第10話 夕焼けよりも美しい
生まれて初めて、心の底からきれいだと思える人に出会えたのに、斉賀は恋に落ちたとは気づかなかった。深く感動したのだと受け取って、斉賀にとっては夕焼けよりも美しい彼を、自分のものにしようとは思わなかった。自分は女性を好きになる、それは斉賀の当たり前だった。
◆
九月の第二週、斉賀は予定通り同じ学科の者と長崎旅行に行った。夏休み中、一度実家に帰った際、母に旅行に行くという話をしたら、お土産用にということで余剰資金を得た。
一日目は眼鏡橋や中華街を回る定番コース。その晩前田がとった宿では
その後、大量に酒を買い込み、部屋で酒盛りをした。家に帰る必要がなく、その場で潰れてもよい。大変な盛り上がりと酒量となった。男四人で騒いでいるだけで楽しく、斉賀も普段より早いペースで缶を空けていった。
学科が同じということで、前期の成績や後期の履修登録の話等も少しは話題に上がったが、話す内容はほとんどがあけすけで尾籠な猥談だった。斉賀には嫌な思い出があり、あまりそういう話は得意ではなかったが、適当に相槌を打って、面白かったら笑った。酒が入っていることもあり、なんでも可笑しい。
「俺、この夏童貞卒業した」
前田が酔って真っ赤になった顔で言う。
「まじ? 彼女できたんか」
「いや、ソープだけど」
「なんだ、素人童貞じゃん」
「初体験どうだった? 」
その話を黙って聞きながら、斉賀は友人の意外な言動に驚く。前田は全くもって女っ気がなく、色恋沙汰など言うまでもなく興味がないという風情だったのだ。想像していなかった姿に開いた口が塞がらない。内に溜め込んでいたものがあったのか。
前田は腕を組んで、考える動作をしてから言った。
「緊張と興奮が入り混じって、立ち具合が微妙だったんだよな〜」
「どんな子が来た? 」
「ばり可愛い子! ホームページに写真上がってるから見せるわ」
「え、どれどれ。ってか料金高くね」
「この子」
前田が差し出したスマートフォンには、胸元を強調した下着姿の女性が映っていた。口元には薄くモザイクがかかっている。
「胸でか。ほんとにこんな子だったのか」
「いや、まあ写真の方が可愛いけど。でも触り心地が半端なくよくて、やばかった」
「やっぱ、こういう……鍛えてない女の人ってどこ触っても柔らかいのか」
そう聞いたのは斉賀だった。よくそういう話を聞くから単純に気になったのだ。柔道で組み合う時に接触する男の体はどこもかしこも固く感じる。また、地元の道場では女子と混合で練習をすることもあったが、男を相手に練習する女子は相当な実力者だった。あそこまで鍛えている体とはまたわけが違うだろう。
前田が怪訝そうな顔で質問を返してくる。
「え、斉賀ってもしかして童貞? 」
「そうだけど」
「いや、そんな澄ました顔で童貞なのか」
三人全員驚いた顔をするので、斉賀は納得がいかない。今まで一度でも経験済みだ、という顔を俺がしたことがあったか、と聞きたい。ただ、こんなことで怒るのも馬鹿らしい。
「童貞って言う機会がなかった」
と一言だけ返して、缶ビールを呷った。
「ええ……俺達の中で一番女性と関わりありそうなのに」
「そうか? そんなことない」
「山口が女の子と海に行ってるのストーリーあげてたし」
「あいつ勝手にそんなことしてんの? 」
眉をひそめて舌打ちをした。SNSをしていない斉賀が窺い知ることができないところに、自分の行動が載せられていると思うと腹立たしい。
「脱童貞に興味ないのか」
「興味……。ないわけではないけど、前田みたいに自分から動く程ではない」
好きな女の子ができたら、と持留に言ったのを思い出す。今、この場ではとてもではないけれど『好きな女の子』なんて発言はできない。めちゃくちゃにからかわれそうだ。
そういう行為は、大切にしたいと思えるくらい好きになった相手とするものだ、と長兄に教わったし斉賀もそうするのが一番いいと本能のように分かっていた。マジョリティとは外れる本能なのかもしれないが、そちらに合わせる気はないので仕方がなかった。
「斉賀、いつかステップアップのために一緒にキャバクラ行こうぜ」
前田に誘われた。斉賀の質問は、驚きの前に離散してしまったようで、答えてもらえなかった。
「いつかな」
と適当にあしらう。すぐそばに布団があるにもかかわらず前田は畳に寝転んで、彼女がほしいと言って転げ回った。相当酔ってるなと苦笑いしつつ、斉賀も酔いが回って頭が浮ついていた。
酒はやめて、ミネラルウォーターのペットボトルを開けて飲んだ。
裕。ふと名前が浮かんで、後ろ姿が浮かんで、会いたいと思った。酒を飲むと、人肌恋しくなる自分の癖に、斉賀はまだ気づかない。
◆
次の日は軍艦島を見に行った。船に乗って行くのだがあいにくの悪天候で、非常に船体が揺れた。結果、二日酔いになっていた斉賀以外の全員が嘔吐用の袋を活用する運びとなった。楽しむどころではなく、斉賀は屍のようになっている友人たちの後処理をしてくれている係員を手伝い、何度も謝った。
船を降りてもずっと具合が悪いと唸り続ける友人らを車に置いて、斉賀は土産屋に行き、持留と両親、あと一応山口にもお土産を買った。
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