第42話 ハローベイビー
時計の針が動く。エミーとダンが時計を睨んだ。針はどんどん進んでいき——鳩が出てきた。くるっぽー。
「約束の時間だ」
ダンとエミーが項垂れた。
「帰ってこなかった……」
「裏切り者……!」
「嘘つき!」
「「パレットのバカ!!」」
ダンが紙に落書きを始めた。エミーがメガホンを持った。
「あいつの似顔絵をブサイクに描いてやる! ざまあみろ!」
「どいて! 兄さん! パレットの恥ずかしい惚気話を町中に言いふらしてやるんだから!」
「落ち着けお前ら」
「そうよ。二人とも落ち着いて」
汗を流すエマがお腹を撫で、マリアが不安そうに暴れる二人に怒鳴った。
「まだパレットが帰ってこないって決まったわけじゃないでしょ!」
「明後日に戻ってくるって言った! 見ろ! マリア! 明後日! ちょうど明後日の時間になっても、あいつ、戻ってこないじゃないか!」
「ダン……おちつ……」
「嘘をついたんだ! 俺たちを置いて、あいつは……貴族の暮らしを選んだんだよ!」
マリアがダンに駆け寄り——頬を叩いた。エミーがピタッと止まり、ダンが固まった。
「パレットはそんな人じゃない!」
マリアが涙を落とした。
「ダンが一番わかってるじゃない! どうして信じてあげないの!?」
「……だって……」
「今のダンは駄々こねてる子供みたい! 私、そんなダン嫌い!」
ダンの表情がショックで引き攣った。
「嫌いだから!」
「……っ、だって……帰ってくるって……あいつ……」
ダンの目がだんだん潤んでいき——俯いた直後——カウンターにいたエマが、強くお腹を抑え出した。
「うっ!」
全員がエマに振り返った。エマがハッとした顔をし——全員に、顔を向けた。
「……破水したかも」
「破水!?」
「っ」
ダンとマリアが呆然とする中、エミーがエマに歩み、ライアンが電話口に急いだ。
「だ、だ、大丈夫ですか!?」
「大丈夫よ。心配してくれてありがとう。エミー」
「お、お、落ち着いてください! そうだわ! なんか、呼吸があるって聞いた! ヒーヒーフーって!」
「エミー、大丈夫よ。落ち着いて」
「兄さん早く救急馬車呼んで!」
「ど、どの番号だ?」
「えっ、えっ、何番だっけ!? えっと、えっと!」
「大丈夫だから二人とも落ち着いて。ライアン、119にかけて」
「もしもし……妊婦が破水して……場所が……」
「エマさん! 大丈夫! ヒーヒーフーよ!」
「大丈夫よ。エミー。落ち着いて!」
ダンとマリアが顔を見合わせ、エマの側に歩いてきた。
「なんかやばい感じ?」
「ママ、大丈夫?」
「ええ。大丈夫よ。赤ちゃんが外に出たがってるの。もう少しで生まれるのよ」
「痛い?」
「そうね。少し」
「ど、ど、どうしたらいいですか!? そうだ! 工房にパレットが調合した回復薬が!」
「エミー! 落ち着いてちょうだい! 回復薬を飲んでも出産の痛みは消えないわ」
「れ、れ、連絡した!」
ライアンがそわそわしながらエマの側に寄った。
「連絡したが、み、道で事故が起こっていて、少し時間がかかるらしい!」
「それなら……待つだけね。ああ、そうだ。旦那に連絡してくれる? 生まれそうって」
「ま、ま、マリア! 親父の連絡先を教えろ!」
「私がパパに電話する!」
マリアが電話に走り、そわそわするライアンとエミーと、ハテナを沢山浮かべるダンが残された。
「エマさん、タオルいる?」
「そうね。汗が止まらないわ。お願いできる?」
「マリモ!」
ダンが呼ぶと、水風船のように大きくなったマリモが大きくジャンプし、エマの首にスライムのようにくっついた。すると不思議なことに、エマの汗がマリモに吸収されていった。エマが息を吐いた。
「はあ……心なしか落ち着くわ。ありがとう。マリモ……」
「救急馬車はまだなの!?」
「落ち着けって、エミー」
「だぁ! 連れてくる!」
「ライアンも落ち着けって! らしくねえな!」
ライアンがドアを開けた瞬間——突風が店の中に吹いた。驚いて全員がドアへ振り返ると——大量のお土産を持ったあたしが、瞬きした。
「あれま、ライアンさん。お出かけですか?」
「……」
「お土産です。いっぱい買ってきたので、みんなでわけ……」
「「パレット!!!」」
ダンとエミーがすぐさま飛んできて、とんでもない形相で叫んだ。
「遅いんだよ! 馬鹿野郎!!」
「エマさんが破水したの!!」
「……破水?」
あたしははっとして、ライアンに大量のお土産を渡した。あまりの量に、ライアンが地面に倒れた。エミーが叫んだ。兄さん!
「エマさん! 大丈夫ですか!?」
「お帰りなさい。パレット」
「救急馬車は!?」
「大丈夫。呼んでるわ。……道で事故が起きてて、時間がかかるらしいけど……」
エマの首に巻き付いてたものが——突然、つぶらな瞳と口をあたしに向けてきた。
「うわっ!?」
あまりの衝撃に、あたしは二、三歩下がった。
「何これ!? 生きてる!?」
「マリモだよ」
「マリモ!?」
「お前が行ってから、急に大きくなった」
「スライムになってない!?」
「なんか触っても毒っぽくなかったから、外に出したら最終的にこんな風になった」
「……解毒薬吸い込んだのかなぁ? いやー、にしても綺麗な色だねぇ……」
「あー……」
エマが唸り、身を屈めた。
「エマさん」
「大丈夫よ……。ちょっと、痛みが強くなってきただけ……」
「ドラゴンに抵抗はありませんか?」
「……ドラゴン?」
外が騒がしくて、ダンが外に出てみた。すると——店の前に、巨大なドラゴンが翼を閉じて、じっとお座りをして待っていた。その顔を見た時、ダンが満面の笑顔でドラゴンに駆け寄った。
「S.J!」
「ギャアアアア!」
「お前、巣に帰ったんじゃなかったのか!?」
そこでようやく外の騒ぎに気づいた。大量のドラゴンが、四つの土地の各々に残された森に向かって飛んでいたのだ。
「ドラゴンが……いっぱい飛んでる……!」
「エマさん、行きましょう! あたしも一緒に行くので!」
ライアンにおぶられながら、エマが外に出ていった。あたしは待機してたS.Jにエマの姿を見せた。
「総合病院まで運べる? あまり激しく飛ばないでほしいんだけど」
「ギュウ!」
「お願いね」
エマの首に張り付くマリモに伝える。
「落ちないように守ってくれる?」
「ふ!」
「……マリモが喋った……!?」
あたしも一緒に乗ると、S.Jが慎重に空を飛び始めた。マリモが風に当たらないように、エマを守る。あたしはエマが落ちないように支えていると、しばらくして、総合病院にたどり着いた。ドラゴンの出現に人々は唖然としたが、S.Jはとてもお利口なので、強い風で人々が吹き飛ばされないように、ゆっくりと下りていった。
「さあ、エマさん! 行きましょう!」
「はぁ……腰が痛い……!」
「すいません! 妊婦です! 赤ちゃんが生まれそうなんです!」
エマに合わせた歩幅で、あたしは病院へと入っていった。
(*'ω'*)
夕方。
マリアの父親とライアンがそわそわして、廊下を行ったり来たりを繰り返している。エミーがスケッチブックに絵を描くが、集中力が続かない。マリアがジュースを飲んで、その時を待っている。ダンが電話をした。
「母ちゃん、もう少しかかりそう。……やー、だって、マリアがさ……別に、そんなんじゃねえし! はぁ!? ちげーから! バカじゃねえの!? くたばれよクソババア! ……や、ごめん、ごめんなさい。本当、ごめんなさい。すいません。はい。はい。すいませんでした。はい」
受話器を置いたダンがあたしの隣に座った。あたしは笑みを浮かべて、彼を見た。
「汚い言葉を使ったから、叱られたのかい? 少年」
「茶化す方が悪いんだ」
「でも、くたばれよは良くないと思うよ。クソババアも良くないな」
「なんだよ。帰ってきたと思ったら、大人ぶりやがって」
あたしの膝では、小さくなったS.Jとマリモが安らかに眠っている。ダンが眠るS.Jを抱え、自分の膝に置いた。
「カレウィダールはどうだった?」
「……心の整理が出来たかな」
「実家には行ったのか?」
「うん。イヴと泊まった。楽しかった。ルイがダンに会いたいって」
「あいつはいいよ……」
「この土地って、人が住めない森とか、山とか、いっぱいあるでしょう?」
マリモが静かに寝息を立てている。
「カレウィダールの国王様にね、お願いしてみたの。そんなにドラゴンの管理が難しいなら、ぜひこの四つの土地にドラゴンを寄越してくださいって。もちろん、無理強いじゃないよ。カレウィダールに残りたいドラゴンがいるなら、そこで暮らしてもらってもいい。ただ……ドラゴン側が出て行きたいって言うなら、いつでも歓迎するって」
「お前、ドラゴンと会話できるのか?」
「S.Jに言ってみたの。S.Jはなんとなく、あたしやダンの言う言葉とか、わかってるみたいだったから。S.Jがドラゴン側に聞いてみてくれないかって。そしたら……七割かな? カレウィダールから、こっちに引っ越してきたの」
「それが今日の昼間?」
「そう」
「……まさか、そのためにカレウィダールに行ったのか?」
「だって、特殊生物の管理が難しいから戻ってこいって言われてたんだもん。少なくなれば、カレウィダールも楽でしょ。ここの土地だって、生物がいないと廃れていくだけ。だったら、ドラゴンに住み着いてもらった方がいい。人間が悪さしない限りドラゴンは人を襲わないし」
「……」
「言ったでしょ? ダン。あたし、ここでの暮らしが気に入ってるの。二度と邪魔されたくなかったの」
「……クリス王子は?」
気まずそうに聞いてきたダンに、あたしは笑みを浮かべ、拳を作って、殴る素振りをした。ダンが顔をしかめた。
「……え、殴ったの?」
「殴った」
「殴ったの!?」
ダンの声に驚いたエミーが慌てて鉛筆を走らせた。とんでもない絵が出来上がりそうだ。
「お前、王子を殴って、タダじゃ済まねえぞ!?」
「いやー、ダンに見せたかったなー。真似しようか? おー、パレットー。戻ってきたんだなー。やっぱりお前は俺がいないと生きていけない女だもんなー。よく戻ってきたパレットー。キスしてやるよー。ぶちゅー」
「……」
「心から呆れて、軽蔑して……気がついたら殴ってた」
ダンが黙ってあたしを見つめた。
「あたし、昔は本当にあの人が好きだった。あたしが困ったら、守ってくれるって、それは力強く言ってた。でも年が重なるにつれて、プライドが高くなって、どんどん自分勝手になっていった。学ぶことは格好悪くて、頑張ることはダサいことで、行動することは才能がない奴がすることって決めつけた。その結果、彼は何も出来ない無能な男に成り下がった」
「……」
「ダンは、どう思う?」
あたしは一つずつ聞いていく。
「学ぶことって格好悪い?」
「……勉強はさ、面倒だけど、……格好悪いことではないと思う。だって、勉強しないと何もわかんねーじゃん。調合もそうだけど」
「頑張ることってダサい?」
「まさか。すげえ格好いい! ゴーゴーレンジャーのレッドはさ、今でこそみんなのリーダーで戦ってるけど、一話目なんか酷いもんだぜ。正義感は強いけど歴代で一番最弱なレッドなんだ! いっつも空回って、みんなから邪険にされて、指さされて笑われる。でも……レッドの良いところはさ、泥にまみれても、誰かを助けようと頑張るんだ。その姿が、ものすごく格好良いんだよ。俺が今期のゴーゴーレンジャーにハマった理由がそれだよ。歴代の中で、今のレッドが一番弱くて、一番一生懸命で、一番格好いい!」
「行動することは、才能がない奴がすること?」
「才能があるとかないとかよくわかんねーけど、お前を見てるとそうは思わない」
「あたし?」
「お前、調合とかそういうのは得意だけど、店を始める時は何もわかってなかっただろ? でも毎日歩き回ってた。で、今これだけ繁盛してるじゃん。だから、別にそこに才能とかはないと思う。やり方かな」
全ての答えに——あたしは目の前にいる——少年を見つめた。
「言ってるだろ? 俺、勉強は苦手だけど、頭が悪いわけじゃない」
「……」
「まー……一番はお前と関わって色々考え方が変わったかな。お前見てると、なんか、俺も何かできることあるんじゃないかなって気になってくるんだよ」
ふふっと笑うと——ダンがあたしを睨んだ。
「なんだよ」
「あたしも、ダンと会ってから、考え方が変わったなって」
「そうか? お前は最初から変な奴だったぞ?」
「その変な奴と関わってるのは誰かなぁ?」
「さあ、誰だろうな?」
「……もう大丈夫。本当に心の整理がついたの」
あたしはダンに微笑む。
「明日から忙しくなるよ。経理がマリアしかいないんだもん。困ってたら手伝ってあげてね」
「はーあ! しょうがねーな! ……マリア! なんか困ったことあったら、すぐ俺に言えよ!」
「え? うん。わかった。……ありがとう。ダン……」
「……うん」
照れくさそうな返事をして、ダンが黙ってしまった。そんなダンの肩を抱き、あたしは頭をダンの頭に合わせた。
「頼むよ。これからも力になってね。ダン」
「……暑苦しい奴だなぁ。もー」
少しだけ、ダンの頬が赤くなった。それを隠すように、ダンが頬を膨らませた。
「全くー。もー」
(どうかこれからも、あたしに幸運を届けてね。ダン)
「おめでとうございますー!! 男の子ですー!!」
看護師の叫び声と、赤ちゃんの泣き声に、全員が振り返って立ち上がった。
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