第18話 末摘花1 春の七弦琴
寛弘二年(一〇〇五年)、春も終わり頃。
「結局勝手な写本は駄目で、
「それでも駄目だと言ってる、年寄り女房もいるけど。」
「なんだか、
「表に出て来ないけど、あの清原家の人?」
「少納言。」
「あのナギコのモデルになった人?」
「ナギコが?草萌ゆる。」
「萌ゆるのはいいけど燃やすのは困る。」
「
「ヒロコ対ナギコの代理戦争、草繁き。」
藤式部
「いろいろあるけど、今日はあの物語をやるからね。」
愛しても愛し足りない夕顔の
消えてく露に取り残されて
時が過ぎても癒されません。
どこもかしこもよそよそしいだけで、表面を取り繕った計算高い女たちが意地を張り合うなかで、分け隔てなく親しくしてくれたやさしさが何にも代え難く愛しく思うばかりです。
多少なりとも名門として知られているあたりは抜かりなくチェックして、この人はどうだと興味を引いた女には短い手紙などでそれとなく誘ってみれば、靡かなかったり冷たくあしらったりする人などどこにもいなくて、それがかえって退屈です。
容易に靡かない意志の強そうな女がいても、たいていは極度に感情に乏しくて生真面目だったり、あまり世間のことをわかってないだけのことで、長続きはしないものです。
あっけなく折れた無難な相手に落ち着いちゃうようなこともあって
、結局途中で話が立ち消えになるということもよくありました。
そんなものですから、あの
荻の葉の方も、いかにもありそうな噂を聞いては、ドキッとすることもあるのでしょう。
あの弱々しい灯火に照らされてくつろいだ姿は、もう一度見てみたいとも思います。
大体において、去って行ったものは忘れられないものなのです。
*
王家の筋で臣下の姓を持たない
けっこうかなり遊んでる女で、源氏の君も身の回りの世話をさせてたりしました。
母の
今は亡き
「それがぁ、性格もルックスも詳しいことはわからないのよぅ。
引き篭もって、人と会おうともしないし、夕暮れに男が通ってきても物越しに話すだけだっていうしぃ。
七弦琴をいつも撫でては話し相手にしているんだってぇ。」
「詩と酒と琴の三つを友とするには、そのうち一つは無理だろうな。
聞いてみたいな。
父の
「そんな、わざわざ聞くほどのものでもないんじゃない?」
「そう言われるとよけい気になるな。
こんな時期だから、朧月夜にこっそりと聞きにいきたいな。
ここを出よう。」
と言えば、面倒だなと思うものの、宮中のあたりもいかにも長閑な春の暇つぶしに出かけていきました。
常陸の親王の
ちょっと整理しますと、
その後、兵部の大輔と左衛門の乳母は離婚し、左衛門の乳母は
兵部の大輔も再婚したため、その後妻は大輔の命婦の継母に当り、
「何か、かなり無理があるんじゃない。
こういう夜は楽器の音もクリアに聞こえないし。」
と気が引けるものの、
「まあ、向こうに行って、さわりだけでも頼んできてくれよ。
このまま帰ったんじゃ癪だし。」
と源氏の君が言うので、いつも自分が寝泊りしている部屋に源氏を待たせて、こんなむさくるしい部屋で悪いなと思いつつ寝殿に行けば、まだ格子を開けたまま、梅の香を楽しんでくつろいでました。
チャンスだと思って、
「七弦琴の音がこういう夜にはちょーぴったりなんじゃないかと思って、ついつい来ちゃいました。
内裏勤めでなかなか心の余裕がなくて、なかなか聞くこともなくて残念だしぃ。」
と言えば、
「七弦琴の良さを知る人がいるのね。
と言って七弦琴を持ってくるものの、何か場違いで、どんなふうに聞けばいいのかとドキドキします。
軽く掻き鳴らします。
なかなか面白い音です。
それほど上手なわけではないけど、音の出し方が流派の異なる独特なものなので、聞いててつまらないものではありません。
「こんな荒れ果てたさびしい所に、王家の娘ともあろう人にはあまりにも古めかしくせせこましくて、常陸の親王がかつて大切に育て住まわせたその面影もなく、さぞかし無念な気持ちでいるのだろう。
こんな所には、物語にあるような悲しい謂れなんかがあるのだろうな。」
などと取りとめもなく思い、ついでに口説いてみようかと思ってはみるものの、いかにも唐突に思うだろうなと何となく気が引けることもあって、様子を見ることにしました。
「今日は曇りがちみたいね。
お客さんが来ることになっていて、それを嫌って避けてると思われてもいけないんでぇ。
それじゃ、ごゆっくりぃ。
格子も閉めてね。」
と、たいして弾かせずに帰ってきたので、
「何か中途半端なところで終っちゃったじゃないか。
これじゃあ、上手いのかどうかもわからないし、残念だな。」
と不満そうです。
でも何となく興味を引かれたようです。
「どうせならもっと間近で聞けるような所でこっそり聞かせてくれよ。」
というものの、もう少し勿体つけた方がいいと思って、
「そんなぁ、失意の内にこんなひっそりとした所に隠れ住んで、いろいろ苦労をしているのを思うと、気がとがめますぅ。」
と言えば、 まあ、そうだ、簡単にすぐにお互いうちとけて仲良くなっちゃうような身分というのは、その程度の身分だし、気の毒に思えるくらいの高い身分の出なので、
「だったら、それとなくわかるように伝えてくれ。」
と頼むのでした。
他にも通う所があるのか、こっそりと帰ろうとします。
「
こんなお忍びの姿を何とかして見せてやりたいものねぇ。」
と大輔の命婦が言うと、戻ってきてにわかに苦笑して、
「人ごとのように弱点をあげつらうようなことすんな。
これが浮ついた振る舞いだと言うなら、誰かさんのしてることはどう説明するんだ?」
と言うので、何だかよほど遊んでいるように思われているのか、何かにつけてこんなことを言うので、恥ずかしくてやだなと思って何も言いません。
寝殿の方で人の気配がしたような気がして、静かに近づいていきます。
あちこち竹が折れてしまっている
誰だろう、通ってくるナンパ男でもいるのかと思って、月の光の当らない所に隠れてよく見ると、
この日の夕方、内裏を一緒に退出したあと、すぐに左大臣家へ行くのでもなければ二条でもなく、別々の方向に行ったのだけど、どこへいくのだろうと何か気になって、自分も通う所があるにはあるけど、跡をつけて探っていたのでした。
どこで着替えたのか、あやしげな馬に
「置いてきぼりにするなんてひどいと思って、つけてきたんだ。
ご一緒に内裏の山を出たけれど
いざよい月はどこに行ったか」
とぶーたれるのも癪だが、誰だかわかるとちょっと嬉しくもなります。
「そりゃ想定外だったな。」
と憎々しげに、
「月はどの里でも見えるものなのに
沈んでく山を探そうなんて」
「こんなふうにお供するというのはどうでしょうか?」
と、
そしてすぐさま続けて、
「本当なら、こんな夜の外出だって、有能な随身がいるにこしたことはないんだし。
置き去りにしないでくれよ。
みすぼらしい格好での夜間外出は、軽はずみだとの非難の声も出てくるし。」
と忠告します。
こんなふうにばれてしまったのを悔しいと思っても、あの撫子の行方は知らないだろうと、囲碁でいう
それぞれに通うべきところはあるものの、せっかくこうして会ったのだからと、そのまま離れ離れになるのも惜しい所です。
源氏の車に二人とも乗り込んで、月が薄い雲に隠れては現われるのが面白い道すがら、
車を先導する人も付けずにこっそり屋敷の中に入り、誰もいない廊下で
高麗笛も得意とあっては、本当に透き通るような音色を奏でました。
トーコ付きの
源氏の目の届かぬ所に身を引きたいと思ってはみても、さすがに心細く悩むばかりでした。
源氏や
「すごく奇麗で可愛い女が、年月を経てすっかり熟女になった頃に俺と出会って、やばいくらい夢中になられちゃったら、みんな大騒ぎするだろうな、妬まれてさんざん悪く言われるだろうな。」
などと妄想を始める始末です。
*
その後、それぞれ手紙をやったりしたようです。
どちらにも返事はありません。
どうしたもんかと、やきもきしながら、
「あまりにひどいじゃないか。
ああいう家に住んでる人というのは、いかにも物の心をわきまえていて、儚く散る草木の花や移ろいゆく空の景色なんかもうまいこと取り成して、機転を利かせてその時その時の当意即妙の受け答えをするのがいいんじゃないか。
軽はずみなことはしないとはいえ、ここまで無視されてしまのは不愉快だし、嫌味だ。」
と
いつものように、屈託のない心で、
「で、返事は来たのか?
試しにいろいろほのめかしたりしてみたけど、馬鹿らしくなってやめたよ。」
とこぼせば、そうか、
「さあ、別に返事が来ても見ようとも思わないし、見てもしょうがない。」
と答えるので、よそよそしくしやがってと、むかっときました。
「何かはっきりしなく、避けられているようなよう感じで、傷つく。
単なる遊びで声かけてきてると思われてるのではないか。
とにかく、そんなとっかえひっかえなんて気持ちはないんだし、女の方がなかなかおおらかな心で包んでくれなくて、思うようにいかないだけなのに、何か俺が悪いみたいじゃないか。
包容力があって、親兄弟がいろいろ口出しして不満を言うこともなくて、気がねする必要もない人なら、それこそ大事にしたいのだが。」
「そんなぁ、そんなすごぉい人のところに雨宿りしたいんだったら、ちょっとねぇ、無理なんじゃない。
とにかく、暗くて引き篭もってばかりいるだけで、ちょっと珍しい人ですしぃ。」
と見たままを教えます。
「世慣れた所とか、才能をひけらかす所がないだけだろう。
無垢な子供のようにほんわかしている人なら、守ってやりたい。」
と、まだ夕顔のことが忘れられないのか、そう言いました。
*
マラリアにかかったり、人には言えないような悩みやごたごたもあって、心休まることもないような状態で春も夏も過ぎていきました。
秋の候となり、静かに物思いに耽っていると、あの
「一体どうなってるんだ。
こんなことは生まれてこの方初めてだ。」
とどうにも心に引っかかってしょうがないと思って言うと、しょうがないなあという顔して、
「別にぃ、近づかないようにだとかぁ、似合わないだとかそんなこと言った覚えはないよぉ。
ただいつもの引き篭もりでどうしようもなく、筆を取ることすらできないんじゃないかなぁ。」
と言うので、
「それこそ常識がないじゃないか。
まだ世間を知らない子供か、家庭の事情で自分の思うようにできないというのなら、こんな目も当てられないようなことも納得できるが、何ごともきちんと分別をもって考えられるはずなんだから、何もせずに退屈しながら心細く暮らしているのなら、同じ気持ちを分かち合うべく返事をもらえれば、願ってもないことなんだがな。
別に結婚とか助平心で言っているのではなくて、あの荒れ果てた
何かもやもやしたよくわからない気持ちのままではなんなので、許しが得られないなら騙してでも会わせてくれよ。
我慢できなくなって間違いをしでかすようなことは絶対ない。」
なとど取次ぎを頼むのでした。
こんなふうに、世間で噂に上る人の様子をひと通りチェックすると、そのことにいつまでも執着する癖がついてしまっていたもんだから、夕暮れになっても眠れません。
だからといって何をするでもないときに何気なく聞いた話で、「この人なら」と興味を持ったら最後、こんなふうに下心丸出しで言い寄ってくるので、うざったくてしょうがないですね。あの姫君の性格からしてもまったく不釣り合いです。
そんなに上品な人でもないというのに、簡単に取り次いでくれと言われても困ったものだと思ってはみても、
「それなら、うまいことチャンスがあったら、何か物を間に置いてお話してみて、たいしたことなかったらやめればいいしぃ、うまくいってちょっとばかり通ってみようということになっても、非難するような人はいないと思うよ。」
などとちょっと軽い遊びの感覚で言っちゃったなと思って、こんなことは父の兵部の大輔にはとても言えないことです。
「マラリアになる前の話?」
「夕顔の後の春で、秋まで飛ぶ間に若紫をお持ち帰りする。」
「その時系列で良いのよね。」
「でも、冷たくされるの『生まれてこの方初めて』じゃないよね。
「
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雅楽は西洋のようなハーモニーを重視する音楽ではなく、それぞれの楽器がその楽器の特性に応じた様々な技巧を凝らして同時に演奏し、むしろそこで生じる不協和音を楽しむヘテロフォニックの音楽でした。
これは後の法螺貝や尺八の合奏でもそうですが、楽器同士が互いに張り合い、ぶつかり合うことで、西洋的な調和ではなく、むしろ競い合うスリリングな面白さがあったのだと思います。
そのため、源氏の君と頭の中将の竜笛も、合奏というよりは吹き比べに近かったと思います。今で言えば竜笛バトルです。
あと、日本の風土では、湿気の多い月も景色も朧に霞む春では音が籠もる状態になり、律調の協和音が奇麗に響かず、呂調の曲が好まれ、逆に空気の澄んだ秋には律の調べが好まれるという、季節に応じた調べというのがありました。
あと、この時代、「こと」という言葉は七弦琴、和琴、箏、琵琶などを総称して用いられ、「きん」という場合は七弦琴の意味で用いられてました。
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