第39話 フェアウェル(1)


 S.Jが家に着いたと同時に、あたしは急いで解毒薬をある分だけ持ち出し、小さくなった核にかけた。しかし体内から放出される毒が体を蝕んでいるようで、解毒薬を入れた水槽の中に核を入れて、様子を見ることにした。


「明るい方がいい? 暗い方がいい?」


 訊いても、このキメラは喋ることができないので、あたしは蝋燭を近づけてみた。明かりは問題ないようだが、何か落ち着かないでいる気がした。薄暗い調合室に水槽を残し、あたしはイヴリンに連絡して、聖域に生えていた光る花を取ってきてもらうよう頼んだ。すると、渡しにきたのはイヴリンではなく、ダンだった。


「ほれ、花」

「ありがとう」


 花を側に置くと、キメラはようやく落ち着いたのか、水槽の中で大人しくなった。ダンが両手を頭の後ろに置いた。


「エミーとライアンは先帰った」

「……うん。ありがとう」


 暗くした調合室の扉を閉じ、リビングに戻る。


「無理させちゃったね」

「無理じゃなくて、悪戯しただけ。時にはこういう正義も必要だ。人間は綺麗事だけじゃ生きていけねえ、……って、先週のゴーゴーレンジャーで言ってた」

「……」

「……あのさー」


 ダンがため息を吐いた。


「ヒヤヒヤさせんなよな。もー! 無理しないって言ったから、俺は協力したんだぞ!」

「……S.Jを連れて正解だった。すごく頼もしかった」

「そうだ。S.J。あいつどこに……」


 あたしが指を差すと、ダンが庭に振り向いた。大きな体に戻ったS.Jと、弟のドラゴンが丸くなって眠っていた。……かなり窮屈そうだ。ダンが再びあたしに振り返った。


「領主様、今夜は帰れないって。聖域の調査があるから」

「あたしも……今夜はあの子の様子見なきゃいけないから」


 調合室のドアを見つめる。


「ダンも、疲れたでしょ。もう遅いから帰りな?」

「……」

「ダン?」

「俺も疲れた。歩く気力もないから」


 ダンが堂々とソファーに座った。


「今夜泊まる」

「え、駄目だよ」

「わかった。母ちゃんに連絡するよ。パレットの家なら母ちゃんも安心だろうよ」

「ダン」

「電話借りるぞー」

「ちょっと、……もー」


 その夜は、イヴリンは帰ってこなかった。代わりに、ダンがいた。あたしは調合室に入り浸りだったけど、ダンも一緒に調合室でキメラの様子を見ていた。


「アメーバみたいって思ったけど、なんか、梅干しみたい」

「さっきまでこんなシワシワじゃなかったのに」

「なんで解毒薬に沈めてるの?」

「そもそもが、この子の体が腐っちゃってるの。腐った体内にとんでもなく強力な毒ができてしまって、それが放出されてた。それは年々強くなっていった。聖域同士は繋がってて、この子一体が聖域にいるだけで、各地の聖域からこの子の毒が浸透して、地を踏んだキメラが毒に苛まれて、正気を失って、凶暴化していた」

「なんかあったな。カレウィダールでキメラとか、ドラゴンが暴れ回ってたってニュース。おっかないって、母ちゃんが言ってた」

「ドラゴンはダンも知っての通り、卵が盗まれたところから始まった。S.Jの弟も盗まれた。ドラゴンたちは、我が子を探そうと必死になり、仲間意識の高いドラゴンたちが群れで大騒ぎとなった。みんな、助けて欲しかっただけなんだよ」

「……S.Jは、弟を捜して、銃弾を撃たれた。……あいつ、家族思いの立派な男だ」

「よっぽど会いたかったんだろうね。気がついたら庭で丸くなって二匹で寝てた。ふふ、もう小さくする必要はないかな」

「え? なんで?」

「だって、もう弟は見つかったから」


 この一言は、言わなければいけない。


「お母さんのところに、帰してやらないと」


 ダンが黙った。あたしを見つめ——ゆっくりと俯き——頷いた。


「……そうだな」

「……明日、背中に乗せてもらえば? ダンならきっと、乗せてくれると思うよ」

「そうかな」

「うん。S.J、ダンのこと大好きだもん」

「親友だからな」

「……ダン、もう遅いから」


 ダンの背中を叩く。


「ルイが使ってた客室わかる? あそこで寝て」

「お前は?」

「あたしももう寝るから」

「そっか」

「なんか飲む?」

「いや、いい」


 ダンが立ち上がった。


「寝る」

「うん。おやすみ」

「……」

「寝ないの?」

「お前」

「ん?」

「パレットは、帰ったりしないよな?」


 あたしはきょとんと瞬きをした。ダンがじっとあたしを見つめてきた。あたしはふふっと笑って、ダンを手招きした。ダンが再びあたしの横に座り——そんなダンを、あたしが抱きしめた。


「ダン、あたしの家はここだよ?」

「今回の功績が認められたら、追放って、取り消しになったりするんじゃねーの?」

「うーん、なるかなあ?」

「漫画とかで、よくあるじゃん」

「漫画はね、面白いことが起きないと、読んでて面白くないでしょ?」

「お前はすごい奴だよ。誰も止められなかったキメラを、S.Jもいたけど、お前が止めたんだ。カレウィダールの連中が、そんなお前を放っておくとは思えない」

「んー」

「パレット、俺、算数は苦手だけど……バカじゃない」


 ダンがあたしに強くしがみついた。


「いなくなるなよ」

「……」

「お前の店はルセ・ルートにある。お前がいないと成り立たない。俺も、エミーも、ライアンも、……パレットがいないと、ただの田舎人だ」

「ダン」

「まだ聞きたいことが沢山あるんだ。調合のこと、もっと教えてくれよ。せめて、そのキメラの解毒薬を作れるようになるまで……」

「ダン」


 ダンの両手を握りしめて、顔を覗き込む。


「大丈夫。あたしはいなくならない」

「……本当か?」

「あたし、この土地に来てから、人生で一番の幸せを感じてる。好きな人と一つ屋根の下で暮らせて、家具を作って、配置の場所を決めて、考えて、食料を取りに森へ行ったり、店をやったり、毎日すごく忙しくて、楽しくて、こんなこと、カレウィダールにいる頃は味わえなかった」


 この生活をなくせというの?


「絶対嫌。あたし、ここ気に入ってるんだから。イヴに追放されるまでは、絶対離れないよ」

「……なら、喧嘩別れしないよう気をつけろよ。あのねーちゃん、まじで目が怖い」

「いざとなったら、お店に住むからいいもん」

「俺の部屋貸してやるよ」

「えー? いいのー?」

「だってお前、錬金術使えるじゃん。壁に穴開けて、自分の部屋作りそう」

「そんな迷惑なことしません!」

「店に穴空けたやつが何言ってんだよ!」

「だってあれは必要だったから!」

「……いなくならないなら、いいや」


 ダンが鼻で笑い、立ち上がった。


「早いとこ、店開けようぜ。最近、本当に暇なんだ」

「忙しくなるから、今のうちに友達と遊んでおいで」

「遊ぶついでに営業してやるさ。俺は口が上手いからな」


 ダンが歩き出し、ドアの前で立ち止まる。


「おやすみ。パレット」

「おやすみ。ダン」


 ダンが調合室のドアを閉めた。あたしは水槽の前で寝転がり、キメラを見つめる。


「側にいるから、諦めちゃ駄目だよ」


 冷たい地べたのはずなのに、疲れていたのか、部屋に戻る前に、あたしはその場で眠ってしまっていた。



(*'ω'*)



 翌日、ドラゴンが保護されていると聞いた場所へ、S.Jとその弟を連れて行くと、足枷をされていたドラゴンが切なげに鳴き、それに答えるようにS.Jと弟がドラゴンの側へ寄り、頭や体を擦り付けた。あたしは施設の人に足枷を外すよう言い、外してもらうと、ドラゴンが翼を広げ、誰に攻撃することなく空へ飛んでいった。弟もついて行くように飛んでいく。S.Jは飛ぼうとして——あたしとダンに頭を擦り付けた。


「元気でね。S.J」

「S.J」


 ダンがS.Jの頭を優しく撫でた。


「家族と元気でやるんだぞ。いいな!」


 ダンが強くS.Jの頭を叩くと、S.Jが大きく翼を広げ、二体を追うように飛んでいく。ダンが大きく手を振った。S.Jが尻尾を振った。三体のドラゴンがどんどん遠くへ飛んでいく。しばらくして雲の中へと消えていき——完全に姿が見えなくなった。ダンは空を眺め、息を吐いた。


「行っちまったぜ……」

「……寂しくなるね」

「出会いがあれば別れもある。ゴーゴーレンジャーで、ブルーが言ってたセリフだ」


 ダンが背筋を伸ばした。


「あいつは自分のすべきことをするために、家に帰るんだ。だったら、俺もすべきことをしないと」

「何するの?」

「店だ!」


 ダンがあたしを見上げた。


「お前、何日休んでると思ってるんだ! 客が待ってるぞ!」

「え、でも、あたしも病み上がり……」

「病院の薬はどうしたんだよ!」

「うわあ、忘れてた」

「溜まった注文はいつやるんだよ!」

「うう……」

「キメラが心配なら、水槽を店に運べばいい! 店には、ライアンも、エミーも、俺もいるんだからな!」

「……ダン……」

「忙しくなるぞ!」


 久しぶりに、店の看板をひっくり返した。


「インテリア・パレット、オープンだ!」

「ああ、やっと開いた」

「予約してた者だけど」

「私も」

「お待たせいたしました! 順番にお伺いします! こちらへどうぞ!」


 あたしが中へ案内している間、ライアンが水槽を眺めた。中で——見たことのない何かが蠢いている。ライアンが眉をひそめた。エミーが水槽を眺めた。中で——得体の知れないものが蠢いている。エミーは颯爽と水槽から離れた。ダンが水槽を覗き込んだ。丸い核は、梅干しのようにシワシワになっている。


「お前もキメラなんて呼ばれるの嫌だよな。なんかかっこいい名前つけてやるよ」

「……」

「ゴーゴーレンジャーで、最近とんでもない敵キャラが現れたんだけどさ、なんか憎めない奴なんだよな。敵なんだけど、なんか……たまに良い奴みたいな? 話せばわかる敵キャラだよ。そいつも丸くて柔らかいんだ。ただ名前がダサいんだよな。……」


 ダンが考えた。


「全部使う必要はないか。ところどころを取って使えば、かっこよくなる。うん。決めた。お前は今日からマリモ」

「……」

「悪くないだろ? ……わかった。確かにかっこいい名前じゃない。でも、愛される名前だぞ? 結構響きも可愛い。悪くないだろ? マリモ」

「……」

「とにかく、今日からお前はマリモな。みんなにも紹介しておくよ。お前がマリモだってさ」

「この店で注文するのを夢見てたのよ! 嬉しいわー!」

「ありがとうございます!」


 その日も、イヴリンは帰ってこなかった。



(*'ω'*)



 次の日も、イヴリンは帰ってこなかった。



(*'ω'*)



 あたしはエミーに泣きついた。


「わかるんだ……。忙しいのわかるんだ……。でもね? 家に帰ったらね……? S.Jもいないし、イヴリンもいないし、マリモしかいなくて、ずっとマリモに話しかけてるあたしがいるんだ。でもマリモって喋らないし、鳴き声も出さないし、寂しいんだ……」

「忘れられてた聖域が開けたんだから忙しいんじゃないの?」

「イヴ帰ってきて……。寂しいよ……。寂しいよ……」

「……」

「おい、パレット! マリモがストレスで毛が生えてきてるんだけど! お前家で何喋ってるんだよ!」

「だってだってイブが帰ってこないからぁ……」


 あたし達の後ろで椅子を調節してるライアンがため息をつき——ぼそりと呟いた。


「うるせえな。……ったく」

「寂しさは忙しさで乗り切るべきだって、母ちゃんが言ってた。予備の調合薬でも作ってろよ!」

「注文の家具が先よ」

「今夜もイヴのベッドでイヴの匂いを嗅ぎながら眠るんだ……。きっとそうなんだ……。なんで電話一つくれないんだろう……」

「駄目だ、こりゃ」

「あのねぇ……」


 店のドアが開いた。


(あれ? 予約ってまだあったっけ?)

「いらっしゃいませー」


 エミーがあたしを置いてドアの方へ歩いた。


「何時のご予約ですか?」

「いや、客じゃないんだ」

「は?」

「客じゃなくて……人を捜してて……パレ……」


 勢いよくドアが開かれた。エミーがぎょっと肩を揺らした。空気が凍りついた気がした。ダンとあたしが目を見合わせ、二階から一階を覗き込んだ。


「ここにおりましたか」

「……イヴリン」

「許可もなく、半ば強行突破で入国されたと聞きました。一国の王子が、そんなことをしても良いと?」

「パレットはどこだ」

「ここはわたくしの土地です」

「君が彼女を隠していることは調査済みだ! パレットはどこだ! イヴリン・ラ・アティカス!」

「っ」


 あたしは思わず二階から身を乗り出し、叫んだ。


「アルノルド様!?」


 イヴリンと——アルノルドがあたしを見上げた。ダンがあたしを見た。あたしは——ゆっくりと、笑みを浮かべた。


「お待ちしておりました」

「パレット!」


 アルノルドが階段を駆け上がり、あたしの元へと駆け寄り——両手を握りしめてきた。


「ようやく見つけた。パレット。捜したんだぞ!」


 ——下から、殺気が当たった。見下ろすと、イヴリンが今にも人を凍らすような目でアルノルドを睨んでいた。その表情を見て——嫉妬に燃えるイヴリンの顔に——胸がときめいてしまうあたしは、もう駄目なのかも知れない。


「帰ろう。パレット。俺と共に」

「アルノルド様」

「陛下が待ってる。君の帰還を心から願っておいでだ」

「お話があります」


 アルノルドから両手を引き、彼から離れる。


「お茶を出しましょう。こちらへ。……エミー、ごめん、お茶用意してもらっていい?」

「……」

「イヴリン様、貴女もご一緒にお願いします。大事な話なんです」


 パレット・ルルビアンボナトリスの言葉に——イヴリンが深く、お辞儀をした。



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