第40話 フェアウェル(2)
あたしは事件の全貌をアルノルドに伝えた。正直、彼は全く関係ない。ドラゴンの卵泥棒があったのは、クリスがその土地の担当だった時。しかし、それを引き継ぐのも後任の務めだ。
話のわかる彼は、すぐに状況を理解した。顔を青ざめ、表情を険しくさせる。
「……そんなことが……あったとは……」
「イヴリン様が騒動に向き合っていた間、そちらのお国は、何をされていたのでしょう」
「面倒をかけた。申し訳ない」
「謝罪は要りません。謝罪をされたところで、ドラゴンの心の傷は治りません。ドラゴンだけじゃない。この土地の人々は、カレウィダールから都合よく搾取されていたように思います。後任ですよね? 何をしていたんです? 追放されたあたしを捜すよりも、もっとやらなくてはならないことがあったように思えますが」
「……貴女の言う通りだ。パレット・ルルビアンボナトリス」
アルノルドが椅子から立ち、その場で頭を下げた。
「申し訳なかった」
「謝罪はいらないと申し上げました」
「私の力不足だ。カレウィダールで……一番解決しなくてはならない問題の根本が間違っていた。貴女がいなければ……状況はより悪化していたことでしょう」
アルノルドが跪いた。
「感謝いたします。パレット・ルルビアンボナトリス」
「……感謝ならイヴリン様に。民を守ったのは彼女です」
「いいえ。守ったのは紛れもない貴女です。パレット様」
隣に座るイヴリンがあたしの手を握りしめた。
「とても勇敢なお姿でした」
「……オッケー。終わり。貴族モード解除して。二人とも。あたしはもう貴族じゃないから、こういう緊張感のある空気は苦手になっちゃった」
アルノルドが椅子に座り直し、イヴリンがお茶を飲んだ。
「改めまして、お久しぶりです。アルノルド様」
「久しぶりだな。パレット」
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
「先ほども言ったが——お前を迎えにきた」
イヴリンがアルノルドを静かに睨んだ。あたしは笑顔で対応する。
「追放された身です。二度と戻ることはありません」
「お前の追放はクリスが勝手に決めたことだ。いわば、口約束みたいなもの。陛下はクリスに相当怒っていて、ひたすらお前の身を案じている」
「クリス殿下のお言葉によれば、あたしは学園生活でエリに酷い嫌がらせをしていたとか。周りの方々も証拠もあると仰ってました」
「調査済みだ。全員問い詰めたら全て偽造だった」
「でしょうね」
「三年間、パレットは、ずっと研究していた。探索に行き、素材を集め、怪我をして戻った時もあれば、簡単な素材で誰にも見つけられなかった調合薬を開発したこともあった。全てはクリスのために」
「……」
「その直向きな姿を、俺は何度も見てきた」
アルノルドが身を乗り出す。
「パレット、今の俺なら、お前を守ってやれる」
アルノルドがまっすぐ、あたしを見つめる。
「どんなものからもお前を守り、お前の全てを愛すると誓おう」
その唇を見つめる。
「愛してます。パレット・ルルビアンボナトリス」
手を差し出される。
「俺の側にいてくれ。パレット」
「ごめんなさい」
——アルノルドが固まった。あたしは——笑みを浮かべる。
「愛してくれる人は一人でいいんです」
——ひび割れるカップを持ち、怒りで体を震わせていたイヴリンの腕に自分の腕を絡ませる。
「クリスに罵詈雑言をかけられ、エリからは尊厳を傷つけられ、その取り巻きはありもしない証拠をでっち上げた。孤立したあたしに手を差し伸べてくれたのは——イヴだけだった」
徐々にイヴリンから殺気が消えていき——アルノルドに対して、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。アルノルド様。お気持ちだけ頂戴いたします」
「……おかしいな。お前はそういう趣味の持ち主だったか?」
「趣味? アルノルド様。あたしは心から愛する方を見つけました。もし、彼女が彼だったならば、そのような発言はされましたか?」
「……いや、今のは失言だった。すまな……」
アルノルドのお茶が凍った。アルノルドが顔を上げ——氷に咲く薔薇を見た。
「あまり調子に乗らない方がいいですよ。アルノルド様。貴方方のお国がやらかした問題を、我々が解決したのですから」
「……すまなかった。イヴリン」
「イヴ、自分の良くないところを受け入れて謝ってくれるだけ、アルノルド様はまともだよ。クリスならそんなこと絶対しない」
「あの男は一度殴らないと気が済まない」
「それは同感だ」
「アルノルド様、聞いてもよろしいでしょうか? クリスとエリは、その後結婚されたんですか?」
アルノルドがうんざりした顔で首を振った。
「そうですか」
「イヴリンもわかってると思うが、あいつが王子としてやれていたのは全てパレットがいたからだ。パレットが調合薬を作り、錬金術を行い、合成術を行って、街に住む人々を守っていた。それだけじゃない。キメラやドラゴン。特殊動物の管理までやってくれていた。クリスがやるはずだった書類仕事も、処理していたのはパレットだ。それを全て、あいつが自ら手放した。パレットがいなくなったあいつはただの無能。陛下は早々後任を俺にし、せめてもの情けで第五騎士団に入団させたが、ろくに仕事もせず文句ばかり。最近は精神が参り、部屋から出ていないと聞いている」
「……」
「無能の男に用はない。エリは得意な恋愛魔法で別の男を作ったが、そいつが巷で、とんでもないモラハラ男で有名な貴族でな。今頃どこにも逃げられず、部屋に閉じ込められ、慰み者として生かされているようだ」
拳を握ったあたしを見て、アルノルドが眉を下げた。
「まさか、同情してるのか?」
「……因果応報だとは、思ってます」
「ああ。全ては自分たちが招いた結果だ」
「……その貴族の方のお屋敷を……調査することは可能ですよね?」
イヴリンがあたしの手を握った。
「やめておけ」
「……でも」
「お前から全てを奪ったクソ女に、同情の余地はない。遅かれ早かれ……あの女の結末はこうなっていた。いや、これ以上に酷いことになっていた」
「……」
「まだ良い方だ。モラハラ男の慰み者として生かされてるだけ。わたくしならば、そうはしない」
空気が冷たい雪山のように凍りつく。
「死んだ方がマシと思わせるくらいの、生き地獄を味わわせていたことだろう」
——ああ……、憎しみに燃えるイヴリン……色っぽすぎるぅ……♡
「要件はお済みでしょうか? アルノルド様。済んだのであれば、とっとと出ていってください」
「昔話をすることもダメか?」
「意味がありますか? 貴方は忙しい身のはずです」
「やれやれ。意外と嫉妬深いな。困ったものだ」
アルノルドがもう一度あたしを見た。
「パレット、提案があるんだが」
「はい?」
アルノルドが提案を伝えた。あたしは瞬きし、イヴリンは足を組み直した。全てを聞いてから、イヴリンと顔を見合わせた。
「今まで考えもしなかったが、今のお前を見て思った。悪くない案だと思うが」
「……確かに、そういうことなら」
あたしはイヴリンを見つめた。
「イヴぅ……」
「条件がある。わたくしも同行する」
「いいだろう」
「パレイ、……挨拶だけしておいで」
「うん」
あたしは立ち上がり、みんなが聞き耳立てていた二階へ上がった。ライアンが、エミーが、マリモの水槽を持ったダンが、不安げにあたしを見ていた。
「ちょっと、出かけてくる」
「いつ帰るの?」
ダンが聞いてきたから、答える。
「明後日には確実に」
「予約客に謝るのは俺たちだぞ」
「うん。あたしもお会いした時に謝るよ」
「俺たちはいつでもお前の尻拭いだ」
「本当に感謝してる」
「戻ってくるんだな?」
ダンが聞いてくる。
「信じていいんだな?」
「……大丈夫」
身を屈ませ、ダンと目線を合わせて、笑みを浮かべた。
「マリモのことお願い」
「……」
「エミー、明日は注文だけ受けつけて」
「わかった」
「ライアンさん、引き続き調節する家具があったら、作業をお願いします」
「ん」
「では」
あたしは背筋を伸ばし、敬礼した。
「少しだけ、行ってきます」
ダンが水槽をぎゅっと抱きしめた。
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