第5話 帚木2 雨夜の品定め(下)

 「ナガミチって道長?」

 「なんか名前がひっくりかえってて草萌ゆる。」

 「まあ、あんまり名前で呼ぶことってないしね。」

 「そこは気にしないでおこう。」

 「この物語は全てフィクションであり、登場人物、団体名等は全て架空のものです。」


藤式部呟き

 「前回はこれから登場するいろんなキャラの伏線を蒔いといたからな。」


藤式部

 「では今日も雨夜の品定めの続き、始まり始まり。」



 「昔、俺がまだ駆け出しで官位も低かった頃、好きだった人がいたんだ。


 前にも話したように、見た目もそんなにたいしたことないんだけど、若い頃の好奇心で付き合い始めた人がいて、別にこの人を本妻にしようと決めていたわけでもないんだけどね。


 一応心の拠り所とはしていたんだけど、その頃俺は一人身でとにかく他の女に目移りすることも多くて、そのことにひどく焼き餅を焼かれちゃってね。


 だんだん気持ちも離れ、こんなのではなくもっとおおらかだったらなと思っていて、それでもあまりにも人を縛りつけようとして疑うもんだからうるさくて、どうしてこんな俺なんかを見放さずにこんなふうに思ってくれるのかと心苦しく思うこともあって、何となく浮気をする気もなくなっていったんだ。


 この女の性格というのが、自分の考えの行き渡らないことでも何とかしてこの人のためにはと、できないことでもしようとし、苦手な方面のことでもがっかりさせないようにと思って一生懸命やるし、とにかく何でもかんでもこと細かく世話をし、どんな些細なことでも思い通りにならなければ気がすまないと思っているから、やりすぎだなと思ってはみてもとにかく従順で人当たりが柔らかく、ぶっ細工な顔もこの人に嫌われるのではないかと何とかして化粧でごまかそうとし、他人に見られれば恥ずかしそうに伏せ目がちに人目を憚り、変に思われないように取り繕った態度を取り、誰とも隔てなく睦まじくするあたりは性格は悪くないのだけど、ただこのしゃくにさわることが一つ腹に据えかねていたんだ。


 その時俺は思ったんだが、こうも一途に服従し人を恐がっている人ならば、何とかして懲りるようなことをして脅かせば、そいつも少しまともになり嫉妬してむやみに人を疑うことをやめるんじゃないかと思ったんだ。


 本当に悩んでいてもう別れるというような様子を見せれば、そこまで俺に従う気持ちがあるなら懲りるだろうと思って、ことさら醒めた態度を見せて、例の嫉妬に怒り狂った時に、


 『そんな独占欲が強いなら、どんな前世の因縁が深くても、もう耐えられない。

 そんな理由もなく人を疑うようなことをしてるんなら、これで最後になるぞ。

 これから先も長くいっしょにいようと思うのなら、つらいことがあっても、我慢して適当に見逃してくれよ。

 こういう焼き餅さえなければほんと可愛いと思うんだけどな。

 俺がいつか世間並みに出世して一人前になれれば、正妻にでもするというのに。』


なんてうまいこと諭すことができたと思って、びしっと言ってやったんだけど、そいつは少し笑って、


 『何をやっても才能がなく半人前のあんたを大目に見て、そんな期待もしてないような出世を待つにしても、別に慌てるようなことでもないし、別に気になんてしていませんよ。

 あんたの浮気も我慢して、しっかりと身を固めてくれる機会をうかがって、長い年月無駄な期待をしてる身のほうが本当に苦しいんで、お互いに別れるべき時期が来たのかもしれませんね。』


と憎ったらしそうに言うので、すっかり腹立てていろいろひどいことを言って感情を刺激してしまい、そいつの方も気が収まらないふうで小指を一本つかんでは引き寄せて噛み付いたので、俺はわざと大げさに騒ぎ立て、


 『こんな指を詰めたような傷がついてたんでは、それこそ宮廷に顔出すことなんかできなくなるだろっ。

 ただでさえ恥ずかしいと思ってるような官位で、どうやって殿上人になれというんだ。

 出家でもしようか。』

と言って脅かして、


 『それじゃあな、もうこれで今日限りだな。』

と、噛まれた小指を折り曲げて、出て行ったんだ。


 『指を折り過ごした日々を数えれば

     小指一つが辛い思い出


 恨みっこなしだ。』

なんて言ったら、さすがに泣き出して、


 『辛いことたった一人で数え来て

     これが君との手を分かつ折』


なんて互いに言いあったけど、本当はこんなことになるとは思わなかったので、何日も何日も連絡も取らずに、ただ呆然とあちこちほっつき歩いたもので、旧暦十一月の賀茂神社の臨時祭のための舞楽のリハーサルを宮廷でやっている頃に、夜も更け霙が冷たく打ちつけるなか、これからどこへ行ったらいいものかと考えてみても、自分の帰る家なんてどこにも見あたらなかったな。


 内裏で眠らせてもらうのも何だし、多少当てのある女の所も何か落ち着かないし、なんて思ってるうちに、あの女どうしてるかななんて様子でも見に行こうかと雪を払いながら、体裁悪くて気恥ずかしいことだけど、ひょっとしたら今夜あたりならあの時の恨みも許してもらえるのではないかと思って行ってみたんだ。


 火がほのかに壁を背にして灯り、綿の入った普段俺が部屋で着るような糊の入ってない衣が火鉢の上にかぶさった大きな籠の上に乗せて乾かしてあり、いつも開けてある部屋を仕切る几帳の布もちゃんと上げてあって、今夜俺が来るのを待ってたかのような様子だったんだ。


 そうだったのかと心が一瞬舞い上がったものの、もぬけのからだった。


 仕えている女房が泊まっていただけで、

 『今夜はこのとおり親の家に出かけてます。』

という答だった。


 気の利いた歌を詠むでもなく、まだ俺のことを思っているふうな手紙や言づてをするでもなく、ただひたすら家に籠っていながら俺が来るとそっけなく出て行ってしまったのにはがっくりきたし、意地悪して俺を許してくれなかったのも、私のことは放っといてよ、と思ってのことだったのかと、そんなこととは思ってもみなかったことだが、うしろめたい気持ちでそう思うしかなく、なのに着るものもいつもより丁寧に用意してあって、色合いも仕立ても理想的で、追いかけるなとはいっても俺を見捨てたあとでさえこうして気遣って世話をしてくれていたんだな。


 こんなふうに、俺を見放すようなことはないと思えて、よりを戻したいというようなことを言っても否定はしないんだけど、尋ねて行っても別にどっかへ行方をくらませて探させようというわけでもなく、行き先を恥ずかしがって隠すふうでもなくて、むしろ適当にあしらっているようで、ただ、


 『今までの調子でいるなら許せない。

 心を入れ替えて波風立てるようなことをやめるなら、会ってもいいよ。』


などと言って、これはまだ脈はあると思ったから、もう少し懲らしめてやろうかと思って、『ああ、心を入れ替えるさ』とは言わずに何日もあれこれ駆け引きしているうちに、そいつの方がひどく悩んで鬱になったのか、死んじゃったんで、バカな駆け引きをやってはいけないってわかったんだ。


 本当にこの人一すじにと信頼できるような人はこの人だけだったなと、今でもはっきり覚えているよ。


 他愛のない無駄話でも本当に大事な話でも、話していて分けわからなくなることもなく、龍田姫といっていいくらい染物が上手で、七夕姫にも劣らないくらい機織もできて、そういうことにはうるさいやつだった。」


というふうに、本当に悲しそうに思い出してました。


 中将は、

 「その七夕姫の悲恋の部分は置いとくとして、永遠の愛なんてのはあやかりたいもんだ。

 それにマジその龍田姫の錦は真似ねできないな。

 はかなく散る花や紅葉なんてのも、季節季節の色合いが尽きなくても、露のようにむなしく消えちゃうから情けない。

 これだから、なかなかお目にかかれない相手というのは、選び出すことができないんだ。」

と囃し立てました。


   *


 「さてまた、同じ頃通ってたもう一人の女は、もっと身分も才能も上の人で、気品からして由緒あるとわかるような女で、詠んだ歌も、さらさらと書いた仮名も、爪弾く箏の音も、手つきも口調もみな流暢で、前々から噂になっていたくらいだった。


 見た目もまあまあで、例の嫉妬深いやつを一応本命としながらも、時々こっそりと会いにいってた頃から、気にはなってたんだ。


 あいつが死んだあと、どうしていいものか、悲しみにくれながら時を過ごすのもなんだしというところで、何度も通って親しくなり、ちょっとけばいくらいに華やかでファッショナブルなあたりはそんなに好みではなかったので、さして当てにすることもなく、ときおり会いにいくくらいにとどめておいたところ、他にこっそり付き合っている人がいたようだ。


 十月の頃だったか、月の奇麗な夜、内裏を出ようとすると、とある殿上人やってきて、俺の車に便乗してきたので、大納言の家に行って泊まろうかと思っていたけど、この殿上人が言うに、


 『今夜待っている人がいる家なんだ』


と言って車を止めさせた家が例の女の家で、回り道もできない所だったので、築地の荒れて崩れたところから池の水が光っているのが見え、このように月さえもが宿る棲み処を通りすぎるのもなんだということで、一緒に降りたんだな。


 最初から何か示し合わせていたことがあったのだろうか、この男はすっかりそわそわして、門の近くの廊の簀子すのこに腰掛けてしばし月を見る。


 菊が霜に打たれて色が変わっているのが面白く、風が吹くと我先に競うかのように散ってゆく紅葉の乱れ飛ぶ様が悲しげなのは、俺でもわかった。


 その男は懐から龍笛りゅうてきを取り出しては吹き鳴らし、催馬楽の、


 ♪飛鳥井に泊まってゆくのも良い

  水面に宿る月も良い


といった歌を笛の合間合間に朗々と歌い上げてゆくと、良い音のする和琴(大きさは筝と同じくらいの六弦琴で撥で演奏する楽器)が、あらかじめきちんとチューニングされていたのか、なかなかしっかりとしたセッションで悪くはなかったな。


 長二度長三度の音程を基調とした中国の『律』のメロディーは、女のソフトなピッキングで御簾の向こう側から聞こえてきて、今様の音色なので清く澄んだ月に霞んだりもしないし。


 その男はいかにも気に入ったようで、御簾の元に歩み寄って、

 『庭の紅葉には誰が来たあともないな。』

なんて、自慢げに言ったりしてね。


 菊を一本折って、


 『琴の音も月もありえないような家

     つれない人を留められるのか


 あんましいい歌じゃなかったかな。』

などと言って、


 『今、もう一曲、それに合わせてセッションしたいという人がいるこんな時なんで、これで終わりじゃもったいない。』

とくだけた調子で話しかければ、女もやけに作ったような声で、


 『木枯しに調子合わせた笛の音を

     引き留めるにもコトのはがない』


と何気に好意があるようにほのめかした歌を詠み、俺がここにいてむかついてきているのも知らず、今度は十三弦の筝をBの音を基調とした盤渉調にダウンチューニングし、今はやりの調子で掻き鳴らす爪音は、そんなに下手ではないけど、ただ気恥ずかしくて聞いてられなかったな。


 単に時々本音をぶつけて語り合ったりしながら、あくまで遊びで付き合う宮廷人としては面白いと思うよ。

 でも時々会うにしても、あの家を生涯忘れるところなく通う所とするには、なんか信用置けないし派手すぎてこれは引くといったところで、あの夜のことを口実にして通うのをやめたんだな。


 この二人の女のことを考えるなら、若かった頃とはいえ、今こんなふうに暴露したようなことでわかるように、そんなに惹かれもしないし信用も置けないし、これから先だってそう思うだろうよ。


 中将殿が『なかなかお目にかかれない相手』とおっしゃったまんまで、折れば落ちてしまう萩の露、拾えば消えてしまうような笹の葉の上の霰のような、はかなき美しさの風流だけが、面白く思われることでしょう。


 今はわからなくても、あと七年もすればそう思うと思う。


 まあ、俺なんかの取るに足らない忠告だけど、好きそうな思わせぶりな女にはお気をつけなされ。

 スキャンダルを起こせば、そのお相手だってあることないこと噂されたりするもんだ。」

と戒める。


 中将ナガミチは例によってうなずく。


 源氏の君は一応御もっともとは思ったのでしょう。少しばかりニヤッとし、

 「でも、どっちにしても不様で、かっこ悪い話だね。」

とおっしゃると、一同大笑いでした。


   *


 中将ナガミチは、

 「なら自分はもっとバカな話をしようか」

といって話し始めました。


 「マジこっそり垣間見て知った人なんだけど、そんで、もっともっと会いたそうな気配だったから、別に長く付き合うつもりはなかったんだけど、お互いわかってくるにつれて可愛いなと思ったから、時々しか通わなかったけど忘れらることができなくなっていって、そうなってくると向こうもちょっとばかり期待しているふうにも見えてきたんだ。


 そんなふうに期待されちゃうと、たまにしか来ないのを不満に思うこともあるんじゃないかと、自分としてもそう思っていたのに、関心ないかのように、しばらく通ってなくてもたまに会う人というふうに思っている様子もなく、朝も夜もいつも気に掛けているような感じで心苦しくて、長く気を持たせるようなこともしたかもな。


 親もなく、マジ心細いようで、それでいろいろ何かあるたびに俺のことを親代わりに思っているような、そんな感じがするので、守ってやりたい気もした。


 こんなもんで何事もないものだから安心したんだけど、長いこと通わなかった時に、本来通わなくてはならない人の周辺からその女の所に、あからさまではないにせよかなり情け容赦なくひどいことを言ってたことを、後になってから聞いたんだ。


 そんな大変なことがあったとも知らずに、忘れたわけではなかったんだけど、ろくに連絡もせずに長く間を開けてしまったため、ひどく塞ぎこんで心細くなっていて、小さな子供もいることで悩んでいたようで、撫子の花を折って送ってきたんだ。」

と言って泣き出すのでした。


 「で、何て書いてあったんだよ?」

と問うと、

 「いやそんな大した事書いてなかったよ。


 『田舎者の垣根荒れても時々は

     愛を注いで、撫でし子の露』


 それで何となく思い出して通ってみたら、いつもの屈託のない調子ではなく、マジに悩んでる様子で、荒れ果てた家が露に湿っているのを見て、たくさんの虫が競うように鳴いているのが、『伊勢物語』のような古い物語の世界みたいだった。


 撫子なでしこというと撫でた子で子供の意味になるけど、撫子の別名の『常夏とこなつ』だと床になじむという意味があるので、


 『雑草に紛れた花はどこだろか

     でも常夏にしくものはない』


 小さな大和撫子のことよりも、まず躬恒みつねの『塵一つ付けたくないよ咲いてから妹と俺が寝る床なずむ花』などを踏まえて、親の方の気を惹こうとしたんだ。そしたら、


 『打ち払う袖も露けき常夏に

     嵐が吹いてくる秋も来ました』


と何ごともないように取り繕って、真顔で恨む様子もなかったんだ。


 その女というのも、つい涙をこぼしてしまった時でも、マジ恥ずかしくて遠慮するようにごまかして隠すし、会えなかったつらさが身にしみているようにも見えなくて、苦しいのもしょうがないことだと思っていたと思って、安心してまたしばらく通わないでいたら、跡形もなく消えちまってたんだ。


 まだ生きているなら、当てもなくこの世のどこかを転々としているかもしれないな。


 可愛い女だと思っていたけど、面倒臭くなるくらい引き止めてくれるようなそぶりでもあったなら、こんなふうにふらふらしたりはしなかったのに。


 そんなに間を空けたりせず、妻としてのそれなりの地位を与えて、長く面倒を見てやることもしてやれただろうに。


 あの撫子の方も守ってやりたかったし、どこへ行ったか会いに行きたいと思っていても、未だに消息がわからないんだ。


 こういうのが、おっしゃる通りの、みじめで空しい話の見本とも言うべきものだ。


 俺のつれない態度を辛いと思ってるのも知らずに、今でも愛し続けている俺は、まったく役立たずの片思いだよ。


 今になってようやく忘れようとしていた所だけど、あの女の方も俺のことが頭から離れずに、時々他の誰のせいでもなく胸が焦がれるような夕暮れを迎えてたりするのかな、なんて思ったりするよ。」


 「結局こういうのは、待ち続けることのできない、安心してまかせられない女ということだな。」

 「だったら、あの意地悪な女も、思い出となってみれば忘れがたいけど、実際に会っているときは面倒くさい、うまくいかなければ嫌気がさすこともあるんじゃないかい?

 箏の音で誘いかけるような才能をひけらかす女も、浮気の罪は重いはずだし。」

 「おまえの言うはっきりしない女も、疑いながら一緒にいても、結局いつになってもちゃんとした妻にすることもできない、それが男と女というものだろっ。」


 中将ナガミチ左馬頭トモナリが言い争っていると、源氏の君が、

 「どっちも、それぞれ自分の女と他人の女を比べて罵り合って、みっともねーなー。

 そんないろいろな女のよいところだけを取り揃え、欠点を隠し持たない人間なんてどこにいると言うんだ。

 吉祥天女きっしょうてんにょに惚れたって説法臭くてついていけなくて、それもつまらないだろうな。」

と言ったので、一同爆笑。


   *


 「式部タカノブの方こそ面白い話があるだろっ。ちょっとは話したらどうだ。」

と迫られて、

 「下の下の身分では何ちゅうか、お話しするようなこともございません。」

と言ったところ、中将ナガミチが真顔で「早くしろよ」と催促するので、何を言おうかと考え込んで、ようやく、


 「まだ大学寮の文章生もんじょうしょうだったころ、頭のいい女の例を見てきました。


 左馬頭も申し上げましたとおり、仕事のことを相談したり、私生活での世渡りのことなんかでも本当に用意周到な配慮ができる人で、その学識もなまな博士はかせなら恥じ入るほどで、私なんぞに口を挟むことなんてできませんでした。


 あれは藤原のタメトキちゅう博士のもとに学問をしに通った時のこと、その家の主人に娘がたくさんいると聞いて、その中のマヒロちゅう娘にほんのちょっとしたついでに口説いてみたところ、親父がそれを聞きつけて杯を持って出て来て、白氏文集の『我が二つの道を歌うのを聞け』を引き合いに出して、金持ちの娘と貧乏人の娘を比べて貧乏人の妻の良さをとうとうと説かれてしまいまして、きちんと結婚しようと思って通ってたわけでもなく、あの親父の意向には遠慮しつつも、その後も交際を続けてまして、女の方にはすっかり気に入られていろいろ世話をしてもらって、夜の床の中でも、自身の学風や宮廷に仕える際の心得るべき物の道理などを教えてくれるし、本当に見事に報告書なんかも仮名を交えたりせずに、きちんとした書式に則った言い回しで書いたりするので、そのまま通い続けて、その女を師としながら、ほんのちょっとだけ下手な漢詩文を作ることを習ったりしたもので、今もその恩は忘れてはいないけど、ただ妻としていつも傍にいてほしいかというと、何かいかにも無学な人のなまな行為に見られてるようで、恥ずかしくなります。


 かとゆうて、あなた達からすれば、こんなてきぱきとした至れり尽くせりの世話をしてもらう必要などないことでしょうけど。


 頼りないだとか、残念だとか、そんなふうに見ていても、ただ私の心に留まり、前世の縁に引かれた人であれば、男でもそうならば、まして女ならなおさら問題ないのではないかと思います。」


 そう言うと、中将ナガミチが続きを喋らせようとして、

 「うんうん、面白い女じゃないか、でっ?」

と催促するので、その気になって鼻の辺りをひくひくさせて話し始めました。


 「それで、ずいぶん長いこと通わないでいたのですが、たまたま何かのついでに立ち寄ってみたところ、いつもの打ち解けた雰囲気ではなく、うしろめたそうに物越しに会うだけでした。


 やきもち焼いてふくれているのかなと、をこがましくも、これが別れるチャンスかななんて思ったのですが、こういう頭のいい女は軽々しく恨みごとを言ったりするはずもなく、世の常識ぶっていて不満を漏らすこともしません。


 きっぱりとした口調で、


 『ここ数ヶ月の間ひどい熱病で、高熱への耐性をつけるための滋養強壮剤を服用していて大変臭いため、対面することはできません。

 直接お目にかかれなくてもかまわないような用事でしたら、何なりと承ります。』


と、何とも悲しそうな様子でもっともらしいことを言うのです。


 すっかり返事に困って、ただ、

 『わかった。』

と言って立ち去ろうとしたところ、その返事が物足りなかったのか、

 『この匂いが消えたときに立ち寄ってください。』

と上ずった調子で言うので、聞かなかったことにするのも気の毒になり、ちょっとの間、名残惜しんでいようかと思ってましたが、本当にその生薬の大蒜にんにくの匂いが華やかに香り立つので、そうも言ってられなくて逃げ腰になりまして、


 『くもの巣が人を呼ぶという夕暮れに

     昼(蒜)に来いとは何のことだか


 一体何が言いたいのかな。』

と言い終わらないうちに走り出しますと、追っかけてきて、


 『夜ごとに愛し合ってる仲ならば

     昼(蒜)でも何ら恥ずかしくない』


 さすがに歌を返すのも早かった。」


 そうぼそぼそと話すと、源氏の君、中将などはすっかり醒めたような顔で、

 「嘘だーーー。」

と言って笑いました。


 「一体どこのどの女なんだよ。普通に鬼と一緒にいるほうがまし。きもい。」

と、中将はあっちへ行けというような指で弾く仕草をし、

 「あきれて物も言えないなー。」

源氏ミツアキラも小バカにしたような調子で言うと、中将ナガミチがさらに、

 「もうちょっとマシなことを言えよ。」

と責め立てるのですが、藤式部の丞タカノブは、

 「これより面白いことはございませんでして。」

と言って腰を深く下しました。


 すると左馬頭トモナリがおもむろに、


 「大体男でも女でも駄目なやつというのは、ほんのちょっと知っていることをこれ見よがしにアピールしようとするから困ったものだな。 

 歴史や儒学のそうそうたる学問を明快に解き明かそうなんて、色気も何もない。


 そんじょそこらの女でも、公私にわたって世間のことを何も知らないというわけではないだろうに。


 だって、別に特別な勉強をしなくても、ちょっと才能のある人を見たり聞いたりすれば、自然と学ぶことは多いはずだろっ。


 そんなにまで勉強して漢文を草書で書けるようになったりすると、本来漢文を用いることのない女同士の手紙のやり取りにも半分くらい漢文を交えたりして、そりゃないよ、もう少し平たく物を言ってくれよと思うんだがね。


 気持ち的にはそんな固いことを言うつもりはないにしても、自然と堅苦しい調子に聞こえてしまうため、気取っているように見えちゃうんだな。

 身分の高い女の中にも、結構いるんだなこれが。


 歌人だと自認する人が歌に囚われて、何か面白い古事なんかを最初から意図して詠み込もうとして、全然場違いな時に歌を送ってきたするのも困ったものだな。


 返歌しなければ無風流と思われるし、返歌をしない人なんて駄目なやつだろっ。


 歌を詠むに相応しい節句の行事であっても、五月の端午の節句の朝といえば、武徳殿での騎射うまゆみや競馬くらべうま》の準備で左馬寮は大忙しで、あやめのかづらどころか何の分目あやめも考えている暇もないときに、いきなり菖蒲の根を引き合いに出したありえないような歌を贈ったり、九月九日の重陽の宴に、難しい漢詩の趣向を思いめぐらして、他のことを考えてる暇などないというのに、菊の露の興で歌を贈っては頭がこんがらがらせたりして、そんな時に贈らなくても後になってじっくり味わはせてくれれば、面白かったり哀れだったりするというのに、歌をじっくり味わっているときでないというのに空気を読まずに詠むものだから、何とも間抜けに見えてしまうんだな。


 どんなことでも、『え、何で?』『どうして今?』と思えるような時があるんで、どの時がそういう時か区別がつかないようでは、下手に上品ぶって趣のある歌などを詠んだりしないほうが無難だろっ。


 どんなことでも、心の中ではわかっていることでも知らないかのようにふるまい、言いたいことがあっても一つ二つ間をおくくらいでちょうどいい。」


 そう言うけど、源氏の君は一人の女のことを心のうちにずっと思い描いているのです。


 「ああ、あの人はやること為すこと足りないところもなければ過ぎたところもないなー」

と、どうしようもなく胸がきゅっと塞がるのです。


 女性談義の方はというと、何一つ結論の出ぬまま結局はお聞き苦しいことになりまして、夜も明けてゆきました。




 「来たーー、式部の自虐ネタ。」

 「草萌ゆる。」

 「式部の名前ってチヒロじゃなかったっけ。」

 「さすがに少し変えてある。」

 「えっ、ヒロキコじゃなかったの?」

 「普通にヒロコだと思ってたけど。」

 「まあ、いいじゃん。式部で通ってるんだから。」

 「ナガミチの話って、式部の最初の物語のあれでしょ、」

 「ネタバレ駄目。絶対。」

 「でも結構有名じゃない?」

 「まあ、あそこにつながるんでしょうけど、」

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