第12話 ロス・メモリー(1)
ダンが扉を叩いた。しかし、家は静かだ。ダンは家の周りを回ってみたが、丈夫な柵の向こうには誰も居なかった。試しに窓を叩いてみた。やはり反応はない。おや、花瓶がある。こんなところに花瓶なんてあったか?
「ん? なんだ、これ」
ダンが挟まってた紙を見た。
――魔法使いさんとお出かけデート♡してくるので今日はいないよ! 綺麗なお姉さんより
ダンが顔をしかめた。
「あいつ、自分が綺麗なお姉さんだと思ってるのか? 哀れな奴だな……」
――くしゃみをすると、イヴリンが優しい眼差しであたしを見た。
「寒いか?」
「ううん。なんか出ちゃった」
「おいで」
「あん、イヴ! 温かい……♡」
昼間でも電気がピコピコ点滅する町。南の町。T.Rデジタル。その名の通り、電気の町だ。沢山の電線に繋がれ、今日も大量の電気が流れている。突然、大きなモニターから世界の有名人が映し出された。
「ようこそ! T.Rデジタルへ! テレビとラジオのスター! デジタルロボット、マゴットが! あなたに笑顔を届けましょう! have a nice day!」
きらびやかな町にイヴリンと共に下りる。一緒に歩くのなんて、いつぶりだろう。イヴリンと手を握り、笑顔で話す。
「イヴ、あのお店なんてどう?」
「入ってみようか」
「楽しみ~!」
早速お店に入って、欲しい家電製品を選んでいく。メーカーを見て、形を眺めて、指を差す。店員が在庫を確認し、それを繰り返す。気がつくと、沢山の商品が荷物用馬車に乗っていた。
「ありがとう! イヴ! これで料理のレパートリーが増えるよ!」
「そろそろお腹が空いたんじゃないか?」
「えー! イヴったら……どうしてわかったの? もうはしゃぎすぎてペコペコ!」
「食事にしよう。だが、その前に」
イヴリンが指を鳴らすと、馬車が走り出す。あたしとイヴリンがしばらく揺られると、放送局の裏口にたどり着いた。二人で馬車を下り、裏口にいる警備員にイヴリンが身元証明書を見せた。それを見た途端、ぼうっとしていた警備員がとても元気になった。
「お疲れ様です!」
「ごくろう」
「どうもー……」
「お疲れ様です!」
「イヴ、何見せたの?」
「ただの身元証明書」
「貴族を見ただけであんなシャキッとするなんて……何かトラウマでもあるのかな……?」
イヴリンが受付に行き、事情を説明する。
「マゴットに面会したい。
「わかりました」
受付係が内線を取り、連絡する。
「お疲れ様です。マゴットへアルジー様が面会を希望です。はい。そうですか。わかりました」
受付係が電話を戻す。
「VIP控室へどうぞ」
「ご案内します」
その頃一方――マゴットのマネージャーロボットがスケジュールの確認をしていた。
「マゴット、この後の予定は、TVショー、TVショー、ラジオショー、TVショー、ラジオショー」
「いつものスケジュールだろ。わかってるさ」
脱力しきったマゴットが、とろけるようにソファーへ横になっている。
「テレビとラジオのスターは僕さ。視聴率はこのマゴットが独り占め。だけどね、いつだってスターには孤独がつきもの」
マゴットがロケットを開いた。そこには――自分を抱きしめる優しき母の姿がある。
「ああ、ママ……一体どこに消えてしまったんだ。僕は寂しくて仕方ない。貴女が僕をこの世界へ産み落とし、デジタルという世界へ放った。お陰で僕は大スター。視聴率は独り占め。だけどママがいないんじゃ、何も意味はない。憂鬱だ。僕は晴れることのない鬱になっている。悪化してしまう。どうか腫れ物に触らないでおくれ」
「トントン」
「おっと、失礼。マゴット。誰か来た」
マネージャーが扉を開けると、見覚えのある顔の女が立っていた。
「おや、どうも。本日のゲストの方ですか?」
「マゴットに伝えろ。主が来たぞと」
「わかりました。マゴット、アルジーが来たそうです。会いますか?」
「今日のゲストが挨拶に来たのか? 今はそんな気分じゃないよ」
「残念ながらマゴットの気分が優れないようで」
「パレットが来たと伝えろ」
「わかりました。マゴット、プァレットが来たそうです」
「プァレットだって? 今日のゲストはそんなへんてこな名前だったか?」
……そこでマゴットがはっとして、起き上がった。
「パレット? 今、パレットと言ったか?」
「マゴット、いるー?」
「その声は、間違いない!」
マネージャーを壁に投げ飛ばしたマゴットが、扉の前にいたあたしと目が合った。
「ママ!!」
目から大洪水の涙を流し、マゴットがあたしに抱きついた。
「ああ! ママ! 一体今まででどこにいたのさ! 心配したんだよ!」
「ごめんね、事情があって連絡できなかったの」
「情報ならお手の物さ。全てわかってるよ」
マゴットがイヴリンにお辞儀をする。
「初めまして、イヴリン様」
「卒業パーティーの話は聞いたか?」
「ネットイキリ厨による書き込みと、クソ殿下のニュース記事に全てが物語っている。ああ、ママ、僕が視聴率を独り占めしてる間に、とんだ災難だったね。さあ、座って、時間なんか気にせずゆっくりしていって!」
マゴットがスイッチを押した。壁からカップが現れ、紅茶が注がれ、あたしとイヴリンに差し出される。
「どうぞ。ママの大好きなアップルティーだよ」
「あー、これ懐かしいー! イヴも飲んで! マゴットのアップルティー、最高なの!」
「ママの好みを最大限にAI計算して調合した紅茶さ。イヴリン様、貴女もきっと気に入る。お菓子もどうぞ。さあ、ママ、話をしよう。この半年間、僕は本当に心配だったんだよ。ママ」
「ごめんね。マゴット。国外追放とは言え、居場所を知られたらクリスがまた何かしてくるんじゃないかと思って、イヴリンのご実家に身を隠してたの」
「はっはは! 流石ママだ! ネットの書き込みに全く履歴の無いことをしてくれる! イヴリン様、どうですか。僕のママは最高の、世界一の、ビッチだろ!?」
イヴリンが顔をしかめると、マゴットは再びあたしに顔を向き直した。
「ちゃんとご飯は食べてるの? 歯は磨いてる? 8時間、きちんと寝てる?」
「もう、マゴットったら。あたしのお母様みたいなこと言うんだから」
「だってママったら! 調合の研究ばかりで、何度倒れかけたと思ってるの!? あのクソ殿下に良いようにこき使われて、挙げ句の果てには国外追放。可哀想なママ。僕が側にいてあげられたら……」
「でもね、マゴット、悪い事だらけでもないんだよ?」
両手を撫でてくるマゴットに言って……イヴリンを見つめる。
「お陰で……イヴと恋人になれた」
イヴリンがあたしに笑みを浮かべ、アップルティーを飲む。
「今ね、町外れにイヴが家を建ててくれて、そこで暮らしてるの」
「え!? ということは、前よりも近くにいるの!?」
「そうだよ。いつもラジオからマゴットのトークを聞いてたんだから」
「ちょっと! なんでもっと早く言ってくれないのさ! 最近の僕のトークは切れが悪かった。自分でも自覚してる。でもそれは、ママのことが心配だったから!」
「だから会いに来たの。また最近元気のない声をしてたから」
「当然さ! もう二度とママに会えないと絶望してた。でも、もう平気さ! マゴットは復活した! もう誰にも視聴率を奪わせはしない!」
マゴットがあたしの両手を握りしめ、優しく見つめてくる。
「健康に気をつけないと駄目だよ?」
「ロボットに言われるとは思わなかった」
「何言ってるのさ。ママ。僕は元々、クソ殿下の健康維持確認用ロボットとして貴女に作られた、ただのロボットさ」
「それが今ではトップスター。鼻が高いよ」
デジタル時計が鳴った。マゴットが口笛を吹き、すぐさま準備に取り掛かった。
「これはいけない! TVショーが始まる! モニターから見ててよ! ママ! このマゴットの復活の姿を!」
「マゴット、くれぐれもあたしのことは内密で!」
「Oh、ママ! 僕がママの身に危険を及ぼすようなことをすると思う? イヴリン様の意見に大賛成さ! あのクソ殿下や、ママを見捨てた国の奴らに、ママの情報を渡してたまるか!」
蝶ネクタイをつけたマゴットが、あたしの側に来た。
「ママ、愛してるよ」
「あたしも愛してる。マゴット」
マゴットの頬にキスをすると、マゴットの憂鬱が吹き飛び、マゴットから伸びたコンセントをTVモニターに突き刺した。そこからマゴットがモニターの中へ侵入し、とても元気な姿を見せる。
『さあ! 始まりました! TVショー! お相手は僕、世界のトップスター、マゴットさ! テレビの前の皆! ママは大切にね! さぁ、楽しいTVショーの始まりだ!』
バンドによるとても荒い演奏がされる。あたしはカップをテーブルに置き、胸をなでおろした。
「元気になってくれて良かった。あの子、ああ見えてナイーブだから」
「ランチに行こうか」
「そうだね。もうしばらくは大丈夫だと思う。……何食べにいくぅー!? あたしが食べたいのはー……」
「パンケーキ?」
「イヴ……どうしてわかったの!? やだぁー! あたしの心、覗かないでよぉー♡♡」
『今日の視聴率も、マゴットが独り占め』
不敵な笑みを浮かべたマゴットを見た女ロボット達が、甘い声をあげて地面に倒れた。
(*'ω'*)
馬車が揺れる。気がつくと、あたしはイヴリンの肩に頭を乗せ、眠っていた。おしとやかに書類を読むイヴリンがあたしに笑みを浮かべる。
「んん……」
「まだ眠っていろ」
「今どこ……?」
「行きたい場所があって、そこに向かう途中」
「はぁー……。イヴ、今夜は出前を頼まない? ちょっとはしゃぎすぎちゃったみたい……」
馬車が止まった。イヴリンが窓から外を覗き込む。
「着いたようだ」
「どこ?」
「下りればわかる」
イヴリンが馬車から下り、あたしに手を差し出した。その手に支えられながら場所を下りると――とんでもなく背の高いホテルが、建っていた。
(ホテル!!??)
「さあ、行こう。パレイ」
(一体何が始まるの!?)
イヴリンに連れて行かされるがままにホテルに入れば、まず最初に着替えをさせられた。髪型を整われ、メイクをされ、鏡を見せられる。
「いかがでしょうか! お客様!」
(……あはは、これは……)
半年前の、あたしではないか。
しかし、メイクスタッフに文句は言えない。
「素敵ですー……」
「まるでお姫様みたいです!」
「あははは……」
「あら、ご一緒のお客様の準備も出来たようです!」
スタッフの連れて行かれ――しっかり身なりを整えたイヴリンと再会する。イヴリンの美しさに目を奪われて固まっていると、イヴリンがあたしに近づき、耳元で囁いてきた。
「美しいです。……パレット様」
「……なんか、貴族に戻ったみたい」
「お前は今でも気高い貴族だ。あの男が勝手に剥奪と言っているだけで……誰も誇りは奪えない。パレット・ルルビアンボナトリス公爵令嬢。誰よりも美しいプリンセス」
イヴリンがあたしに跪き、手にキスをする。そして、再び立ち上がり、あたしの腰に優しく手を添えた。
「これから行くところは、少しマナーにうるさいところでな」
「任せて。仮にも、……元王妃候補ですから」
「約束して頂きたい。奇声を上げないこと。興奮した顔を出さないこと」
「イヴリン様、あたしが興奮すると思っていらっしゃるの? あたしはね、そんな簡単な女じゃありませんことよ?」
豪華なショールームに、あたしは鼻息を荒くさせた。しかし、ああ、堪えろ! あたし! 大丈夫! あたしなら出来る! 平常心! 平常心! 平常心!!
「イヴリン様……こちらは……?」
「VIPしか見られない特別なショールームです。錚々たるインテリアコーディネーターの方々がこの日のために準備し、本日から一週間、展開されているのだとか」
「まあ、それは……」
あたしは唾を飲み込む。
「見ていってもいいのかしら?」
「見るためのものですから」
「一緒に歩いてくださる?」
「もちろん」
イヴリンにエスコートされながら、ショールームを観察する。様々な部屋が用意されている。リビング、ダイニング、ベッドルーム、洗面所、――まあ! この書斎、素敵!
「こんな書斎があれば、イヴリン様は家でも仕事が出来るのでしょうか?」
「簡単な書類などは片付けられるでしょうね」
「出社は止められませんね。ああ、残念」
だがしかし、この書斎は目に焼き付けておこう。空き部屋はまだいくつかあるのだ。歩いている時に、イヴリンに訊かれた。
「ところで、パレット様。貴女はいつになったら自分の部屋を作るおつもりで?」
「ご心配は無用です。出来上がるまではソファーで寝ますから」
「煽ってます?」
「イヴリン様は心配性でお優しいからベッドを貸してくださってますが、あたしソファーでも寝れるんですよ? あのソファーは一応、ソファーベッドの類なのですから」
「わたくしとしては、わたくしの部屋で寝てもらって構いませんよ? 一人で寝るなんて、寂しいではありませんか」
「ご心配は無用です。ちゃんと作ります。ただ……理想の構図が、まだ出来ていません」
素晴らしいショールームを見ても、
「まだ、自分の、理想の部屋が……思いつきません」
「……」
「いくつも候補があるんです。ロフトベッドを利用したコンパクトな部屋。メルヘンチックな子供のような部屋。綿あめと可愛い犬がいるような部屋。清楚な女性らしい部屋。いくつも理想があるからこそ……一つに絞るのが難しい」
自室の部屋を眺める。快適そうな部屋だ。
あたしはイヴに振り向く。
「……もう少しだけ、時間貰っても良いかな? 今構図を練ったばかりの庭を作ったらちゃんと考えるから……」
「あそこは、わたくしとお前の理想郷だ。好きに使っていいし、好きに設置していい。お前が思い描く理想郷を作れ。それまでは……わたくしの部屋で眠ればいい。ソファーで寝てもいいが、わたくしがいる時はわたくしと寝てくれ。でないと寂しい」
「イヴも寂しいなんて思うの?」
「お前がいないとわたくしは寂しくて泣いてしまいそうになるんだぞ? パレイ」
「本当?」
「試してみるか?」
「……ここではやめておこう? 人の目があるから」
「わたくしは気にしないがな」
「ふふっ。イヴったら」
ふと、向こうの部屋が目に入った。収納の棚が、変わった形をしている。実にお洒落だ。じっと見ていると、イヴリンがあたしに囁く。
「今回の部屋の写真が載ったパンフレットが売られているらしい。買うか?」
「お願い」
「買ってくる。見ていなさい」
「ありがとう」
あたしは忘れないように、部屋を観察する。その形を記憶して、脳裏に焼き付ける。
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