第75話 真木柱1 結末

 長和4年(1015年)、冬。


 藤式部

 「さあ、みんな玉鬘の物語楽しんでいただけたかな。

 玉鬘のお姫様は結局誰も選べませんでした。

 その結果がこれから話す物語になります。

 でも皆さんはきっと誰かこの人ならと思う人がいると思います。

 皆さんの頭の中で好きな人と結ばれるエンディングを考えてくれれば幸いです。

 人生の物語は、ひょっとしたら途中の選択肢一つで変えられてたかもしれません。

 玉鬘のお姫様も実父との再会にこだわらなければ、頭の中将か弁の少将と結ばれるエンディングがあったかもしれません。

 まあ、中には大夫監たいふのげんを選びたいという奇特な方もいらっしゃるかもしれませんが。

 これはそういう可能性を秘めた物語だと思っていただければ幸いです。

 では始まり始まり。」





 「内裏に知られてしまうのは畏れ多い。

 しばらくは内密にしておくように。」

と釘を刺しておいたものの、隠し通せるものではありません。


 あれから何日か経ったというのに、玉鬘ルリは全く人を寄せ付けず、「何で知らない所でそんなふうに決まってしまうの」と沈み込んだまま立ち直ることもできません。


 右大将スケザネの方は、「何でそんなに嫌うんだよ」と思ってはみても、正式に夫婦となったことを嬉しく思ってます。


 見れば見る程可愛らしく理想的な容姿と性格で、「あやうく他の奴に取られてしまうところだった」と思うだけで胸が切なくなり、仲を取り持ってくれた弁の御許おもとが石山寺の観音様にも思えました。


 その弁の御許おもとはというと、女君ルリが不快感を露わにして近寄せてくれないので、勤めも出来ずに実家に籠っています。


 確かに石山寺の観音様は、あちこちで苦しんでた人達を一通り見た挙句、一番悩んでなかった人にほほ笑んだのでしょう。


 源氏の大臣ミツアキラも「すっきりしない期待外れな結果になった」と思うものの、今さら言ってもしょうがないことで、

 「内大臣の意向に従うと示し合わせていたことだから、今さら結婚を許さないなんて言っても誰のためにもならないし、何も良いこともない。」

と思えば、とりあえず儀式を二つとない立派なものにしようと思います。


 早いうちに右大将スケザネが自分の屋敷に住まわせようと急いでましたが、簡単にそれではと引っ越させてしまうと、あちらにはそれを不愉快に思う人が待ち受けていて、それを思うと難しいのではないかということで、


 「やはりここは穏やかにに、とにかく問題が解決するまで密かに、どちらにも恨みが残らないようにうまくやってくれ。」

と言うだけです。


 実の父の右大臣ナガミチは、

 「これはこれで安心だ。

 事細かく立ち回ってお世話できる人がいないのに、なまじ愛憎渦巻く宮中に入って行っても、どんな苦難が待ち受けてるか不安だったからな。

 もう一人目もという欲もないではないが、既に女御を出しているのだから、あまり十分な世話はできない。」

などと、内輪には漏らしてました。


 実際、御門みかどに気に入られても、二番目三番目の遊び相手程度に思うだけで、後宮での確固たる地位を得られないなら、意味がないようにも思われます。


 「三日夜餅」の儀式のことなどを源氏の大臣ミツアキラ右大将スケザネと手紙でかわすのを伝え聞いては、内大臣ナガミチこの大臣ミツアキラの配慮に「ほんとにかたじけなく有り難いことだ」とお伝えしました。


 このように内密に行われた婚姻のことなども、自ずと女房達が面白おかしく語り伝えて、それがまた人から人へと伝わって行って、珍事として宮中でささやかれることになりました。


 御門もそれを耳にします。


 「残念ながら縁のなかった人だが、それとは別に宮仕えしたいという思いもあっただろうに。

 妃の一人としてではないなら、それを断念することもあるまい。」

と源氏に伝えました。


   *


 十一月になりました。


 神事などが多く、内侍所ないどころが忙しくなる頃で、女官や内侍ないし達が六条院の尚侍の君ルリの所に集まってはいそいそと歩き回っていて、右大将スケザネは昼の間見つからないようにどこかに籠ってますが、それが尚侍の君ルリとしてはどうにも面白くありません。


 まして、兵部の卿の宮などは悔しくてしょうがありません。


 兵衛督ひょうえのかみも、妹の右大将スケザネの本妻が笑い者になっているのが嫌で、、どうにもこうにも憂鬱な所ですが、「今さら恨み言を言ってもどうにもならない」と思い直します。


 右大将スケザネは真面目で通ってた人で、長いこと浮いたこともなく過してきましたが、それが今やすっかり変わってしまい、別人のように浮かれては綺麗に着飾って宵に来ては暁に帰って行くのを、女房達も面白がって見てました。


 玉鬘ルリは元来明るく陽気な性格でしたが、それも今は影を潜めてひどく塞ぎ込んでいることからも、自分で選んだわけでもないのは明白でした。


 源氏の大臣ミツアキラがどう思ってるのかや、宮中出仕ということで引き下がった兵部の卿の宮の心情を思うと、別れ際の優しくて深い思いやりを思い出しでは、どうにもやるせない気持ちを抑えることができません。


 源氏の大臣ミツアキラもいろんな人達から嫌疑を掛けられていたことに困り果てて、「いくら浮気な俺だって、あとさき考えずにいきなりやっちゃうようなことはしたくない」と、若い頃のことも思い出して、紫の上サキコにも、

 「疑ってただろう。」

などと問い詰めます。


 今さら自分の癖が出てしまってもと思いながらも、我慢できなくなった時には「ならば」と思ったこともあったので、やはり吹っ切れません。


 源氏の大臣ミツアキラ右大将スケザネのいない昼間に玉鬘ルリの所に行きました。


 玉鬘ルリは病人のように寝込んでいて、気分の晴れる時もなく塞ぎ込んでましたが、こうして源氏がやって来ると少し起き上がって、几帳に隠れて座りました。


 源氏の大臣ミツアキラも疑いを持たれないよう、ややよそよそしい感じで相対して、普通に世間話などしました。


 武骨な十人並の男に慣れてしまっていただけに、こうして表現の仕様もないようなお姿を拝見するにしても、思いもしなかった今の自分の身の置き所もない恥ずかしさに涙がこぼれます。


 少しずつプライベートな話に入りながら、近くの脇息に寄りかかって、少し几帳の方に目をやりながら話を続けます。


 すっかり痩せてしまった顔をこれも良いなと思ってもっとよく見ようとするにしても、可愛らしさはそのまま残ってはいるものの、手放さなくてはならなくなった運命の気まぐれが悔しく思えました。


 「汲むことのなかった三途の川の水

    他人が背負って渡るだなんて


思わなかったな。」

 そう言って涙に鼻をかもうとする様子が悲しそうでぐっとくるものがあります。


 ルリは顔を隠して、


 「何とかして三途の川を渡る前に

    涙の川の泡と消えたい」


 「消えたいだなんて、相変わらずお子ちゃまだな。

 あの川はいつか必ずわたるもので、渡らずに消えることはできません。

 渡る時も初めての男に背負われることで渡ることができるものです。

 あの時のあと一歩の所まで行ったのですから、背負うのは無理でも手くらいは引いてあげますよ。」

と笑いながら、

 「実際思い知ることになるでしょうね。

 あそこでやり損った大バカ者も、思いとどまってあげた優しい人も、この世に二人とはいません。

 無碍に断ることもないと信じてますよ。」

 そうはいっても理不尽で聞きたくもないと思っていると、気の毒に思ったか、話を変えます。


 「御門が『残念ながら縁のなかった人だが、それとは別に』と言ってたのが気の毒だし、ほんの少しだけでも参内しなさい。

 大将の家に入って大将だけのものになってしまうと、宮廷との交流も難しくなるもんだ。

 当初の予定とは大分狂ってしまったが、二条の内大臣はしてやったりとばかり、満足してることでしょう。」

など事情を詳細に説明します。


 こんなにまで悩んでるのが心苦しいので、このままそれに付け込んで不埒なことをしようなんてこともせずに、ただこういう時どうすればいいか助言をするだけでした。


 あちらに引き渡すことをすぐには許さないような様子です。


   *


 玉鬘ルリの参内は穏やかならないと右大将スケザネは思うものの、そのまま宮中を退出する時に家につれて来ればいいと思って、取りあえず許可しました。


 いつまでもこっそりと六条院に通うのも、もともとこういうのが苦手でしたので、自分の御殿を修繕して、長いこと荒れ放題になって放置されてた調度なども格式に合ったものに急遽取り替えます。


 婆さん呼ばわりしてた昔からの奥方が不満たらたらなのも構わず、可愛がってた子供達も眼中にありません。


 優しくて人情に篤い人ならば、いろいろごたごたしたことがあっても、人に恥をかかさないように配慮する所なのですが、一度思い詰めたら回りが見えなくなる性格なので、そういう所で人の心を逆撫でしてしまうのでしょう。


 夫人のマサコは大宮人として劣った所はありません。


 家柄からしても、父は先帝の親王みこで、かつては兵部の卿と呼ばれ今は式部の卿となられた方で、そこで大切に育てられたために世間の評判も高く、容貌の方も父親譲りの大変美しい人でした。


 ただ残念なことに長年に渡って物の怪の病に苦しめられ、今となっては人が変わったみたいになり、精神的にも不安定で問題を起こすことも多く、夫婦仲も疎遠になってましたが、高貴な家柄の人なので粗末に扱うことはしませんでした。


 珍しく浮気心が生じたときも、その相手がいい加減な人ではなく、人間として優れている人だと思い、源氏との仲を世間が疑っていても実際に処女だったことに感動して、ますますのめりこんでいったのも無理ならぬことではあります。


 式部の卿の宮がこれを聞いて、

 「今はあんな若い人を迎えて、大切にされているその横で、無様にそのおまけみたいにくっついていても、屈辱であろう。

 俺の目の黒いうちはそんな笑い者になってまで一緒にいなくてもいいよう、取り計らってやるよ。」

 そう言って式部の宮邸の東の対を解放して「ここに来ればいい」と誘ってみるものの、

 「親元とは言え、もう先行き短いというのに今さら出戻りになるのも」

と、あれこれ悩むばかりで、ますます心労を募らせ、寝込んでしまいました。


 元来物静かで優しくて子供のように無邪気な人なのですが、時々人格が変わったようになっては、人から嫌がられることが時折ありました。


 住んでいる所も片づけや掃除もする気力もないのか、だらしなく汚れたままになっていて、そんな中に引き籠っているマサコを見ると、玉を磨いたようなあの部屋を見てるだけに何の興味もわきません。


 それでも長年連れ添った妻でもあり、ただただ悲しくなるだけです。


 「昨日今日逢ったばかりの浅い関係でも身分の高い人なら、こんなでも皆大目に見ながら添い遂げるものだ。

 それに大変な病気を抱えて苦しんでいるのなら、言いたくても言えることではないし。

 まして長年一緒だった仲ではないか。

 普通とは思えないようなそんな状態になっても最後まで見届けなくてはいけないと、ずっと我慢しながら過ごしてきたんだから、それを最後まで貫かせてくれないなんて思わないで欲しい。

 幼い子供もいるんだし、どんな時だっておろそかにしてはいけないと思ってたのに、一時の気の迷いでそんな俺を恨むのはやめてくれ。


 今の時点だけを見るなら、そういう嫉妬もわからないでもないが、今はとにかく信じてほしい。

 式部の卿の宮様がお聞きになって俺のことを不審に思って、きっぱりと引き離して連れ戻そうとしているのも、あまりに早計だ。

 本気で思ってることでもあるまい。

 しばらく懲らしめてやろうということなのだろう。」

と言って笑いだすあたりは、いかにも憎々しくて不愉快です。


 右大将スケザネにも夫人同様の相手をする「召人めしうど」のような役割の木工もくの君や中将の御許おもとがいて、こうした人達も分相応に「捨てられてしまうなんてそんなの嫌」などと言ってるくらいで、北の方マサコも正気に戻った時には大将のことを恋焦がれて泣き出したりしました。


 「あたしんこと、ボケただの僻んでるだの言って蔑むのはしょうがないのかもしれない。

 あんたが宮様のことまで馬鹿にしてたから、それを知って連れ戻そうなんてのもひどいし、これまでともに過ごしてた縁もその程度だったの。

 今に始まったことでもないし、いつものことだから今さら何とも思いません。」

 そう言って背中を向けるのも、子供のようで可愛らしいものです。


 とにかく小柄で、ずっと病気だったために痩せ衰えてひ弱で、髪は光り輝くように美しくて長かったのですが、それが幾条かに固まったまま、櫛で梳くこともせず、涙するたびにそれが絡みついて可哀想な状態になってます。


 顔のパーツは一つ一つ取ってもこれといったものではありませんが、父の式部の宮譲りの上品な色気があったのですが、今ではそれもやつれてしまってかつての華やかさの影もありません。


 「宮様のことを軽んじたつもりはない。

 人聞きが悪いし、穏やかでないな。」

と誤魔化しながら、


 「あの通ってる所はあまりにもまばゆい玉のうてなで、そういう所は不慣れでいろいろ気を遣いながら出入りしてるものの、どうしたって人目についてしまい、どうにもきまりが悪いんで、そういう不安をなくすためにもここに移そうと思ってるんだ。

 太政大臣の今の時代で最高の繁栄を極めていることは言うまでもなく、俺など圧倒されてしまう。

 その至れり尽くせりの御殿に変な噂が流れたりしても、今度の妻にも良いことではないし不本意なことだ。

 だから気を静めてあいつとは仲良く話し相手になってくれ。

 たとえ宮様の所に行ったところで、お前のことを忘れるわけではない。

 とにかく今になって俺の気持ちが変わったわけではないんだ。

 ただ宮中の人達の笑い者になるのは俺に取っても良いことではないし、長年約束してきたことはそのままにして、俺の力になって欲しい。」


 そうやってなだめても、

 「あんたの言ってることが辛いなんて思っちゃいない。

 人とは違うこの病気のことを宮様が心配していて、今さらそれで笑い者になるなんて変なことを言い出してるのが残念なだけで、逢いたいとは思いません。

 それに源氏の大臣の奥方が他人だとでも言うのですか。

 あの人は宮様と私の知らない女との間にできた子供で、後になってあんな風に源氏の大臣が親面して育てた挙句妻にして、宮様も嘆いてらしたけど、あたしはそんなこと知りません。

 その女がまたどこから子をさらってきて親面して育てただけでしょ。」


 「こうやって冷静な時にはいいけど、また例の病気が出てきたら困ったことになる。

 それにこれは源氏の大臣の奥方が関与してるわけではない。

 あれは世間から隔離されて育ったようなもんで、どこからか降って来た娘の夫のことなど興味もないはずだ。

 宮様もあの娘には親らしいことは何もしてこなかったし。

 源氏の奥方が関与してるなんて言われたら、あの大臣も困ることだ。」

などと一日ずっと慰めるのでした。






 「結局右大将スケザネだったの。」

 「兵部の卿の幟は折れてたからな。」

 「で、どうすればよかったわけ?」

 「源氏ルートなら、迫られた時そのまま結ばれちゃえばよかったのよね。」

 「でも、そのあと六条院に置いてもらえるかどうか。」

 「尼さんと象さんと一緒?」

 「何かそれもやだね。」

 「ならまだいいけど、やっちゃってから他にやっちゃうという可能性も。」

 「他のルートを断つ必要があるということか。」

 「頭の中将か弁の少将のルートなら、最初から父に逢おうとしないとか、完全に源氏の娘になる必要があるわね。」

 「それだと源氏との親密度も爆上げしてしまって、源氏ルートに入りそうね。」

 「いずれにせよこの三人は早い時期での分岐になる。」

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女房語り、超訳源氏物語 鈴呂屋こやん @manyashoya88

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