第23話 名前を呼んで
鹿児島旅行から無事に帰ってきて、二週間ほどが過ぎ、大学の後期授業が始まる。
学科の皆と久しぶりに会ったが、話にあがるのは就活のことばかりだった。
山口も大学で出会ってから常に維持していた軽薄な茶髪を、そのために黒く染めて、ツーピーカラーとからかわれていた。似合わなすぎる。
斉賀は八月にゼネコンのインターンシップに参加して、施工管理の仕事を見せてもらった。現場の作業をする職人に何かミスをして怒られているインターン係の社員を見て、まあまあと仲介に入って斉賀も怒られた。
「がたい大きくて舐められにくいだろうから、ゼネコン向きだよ」
と社員に冗談めかして言われた。参加した結果、ゼネコンに就職した長兄がなぜ実家に帰ってこなくなったのかが分かった。
今月、追加で二社に申し込んでいる。緊張するし憂鬱だった。
「忙しすぎないか、俺等。授業も普通にあるし、就活もしないといけないし。研究室決めの準備もあるだろ」
前田がそう言うと、皆神妙な顔で頷いた。
学科は違っても、持留も同じような状況だった。だから平日、昼休みに会うことはどうにも難しくなってしまって、お互いに予定の入っていない休日にだけ会うことにした。
なかなか会えないのは寂しいが、憂鬱な忙しさに感謝したくなる程、持留への気持ちは募っていた。何もしていないと頭の中は彼のことばかりになった。
元々、彼に向ける気持ちの比重は大きかった。お腹が空かないようにしてやりたいとか、心の底から笑えるように穏やかに過ごしてほしいとか、そういったことは以前から、まるで祈りのように心にあった。
しかし、友だちとして好き、という枠組みを失った今、箍が外れてしまった。純粋に幸せを願う気持ちに、性欲や独占欲が交じって斉賀を支配する程に膨れ上がる。
鹿児島旅行以前と以後で、斉賀は大きく変わった。今まで目隠しをされていたかのように、男性アイドルや俳優が急に目につくようになった。
山口に好きなタイプを聞かれても、以前は明確に答えられなかったが、どうやら自分は優しそうで目鼻立ちの整った、細身の人が好きらしい。
というか、持留だ。持留のことが好きだった。どんな芸能人の男よりも可愛い。
鹿児島旅行以後、彼も少し変わった。より斉賀を信頼してくれるようになったと感じる。例えば、実家の話をよくしてくれるようになった。休日しか会えないからというのも一因だが、彼から積極的に遊びに誘ってくれるようになった。
けれども、それだけでは足りない。
もっと特別な関係になりたい。彼の唯一無二の恋人になりたい。
具体的な行動には至らないまま、体の中で想いが燻り続けた。
◆
一二月、夜に入る布団が冷たくて、彼がここにいたならばと空想しながら眠りにつく。すると、夢にも彼がでてくる。持留は肌を斉賀に寄せて甘えた。目が覚めた時、ただでさえ広い一軒家をさらに遠く感じるような虚しさに苛まれた。
斉賀は講義の間の空いた時間に、企業説明会の情報を仕入れるため、キャリアセンターへ向かっていた。例年、工学部向けの説明会が年明け二月に学校主催で行われる。今年はいつなのか気になっていた。
キャリアセンターの近くには、持留に案内してもらって見上げた金木犀が立っていて、その辺りを歩くと橙の細かな花弁を被った姿がありありと思い出された。
花が咲く時期には匂いがする度に、反射のように心が震えて、呼吸が浅くなるような感覚にしばしば陥った。
売店の前を通る時に、ちょうど三人の学生が出てきた。斉賀は思わず声を漏らす。
「あ」
「あ」
「あーっ! 斉賀くんだ」
うち一人は持留。思い浮かんでいた彼が目の前に現れて、まるで魔法みたいだった。それから、野々垣もいる。明るい髪色を暗く染めていたため、すぐには分からなかった。残り一人は茶髪にきつくパーマをかけている男子学生。
至近距離で手を振る野々垣に、小さく手を上げて応える。
「久しぶり。髪、染めたんだな」
「そうなんだ〜。鏡見ると自分でも驚く」
「真面目そうに見えていいと思う」
「なにそれ、なんかウケる」
ぽかん、と棒立ちになっているパーマの男性に持留が斉賀のことを紹介していた。
「暖。工学部三年の斉賀だよ」
「ああ! あの海のイケメンくんか」
「そうそう」
笑顔を浮かべて、男性がこちらを向く。
「君があの斉賀くんか。ありちゃんと裕から話聞いてるよ」
「そうなのか」
「僕は春野暖って言う。好きに呼んで」
「よろしく」
持留のことを裕と呼ぶ人も、持留が人を下の名前で呼ぶところも、自分以外の相手で初めて見た。仲が良いのだ。劣等感じみたものを覚え、そっと目を逸らした。
「今、ご飯食べてたんだ。斉賀は何してたところ? 」
持留に聞かれて、質問の内容よりもどうしても呼び名が気になってしまい、押し黙る。
まだ、そうなのか。
斉賀は彼が自分のことを、二人きりの時は永一郎と呼んで、知り合いの第三者がいる時には名字で呼ぶ、と区別をつけているのに気づいていた。出会った頃からそうだったから、なんとなく今更理由を聞けない。
他人と下の名前で呼び合っている様を見せつけられると、俺と仲良いのを知られたくないのか、と拗ねてしまいたくなる。
沈黙が訪れて、野々垣と持留が不思議そうな顔を浮かべた。
「斉賀、どうしたの? 」
「……いや、別に。俺はキャリアセンター寄りに来ただけ」
声の冷たさに気づいたのか、持留は怪訝な顔をした。
「そっか」
「就活、なんかあるの? 」
野々垣が追加で聞いた。
「年明けの説明会の情報出てるか見たくて」
「そうなんだ、私も見とこうかな」
「あ、いや。俺が気になってるの工学部に関わるような企業だけしか出ないやつだから。毎年年明けてあるんだ」
横で春野が感心したように息をついた。
「すごいなあ。イケメン長身な上にちゃんと就活こなしてるの隙がないな」
「いや、そんなことない。今の時期はみんなこんなもんじゃないか」
「そういう言葉一番刺さる……」
「なんもやってない人、暖くらいだよ。インターンシップとりあえずどっか一社行ったら? 」
「そうだな……」
持留が、春野と目を合わせて声をかけた。
なんでそいつのことは名前で呼ぶんだよ、なんで気にかけてるんだよ、とは言わないけれど、ムカついてここにいたくなかった。
「悪い、急いでる」
小さく頭を下げて、踵を返した。早歩きでキャリアセンターの入口をくぐる。
持留にとって、自分よりも仲の良い存在がいるのかもしれない。それが不安で、怖くて、許せなかった。けれど、それは持留が決めることだと分かっていた。
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