第2話 桐壺2 御門の涙
「何天皇の時代かはなんて言ってたけど、あれ絶対院のことよね。」
「あの悲劇の女御様、更衣に格下げされてて草萌ゆる。」
「名前はヨシコ、草繁き。」
「院の復活を望む声も多いけど、あの左大臣じゃね。」
「そういえば
「ナギコ‥消えちゃって。」
「末摘花、草燃ゆる。」
「あ、そろそろ始まる。」
「式部!式部!式部!式部!式部!式部!式部!」
「式部!式部!式部!式部!式部!式部!式部!」
藤式部
「では今日も始まり始まり。」
藤式部呟き
「さあ、二回目は気合を入れないとね。
いくつかの短いエピソードは既出だけど、それを一つにまとめて源氏の一代記にするというのは、初めての試みだからね。
最後までプロットが破綻しないように気を付けないと。」
何事もなく時は過ぎて、七日ごとの法要などもきちんと執り行われました。
「死んだ後まで、こうムカつくなんて、一体どういうつもりなの。」
と、弘徽殿の
御門は一の皇子様を見るにつけても、
台風の接近を告げる風が吹き、急に肌寒くなってきた夕暮れのことでした。
御門は普段より思うことも多くて、
九日頃の夕暮れの月の美しい頃に出発させたまま、御門は月を眺めては物思いに耽ってました。
いつもの御門ならこんな夜は音楽を楽しむものですが、特別な趣向を凝らした楽器の演奏などをしようものなら、一見なんでもないように聞こえる歌も、人とは違って何となく更衣がいるような気配がして、あの姿が面影となってそばにいるように思えてしまうのです。
夢でいくら光り輝いても、現実の闇の前では無力なものです。
命婦が例の場所に到着し、車を門の中に入れる瞬間からして、辺りの様子は何とも悲しそうです。
かつては寡婦暮らしとはいえ、更衣をきちんと育てるためにも、せめて見てくれだけでもときちんと庭なども手入れされていたのですが、今では更衣を失った悲しみにすっかり塞ぎこんでしまい、雑草も生い茂り、台風の風雨に荒れるがままになっていて、月の光だけが
屋敷の正面の庭に命婦を下車させたものの、この更衣の母君はしばらく何も言うことができませんでした。
やがて、
「今まで長くこの世に生きてまいりましたが、このたびはとてもつらくて、こんな蓬の生い茂る荒れ放題のところで、御門からの大切なお使いを露に汚してしまうのが、とにかくお恥ずかしくて‥。」
と、耐え切れずに泣きだしてしまいました。
そして、命婦も、
「
私なんぞもどうしていいのかわからず、本当に耐え難く悲しく思っております。」
とやっとのことで涙をこらえながら言づてを切り出します。
「あれからしばらくの夢うつつの境を迷ってばかりで、やっと気持ちも落ち着いてはきたものの、まだ辛い現実を現実を受け入れられる状態でもなくて、どうしていいのか相談する人もないんだ。
ぜひ秘密裏に内裏に来てくれないか。
我が子もまた、こんな手の届かないところで、露に濡れながら過ごしているのも気になってしょうがないので、どうか至急来てほしい。」
「実際はこのようにはっきりとものを言うことなどできずに、涙にむせ返りながら、一方では人に気弱に見られてもいけないと、思っていることをぐっと押し隠している様子が痛々しく、ですから、それをそのまま伝えるのではなく何とかうまく伝えようと、こうして伺いに参りました。」
そう言って、勅書を手渡しました。
「涙で目も見えないというのに、このような恐れ多いお言葉の光なんて‥。」
と、その手紙を手に取ります。
《時がたてば少しは気持ちもまぎれることかと、その日を待ちながら月日を過ごしてきたが、年端もいかぬ我が子がどうしているかも気になっては、一緒に育てることのできないもやもやを抑えることができないのも無理のないことと思ってくれ。
その子は今となってもなお亡き更衣の忘れ形見なので、どうか連れて来てくれ。》
などと、心を込めて書いてありました。
《宮城野に露結ぶ風の音がする
小さな萩を気遣ってくれ》
という歌があったのですが、更衣の母君は涙で最後まで見ることができません。
「長く生きているとそれだけ辛いことも多いとも言いますし、人に知られることのない高砂の松ですら年取ることは恥ずかしいと歌われてます。
まして宮中を行き来するなんて、大変はばかりの多いこととは思われます。
畏れ多いお言葉をたびたび承りながら、自分から宮中に行くなんてことは思いもしませんでした。
三歳になる若君がどのように思うでしょうか。
ただ参内することばかりお考えになって、お急ぎになってらっしゃるのは、悲しいけどそれが道理だとも思いますので、内々に御門にお伝えください。
喪に服している身でありますので、このように若宮様がいることすら忌むべきことなので、本当にもったいなく‥。」
と更衣の母君はおっしゃりました。
命婦も、
「若宮様はお休みになっておりますね。
ご様子をご覧になってそのあり様を詳しく報告したいところですが、御門がお待ちになっておりますので、夜がふける前に帰らなくてはなりません。」
と急ぎます。
「子を思っては暗闇の中を彷徨うその耐えがたい気持ちの、そのほんの少しでも晴らすためにもいろいろ聞いていただきたいこともありますので、今度は個人的に気軽に尋ねてきてください。
昔は入内のお目出度い報告のために立ち寄って下さったものの、今回はこのような報告のためだなんて、本当に運命というのは残酷なものです。
あの娘が生まれた時から、今は亡き大納言は宮仕えをさせようとなさり、いまわの際まで宮仕えの本来のあり方を必ず実行するように言い、ここで死んでしまうのかと悔しく思っては、くじけるでないぞと、繰り返しお諌めになりました。
ですから、これといった後見のない状態での宮仕えはなかなか難しいこととは思っていたのですが、ただ亡き大納言の遺言に背かぬようにと宮中にお出ししたところ、それこそ身に余るほどの御門のご寵愛のありがたさに、上達部の扱いを受けられない恥をごまかして宮仕えをしていたようなものです。
それなのに人からの妬みが積もり積もって、穏やかでないことも多くなりまして、非業とでもいうべき状態でこのようなことになったことを思えば、御門の畏れ多いご寵愛もかえって辛く思っております。
これもまたどうしようもない、子供を思う心の闇でして‥。」
と言い終わらないうちに、息ができないほどむせび泣いているうちに、夜も更けてきます。
命婦もまた、
「御門も同じです。
『自分の感情とはいえ、どうしようもない衝動に駆られて、はたから見ても驚くばかりに深く愛してしまったのも、今となっては長続することのない本当に辛い前世からの宿命だったのだな。
断じてこれっぽっちも人の心を捻じ曲げるようなことをしたつもりはないのだが、ただあの人せいでたくさんの恨まれなくてもいい人たちに恨まれ、挙句の果てには一人置き去りにされて、感情をコントロールできなくなってしまい、ますます体裁悪く偏屈者にされてしまったのも、どんな前世の因縁だったのか、見てみたいものだ。』
と開き直ってはみるものの、ただ涙ながらに過ごしています。」
と、話せばきりがないふうでした。
ですが、すっかり夜も更けてしまったので、夜のうちに御門のもとへ帰って報告しなくてはならないと、泣く泣く命婦は急いで帰ろうとしました。
清く澄みわたった空に月は今にも沈もうとしていて、風もなかなか涼しくに吹けば、草むらの虫の声も涙を促すかのようでした。
「鈴虫は声の限りを尽くしても
降りしく涙夜は明けない」
そう歌っても命婦は車に乗ることができません。
母君は、
「ただでさえ虫の音絶えぬ
露を添えてく雲上人よ
私の涙にかこつけてるようですね。」
と言いました。
名月の風流などの時とちがい、気の利いた贈り物などを持たせるような状況でもないので、ただ、今は亡き
若宮様に仕える若い女房たちが悲しいのは言うまでもありません。
内裏に朝夕惰性で過ごし、すっかり意気消沈してしまったような御門のご様子などを思って申し上げては、すぐに御門のもとへ参内したほうがいいと急き立てたりしたけれど、
「このような穢れた身で若宮様に付き従って参内するのは外聞も悪く、かといって若宮さまだけを参内させるのも気がかり。」
ということで、死穢の問題もあり簡単には参内させることはできそうもありません。
命婦は、まだ御門が寝殿にお入りになられないのを哀れに思いながら見ていました。
清涼殿の前の草木を植えた小さな
最近に特に一日中眺めている
御門は命婦に、
命婦はその哀れな様子を御門だけに聞こえるようにご報告しました。
ご返事の手紙を御門がごらんになれば、
《こんなにも畏れ多いお手紙に、身の置く所もございません。
このようなお言葉をいただくにつけても、心はかき乱されるばかりです。
強風を防いでた木も枯れてから
小さな萩がただ気がかりに》
という、いかにも取り乱したようなぶしつけな手紙の書き方で、あちらも感情をコントロールできなくなるほどひどく憂鬱なのだと思って、大目に見たにちがいありません。
この時御門は、そんなに悲しそうにも見えないように感情を押し殺していてましたけど、隠し通せるものではありません。
桐壺の更衣と最初に出会った時のことまで持ち出しては、あれもこれもみんな思い出し、
「ほんの一瞬も
と自嘲気味でした。
「今は亡き大納言の遺言通りに、宮仕えのあるべき姿をきちんと実践した報いとして、后とまでは行かなくても女御に取り立てたいと思い続けていた、なんて今さら言ってもしょうがないか。」
とふと口にしては、
そして、
「まあ、それでもそのうち若宮が成長すれば、皇太子に迎えるチャンスもあるかもしれない。
母君にも長生きしてほしいものだ。」
などとも言ってました。
例の贈り物もご覧になりました。
これがあの、楊貴妃が神仙郷に棲んでいるのをつきとめた玄宗皇帝の使者が、以前玄宗皇帝から賜った
「探しに行く道士がほしい噂でも
魂のいる場所が知りたい」
絵に描いた楊貴妃の姿はどんなものすごい絵師の筆であってもやはり限界があって、本物のような色つやはありません。
長恨歌に歌われた
朝に夕にいつもいつも、
比翼の鳥のようにいつも羽を並べて飛び、二つの枝の元が一つであるように結ばれよう」と約束してましたのに、かなわなかった運命の程が長き恨みとなってゆきます。
風の音や虫の
まったく意に介さずというふうに過ごしているようです。
最近の御門のご様子を知っている宮廷の人や女房たちは、見ているほうが気が気でない様子です。
廃朝でもないのだから管弦を控える理由などないといっては、こういうあてつけがましいことをする人で、更衣の死などどこ吹く風とばかりにふるまっているようです。
月も沈みました。
「雲の上も涙で翳る秋の月
どうやってすむ浅茅生の宿」
とヨシコの母君のことを思い起こしながら、ともし火が燃え尽きるまで起きてました。
右近の司が交替で夜勤に入る声が聞こえ、午前一時になりました。
人の目もあるということで、
朝起きても、伊勢の「
朝食すら手付かずで、日常の朝食である
近くで仕えているということでは、殿上人も女房たちも皆、「もう、どうにもこうにもしようのないことね」と言い合っては溜息をつくのでした。
一体どんな前世での運命があったのか、これほど多くの人の非難や恨みを情け容赦なく浴びることになり、
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