第8章 運び屋ロブと王立学園

王城を中心に、一周囲むような貴族街の一角にある、真新しいウェスヘイム子爵邸にお世話になって数日。


名目上はリナとクララの護衛ではありつつ、ラビット氏は食材の売買、スケさんは珍しい素材の刀を探しに武器屋巡り、ヴァル氏は王都にいたくないと研究所へ、と各々が自適に時間を過ごしていた。


残った3人はといえば、入学試験の勉強を続けていた。入学後、成績が良い方が治安のいいクラスに入れるらしい。


実はロブも勉強をしているうちに面白くなってきていて、学園に通うのも悪くないかもしれないと絆されかかっていた。


一応、学園に通った経歴があると、シルバーBランク昇格試験に必要な基礎教養試験が免除される、というメリットもあるそうな。


また、他にもいくつか学園内には気になる設備があるという。


『学園占有ダンジョン』は、学園の生徒を対象としたダンジョンになっていて、あまり世間に情報が出回ってないダンジョンに挑戦するのも面白いと思っている。


一度入ってしまえば、後は入り放題という側面もある。良い素材や食材などがあればチャンスだろう。


『学園図書館』については、ヴァル氏から『閉架書庫』に関する興味深い話を聞いている。


ヴァル氏が学園に関わっていた当時の話だが、王立研究所の研究成果が収蔵されることになっているらしいのだ。


また、現代に流通するポーションに比べて、当時はもっと効果のあるポーションが流通していたという話もあり、そういった薬学に関する資料も見つかるのではないかとのこと。


ただし、閉架書庫に入るには『成績優秀者』と学園から認められる必要があり、その条件が不明なことは不安材料ではある。


もし中学から高校にかけての数学程度の知識チートで点が稼げるなら、チャンスはあるかもしれないあると思っている。


……まあ、あまり目立つとお貴族様に目をつけられて面倒が発生しそうなので、注意は必要ではあるのだけど。


なお、1年通えば基礎は修了とのことで、卒業が可能だそうだ。


一般には3年、専門職を目指すと4〜6年での卒業で、何かしらの成果を上げた成績優秀者は王立研究所に配属になり卒業、という場合もあるらしい。


恐らく、リナとクララは3年での卒業になるのでは、とのことだ。


──明日の入学試験に向かうに当たって、1つ気になることがあったのでリナに訊ねることにした。


リナがそもそも『成長レベリング』するきっかけとなった、豚辺境伯令息との勝負についてだ。


いつ、どこで挑まれるかも分からないし、勝負の条件についても詳しく聞いてなかったので確認したところ、どうやら条件などを決めていなかったらしく、リナも確かに何度も挑まれても面倒だと思ったようだ。


いっそ、『リナが負けた場合は婚約の権利を得るものとし、その履行と破棄は一方的に辺境伯令息が持つ』といった文面で釣って、その代わりに『立ち合いは1回のみ』と条件を付けて【契約魔法】で書面を交わすのもアリかもしれない。


正直なところ、勇者様ことスケさん相手に訓練を積んできていて、『成長』も【剣術】も成長スキルも上げているリナは、時々動きを追うのが辛いぐらいになってきている。


……この先の展開があまりに読めてしまい、ご愁傷様としか思えないのだけど。


──翌日、スケさんとラビット氏に馬車で送ってもらい、学園の降車場へと降り立った。


ここからは、リナとクララの護衛はロブ1人で行うことになる。


正面にある建物の入口に並ぶテーブルに受験票を提出して受付を行い、会場の振り分けが行われるらしい。


そうして係員に話しかけた時だ、背後から「カタリーナ!」とリナを呼び捨てにする声が聞こえてきた。


一度も会ったことは無いが、その声で誰であるかが想像ついた。豚辺境伯令息である。


その答え合わせかのように、リナは振り向くこともなく、公衆の場で呼び捨てにする不躾な知り合いはいないと切り捨てた。


なおも馴れ馴れしい口調で、自身が婚約者であると宣言し、肩に手をかけようとしたので、あまりの嫌悪感に思わずその腕を掴んでしまった。


豚令息から何者かを問われたので、咄嗟に「カタリーナお嬢様の護衛を務めている者です」と執事モードで返答してみた。護衛依頼中なので嘘は言っていない。


掴まれた腕を必死に振り解こうともがく豚令息だったが、ロブの腕を一切動かすこともできていない。


成長レベリング』していたという話が本当に事実かどうか疑いたくなる。こちらは前衛どころか戦闘職ですらない、しがない運び屋ポーターなのだけど。


改めてリナに執事モード継続で知り合いなのかを訊ねるが、その意図を理解したリナは若干笑いを噛み殺しながら「先ほど言った通り」と否定した。


ならばということで、初舞踏会前の婦女に触れると要らぬ誤解を生むため遠慮してほしいとお願い・・・する。


しかし、あくまで豚令息は「婚約しているんだから、誤解じゃない!」と、あくまで引く様子は無い。


仕方ないので、婚約を証明する契約書の有無を確認する。一般に、双方の親が署名した婚約を証明する書類を作る慣習はあるらしいので、その有無を確認したわけだ。


当然ながら、そんなものは無い。尚も豚令息は「婚約したも同然だから」と引き下がらないが、それであれば単なる赤の他人である。


お引き取り願いつつ、掴んでいた腕を離して差し上げると、必死に引き剥がそうと体重をかけていた豚令息はひっくり返ってしまった。


すると今度は、リナのことを「ダンジョンにも潜れなかった臆病者」とののしり始め、Lv.12まで上げたから勝ち目は無いと喚き出した。


……Lv.12というのはどうやら本気で言ってるらしく、冒険者を雇って半年パワーレベリングしたにしては、どう考えても低すぎる。サボっていたことがバレバレだろう。


しかし、『成長』によるステータスは確かに2倍程度にはなっているはずで、それで増長してしまったのか、自信満々で自慢をしているのだと思われる。


終いには、一緒にいるクララにも手を出そうとしてきたので、聞くに堪えなくなって言葉を遮り、無視して係員に入学試験の手続きを進めてもらうことにした。


豚令息はなおも「護衛ごとき」とか「無礼」とか言い、騒ぎ出した。


……定番ではあるが、学園の中では『身分を笠に着て他者に命令や催促などを行うことを禁ずる』という規定がある。


豚令息の言葉に、その『身分平等』規定を指摘してきたのは、係員の後ろから出てきた長い特徴的な耳を持つハイエルフだった。


随分とゴージャスでファビュラスな格好のハイエルフは身分を学園関係者であるとだけ明かし、まだ続けるようであれば水晶で辺境伯家に連絡を入れて、判断を仰ぐことになると釘を刺した。


嫡男であっても王都の学園に通うことは必須ではなく、いずれかの学園を卒業すれば問題ないそうで、辺境伯領内にあるという学園に引き取ってもらうことをちらつかせたところで、ようやく豚令息も引き下がったようだ。


「覚えてろよ、すぐに吠え面かくことになるんだからな」と三下セリフを吐いて離れていったところで、ハイエルフから試験前に騒がせてしまったことを謝罪される。


しかし、学園にいるというハイエルフについて、ラビット氏から偶然聞いていたロブは、むしろ絡まれていたところを助けてもらったと感謝すると共に、彼女の正体が学園長だと指摘した。


商業ギルドのギルドマスターや王立学園の学園長など、生き字引といった感じで長く務められるエルフは組織の長を押し付けられがちらしく、500年前からその傾向は変わっていない、と元・王立研究所の最高顧問が愚痴っていた。


正体を見破ったことに驚かれたが、その辺りは適当に商業ギルドにも登録しているので情報が命だとでも言っておく。


すると、向こうも何かに気付いたのか、ロブのことを知っているかのような素振りを見せる。


何かがバレそうで嫌な予感がしたが、そのタイミングで係員が水晶での手続きを終えたらしく、受験票を返却しながらこの後の案内をしてきた。助かった。


学園長もそれを聞いて、試験前に留めるわけにはいかないと引き下がってくれたようだ。


……ただし、最後にカタリーナとクララ、そして『ロビンソン』と商業ギルド登録時の名前を呼ぶことで、相手が誰であったか把握していることを告げて、だが。


──学科試験は、9時開始で4時間かけて行われた。


試験は必須3科目と選択3科目の問題が一斉に配られ、解答の時間配分は自由となっている。


今回は試しに全教科を解いてみるつもりだったので、国語と算数をサクッと終わらせて時間を稼いだ。


感触としては、国語と算数は問題なし、歴史は5割は取れたぐらい、科学はそれなりに手応えあり、古文と法律は全然だった。


『歴史』については2週間前に5点しか取れなかったとは思えないぐらい、書いてある内容に見覚えがある状態になった。


恐らく、【空間収納】に影響して『成長』でもINT知力が上がりやすい結果、記憶力が上がって一度読めばある程度は覚えられることが、理解にも繋がったんだと思われる。


攻撃魔法が使えないから宝の持ち腐れだと思っていたが、思わぬ形で恩恵を受けたかもしれない。


『科学』はこの世界においては薬学と魔法理論のことを指していて、しかしやっていることは用語の定義を覚えて計算を解くという、前世のそれと似たようなものだった。


点数にして良ければ7割取れたかな、というぐらいには手応えがあった。


『古文』は魔法陣にも関わる、古い文章を読み解くための学問になり、他に古代魔道具の取扱説明書を読むためにも使われるらしい。


魔法陣の勉強にはなったものの、こういった教科は読んだ量によって語彙が決まるものなので、圧倒的に時間が足りなかった。


『法律』も同じようなもので、いわゆる六法全書みたいなものを読み込んだり、用語や用例をどれだけ知っているかだったりと、ある程度時間をかけて覚えるもののようで、全く解けた感じは無かった。


──試験が終わり、1時間の食事休憩が入る。この後14時からは実技試験となるので、その前の準備の時間も含まれているようだ。


学食が解放されているようなので2人と移動し、ラビット氏の作ってくれたボックスサンドを食べながら、試験の手ごたえを話した。


リナは算数ですこしつまずいたらしく、クララは歴史が苦手なためそこそこだったとのこと。


この後の実技試験だが、戦闘での位置取りに準じて『前衛』と『後衛』に分かれており、試験会場も2つに分けているようだ。


受験番号により会場を回る順番と時間が指定されているので、それに合わせて動くことになる。


ロブたちは『後衛』が先になるため、食事を終えたところで移動することにした。


──『後衛』の試験会場となっている、50cmほどの的が並んだ屋外運動場で、受験番号が呼ばれるのを待つ。


試験内容としては、的から30mほど離れて遠隔武器か魔法で3回攻撃を当てること。常識的な範囲で威力は問わないものの、コントロールが効かない魔法は不可だそうだ。


なお、体質などの問題がある場合は事前に申請し、別日に会場を用意して試験を受けることも可能とのこと。


また、本来ロブの【空間収納】のように非戦闘職のスキルを授かっている場合でも、戦闘力の確認のために『前衛』と『後衛』の試験を受ける必要があり、前衛を棄権する代わりに誰でも撃てるクロスボウを選択して『後衛』の試験を通すのが一般的らしい。


番号が呼ばれるまで前の受験生の様子を見ながら待機していると、後ろから聞き覚えのある声がかけられた。


捕虜となっていた貴族の1人、ロブが介抱していた男装の子女で、名前はブート・デレクレボフト嬢。男爵家の令嬢だ。


やはり、彼女も受験のために王都に向かっていて誘拐に巻き込まれたらしい。


あの後、シュナムベインの領主経由で家族とも連絡がついたようで、その後に王都に向かって受験に間に合ったようだ。


そういえば、冒険者ギルドへと送り届けるまでにリナと言葉を交わすタイミングも無かったので、雇い主という立場の彼女を紹介する。


無事でよかったとリナが気遣うと、ブート嬢は助けが来た自分たちはまだ幸いだったと言う。


そう、実は王都に通じる他の街道でも同様の襲撃があったようで、受験生の一部が王都に着いていないらしい。


ブート嬢によると、この時期は街道の見回りが強化されるため、例年と同様に道中は安全だろうと思っていたそうな。


しかし直近に王都周辺や学園で誘拐騒ぎがあった結果、王立騎士団の警備がそちらに割かれて街道が手薄になっていたんだとか。


またブート嬢自身も『成長レベリング』により暴漢程度であれば対処できるだろうと、冒険者を雇うことなく旅を結構してしまったことが落ち度だったと、悔やんでいる様子。


本来であれば、冒険者に馬車の外を歩かせることで牽制するらしいが、そういったものが無いことで狙われた可能性もあるそうな。


なるほど、リナの馬車が狙われた理由も、これで合点がいった。


見た目上、町の出入りはラビット氏が御者台にいるだけで、貴族家とわかる箱馬車が街道を王都へ向かっていたわけで、ブート嬢のそれと同様に狙われたのだろう。


一方、リナを護衛予定だったシルバーBランクのパーティは、侯爵家の御息女を無事に届けることができたそうな。


そう考えると、他の街道で失踪している貴族の子息というのも、ブート嬢たちと同様に護衛を付けていなかった可能性はありそうだ。


ブート嬢はあの後、手配できた馬車と護衛の冒険者で王都へと辿り着き、現在はオベラジダ辺境伯の屋敷に身を寄せている。


今回の襲撃で、同行していた御者とメイドを亡くしているようで、彼女は人を護ることの難しさを知ったそうな。


騎士団長である父親の血を継いだのか、彼女も【騎士】スキルを持っており、盾や槍を得意としているらしい。


学園へ入れるなら、自身ぐらいは護れる強さを身につけなければ、と考えているとのこと。


……盾職はパーティ内に是非とも欲しいポジションだ。ヘイト管理や被弾の受け持ち、落とされると困る後衛の防護など、いるだけで取れる戦法が格段に広がる。


今後のことを考えても、リナやクララのダンジョン探索で、大いに助けになるメンバーかもしれない。無事に入学できたら、交渉してみるのもよさそうだ。


ちょうど受験番号が呼ばれて話はそこまでとなったが、別れ際に無事合格できたら恩を返したいと言っていたので、渡りに船だろうか。後でリナとクララにも相談しておこう。


──『後衛』の試験は、冒険者ギルドに提出しているまま【土魔法】で申し出て、土団子を格納門砲ゲートキャノンで3発撃ち出して終わった。


魔法というのは便利なもので、『いい感じに的の芯を外して放物線を描く感じで』と指定することで、オーダー通りの結果を出してくれた。


一方でリナはと言えば、ド派手な火球を的に当てて大爆発させており、すぐ横の受験生に悲鳴を上げさせていた。


きっと、スケさんから譲ってもらった【火属性強化】のブレスレットも外してきたので大丈夫だろうと思い、普段は撃ち慣れてない【火魔法】の加減を間違えたのだろう。


ちなみにクララはクロスボウで【聖属性付与】したボルトを撃ち込み、卒なく的に当てていた。


しかし、見た感じだと割と的に当てられる人が少なめで、残念な感じではあったので、相対的に目立ってしまったかもしれない。


──次は『前衛』の試験だったが、会場への移動は15時を目安にすることになっていたので、空いた時間でクララの【聖属性】用の試験である『戦闘補助』の会場に向かうことにした。


『戦闘補助』とは、直接的な攻撃性の無いスキルを評価するための追加試験項目で、クララの【回復ヒール】や【聖属性付与】、あるいはリナの【火属性付与】なんてのも該当し、評価が入ると実技試験に加点される。


クララは『前衛』を棄権するつもりだったので、こちらでの評価を受けておくことにしていた。


当然ながら、ロブは【空間収納】を見せる気は無かったので、こちらはパスする予定だ。


『戦闘補助』の会場に着くと、先ほどとは別の聞き覚えのある声が受付から聞こえてきた。学園長のハイエルフだ。


受験者が3人のうちクララのみであることを申告すると、残り2人も何か補助スキルを見せれば評価になると勧めてきたが、こちらは『前衛』試験を受けるのでと辞退した。


学園長は素直に引き下がり、クララの試験へと移ってくれたが……「それは残念ね」と、スキルを持っていることは見通しているかのような言い回しが気になった。


クララの試験は【聖属性付与】による聖水の作成と【回復ヒール】の性能評価だそうだ。


彼女にとって聖水の作成は日々のお勤めで手慣れたものだが、学園長はその作成量と作成速度に驚いているようだった。


まあ、シスターに魔力を抑え目にするよう言われたとの話なので、一般的な水準は超えているのだろう。


続いての【回復】だが、こちらは『前衛』の実技試験が対人戦らしく、怪我をした受験生が次々に来る『救護室』の患者を回してもらうようだ。


若干、そんな怪我人が出る試験は、回復スキル持ちの受験生を当てにしてるんじゃないかと疑いたくなる。


救護室へと早速向かうことになったが、ふとこのままクララが行って大丈夫なのかと不安が頭を過った。


何せ、クララは現在Lv.20で【聖属性】Lv.9、MPだけでもパーティを組んだ当初から20倍になっている。


まして成長ポイントを振ったことで、性能補正によるMP軽減と回復量上昇が効いている。


…………本当に大丈夫か?


──案の定、救護テントではクララの無双っぷりが発揮された。


明らかにクララの前の列だけ消化が早く、係員も優先的に回すようになる始末だ。


他の受験生もいるようだが、数人の治療で次々にリタイアしていくので、未だに平気そうなクララが相対的にも目立ってしまっていた。


終いには、学園長から「このまま救護作業を手伝ってもらえないかしら?」と言われてしまう。


結局、その後も次々に来る怪我人に、役に立てるのであればとクララが残ることを申し出たので、ロブとリナは2人で『前衛』の試験に向かうことになった。


……念のため、これが「きちんとクララの『戦闘補助』の成績として評価されるんですよね?」と釘を刺しておいたが、一瞬忘れていた表情だったのは見逃さなかったぞ、残念エルフBめ。


加えて、『誘拐騒ぎ』関連についても頼んでおいたが、そちらは流石に学内で発生したこともあって承知していたようで、責任持って護るとのこと。


まあ、クララにはヴァル氏謹製の【結界】の魔道具も持たせてあるし、【自動追尾】で格納門を残しておいたから、いざという時は逃がせるだろうけど。


念のためクララに上級MPポーションを持たせた後、リナと『前衛』の試験会場へ向かうため、救護テントの出口へと向かった。


と、その背中へ学園長が言い忘れていたことがある、と声をかけた。


何かと思うと、リナに向けて『この後の試験、気をつけて』と言い出した。


どこか予言めいた言葉に意味を問うもののはぐらかされ、『試験が終わるまで気を抜かないで』とのこと。


そのまま学園長は行ってしまったので、リナからどういう意味だと思うか聞かれるが、何とも言えない。


ただ、試験で気をつけると言われて思いつくのは、何かが仕掛けられているケースとかだろうか。武器が壊れているとか、呪われているとか。


とはいえ、リナの実力を考えるとデバフが効いたぐらいで丁度いい可能性もあるので、問題ないだろう。


しかし、学園長は『貴女なら大丈夫だとは思う』とも言っていたのが気がかりだ。


……何らかの【鑑定】能力を持っているのではないだろうか。『成長』ぐらいは見られていた可能性がある。


もっともユニークスキルである【空間収納】については、リナたちのステータス画面のパーティ表示でも当初は『読めない』と言っており、ロブから明かすまでは確認できていなかったようなので、その点だけは安心なのだけど。


いずれにせよ……学園長には注意が必要だろうか。


──リナと2人で『前衛』の試験会場へと入り、試験の様子を眺めながら順番が来るのを待つことにする。


『前衛』の試験内容は、5m四方の枠内で受験生2人が試合を行い、戦闘能力を測るものになっている。


武器は貸し出される木製のもので、片手剣や短剣、両手剣などの他、盾なども各種用意されている。


もちろん、有効な打撃を与えればいいだけであり、実際に倒して怪我をさせる必要はない。


ただし、クララのいる救護テントに来る数を見る限り、白熱した受験生が続出しているようだけど。


『前衛』の試験はクララのように棄権する受験生がいるため、番号順に待つのではなく、手書きの表に記載されたグループ分けを確認して待機することになる。


表を確認すると、リナと同じグループらしい。そうなると、ロブとも当たる可能性はあり、完全に勝ち目が無い。


しかし考えようによっては、他の受験生ではリナに全く歯が立たず、酷い怪我をさせてしまう恐れすらある。


そう考えると、ロブならまだある程度は合わせられるだろうし、いい感じに怪我もせず負けることもできるとは思う。


……【スラッシュ】などのスキル技だけ縛らせてくれるなら、だけど。


万が一対戦相手になった時のためにと、リナへ相談しようと声をかけたところ、様子がおかしい。


その視線を追ってみると……学園の建物の辺りに、豚令息がいることを発見してしまった。


学科試験の時には見なかったから、『前衛』『後衛』でも別の組なのだろうと思っていたが、それなら何故まだここにいるのか。


しかし、よくよく思い出してみると、豚令息が去り際に『すぐに吠え面をかくことになる』と言っていたし、その後に何か・・を探すように見回してから移動していった。


これと、学園長の『この後の試験、気をつけて』との助言を踏まえると……学園の中に豚令息の息がかかった連中がいて、何かを仕組まれている可能性に思い当たる。


仮に、組み合わせでリナと豚令息がマッチングされたとしても、受験番号だけで組み合わせが発表されているようなので、『偶然』で通されれば追及のしようがない。


……ただしこの筋書きは、あくまで豚令息たちが本当に『リナがダンジョンに潜っていない』と思っているから仕組まれた企みであり、そこが覆るだけで完全にコメディ化してしまう。


リナのような、負けん気が強く冒険者になってしまう脳筋令嬢が、本当に何もしていないわけがないのだけど。


ある意味で、豚令息はザマァの才能があるとも言えるだろうか。


──ロブとリナのグループに招集の声がかかり待機場所に向かうと、案の定ではあるが豚令息が待っていた。


事前にリナの方から、待機時間中はたった数分間だし無視を決め込んで耐えようと言っていたものの、実に鬱陶しい絡み方をしてきたために我慢の限界が来たリナ本人が『その臭い口を閉じろ』とキレてしまった。


怒気を孕んだリナの言葉に唖然とする豚令息に、ついでとばかりに『しつこく何度も挑むような覚悟のない奴は二度と相手にする気はないが、それでもこの場で挑んでくる覚悟があるのか』と畳みかけ、挑戦条件を押し付けていく。


これは周りでも聞いている志望者がいるので、仮に契約的な拘束力が無いにしても、入学後の噂ぐらいにはなってくれるだろう。


すると、豚令息がチラチラとロブの方を見ながら『代理は認めないからな』と言い出した。腕を掴まれて振り解けなかったのが、よほどショックだったんだろうか。


しかし、これはむしろ好都合だろう。豚令息側でも、ゴールドAランクの冒険者とかを代理として出す可能性を潰している。


……もっとも、代理が効く場合には、こちらもこちらで最高の手札である『般若の仮面』を切らせてもらうことになるだろうけど。


さて、仮に仕組まれているとなると、せっかくだしリナの対戦の様子を見たいところではあるが、同じ組での試合のためザマァを生で見れないことが悔やまれる。


とっとと試合を終わらせて見に行くことも考えたが、それは当たった相手に悪いだろう。やはり、互いの力量を係員に見せないと、意味がないだろうし。


……と考えているうちに試合の時間が来たようで、係員により番号が順に呼ばれていく。どうやら豚令息とリナが予想通り対戦することになるようだ。


ロブの番号も呼ばれたので先導する係員の元へ行くと、こちらの対戦相手は小柄な少女のようだった。


道すがら、その対戦相手が『後衛』の試験の時にロブのことを見知っていた様子で、【土魔法】を使っていた人かと問われた。魔法職が『前衛』も受けるなんて珍しいと思ったらしい。


『運び屋をやっていて、腕試しみたいなものです』と、それっぽい言い訳をしたところ、先導していた係員から不正の疑いがかかるから私語を慎むように注意を受けてしまう。


慌てて頭を下げつつ、短時間で決着をつけたいので、対戦相手に小声で交渉をする。


事情で短時間決着させたい、30数える間はこちらから手を出さないので、その間に1発でも入ったら降参、数え終わったら即終了させる、と。


対戦相手は僅かに頷いてくれたが、その申し出を挑発と受け取ったのか捉えきれない相手と見たのか、あまり機嫌が良い雰囲気ではなかった。


謝るのは後にすることにして、木製のナイフを構えて試合開始を待つ。対戦相手の得物は短剣で、低い姿勢の構えをしていた。


試合開始の合図と共に対戦相手が飛び出してきたが、思っていた3倍ぐらい速い動きに驚かされる。


『成長』があるから大丈夫だろうと高を括っていたものの、あまりの動きの高さに全然余裕が無いことを知って、使える手札を切ることにした。


以前、リナの動きが追えなくなってきたとスケさんに愚痴ったところ、教えてもらった裏技が、『視界』の身体強化だった。


これを起動すると、時間感覚が変化して、世界がスロー再生されたようになる。


慣れるまでには時間がかかり、視界ばかりではなく聴覚にも影響するし、身体の動きもゆっくりとしか動かせなくなる。


しかし、相手の攻撃が早めに分かるだけで、避けるにも反撃にも確実なアドが取れる。


実は外の経過時間が分からなくなる、ということに気がついたのは起動した後だったので後の祭りだったが、10発ぐらい攻撃を受ければ丁度いい時間となるだろう。


フェイントを入れたり、視界の視覚をついたりと、素早さを主体とした本職の冒険者を思わせるような彼女の機敏な動きに面食らうが、学園の水準の高さに驚いていられる程度には、視界の身体強化によって余裕があった。


4回、5回と彼女の攻撃を避けていく。パリィとかも出来なくはないが、今までゴブ師匠やリナと手合わせしてきて、筋力にせよ防御力にせよ圧倒的なステータス不足を実感してからは、まだマシな素早さを主体として避ける戦法となっていった。


パーティの役割としても、最悪ロブさえ逃げられれば遺体でも何でも遠隔で回収できるし、事実上は無限に状況をリカバーできてしまうので、逃走を阻害する重装備で被ダメを想定するよりも攻撃を受けない戦法の方が有用だろう。


──そうこうしているうちに9回の攻撃を受けきり、次が最後の攻撃となった。


実際の時間も丁度30を数える頃合いなのか、彼女も間をとって息を整えてるように見えた。


しかし、わずかに口元が動いていることに気が付き、魔力感知で確認すると手の辺りに魔力が集まっていることに気がつく。


この視覚強化中の魔力感知は有用であるものの、負荷が重なるためなのか、かなり激痛を伴うので常用は出来ない。


なるべく短時間で魔力感知を切ることと、視覚強化を切らさないことだけで精一杯だ。


さて、魔力が集まっていた手元を注視していると、その手に持った短剣を大きく振り上げ、なんと投擲してきた。


その軌道から外れるように身体を動かして避けることにするが、その軌道は移動した方向へと曲がってくる。


これは【必中】や【追尾】といったスキルだろうか。彼女の『後衛』の試験でも見ておけば分かったかもしれないが、ここで対戦するとは予見できるものではない。


短剣の後ろでは、こちらへと彼女が走り込んできている。追尾する短剣が当たれば勝ちだし、短剣を弾けば隙ができるから、懐に入り込むチャンスといったところだろう。


誰か冒険者辺りから学んだのか、その動きを素直に凄いと感じた。


だが……こちらも元勇者や現役のダンジョンボスにずっと鍛えられてきたのだ。格好悪い負け方をするわけにはいかない。


視界強化をかけたまま全身・・へ身体強化をかけると、時間の流れが遅くなった視界のまま視界と・・・等速で・・・動くことが出来る。


ゆっくりと近づく短剣を空いている左手で掴むと、彼女の後ろへと回り込んでその短剣を首元へ添えて、そのまま視界強化を解除した。


恐らく元の時間の流れでは、目の前にいた相手に一瞬で背後に回られたように感じられただろうが、実際のところは魔力頼みの身体強化で高速化すれば実現可能で、MPさえあれば誰でも出来る技ではあった。


……ただし、視界強化中の全身強化は魔力感知と同様、身体へ相当な負荷をかけるため、調子に乗って繰り返すと動けなくなるので注意が必要だ。


一瞬の出来事に理解出来ず、間を置いて驚く彼女の声が出る中、同じく状況を理解できてなさそうな試験官に声をかけて、試合終了を確認する。


これで恐らく、試験として彼女の動きは見せられたと思うし、結果は負けたものの十分に評価されるだろう。


貸し出した武器を元に戻したら出口へ向かうよう、こちらに告げて係員が受付の方に去っていく中……未だ彼女は放心状態だった。


武器は双方の分を持っていたので返却しつつ、リナの場所をレベルの上がった【気配察知】で探しておく。


【気配察知】がLv.3になり、【気配追跡】という副次機能が追加されたことで、既知の相手が感知範囲内にいれば察知できるようになった。


今回の護衛依頼の直前に追加された、ベストタイミングなスキルだろう。


他にも、Lv.3になって今まで必要な時だけアクティブに起動していたものが、常用のパッシブに切り替えられるようになったり、性能補正により感知距離が2割広がったりと、相当使い勝手が上がっている。


そんな【気配察知】でリナの位置を捕捉すると、どうやら未だ細かく動いている気配があるので、試合中のようだった。


今の位置からは他の受験生で見えにくいので会場から出ようかと考えたところで、対戦相手の彼女がしゃがみ込んでしまっているのが目に留まった。


放置するのも憚られたので大丈夫かと声をかけるが、どうやら言葉も覚束ないほどショックを受けているらしい。


そこまでのことだろうか、と思ってしまうが、よくよく考えると姿を見失うのは結構なことのようにも思えて、スケさんやリナを基準とした動きに見慣れておかしくなってる可能性はありそうだった。


さておき、出口へと向かうべく立ち上がれない彼女へと手を差し出す。


しかし……ふと、この場にいる中に貴族も多く含まれていることを思い出し、目の前の動きやすい服装に着替えている彼女が果たして手を触れていい相手なのか、という疑問が浮かんでしまった。


まあ無礼を働いていたとしても、知らずにやってしまったことなので五体投地でもして平謝りする他ないだろう。


……なんて余計なことを考えていたのが間違いだった。


【気配察知】でちょうど彼女の背後から何かが急速に近付いていることに気がついたのは、既に避けられそうにない距離で。


咄嗟に彼女の手を引いて身体の位置を入れ替えると同時に、視界強化をかけて時間を遅延させた。


その既に1mほど先にまで近づく物体は……名状し難い正視に耐えない肉塊だったが、恐らくリナに飛ばされてきた豚令息であろうと辛うじて判断できた。


バットでもあれば打ち返したいところではあったが、既にナイフも返却してしまったので、諦めて左手の拳で受け止めてあげることにして、身体強化で足を踏ん張りつつ視界強化を解除した。


──飛び散った液体を【清潔クリーン】で落としつつ、応急処置として目の前の肉塊には上級ポーションをぶっかけておいた。


……生体反応があるので、残念ながら生きているらしい。生命力だけは高いな、豚令息。


心の中でモザイクをかけつつ、そちらについては片付いたものとした。


問題は右腕の中の方で、ちょうど対戦相手だった少女と身体を入れ替えた体勢が、肩を抱き寄せたような格好になってしまっていたこと。


声をかけてみたものの、こちらもこちらで気を失ってしまったらしく、腕の中で力が抜けてしまった。


その時、後ろから声をかけられたので振り返ると、この状況を作り上げた主犯であるリナが立っていた。


「何をしているのか」と、どこかの娘を襲っているかのような状況を非難する問いかけをされたが、文句を言いたいのはこちらである。


──対戦相手の少女はリナが背負ってくれることになり、豚令息だったものは以前に作った木製の台車へと乗せた。


2人とも係員にでも任せたいところではあったが、どうやら別の係員が現在待機場の辺りで暴れているらしく、収拾つかなくなっているという。


だからといってその場に放置も出来ないので、クララのいる救護テントへと運び込むことにした。


その道中、名状し難い肉塊が飛んできたことと、その暴れる係員の発生原因となった、リナの試験の一部始終を語ってもらうことになった。


◇◆◇


──遡ること、15分前のこと。


『前衛』試験の会場となる場所までの移動中、延々と『成長』のことを自慢している勘違いオークを何度となく斬ろうとする衝動に駆られながら、リナは無視して係員の後をついていった。


ここがダンジョンであれば、どれほど良かっただろうか。あっちのオークは容易に処分できるのに。


ややあって、試験会場に到着して係員が足を止め、武器を選んで白線で待機するよう指示してきた。


試合時間を公平にするため、一斉に開始の合図が入るようだ。


籠に入った武器を取りに行こうとしたところで、係官がリナの服装を見て着替えを忘れたのかとケチをつけてきた。大きなお世話だ。


この衣装は蜘蛛の魔物の素材である特殊な糸で編まれており、高い防刃性と防燃性、加えて魔道具師による防御力上昇の付与がされている。


そして、布製で軽くて動きやすいにも関わらず、凡百の鋼鎧よりよっぽど打撃に耐えられる。


しかし何より、とある衣装職人によって考案されたという見た目が可愛いのだから問題ない。


そんな係員の声に足を止めていた間に、オークは我先にと武器を手に取ったらしい。


こんなのに先を譲られても嬉しくはないが、女性を優先にする作法を完全に無視されるのもまた気に障る。


オークが手に取ったのは、背丈ほどある大剣のようだ。威嚇のためか振り回しているが、一応は『成長』したというのは嘘ではないのだろう。


そんなことよりも、早く武器を選ばなくてはならない。そう思い、籠にあった片手剣を手に取ったが、ギシギシとした嫌な手触りがあった。


しかし、既に開始時間は迫っており、問い合わせる間もなく試合開始の声が会場に響き渡った。


『初見の相手は、様子を見て隙を探す』という師の教えに従い、慎重に相手の出方を伺う。


明らかに格下としか思えないオークに対して過剰な警戒ではあったが、それと言うのも理由があった。


それは……この試合そのものが、仕組まれているという確信があったためだ。


──自分より弱い人とは結婚できない。そう言ったのは、1年ほど前の学園への下見に来た時のことだった。


本来、これは豚令息に対して、ただの断り文句として言ったものだ。


何せ、元から良い噂は聞いたことがなく、そして実際に会って開口一番『妾にしてやる』などと宣ったのだから、喜んでお受けしますなんて言うわけがない。


しかし、仮にも相手は辺境伯の令息である。直接的に侮蔑の言葉を投げるには、相手の家格が高すぎた。


そのため、ウェスヘイム家が勇者に仕えた家であることに引っ掛けて、思いついたのがあの断り文句だ。


『ウェスヘイム家は武に名高い勇者に仕えた血筋、たとえそれが夫であっても弱い者に添い遂げるなんて考えられない』


本来なら、それで引き下がるはずだと思ったが……リナには誤算が2つあった。


1つは、その辺境伯の令息が無知だったこと。


自分の怠惰さと力量を見誤ったまま、その言葉を『婚約の条件』であると勘違いしたのだ。


そのため、金を積んで『成長』でもすれば、こんな女に負けるはずがない、と思い込むことができてしまったのだ。


もう1つは、その後の情勢の変化。


ウェスヘイム家で保存していた勇者の魔法袋が本人により開封され、多くの装備品や素材がウェスヘイム家に委託された。


また、他の情勢も合わさって、ウェスヘイム家は子爵家に仕える男爵家から、領地持ちの子爵家へと陞爵された。


そんな話題に事欠かないウェスヘイム家にまだ婚約者もいない娘がいるとなれば、年頃の息子を持つ親なら今のうちに婚約を取り付けよう、といった話になるだろう。


それは辺境伯家も同様で、妙な繋がりではあるものの、既にリナとの関係性があるとなれば、貴族がそれを利用しない手はない。


それが辺境伯の手によるものか、側近によるものかは定かではないが、早期に婚約を成立させようと動いたのだろう。


そうでなければ、偶然にも入学試験で対戦が組まれるなんてことは起らないし、それを起こすために係員を買収するような手の込んだ真似もまた出来るわけがない。


……そう考えると、こんな大規模な計画を立てた者が、単に対戦を組むだけで終わらせるはずもなさそうだった。


試験官となる係員も買収し、またリナの使う木製の片手剣を粗悪なものに差し替えるぐらいのことは、やってくるだろうと。


それゆえ、リナは不要なほど慎重に動いていたわけだ。


──そんなリナに痺れを切らした辺境伯令息は、大剣を振りかぶってリナへと突進してきた。


……が、あまりにも遅い。本物のオークのそれを思わせるほどに鈍重。そして、振り下ろされる剣筋はぶれていて、話にならない。


いくらでも避けられそうだったが、避けてばかりでは芸がないので、次にやってきた攻撃は剣先を片手剣で跳ね上げてやった。


すると、手元から感じたのはパキリという音と共に、片手剣が内部で破断する感触だった。


あまりに予想通りの仕込みであり、リナはこんな茶番に付き合わされる徒労感で既にうんざりしていた。


恐らくは、破損した片手剣は係員に交換を申し出ても無視され、攻撃手段を失ったところを辺境伯令息が甚振いたぶる算段だったのだろう。


仮にここ半年の鍛錬が無かったのであれば、冷静さを欠いて自滅していたのかもしれない。


しかし、この半年ほど戦いに身を置いてきた日々は、この程度のことに動じない精神的な図太さを与えるに至っていた。


ため息をつきつつ、もう終わりかと分かりやすい挑発をすると、激昂した辺境伯令息が大剣を振り回し始めた。


しかし、リナは既に見た同様の軌道を余裕をもって躱していく。日頃の訓練を怠る辺境伯令息の動きは、次第に精彩を欠いていく。


一撃も当たらないのを見かねた係員が、『攻撃をしなければ減点する』などと言い出した。入学試験の資料で、そんな規定を読んだ記憶は無いが。


恐らくは、一撃でも攻撃を入れれば木剣が破損するので、後はなんとかなると踏んでの発言だろう。


しかし、確かに。こちらから動いて、この茶番を終わらせるのもいいかもしれない。


目の前のオークを狩るにあたって、いつもの鍛錬で敵に向かっていく時に出る笑みが、リナの顔に浮かぶ。


それを見たオークは、珍妙な鳴き声をあげながら後退り、恐怖に顔を引き攣らせていた。笑みを向けた令嬢に失礼な反応ではないだろうか。


間合いを詰めながら、『もう来ないのか』と再度挑発すると、辺境伯令息は意を決して大剣を振りかぶる。


しかし、既に見た一辺倒な振り下ろしに、リナは半身で避け、その剣先を足で踏みつけた。


思わず剣を取り落とすまいと動きを止めてしまった辺境伯令息だったが、リナはその手首へと全力で片手剣を叩きつけた。


破裂音と共に木端微塵となる片手剣と、鳴き声とも叫び声ともつかない叫びの中、耳元で騒がれて顔を歪めつつ、その騒音の発信源へ手元に残った片手剣の柄を突き上げた。


低く唸る声になって騒音は少しだけマシになったが、武器が無くなってしまった。


代わりに良さそうな大剣が目の前に落ちていたので拾ってみるが、明らかに木剣にしては重い。


どうやら令息の武器側にも仕込みがあったようで、鉄心入りのものにすり替えられていたようだ。


これで攻撃されていたら、どんな事態になっていたことか。そんな想像も出来ないオークに、無意識で笑いまで出てしまった。


……物を知らない子を叱るのに、叩く場所は昔から尻と決まっている。


膝をついている辺境伯令息の後ろにまわり、大剣を横に大きく構える。ただし、刃先を向けると鉄芯の重さで下手すれば断ち切る可能性があるので、剣の側面が当たるよう調整した。


そして、構えた大剣を全力で振り抜いた。


非常に爽快感のある破裂音と共に、何かを撒き散らしながら宙を舞っていく物体がひとつ。


その一振りは、ずっと様々なものに耐えてきた、それらが全て込められた『会心の一撃』というものだった。


──その後、逃げ出そうとしていた係員の首根を掴んで引き倒し、試験を統括している係員の前に証拠となる鉄芯入りの大剣と共に突き出した。


武器の差し替え、試験への介入疑い……それらを証拠付きで差し出して、とっとと退散することにする。


どうやら、身の破滅を悟った係員が何やらポーションを呷って暴れ出したらしいが、知ったことではない。


最後に後始末として、先ほど飛んでいったものを回収すべく、飛び散った体液の方向を追うことにした。


……これで、面倒から解放されたってことなのだろうか。


いずれにせよ、四半鐘前のそれよりは随分と軽い足取りであることは確かだった。


◇◆◇


──リナによる臨場感たっぷりな事情解説は、クララのいる救護テントに到着してからも続いた。


ちなみに、豚令息と対戦相手である少女は治療を終えている。


もっとも豚令息の方は、名状し難い肉塊を正視してしまったクララが狂乱して【高回復ハイヒール】を連発した結果ではあるが。


ちなみに、アンデッドに【回復】をかける手段はこの世界でも有効らしい。果たして先ほどのそれが、治療のためだったのか攻撃のためだったのかは定かではない。


さておき、リナの話によると『前衛』の試験会場は、係員が暴れていて実技試験どころではなくなっているようだ。


怪我人も数名が流れてきた程度で、それ以降は途切れている。


試験会場が気にならないわけではないが、戻って確認したい程ではない。リナとしても、不正だ何だというのに興味は無いようで、調査は勝手にやってくれればいいらしい。


しかし、こうなると学園に受かったところで通う気になるか、というとナシな気持ちにはなってくる。


リナも子爵に商業ギルドの水晶経由で手紙を送って、相談するらしい。


──そんな話をしていたところ、辞退されては困る、と話に割り込んできたのは、学園長だった。


そもそも、こんな状況で入学試験はどうなるのか訊いたところ、今日のところは中止して、後日に残りの実技試験と希望者の再試験を行う予定らしい。


不正や操作といった不祥事については一切気にしていない様子で、それどころか学園の目的は成績優秀者を集めることじゃない、とまで言い出した。


では何のために人集めしているのかと訊ねると、それは勇者をはじめとして聖女や聖騎士、剣聖……といったレジェンダリーなスキルや恩寵を持った子供たちを集めることであり、また保護することらしい。


ちょうど直近にあった誘拐騒ぎのように、実は昔から勇者や聖女を拐おうとする事件が、それこそ先代や先々代の学園長の時代からあったんだとか。


その理由も様々で、英雄の存在が魔王を呼び寄せるという怪しげな説から、正義を煙たがる商売人、隷属目的、あるいは魔王復活を企む者たち……などなど。


そういった組織から身を守るために『成長』させるのは、自衛手段を持たせるのに適した方法であり、専用のダンジョンを所有する学園であれば、ギルドランクの制約なしに使わせることができる、ということだそうな。


もっとも、現在は入学試験で良い成績を残そうと、事前にダンジョンに入り『成長』を済ませることが、貴族の受験生では常態化しつつあるそうだけど。


とはいえ、学園の本懐は変わらず才能ある生徒の保護であり、残りの枠を社交にせよ就職にせよ自由に使ってもらってかまわないという認識のようだ。


……この学園長の責任感の無さは、教育者としてナシだとは思いつつ、しかし学園の存在意義という仕組み自体は案外まともだと感じた。


仮に、先ほど話に出てきた勇者や聖女を拐おうとする闇の勢力がいるなら、自衛できるほど育っていない異世界人たちが、学園の保護によって救われる可能性があるわけで。


──しかしそうなると、一連の誘拐の起点が実はウェスヘイム家にある、という可能性に思い当たる。


勇者の魔法袋の開封に端を発して、貴族界の話題を攫っているウェスヘイム家だが、そのきっかけとなったのは『勇者の発見』だろう。


王家への報告では、『転生した勇者が確認されたが、本人は正体の公開を望まれていない』としてもらっている。


これは復活したスケさんの実体を隠す意図もあって、あたかも『新たな生命として産まれた』かのようにミスリードするよう仕向けた部分はあった。


そうなると、児童らの情報が集まるタイミングとして関係しそうなのが『王都学園への推薦』であり、そこに『勇者を狙う者たち』の目が向いたのでは、と。


学園長も、その可能性は否定しないようだった。


実際、王都につながる5街道で誘拐事件は発生し、ロブたちが捕まえた犯人たちの取り調べで、入学試験に向かう受験生を狙っていたことまでは判明したらしい。


しかし、辿れた情報はそこまでで、首謀者までは特定できなかったとのこと。


問題はその理由で、取り調べを行った夜には檻の中で30人全員が死亡し、衣類だけが残っているばかりだったそうな。


牢屋は30分毎の見回りが行われており、暗殺にしては一斉に死亡している状況に無理があるため、今のところ【呪術】によるものではないかと見られているそうだ。


現在、他の4街道でも騎士団による捜査がおこなわれているそうだが、残念ながら今のところ情報は上がってきてないらしい。


──学園長は、ウェスヘイム家の動向が誘拐に影響したかどうかを気に病む必要は無いと言っていたが、実際に助けたブート嬢も同行者である2人を亡くしていると言うし、容易に割り切れるものではないだろう。


と、そんな話が途切れたタイミングで、男性の係員が救護テントへと入ってきた。


学園長を探していたようで、待機している受験生の件で話に来たようだ。


学園長は「事前の打ち合わせ通り」と言って、再試験の情報と滞在に関する相談について話した後は、解散してもらうよう指示した。


男性は頭を下げて去っていったが……今の話によると、こんな状況にも関わらず、想定された状況だったかのように聞こえた。


学園長によると、本来は大規模な襲撃と誘拐を想定していたとのことで、その場合は再試験をずらしたり、二次試験という形で再募集する想定だったとのこと。


それに比べれば、今回のような生徒や教師が暴れた程度であれば、日常の範疇だという。


──ここまでの話で随分と内情を暴露しており、問題ないのかを訊いてみると、これぐらいのことは聞かれたら誰にでも答えていたという。


また、問題があったとしても、代わりに学園長なんて面倒な仕事をやりたい者が、エルフどころか人間にすらいないらしい。


実際、彼女が学園長に就いてから後継が現れないまま、何代も王が交代している程度には月日が経過しているそうな。


しかし、こんな不正の横行とか不祥事とかの話を聞いて、学園に入りたいと思うだろうか。


率直にそう聞いてみると、学園長は「無理にとは言わない」とあっさり引き下がった。


しかし、「本当は貴女たち3人のような受験生こそ学園で保護したいところだけど」と意味深なことも言い出した。


……どうやら、成長ポイントを振っていることが学園長には【鑑定】か何かでバレているらしく、そういった成長スキルがあることは『女神の恩寵』と呼ばれているらしい。


異世界人のいるパーティを除いてはあまり見られない現象ゆえに、保護の対象とすべきという見方のようだが……近々、教会への女神像配布によって、そこまで珍しいものではなくなるのだけど。


また、ロブのスキルについても『少し特別だ』ということまでは把握しつつ、【空間収納】というスキル名までは見えていないようだったので、その点については安心した。


いずれにせよ、その『女神の恩寵』とやらが保護の理由であれば、そのうち珍しくもなくなるから、恐らくは保護を受けなくても問題ないだろう。


……しかし、学園長が最後に「この後のことを考えると、少なくともカタリーナさんとクララさんは、学園へと通うことになると思うわ」という予言めいた言葉を残し、それは後に現実のものとなった。


──王都からの帰り道。


スケさんの発案で、また温泉地シュナムベインに寄って1泊しよう、という話になった。


そういえば、誘拐犯や捕虜の救出について報酬などを確認していなかったので、ついでに確認する寄り道も兼ねて、街の門を潜ることにする。


時間は昼下がりで、冒険者ギルドは早めに仕事が上がった冒険者たちが報告に来ており、少し伸びはじめていた列に並んだ。


そんな中、前の方から「勇者様が現れた」なんて噂話が聞こえてきた。


なんでも、王都の学園の入学試験に、魔法も剣も一流の勇者の生まれかわりと思しき子供が現れたらしい。


その勇者様は先日、廃村に住み着いていた盗賊たちを一網打尽にして、全員を捕まえたそうな。


捕まった盗賊たちが曰く、姿の見えないほどの移動で飛び回り、仲間は次々に倒されていったとか。


……それを聞いて、直感した。ここにいてはマズい、と。


──果たして、その直感は正しかった。


既に宿に入っていた皆を追い立てるように馬車に乗せ、街を発ったからよかったが、あと一歩出るのが遅かったら、もしかして領主辺りが噂を聞きつけて、挨拶に来るところだった可能性があった。


噂の状況を次に確認したのは、行きにも寄ったウェスヘイム家と関わりのあるゾーネリヒトの伯爵の屋敷だったが、どうやら噂の存在は確かなようで、むしろ悪化の一途を辿っていた。


なんでも、誘拐があった残りの4街道で子供たちが一斉に発見されたとかで、それまでが『勇者様』によるものだとされていたのだ。


……その後、伯爵に教わった旧道と呼ばれる人目につかない道をひたすらヨンキーファへと進み、早めに帰還は出来た。


しかし……そこからがまた大変だった。


──翌日、拠点へと逃げ込んできたリナとクララを迎え入れると、2人はソファでぐったりと座り込んでしまった。


昨日の今日ではあるものの、既にこちらでも噂は聞き及んでいたが……どうやら2人は『勇者様』と『聖女様』であると世間で認定されてしまったようだ。


『30人の野盗と誘拐犯を捕縛しギルドに突き出す』『8人の児童を救出』『実技試験で強力な火魔法を披露』『対戦相手の仕込んだ武器が壊れる罠を物ともせず勝利』『買収された試験官を突き出す』『同行した【聖魔法】使いが1人で100人を受け持ち回復』……等々。


色々と情報が入り混じってしまっているのが問題ではあるものの、こうやって並べられると、確かにこの旅の成果は『勇者様』あるいは『聖女様』と言われておかしくない戦果を残してしまっていた。


結果、2人にはあちらこちらから婚約やらお茶会やらと、様々なお誘いの依頼が殺到してしまっているらしい。


ウェスヘイム邸や教会は、手紙を持った使用人やら単なる野次馬やらが取り囲んでいて、収集つかない状況に2人はなんとか逃げ出してきたんだそうな。


……仮に、もっと王都に近いシュナムベインで一泊でもしていたら、アウェーで身動きが取れなくなるわ、王都から執事を呼ぶにしても同時に貴族のご子息たちがご到着だわで、大変な事態になっていただろう。


リナの方は今のところ、王子か公爵家辺りの令息と面会することで、他の下位の貴族らの面会を断る算段を、子爵らがつけてくれているらしい。


クララもシスターと相談していたところのようで、聖白銀教会総本山のワムワサフロスへとご挨拶に行くことになるかも、とのこと。


これらの事態を考えると、確かに学園長の言っていた通り、学園にでも入ってほとぼりが冷めるのを待つのが順当かもしれない。


その頃には女神像の配布も進んで、『女神の恩寵』とやらも珍しいものではなくなり、事態は沈静化してくれているだろう。


……その後、完全に他人事だったことを突っ込まれ、巻き込んだ責任を追及され始めた。


結局、関わった情というのもあって、学園には1年限定で付き合うことになった。


なんだかんだ、『貴族』や『教会』という面でも2人との付き合いがあることは、色々と都合がいい。


また、学園は学園で『ダンジョン』や『図書館』、あるいはシルバーBランクでの『試験免除』なんてのもある。


まあ、これもまた1つのクエストだと思っておこう。


──後日。


合格通知が届き、王都に送る書類をリナの方でまとめてくれるとのことで訪問した際、あの豚令息のその後について聞くことになった。


残念ながら、学園での不正は『実技試験無効』程度に留まって、辺境伯家でも謹慎させる程度の処置となったらしい。


しかし、豚令息はなぜか女性にトラウマを持ってしまったらしく、メイドが来ただけで悲鳴を上げて部屋の隅に逃げるようになったとか。


リナは『仕置きが随分と効いた』と言っているが……そりゃダンジョンで敵に向かっていくあの狂気の笑みを向けられたら、誰でもそうなってしまうだろう。


……命が惜しいので、ロブもクララも苦笑だけで押し黙っていたのは、致し方のないことだと思う。


◆ステータス

ロビンソン Lv.34/71%

▼空間収納 Lv.14/45%

 成長ポイント:7

 ▷容量拡大 Lv.3

 ▷時間経過 Lv.3

 ▷距離延長 Lv.7

 ▷空間切削 Lv.3

 ▷格納門増加 Lv.7

 ▷格納門移動 Lv.5(MAX)

▶︎生活魔法 Lv. 6/31%

▶︎鑑定   Lv. 4/11%

▶︎気配察知 Lv. 3/ 9%

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