第24話 行方知れず

 その週末の土日は持留と会わなかった。レポート課題が終わらないと理由をつけながら、頭に血が上ったままの八つ当たりで、会えないとメッセージを送った。

『そっか。レポートがんばってね。無理しないようにね』

 というメッセージとハチマキを巻いた猫のスタンプが返ってくる。途端、子どもじみた行動を悔いた。誰もいない家で一人呟く。

「会いたかった」

 身から出た錆、という慣用句がここまで似合う状況もそうないだろう。子ども用の日本語辞典の挿絵にしてもらっても構わないほど。

 来週はこちらから誘うと決めて、斉賀は色のない休日を過ごした。

 週が明けて、水曜日。昼頃、週末の予定を確認する旨のメッセージを持留に送った。斉賀は土日どちらでも彼に合わせる所存で、返事が来るのを今か今かと待っていた。ところが、日が暮れても返事は来ない。彼は送ったメッセージを、未だ読んですらいないようだった。

 持留からの返信がこんなに遅かったことは今まで一度もなかった。普段であれば一時間も経たないうちにメッセージが返ってくる。

 不穏なものを感じつつ、アルバイトと課題が重なって忙殺されている可能性はある。気になりつつ、布団に入った。

 翌朝、アラームで起きた瞬間、彼とのメッセージ画面を確認した。持留は、まだメッセージを見ていなかった。嫌な目覚めだった。何か困っているのか。怒っているのか。心当たりを探し続けたが、見つけられなかった。

 昼休みになっても返事はない。スマートフォンを握りしめながら、学科の友人と昼飯を食べに食堂に向かう。

 持留に会いに文学部の教棟に行くべきか悩むが、急に行っても会えないかもしれないし、迷惑かもしれない。懸念事項が多く、簡単には動けなかった。

 セルフサービスのお茶を汲むために席を立ち、我にもなく彼を探して、辺りを見回しながら給水場に向かっていたら、後ろから話しかけられた。

「斉賀くん」

 声の主は野々垣だった。

「よく会うね」

「ああ、本当だな」

 持留も近くにいるのでは、と辺りに視線を走らせたが見当たらない。いつも一緒にいるわけではないだろうが。彼の様子を聞こうと口を開く前に、彼女が言った。

「こないだ、急いでるって言ってたの大丈夫だった? 」

「あ……ああ、大丈夫だった」

 衝動的についた嘘を信じて、心配してくれていたのだ。心苦しい。

「よかった。就活、きついよね。まだ先長いからのんびりやろうよ」

「いや……、心配かけて申し訳ない」

「ううん」

 おそらく前回の斉賀が就活に前のめりで焦っているように見えたのか。にこっと笑って励ましてくれる彼女は大人びていた。その顔がふと曇る。

「あのさ……持留くん、大丈夫なのかな」

 こちらが聞きたいことを言われ、斉賀は混乱した。

「えっ、それ、俺も聞きたくて。裕にメッセージ送っても、返事もないし既読もつかないし」

 野々垣は顎に手を当てて、眉間に皺を寄せた。

「そうなんだ……持留くん、先週金曜くらいから全く学校来てないんだよね。私が連絡しても返事ないし」

 斉賀は何を言われているのかすぐに噛み砕けず、一拍置いて顔を歪めた。先週の金曜からならば、一週間近く姿を見せていないことになる。持留は講義をサボったりもするが、話を聞く限り一日丸ごと休むことはないようだった。

 自分の知り得ないところで、彼に何かがあった。不安が心を覆う。しょうのないことで拗ねている間に、彼が困っているかもしれない。歯噛みしたくなる。

「……授業大丈夫なのか」

「まあ、一回休むくらいなら大丈夫だけど、これ以上休みが続くなら心配。ノートとかは貸してあげられるけど……。斉賀くんも知らないってなんだろうね」

「いや、なんでも知ってるってわけではないけど。とりあえず、連絡入れてみる」

「うん、よろしくね。何かあったら教えて」

「ああ、また」

 手を振って別れる。席に戻り、スマートフォンを取り出した。茶を注ぎ足すのを忘れていたが、どうでもよくなっていた。

『授業に来てないって野々垣さんから聞いた。何かあったのか? 具合悪いのか? 』

 メッセージを送って、しばらくその画面を見つめた。やはり反応は何もない。落ち着かないまま、液晶の明かりをつけたり消したりした。

「急いで戻ってきたと思ったら……急にどうしたんだよ」

 箸を宙で止めた山口に問われた。テーブルにつく皆が呆気に取られた顔で斉賀を見ていた。

「裕がここ一週間学校来てないらしくて」

「もち? 何かあったのか」

「分からない。だから連絡取った」

 尋常ではない様子の斉賀を目の前にして、山口も顔をしかめた。

「……心配だな」

「ああ」

 しかし、連絡を待つ以外にできることはない。食欲はわかないが、箸を手に取り白米を口に運んだ。無理やり詰め込む。それを繰り返して食事を終える。味覚まで不安に侵されたように、味がしなかった。



 上の空で午後の講義を全て受け終えても、返事は来ない。野々垣にメッセージを送る。

『聞きたいことがあって、今はどこにいる? 』

 すぐに反応が返ってきた。

『文学部棟にいるよー。持留くんのこと? 』

『そう。今からそっち行く』

『え、いいけど次の講義すぐ始まるよ』

『急ぐ』

 荷物を詰めたリュックをひっつかみ、勢いをつけて背負った。講義室の出口に向かうと山口がついてくる。構わずに歩を進めて、並走しながら話した。

「もち、連絡ついたのか? 」

「つかない。探す」

「探すって……。どうやって」

「とにかく裕の家行ってみる。文学部で聞き込みする」

「まじか」

「ああ」

「そうか。一応俺、もちの知り合いの人の連絡先あるから。必要なら連絡取るから言ってくれ」

「知り合い? 」

「もちのバイト先の常連で石田さんって人なんだけど」

 石田。斉賀は足を止めかける。その名前で浮かぶのは鹿児島旅行のあの晩のことだった。ラブホテルに共に行った人として、持留が上げた名。

「……石田さんって女の人か」

「いや、男だけど」

「そうか。……ありがとうな、山口。連絡お願いするかもしれない。その時はよろしく」

 彼は少しだけ照れくさそうにしながら、真面目な表情で頷いた。

 文学部棟へ駆け足で向かうと、風が冷たくて鼻が痛くなった。人を避けて進みつつ考える。山口の言う石田さんは、持留と特別な関係にあったであろうその人と同一人物なのか。

 斉賀は自分以外に同性を好きになる者に出会ったことがない。しかしそれは、その人たちがただ言わなかっただけだ。斉賀自身も誰にも話していないから察することができる。

 彼のことを知りたい。もっと深く知りたい。自分が見たくない部分も、彼が見せたくない部分も。

 校舎にたどり着き、勝手の分からないまま中を進むと野々垣が講義室の引き戸から顔を覗かせていた。そちらに向かい、彼女の前に立つ。見慣れない斉賀が気になるのであろう、席につく学生数名がこちらの様子を伺っているのが分かった。一人の男がこちらに寄ってくる。春野だった。斉賀は小さく会釈をした。

「本当に来た。てか早いね」

「走った」

「持留くんと連絡……取れてないよね」

「返事が来ない」

「私も同じく。最後に講義で会った時、いつも通りで変わったことはなかったし。普段返信早いのに……どうしたんだろう本当に」

 春野が続けた。

「僕も……昨日と今日と電話かけたけど、電波が届かないところにいるか電源が入ってないってアナウンス流れて」

 どこにいて、何をしているのかこの場の誰にも分からなかった。行方不明。

 血の気が引く感覚を、深く息を吐いて抑える。

「もう、講義始まるだろ。時間を取らせて悪いが一つだけ。持留の住んでるマンション知ってるか」

 彼の住む場所の最寄り駅は聞いたことがあったが、具体的なマンション名は知らなかった。野々垣と春野は二人、顔を見合わせて首を横に振る。

「そういえば知らない」

「僕も」

「知ってる人いないのかな、ちょっと聞いてみるね」

 野々垣が教室へと振り返り、皆に呼びかけた。隅っこに座る女性がおそるおそるというふうに胸のあたりで手を上げた。

 その女性は持留と同じマンションに住んでいるらしく、個人情報漏洩じゃないかと心配しつつ、斉賀の嘆願に圧されて住所を教えてくれた。

 聞いている最中、教授が入ってくる。立ち歩く者がいる講義室を見て、変な顔をして腕時計を確認していた。

「もう講義が始まる時間なんですが……」

「すみません、すぐに出ます」

 頭を下げて、斉賀は足早に教室を出た。最後に僅かに振り返ると野々垣と春野がこちらに頷いてくれる。

 文学部棟を出て駐車場へ足を向けながら、さて、これからどうするかと思案する。

 とりあえずマンションを見にいく。しかし、住所を教えてくれた彼女も、持留の住む部屋の番号までは知らなかったため、直接部屋へは行けない。まさか、一部屋ずつ訪ねるわけにもいかない。

 だから斉賀は、ひたすらマンションの前で待つことにした。

 自家用車に乗り込んで、ナビに住所を入力するとここから十分ほどの道のりだった。

 ひたすら待つだけという、技巧も閃きもない選択をすることに嫌気が差す。明日が提出期限の製図課題がまだあと少し終わっていない。不備がある場合、再提出を指示される。加えて小テストもある。いつも通り、やることは多い。

 それでも、持留を探さずにはいられなかった。彼の家以外に有力な当てもないのだ。案外すぐに戻ってくるかもしれない。役に立たなくても、何かしたいと馬鹿みたいな直向きさでハンドルを握って、道を進んだ。

 彼の住むマンションの前に着く。道沿いには車を停められるようなスペースはなかったので、近くのコインパーキングに停めて、徒歩で戻ってきた。寒くて、巻いたマフラーを鼻先まで持ち上げた。六階建てのそのマンションを眺める。随分年季の入った建物だが、オートロックのエントランスは新しく、アンバランスな見た目をしていた。

 人目につかなそうな位置にある、マンション横のコンクリートブロックの塀に腰掛けた。不審者として通報されませんようにと祈りつつ、持留からの連絡が入っていないか確認した。電話をかけてみるが、当然応答はない。

「何してるんだよ」

 不安が唇から溢れて、白い息になった。テキストを開いて、明日のテスト範囲を覚えながら斉賀は持留を待った。寒くてなかなか集中はできないが、どうせ持留に会えないうちはどこにいても手につかない。



 かじかむ手のひらをマフラーと首の隙間に入れて温めた。待ち始めてから五時間が経過して、辺りはすっかり暗くなった。テスト対策もあらかた終わり、今までの復習までしてしまい、テキストを閉じた。エントランスの暖色の灯りを何をするでもなく、ひたすら眺めた。途中お手洗いに行ったり、軽食のパンや飲み物を買いにいったりした以外は、常に塀に張り付いていた。

 このマンションを教えてくれた文学部の女子学生が帰ってきた時には、こちらを二度見して愕然とした顔で会釈をしてくれた。驚きを通り越して、少し怯えているように見えた。斉賀は先ほどの無礼を詫びた。

 午前零時が近づいて、人通りもなくなった。疲れた。一時間毎に電話をしていたが、持留からの返事は何もない。

 最寄り駅の終電の時間を調べた。その時刻が過ぎて、少ししたら帰ろうと区切りをつけた。

 もしかしたら、一生会えないかもしれないと思うと、冷え切った体が絶望に満ちて重たくなる。馬鹿みたいな意地を張らず、土日会っておけばよかったと痛いほどの後悔が襲ってきて、斉賀は顔を手で覆った。

 寒い思いをしていないだろうか、どこにいるのだろうか。心配が積もって泣きたい気持ちになる。

 終電の時間が過ぎても、彼はついに現れなかった。

 それならば、ひとまず帰るしか選択肢はないのに、なかなか立ち上がれなかった。

 未練を断ち切れないまま、肩を落として車へ戻った。エンジンをかけて、暖房を入れる。なかなか暖まらない車内に苛々しながら、何度も何度も何度も持留に電話をかけた。繋がらない。

 スマートフォンを助手席に投げて、冷えてうまく動かない手のひらでハンドルを握った。車を発進させる。少しずつ体が温まり、末端に血が巡る。強張って固くなっていた体が和らぐ。

 切羽詰まっていた思考も、体に合わせて弛緩した。次のことを考える余裕がでてくる。家にも大学にもいないのだから、大学外の知り合いに聞いてみるのは有効だろう。

 石田、という名前は斉賀の知らない持留の象徴だった。名前だけで暗然とした気分になる。だから、その名に頼るのは最終手段のつもりだったのだが、早くも斉賀は手詰まりだった。

 山口に頼み、石田に連絡を取ってもらおうと、信号待ちでスマートフォンを手に取った。

 それをきっかけに、ふとまだ当てがあることに気づく。

 持留の働く居酒屋だ。次の行動を見出して、わずかに気力が湧く。最終手段にはまだ早い。アクセルを踏み込んだ。

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