女房語り、超訳源氏物語

鈴呂屋こやん

第1話 桐壺1 物語の始まり

 長保六年(一〇〇四年)春。


 「入りはどう?」

 「満員よ。」

 「男の人も多いわね。

 あれって左大臣みちながでしょ。」

 「いつも来てるけど、きもっ。

 藤式部のストーカーじゃないの?」

 「何か、早く物語を書けって圧力かけてたってゆうじゃん。草萌ゆるわ。」

 「あ、出てきた、式部!式部!式部!式部!式部!式部!式部!」

 「式部!式部!式部!式部!式部!式部!式部!」

 「式部!式部!式部!式部!式部!式部!式部!」


 藤式部

 「さあ皆さんお静かに!」



 これは作り話ですから、まあ、何天皇の時代だなんて、わざわざ言わなくてもいいですね。

 とにかくこの時の御門みかどには女御にょうご更衣こういがたくさん仕えていて、その中にそんなに高貴な家柄ではないけど、今を時めく藤原ふじわらのヨシコという更衣がいました。


 まあ、女御にょうご更衣こうい御門みかど御世継およつぎを生むための沢山の後宮と女たちで、皇統を絶やさないため、結構こういうのって大事だったんですね。

 格は女御の方が上で、更衣は下、今はそれくらいに思っておきましょう。


 まあ、そんな更衣がいたもんですから、まあ、「私が一番よ」と思っているプライドの高い先輩の女御たちは、こんなうざくていらつく目障りな女がいたら嫉妬するのは当然で、当然のようにいじめてました。

 同僚や後輩の更衣たちも、そんなもんだから穏やかでいれるわけありませんよね。


 朝夕宮仕えするその一挙手一投足が同僚や後輩たちの心を板挟みにして、その不満もその更衣に向けられるもんですから、両方の不満の声を一身に背負うことになって、それが積もりに積もったのか、たびたび病欠するようになり、すっかり心身を病んでしまい、実家に帰ることも多くなりました。

 すると御門の方は飽きるどころか、この更衣にすっかり同情し、未だかつてないほどのこれでもかと手厚くもてはやすようになりました。


 三位さんみ以上の上達部かんだちめと呼ばれる人たちも、それに次ぐ四位しい五位ごい六位蔵人ろくいくろうどなどの昇殿を許された殿上人てんじょうびとなども冷ややかに目をそらし、

 「いくら御門の御威光とはいえ、中国にも妲己だっき褒姒ほうじのようなことがあって世が乱れとんでもないことになったじゃないか。」

と陰でささやく始末です。


 やがて下々のあいだでも「しょうがねーな」って感じで悩みの種になって、誰もが知る楊貴妃の例なんかも引き合いに出されるようになり、かなり無礼な扱いをされることも多かったのだけど、御門のもったいないばかりの心遣いだけを頼りにして、何とかこうした人たちとの接する日々を送ってました。


 父の大納言は既に亡くなってたものの、母は皇統の血筋で大納言の正妻であったため、両親ともに揃っている宮中でも評判の華やかな人たちにも引けを取らず、宮廷の様々な儀式もきちんとこなしていたのですが、やはり母親だけでしっかりした男の後見人がいなかったため、特別な晴れの式典では財力に乏しく、どうしても見すぼらしい印象を与えてしまい、心細そうでした。


   *


 それでも御門との前世の契りが深かったか、この世にまたとないような美しい玉のような皇子様が生まれました。

 御門もいつしか心臓をばくばくさせながら、待つに待てずに大急ぎでやってきて、その皇子様をご覧になると、それはそれは見たこともないようなお顔立ちでした。


 最初の皇子様である一の皇子みこはれっきとした右大臣藤原ふじわらのミチタカの娘のリューコという弘徽殿こきでんにいる女御からお生まれになって、その右大臣の一族の権勢が強力だったので、誰もが認める皇位継承者として世間からも大事に育てられてました。


 ところが、この皇子様の美しさの持つただならぬ雰囲気が、とにかく比類のないものなので、大抵の人はこれは放っては置けぬという気持ちから、この新しい皇子様をあたかも我が子のように思って、もうそれは際限ないくらいにもてはやしました。


 この新しい皇子の母君となった更衣ヨシコは、もともと普通は御門のお傍で世話をさせられたりするような身分ではありませんでした。


 更衣は一般的には大変高貴なお姫様で、大臣クラスの娘が女御、その下の納言クラスの娘が更衣になるわけで、一般の使用人の女性とは別格なのですが、この更衣だけは御門が何が何でもそばに縛り付けておこうとするため、宴席遊覧などの際に、何かとお世話の必要になる時には欠かさず御門の御前へ登らせてました。

 あるときには寝殿でともに過ごし、次の日もそのまま傍でお仕えさせるなど、御門の我がままで自分のそばから離さないようにして仕事をさせていたので、どう見ても下級の女房のようでした。


 それが例の皇子が生まれたもんですから、御門も特別配慮をして職務をさせるようになったので、一の皇子の母君である弘徽殿の女御リョーコなどは、皇太子の御所である東宮坊にお仕えさせないのは、あの皇子を皇太子にしようとしているせいではないか、と疑うようになってました。


 弘徽殿の女御リョーコは誰よりも先に内裏に取り立てられていたので、御門の寵愛も並々ならず、一の皇子の他にも皇女達がいることもあって、御門はただリューコの嫉妬を何とかなだめようとしながら、とにかく気を使いながら心苦しそうに説得するのでした。


 更衣ヨシコもまた御門の並々ならないご威光を頼りにと思ってはいるものの、誹謗中傷したり、何かとあら探しをしたりする人も多く、自分の体は病弱で精神も衰弱している状態だったので、かえってそのご威光が重荷にもなってました。


 ヨシコの所属するつぼね桐壺きりつぼでした。


 御門がたくさんの人の前を通って、しょっちゅう桐壺の局にお通いになるため、そのつど一の皇子の女御の鬱憤が積もり積もって行きました。


 さらに、更衣の方から御門の所へ通う回数があまりに頻繁になりすぎるときには、廊下と廊下の間にかけられた小さな橋や渡り廊下などのあちこちに、汚物を撒いておくなどのトラップが仕掛けられて、送り迎えの人の衣の裾が耐え難いほどひどいことになることもありました。


 建物と建物の間の渡り廊下には馬が庭を通るための馬道めどうと呼ばれる取り外し式の橋があり、ここを通る時にこちら側とあちら側とで示し合わせて両側から封鎖して、おろおろさせては苦しめました。


 何につけてもつらいことばかり多くて、悩む気力すら失せているヨシコを、御門が大変気の毒に思って、後涼殿こうろうでんに元からいた更衣の部屋を他に移して控え室にしたもんですから、追い出された更衣たちにしてみれば、その憤懣やるかたなしでした。


 この辺で内裏の中の部屋の配置を簡単に説明しておきましょう。御門の職務を行なう紫宸殿ししんでんの西側に御門のお住まいになる清涼殿せいりょうでんがあり、後涼殿はそのさらに西隣にあります。

 後涼殿の北へ行くと順に藤壺、梅壺、雷鳴壺があり、清涼殿の北には一の皇子の母君である女御リョーコのいる弘徽殿があり、そこから東のほうへ二、三の建物を隔てた向こうに桐壺がありました。

 桐壺から清涼殿に通うには渡り廊下を歩き、小さな橋や馬道を渡ったり、一の皇子の女御のいる弘徽殿の前を通ったりしなくてはならなりませんでした。

 そこを通るたびに、いろいろと陰湿ないじめにあったのを哀れんで、御門のすぐそばの後涼殿をヨシコの控え室としたのだが、元からそこにいた別の更衣たちにしてみれば、降ってわいた災難だったのでした。


   *


 この桐壺の更衣ヨシコとの間の皇子が数えで三歳になったその年、着袴ちゃくこという初めて袴を身につける儀式が行なわれ、一の皇子のときにも劣らず、内蔵寮くらりょうの宝物や納殿の調度品を惜しげもなく使って盛大に行なわれました。


 皇位継承者と同じ待遇をしたということで、宮廷内でも非難の声が多かったのですが、この皇子の大人びたお顔立ちやご性格に、滅多やたらにお目にかかれない何かを見てしまうと、なかなか悪くは思えないものです。


 仏道に造詣の深い人は、

 「何とありがたいお人がこの末世にお生まれになるものだ。」

と、お釈迦様の生まれ変わりか弥勒菩薩が現われたかのようなとんでもないことが起きた、とばかりに驚愕の目で見ていました。


 その年の夏、皇子を産んで御息所みやすどころとなった更衣ヨシコは何となく気分がすぐれなくなって、退職を申し出るも休職すら許されませんでした。


 ここ何年となく常に病欠がちの状態が続いてきたので、御門もそれが慣れとなっていて、

 「もう少し様子を見てみよう。」

などとのたまっているうちに、日一日病は重くなり、五日六日とたつほどに目に見えて衰弱していったので、ついには母親が泣いて御門に訴えて退職させました。


 こうして更衣ヨシコは、こんな時にあってはならないような屈辱的なことが起こらないためにもという配慮から、皇子は宮中に残し、秘密裏に内裏を去ることとなりました。

 もはや一刻の猶予もない状態なので、御門といえども止めることはできないのですが、更衣に会うことも見送ることもできないなんて言われても居ても立ってもいられず、言いようのない思いでした。


 大変華やかで美しかった更衣ヨシコが今では顔がげっそりと痩せ細り、悲しみに打ちひしがれ思い悩んでいながらも、それを口するにも言葉にならず、居るか居ないかわからないほど消えてしまいそうに振舞うのをご覧になって、後のことも先のことも頭になくなり、

 「望むことは何でもかなえてやるから。」

と言ってはみるものの、返事を聞くことはありませんでした。


 目の色もどんよりと鈍く、ひどくよろよろと、意識も朦朧とした状態で床に突っ伏したので、御門もどうすればいいのかわからずおろおろなさってました。

 ようやく輦車てぐるまに乗せて退出させることを許可したかと思いきや、またすぐに更衣ヨシコのところにやってきて、結局退出を許しません。


 「いつか死んでくこの人生じゃないか。

 生きるも死ぬも一緒だと約束したはずだろう。

 この私を捨てて行くなんてことはできないはずだ。」


 そんなことをおっしゃっても、

 「ひどい‥‥」

と御門の方を見すえ、


 「死んじゃって別れるなんて悲しいよ

     いきたい!だってまだ生きている


 本当にあなたが生きるも死ぬも一緒だと思っていただけるのなら‥‥」

と息も絶え絶えで、御門にもっと聞いてほしいことがあったのですが、大変苦しそうで力が抜けてゆくありさまでした。


 それなのに御門はというと、とにかくどうなろうとも最期を見届けたいなどと思っていたので、今日始めなくてはならない御祈祷があって、そのための加持祈祷の人たちを呼んでいて、それが今夜からだと知らせ、退出を急がせたところ、仕方なさそうにしぶしぶ退出をお許しになりました。


 御門は胸が締め付けられるように苦しくてどうしようもなく、まどろむこともできずに夜明けを待っていました。

 ヨシコの実家へ使いを行き来させはするものの、御門はいつまでも愚痴ってるばかりす。


 使いの者が実家へ行くと、その家の者に、

 「夜半を少しすぎた頃、お亡くなりになりました。」

と言って号泣され、がっくりと肩を落として帰ってきました。

 それをお聞きになった御門の心は錯乱状態になり、何がなんだかわからないまま部屋に引き篭もってしまいました。


 更衣ヨシコの残した皇子は、このような場合でも御門のもとに置いておきたいところですが、こういう場合に宮中に留まるのは前例がないということで、母君の実家へと行くことになりました。


 何が起きたかもわからずに、いる人たちが泣きくずれ、父上の御門も涙を止めどもなくお流しになってらっしゃるのを、何か変だなって感じで眺めている様子が、ただでさえこれ以上の悲しい別れはないという時には、よりいっそう悲しくさせるだけで、これ以上どうにも言い表しようがありません。


 すみやかに葬式をしなければならないので、慣習通りに葬儀の方法を選定して執り行うのですが、母である北の方は、

 「私も一緒に煙になって天に上りたい。」

と泣き崩れたりして、棺を積んだ女房の牛車に後から乗りました。


 愛宕おたぎという所では大変立派な葬儀の準備がなされていて、そこ到着した時のお気持なんて想像もつきません。


 「もはや動かない亡がらを見たりしても、まだ生きているように思ってしまうんではないかと思うととても無理です。

 ただ灰になってしまうのを見とどけて、もう今は亡き人なんだと前向きに考えるようにします。」

と冷静そうに話してはいたものの、いざ着いてみると転んで車から落ちそうになるくらい動揺していて、「そんなことだろうと思った」と周りのみんなも手を焼いている様子でした。


 内裏より使いの者が来ました。

 更衣ヨシコに三位の官位を贈るため、御門から勅使が使わされましたが、宣命を読み上げるのを聞くのも悲しくなります。

 三位の位があれば女御となり、后になる権利が生じていたのに、それができなかったのが御門としても心残りで残念だったので、今さらではあるが一つ上の官位を、ということで贈られてきたのでした。


 このことについても憎まれ口を叩く人もたくさんいました。

 分別のある人は容姿端麗なことや、気立てが優しく清純で憎めない性格だったことなど、今さらのように思い出してました。

 下手に寵愛されたがゆえにそっけなくしたり妬んだりなさったのでしょう。


 お人柄のよさと情に厚い所など、御門付きの女房なども懐かしそうに思い出を語りあってました。

 「大切なことは亡くなってから知る」というのはこのことです。



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 実際の源氏物語には、登場人物の名前はごく一部を除いて存在しません。

 当時は官職名で呼び合うのが普通で、まあ今の日本の職場でも課長だとか部長だとかいう呼び方をして、下の名前で呼ぶなんてことがまずないのと一緒なのでしょう。 

 そこが欧米とは違う所です。

 そのため、そのまま訳すと少将と呼ばれたのが後に頭の中将になって、右大将になって内大臣になってと呼び方が変わって行くので、私なども記憶力が悪いから、あとになって誰だっけとなってしまうので、ここでは便宜的に名前を付けておきました。

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