクラウスの頭の片隅にうっすらと残る、存命だった頃の曾祖母の印象は活発で強引な嵐のような華やか人だ。


 「お父さま?」


 幼い頃の記憶に浸りかけていたクラウスを、心配そうにも怪訝そうにも見える顔で覗き込むアデリナが目を覚まさせる。


 「ああ、すまない話の途中だったね」

 「うん言い伝えとぶんしょのお話」

 「そうだそうだ、私が聞いたり読んだ話では人とは違う不思議な生き物に出会ったのは山や深い森の奥、湖のほとりだったから庭での遭遇は初めて聞いたよ。まあ何百年も大昔から伝わるお伽噺の延長みたいなものだから実際はどうなのかは分からないけどね」

 「うーん、そうね……。南部は全体的に森や山への開発は少ないし、ここの裏庭も庭と言っても本邸から一時間も歩けば人の立ち入りも厳しい切り立った山々が北側に広がっているのだもの自然の中みたいなものじゃない?」


 自国の王都までの開発が進む他領地の道程を思い浮かべ、アンナが言うとクラウスも確かにそうかもと頷いた。クラウスはルラントで生まれ育ち一年の留学も現在自身の祖父が住む隣国の屋敷に滞在して隣国の学院に通っていた。

 隣国は歴史ある大国ではあるが首都もそれ以外の地方も自国の王都やその周辺に比べ、不思議なほど緑豊かだった。

 妻のアンナもルラント領の東隣に隣接する領地で生まれ過ごしてきたので、街の中心部含む領地全体が自然豊かなのが当たり前になっている。

 そのためこの夫婦では【自然】のイメージが常人よりハードルが高く設定されているのにお互い気付いていない。全くの手付かずで人の立ち入り困難一歩手前からが自然豊かだと思っている節がありそうなのも否めない。

 極端な考え方なのは、何かと居心地の良くない自国の王都やその付近に行くのを避けた結果だ。南部とそれ以外の北側を分断するように立つ山々を引き合いに出し、王都周辺に住む一部の新興貴族達は南部の者を【山向こうの田舎者】と蔑む別称で呼んでいるため交流を求める誘いもない。


 「あの北側の建物の多さは何だろうね?」

 「そうね王都に向かう度に街道沿いに初めて目にする建設途中の何かしらがあるものね。年に一、二度しか行かないから急激な開発に見えてしまうのかしら?建造物も密集してきている印象があるわ」


 ルラント領は土地の広さと比例すると領民は少ない方だが、それでも他領よりは断然多い。森林や山々が周囲を囲うため人間の居住する区域は三割強程度、しかし態々森を切り開く必要のない十分な広さがある。


 「国全体で爆発的に住民が増えているわけでもないようだけど、ここ数年は第二王子殿下が開発事業に熱心だとは伝え聞いているよ」

 「住民が増えているわけではないのに開発事業を進めているのね。第二王子殿下に何かしらのお考えがおありになるの…」

 「もう!お父さまお母さまお仕事のお話しないで、私ともお話しして!」


 小難しい話は全て仕事の話に聞こえるアデリナがクラウスの膝の上で自分の存在を知らせるようにジタバタと騒ぐ。


 「あー…ごめんなさいね、今のは私達が悪かったわ」

 「どこまで話したっけ?」

 「知らない!おぼえてないもん」

 「ごめんアデリナお父様が悪かったね。そうだ、精霊祭の三日目に私が祭りの終わりを告げる仕事があるんだけど、一緒に行くかい?終わりの儀の前に露店を巡って何か美味しいものでも食べて、それから何か素敵な物を見つけて買うのはどうだろう?」


 アデリナ本人は覚えていないが誘拐未遂事件前は両親に連れられ外出もしていた。それでも事件後から三年は子爵邸の敷地から出たことのないアデリナは父の思いも寄らない提案に目を見開いた。


 「アンナはどう思う?」

 「外出は来年の誕生日以降を予定していたけど、今回だけ特別に良いかも知れないわね。その代わり屋敷に帰って来るまでは貴方がしっかりアデリナを抱えて行動するっていうなら異論はないわ」

 「それぐらいお安いご用だ」

 「アデリナは?お父様に抱っこされてお祭りを見るから自由に動き回れないけどいい?」

 「いい!私、お祭りの間もお屋敷に帰ってくるまでお父さまに抱きついている!良い子にしてるよ!」

 「そう、じゃあ三人でお出掛けしましょうか」

 「うん!」

 「私のお姫様のご機嫌が良くなったみたいで良かった」

 「本当だわ」


 ニコニコと顔を見合わす両親の和やかな空気と、二日後の夜に祭りに行ける事となり、嬉しい気持ちに満たされたアデリナはそれからの時間を両親と共に過ごし午前中に庭を走り回った疲労もあったのか、いつもより大幅に早い時間には寝落ち朝までぐっすりと眠りについた。


 ◇ ◇ ◇ ◇



 「あーーーー!!!!!忘れてた!」


 翌日の早朝、パチリと目覚めたアデリナは寝たままの体勢で叫んでガバッと飛び起きた。ベットの上で仁王立ちになると腕を組み『どうしようどうしよう』と動き回る。

 いつもなら乳母のベルタが誰も起きていないような早い時間から隣の部屋で腰掛け何かしらの書類等に目を通しているため、早く目覚めた朝も話をしながら過ごせたし、両親への言付け等もお願いできた。

 しかし昨日からの精霊祭の期間は、アンナの命令に近い指示により嫁ぎ先の家に帰っているので、部屋から廊下に出て良いのか判断がつかない。

 しかし昨日約束した庭での待ち合わせの事を、両親に伝えていない事に気付きながら目覚めた事で頭を抱えている。散々迷うアデリナの脳裏に昨日交わした言葉が浮かぶ。


 ”明日もまたここで会おうねアデリナ”


 その言葉を思い起こし、意を決したように寝室の扉を開け隣室に出る。その部屋も小走りで駆け抜け廊下との間を隔てた扉を力一杯に押し開けた。

 いつもはベルタやメル、他のメイドや騎士が開けてくれる少し重い扉をクリアすると迷いはなくなり一目散に両親の寝室へと向かった。


 「お父さまお母さま!アデリナです!おはようございます!」


 両親の部屋の扉を開け、入った扉の前に立ったままで叫んだ。ここに来たは良いが、この後はどうするのが正解なのか分からず考える。

 いつもなら感情のまま両親の寝室に突進してもおかしくないが、今は大切なお願いをしに来ているので、両親からお叱りを受けるわけにはいかないのだ。

 しかも明日の夜は祭りに連れていってもらえる約束をしたのに、自身の行いのせいでそれが無くなる恐れも予想して閃いたのが【まずはお行儀良くあいさつする】であった。

 大声で二度、三度叫ぶと少し離れた先にある扉の向こうがバタバタしだし、すぐさま開いた。


 「……リ…ーナ?」


 扉の隙間から眠そうな顔で出てきたのは母アンナだった。


 「おはようございます!お母さま!アデリナです!」

 「…おは…よう?」


 異様な元気さでそこに立つ娘に、目覚めたばかりの働かない頭でオウム返しのようにを返事する。するとアデリナがトトトっと小走りでアンナの側に駆け寄ってきて見上げた。


 「あの、あのねお母さまとお父さまにお願いがあるの。でもお部屋に誰もいなくて…」


 普段なかなか注意を受けることない緩やかなこの家で、一人で部屋や建物から出ることだけは異常なほどに口酸っぱく言われて育ったアデリナがシュンとなって、いつもはハキハキ発する言葉も段々と尻窄みになる。

 まず起きてからベルタを通さずに両親の元に来ること自体が初めてだった。この精霊祭の休暇等を除き、それほどに夫妻はスケジュールが密に組まれ多忙をきわめている。

 少し不安気に落ち込むようなアデリナの顔を見て近くの時計の時刻を確認すると、その針は五時前をさしていた。

 苦笑い含んだため息のあと『おはようアデリナ』と言いながら、娘を抱き上げ頬に口付けて共に寝室に戻ると、延ばせない書類の処理を深夜までしていたクラウスの眠るベットへと、アデリナをゆっくり下ろし小声で話を再開した。


 「早く目覚めすぎたら誰もいなくて困ってここに来たのね?」


 広いベッドの上に座ったアデリナが隣に腰かける母を見上げ、コクン!と大きく頷く。夫妻とアデリナの部屋にはそれぞれメイドの呼び鈴が設置されていて、その存在や使い方の説明もされているが常に誰かしらが付いているアデリナは、実際触ったことも使用したこともない。

 そのためアデリナにとってある種、部屋にある装飾品や壁紙床材同等の一部のように馴染んでいた。そもそも使う発想がないゆえの今の行動だとアンナは直ぐに思い至った。

 盲点にも気付いた


 「そう、誰もいなくてビックリしたわよね。精霊祭の間はファミリーフロアと裏庭の一部がいつもより警備用魔道具と敷地外の騎士の巡回がより多くなっているから廊下の行き来は一人でも大丈夫だけど、精霊祭の間の移動は私達としましょう」


 そう告げると目に見えてホッとしたようなアデリナの表情に思わず頬が緩む。いつもこのくらいの警戒が出来れば良いのだが、魔道具の動力である魔石は数も限りがあり高価過ぎるため、ルラント家の財力なら大量購入も不可能ではないが、常識的にも対外的に考えても年がら年中起動するわけにはいかない。

 辺境という地はその立地が特別なだけに、他国からも自国上層部からも要らぬ疑心を抱かれて警戒されるのは避けたい。ただでさえ遥か昔属国であった自国の王家は、元宗主国で今尚強大な力を持つ隣国王家の血が入る異質なルラント家を扱いあぐねた。

 その結果が現在の空気のような立ち位置であり、ルラント家もそれを満足して受け入れている状態が続いている。

 時が経ち、もっと血が薄くなれば変化も出てくる可能性もあるが、それが一代先か二代先かまで予想など付くものでもない。

 アンナが一瞬でそんなことを考えていると、アンナとアデリナの気配に目覚めたらしいクラウスが薄く目を開く。


 「ん、…ん……?」

 「お父さま、おはようございます!」


 なぜか目の前にいる娘の、普段より力の入った良い?笑顔と良い挨拶に困惑しながら身を起こす事になったクラウスと、それを見守るアンナの長い一日の始まりだった。


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