第13話 ロス・メモリー(2)

 驚くべきことに、イヴリンはこのホテルのVIPルームを予約しており、とんでもなく広い部屋に案内されてしまった。食事も24時間開店しているレストランがあり、贅沢で豪華で高級な素材を使った、今考えたらとんでもないものを日々食べていたんだなと思い出してしまうものを食べさせてもらい、部屋のベッドに倒れる。


「やばすぎー」

「久しぶりのマナーはどうだった?」

「たまにやらないと忘れるもんだね……。最近の生活が快適すぎて、食事マナーすら忘れるところだった。だって、家でマナー違反したって、イヴは怒らないし、ダンだって何も言わないんだもん。ううん! ダンの方がマナー悪い! イヴが見たら怒りそう。あの子、パンくず落としまくりなんだから!」

「随分と仲良くなったな」


 イヴリンが髪飾りを外し、長い髪を下ろした。


「最近ずっと家に来てるんじゃないか?」

「調合士が珍しいみたい。錬金術も合成術も見たことないらしくて。あの年頃の子は好奇心旺盛だから」

「あまり関わりすぎるなよ。子供は口が軽い」

「イヴったら本当に心配性なんだから」


 起き上がり、ドレッシングテーブルの鏡で髪を梳くイヴリンを抱きしめ、頬にキスをする。鏡越しにイヴリンを見れば、彼女もあたしを見つめていた。笑みを浮かべ、今度はイヴリンの髪の毛に唇を押し付ける。


「イヴもダンに会ったらわかるよ」

「お前を取られて、嫉妬してしまいそうだ」

「あの子、クラスメイトに好きな子いるから、その心配はないよ」

「そうか。それなら……お前の魅力に気付かぬよう、計らってくれ」

「ふふっ! ねえ、ダンがイヴに会いたがってた。今度会ってあげて」

「仕事がなかったらな」

「ダンと一緒にパイを焼くよ。だからイヴは毒見係。そしたら、きっと仲良くなれる」

「悪戯でも腹痛の調合薬は入れないでくれ」

「あたしがイヴにそんなことするはずないでしょ?」


 耳に囁く。


「ルームツアーに行ってくる」

「好きだな」


 イヴリンと唇を重ね、彼女から離れる。さあ、ルームツアーへようこそ。あたしは歩き出し、折角の部屋を購入したカメラで写す。


(絨毯の模様素敵。四角型をベースに花になってる。壁の模様は薔薇が咲く過程のよう。こういう模様って奇抜で、デザインするの大変なんだよな。だからデザイナーという職業があるわけで。いやいや、すごいなぁ)


 ウォークインクローゼットを覗いてみる。流石はプロ。設置が素晴らしい。……イヴリンの部屋は、まだまだ改善の余地ありだ。こちらも写真を撮っておく。


 次にバスルームに入ってみた。ここを見て、まあびっくり。


(ジャグジーとシャワー室が、別になってる!)


 ――それを見て、ようやく思い出した。


(そうだ。お父様の部屋がそうだったかも。……あー、今になって実家に帰りたくなってきた。部屋の構造、意識して見たことなかったんだよなぁ。当時は当たり前だったし……)


 シャワールームの改善の余地あり。写真に撮っておく。


(収穫がでかい! いやー、イヴのお陰だなぁ)


 リビングに行くと、ソファーの前に、大きなテレビモニターが設置されていた。


「……」


 リモコンがある。あたしはちらっとテレビを見つめる。


「……」


 ソファーに座ってみる。ふかふわで、座り心地が良い。リモコンがすぐ側にある。


「……」


 振り返ってみる。イヴがくる気配はない。あたしは前を見る。リモコンが置かれている。だから……出来心で、手を伸ばした。リモコンを掴む。


(……少しだけ……)


 あたしは電源をつけた。


(少しだけ)


 モニターがついた。


(あ、音量下げないと!)

『速報です。クリス王子を率いる騎士団が、戦闘に敗北です』

(え?)


 あたしの指が止まった。目が、モニターに釘付けとなる。


『ドラゴンの暴走理由を探る為、騎士団と共に調査に出たクリス王子でしたが、死亡者が10名を越え、非難の声が殺到してます』

『人殺しー!』

『私の息子を返して!』

『王子だからと言って許されると思うな!』

『なお、クリス王子との婚約を発表したエリ・フェザーストンは、度々別の男性との密会現場が確認されており……』


 チャンネルを変える。


『最近のキメラの暴走化について、どう思われますか?』

『危ないですよね。でも、クリス殿下に任せたらもっと危ないと思いますよ』


 チャンネルを変える。


『クリス殿下の側に居た女の子はどこに行ったんですかね? ドラゴンの暴走も、あの子がいる間はなかったでしょう?』


 チャンネルを変える。


『パレット様は? 彼女に任せたら一発だろ?』


 チャンネルを変える。


『貴族なんてみんなそうだ』

『みんな国を捨てるんだ』

『私達を見捨てたんだ』

『この国は終わりだ』


 チャンネルを変える。


『わかってないね。クリス王子なんかに何ができるっていうのさ。あの男の代わりに、パレット様が今までやってくださっていたのに、あの王子が、変な女に騙されて、パレット様を追い出したんだ。パレット様が戻ってこなければ、この国はおしまいだよ』

『反逆者め!』

『取り押さえろ!』

『私はね! 嘘は言ってないよ! みんなもわかってるだろ!!』


 チャンネルを変える。


『クリス様についてどう思われますか?』

『答えられません。捕まってしまう』

『アルノルド様についてどう思いますか?』

『国を担うのは彼だね』

『パレット様がいない以上、アルノルド様しかいないさ』

『ドラゴンがまた暴走してるぞ!』

『キメラが襲ってくるわ!』

『助けて!』



『助けてパレット様!!』






 突然――テレビの電源が消えた。

 イヴリンが消した。


 イヴリンが――うずくまるあたしを見下ろした。


「パレット」

「戻らなきゃ」


 あたしの体が震えている。


「もど、らなきゃ」

「どこへ?」

「カレウィダールに……!」

「お前は戻れない。国外追放と命じられたことを忘れたか」

「でも……だけど……民が……国民が……!」

「こうなることがわかってたはずだ。王子は、罪人のお前に出て行けと命じた。二度と国の土を踏んではいけないと。お前は命じられた通り、ここにいる」

「イヴ、あたし……ドラゴンが……キメラが……自然が……動物が……全てが……」

「こうなることがわかってたはずだ。わかってなかったのであれば、それは、お前の責任じゃない。王子の責任だ」


 イヴリンがソファーに座り、あたしの顔を自分の肩へと抱き寄せ――視界を隠した。


「何も見るな」

「イヴ、でも……あたし……でも……」

「もうお前に関係ない」

「だけど……でも……」

「部外者が出る幕はどこにもない。お前の居場所は、カレウィダールにない」


 あたしの目から、涙がこぼれた。イヴリンのドレスに落ちていく。


「パレット。自覚しなさい。お前は追放者だ。今さら……国が何を言おうが、トップがお前を追い出した以上、お前が戻る必要はない」

「……」

「お前の生きる場所はここだ。ここしかないのだ」


 イヴの言葉が、耳から、あたしの脳へ、心へ落ちていく。


「忘れろ。あんな土地で過ごした記憶など。お前の居場所はここだ」

「……イヴ……」

「忘れなさい。わたくしが側に居るから」

「……イヴっ……」


 涙を落として、彼女を見つめれば、唇が重なった。イヴリンから唇を押し付けてきた。だけど、それでいい。あたしは素直にその唇を受け入れる。イヴリンのキスがより深くなってきた。それでいい。あたしはイヴリンを抱きしめ、受け入れる。イヴリンがあたしを抱きしめ、口を離した。腕を引っ張られ、静かな寝室に連れ戻される。


 壁に押し付けられ、激しくキスをされる。イヴリンがあたしの髪飾りを外した。唇を離して呼吸をすると、また塞がれる。苦しくなってイヴリンの体を押すけれど、手を掴まれ、そのままベッドに突き飛ばされた。


「っ」


 倒れたあたしの上に、イヴリンが乗り、またあたしの唇を塞いだ。呼吸が出来ない。それでも――いい。もう、いいのだ。関係ない。忘れたい。忙しくなればなるほど、物事は忘れるものだ。過去は忘れるものだ。イヴリンはあたしを守ろうとしているのだ。だから、もういい。あたしはイヴリンを愛してる。だから、もう、イヴリンしか見ない。


「イヴ……」


 イヴリンの耳に小さな声で囁く。


「痛くして……」

「……趣味が変わったか?」

「今日だけ……痛くして……噛んでも良いし、魔力を使っても良い。手足を拘束して、動けなくしてもいい。もう、なんでも……いいから……」

「パレイ」

「痛くして」


 強く抱きしめる。


「痛みで、忘れさせて」


 イヴリンが唇を重ね合わせる。優しくて、柔らかな唇に溶けていく。あたしはもう駄目だ。もう、戻れないのだ。


 イヴリンの体重が重くなっていく。あたしはとろけていく。


 イヴリンが噛みついた。あたしは声を我慢した。


 イヴリンに叩かれた。あたしは酷く興奮した。


 イヴリンが痛みを与えてくれる。まるで、毒。あたしは、イヴリンという毒に侵される。呼吸ができない。苦しい。痛い。だけどいい。


 これでいい。




 ベッドに、イヴリンに、身を委ねる。



(*'ω'*)



 目を覚ますと、イヴリンはいなかった。

 ドレッサーテーブルに、手紙が残されていた。

 早朝早くに出かけなければいけなくなったらしく、先に出るとのことだった。

 寂しいと思ったが、手紙の最後の一文に、こう書かれていた。


 ――生涯、何があろうと、わたくしの愛をお前に捧げる。愛しいパレット。


 その言葉だけで、心が満たされてしまうあたしは、安い女だろうか。鏡に映る体の痕を見て、安堵の笑みを浮かべてしまうあたしは、とんでもない変態だろうか。


 あたしは痕が見えない服装に着替えて、一人で朝食を終えた後、すぐに町外れの家に戻った。


 T.Rデジタルで購入した荷物は既に届いており、ラッピングされた箱が床に置かれている。あたしはソファーに寝転がり、息を吐いた。


(……イヴの言う通りだった)


 情報は、入れない方が良い。


(忘れてはいけない。あたしは追放者。二度と、国に戻ってはいけない人物)


 だからここで新生活をすると、決めたのではないか。

 全てを忘れるために。

 勉強してきたことを活かすために。


 押し殺して来た自分を、取り戻すために。


 窓を見る。雨が降って来た。昨日じゃなくて良かった。


(ダン、今日も来るかな。……あの子の純粋無垢な……元気な顔が見たい)


 あたしはそのまま――ぐっすりと、眠りについてしまった。


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